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第19話 凱旋と不和:毒蛇の帰還

いつもお読みいただきありがとうございます!


 ようやく役者が揃った魔王軍一行。  しかし、かつての同胞ライルとロミナ様の間には、何やら一筋縄ではいかない「嫌悪感」が漂っているようで……。


 そして後半、エリザ様の「甘い毒」が第一王子妃マーガレットを蝕んでいきます。  魔王の魂を宿した王女による、恐怖の精神教育をお楽しみください。

離宮の応接室は、豪奢な装飾とは裏腹に、南極のクレバスの底のような冷気に満ちていた。


 ベルベットのソファに深く沈み込み、私は目の前の男――八百年という忌々しい時間を経て再会したかつての同胞を、氷点下の瞳で見据えた。


「あら、ライル。相変わらずインチキ臭い笑顔ね。見ているだけで皮膚の下を虫が這うような悪寒がするわ」


 私は手にした扇子をバサリと広げ、わざとらしい優雅さで顔を仰ぐ。  彼の吐き出す空気を、少しでも自身の領域から追い払うかのように。


 対するライルは、鼻梁に乗った銀縁眼鏡を中指で押し上げ、唇だけで笑う爬虫類のような笑みを深めた。


「おやおや。八百年ぶりの再会に対する第一声がそれですか? 相変わらず、猛毒をドレスで包んだようなお方だ」


 傍目には、穏やかな対談に見えるだろう。  だが、互いの虹彩の奥には、隠しきれない侮蔑と殺意が渦巻いている。


 私は扇子の陰から、冷ややかな警告を放った。


「確認しておくけれど……貴方ごときが私の夫の座に収まるのは、あくまで『任務』遂行のためよ。調子に乗って、寝室でその薄汚い手で指一本でも触れてみなさい。――その眼鏡ごと、眼球を握り潰してあげる」


「ご安心を。私とて、貴女のような派手な毒婦を抱く趣味など持ち合わせていない」


 ライルは肩をすくめ、まるで汚らわしい事務処理について語るかのように淡々と言い放つ。


「……これはあくまで、魔族再興という至上の目的のための『作業』です。感情を排し、機械的に処理させていただきますよ」


 視線が交錯し、見えない火花がパチパチと爆ぜる。  そこに愛のカケラなど微塵もない。


 あるのは冷徹な利害の一致と、長い時を経ても風化しない相互の嫌悪感のみ。


 その殺伐とした空気を楽しむかのように、側付きのアステルが音もなく歩み寄った。  琥珀色の液体がカップに注がれる音が、静寂の中で奇妙なほど鮮明に響く。


「……ふん。お似合いの狸と狐だ」


 アステルの呆れたような独り言に、私はカップを手に取りながら妖艶に微笑んだ。


「あら、アステル。私たちにとって、それは最高の褒め言葉よ」


 熱い紅茶を一口含み、喉を潤す。  いがみ合いながらも目的のためには手を組む。仲が良くて――あるいは殺し合いたいほど憎くて――何よりだわ。


 私はカップをソーサーに戻し、本題へと意識を切り替えた。


「それで、ライル。教会の根回しは?」


「完璧です」


 ライルの声に、初めて揺るぎない自信の色が混じる。  彼は法衣の懐から、重々しい教会印が押された羊皮紙を取り出し、テーブルの上に滑らせた。


「私の『洗脳』と『買収』の手腕を疑うのですか? 枢機卿たちは今や、エリザ様こそがこの国を救う『次代の救世主』だと信じ込み、涙を流して崇めていますよ」


 羊皮紙に記されていたのは、「エリザ王女こそが王国の守護者である」という偽りの神託。  国を騙し、民を欺き、歴史を塗り替えるための舞台装置。


 その文字の列を目で追いながら、私の胸の奥底から、暗く熱い高揚感が湧き上がってくる。


「素晴らしいわ」


 私は唇の端を吊り上げ、かつての魔王としての獰猛な笑みを隠そうともせずに告げた。


「……さあ、舞台は整った。始めましょうか」


 ◇


 午後の離宮の庭園は、まどろむような陽光に満ちていた。


 色とりどりの薔薇が咲き乱れるその美しい風景の中で、第一王子妃マーガレットは、世界の終わりを前にした小動物のように震えていた。


 彼女の細い腕の中には、私の使い魔である黒猫の『キバ』が抱かれている。  彼女は、その温もりだけが救いであるかのように、黒い毛並みに縋り付いていた。


「マーガレット……顔色が悪いわね。まるで幽霊みたい」


 エリザが日傘を畳み、音もなく近づく。  その声は、砂糖菓子のように甘く、そして逃げ場のない響きを含んでいた。


「また、あのノースに何か言われたの?」


「い、いいえ……私が、至らないから……私が悪いのです……」


 マーガレットが自罰的な言葉を吐き出し、視線を足元へ落とす。  その瞬間、エリザの手にあった扇子が閉ざされ、その先端がマーガレットの白い顎をクイ、と強引に持ち上げた。


 強制的に合わせられる視線。  怯える濡れた瞳と、全てを見透かす魔性の瞳が、吐息のかかる距離で交錯する。


「可哀想に子」


 エリザは嘆息交じりに囁くと、凍えた身体を包み込むようにマーガレットを抱き寄せた。  それは慈愛に満ちた聖母の抱擁に見えて、その実、獲物を麻痺させる蜘蛛の糸だ。


「……貴女は何も悪くないわ。悪いのは、貴女という宝石の価値を理解できない、あの愚かで粗暴な男よ」


 耳元で注がれる言葉は、心に開いた傷口に染み込む、甘美な毒液ネクタル。  エリザの指先が、マーガレットの背中を優しく、一定のリズムで撫でる。


「もう、あんな男の雑音なんて聞かなくていいの。……私の声だけを聞いて。私の言うことだけを信じていれば、貴女は必ず幸せになれる」


「エリザ、様……」


「そうよ。この世界で、貴女を本当に愛しているのは誰? 貴女を傷つけず、守ってあげるのは誰?」


 繰り返される問いかけが、マーガレットに残っていたわずかな理性の堤防を崩していく。  自己否定で埋め尽くされていた彼女の心に、『エリザ』という絶対的な依存先が刻み込まれていく。


 やがて、マーガレットの瞳から、意思という名のハイライトがふつりと消え失せた。


 代わりに宿ったのは、ドロリとした熱を帯びた、盲目的な崇拝と依存の色。


「……はい。貴女様だけ……貴女様だけが、私のすべてです……」


 彼女は夢遊病者のように呟き、エリザのドレスの裾を強く握りしめた。


 完全に堕ちた。


 木陰からその様子を窺っていた私は、完璧な手際で一人の人間を「作り変えた」エリザの手腕に、背筋が震えるほどの感銘を覚えた。

第19話をお読みいただき、ありがとうございました。


 ライルとロミナ様、仲が悪すぎて逆に清々しいですね。  「眼球を握り潰す」なんて物騒な会話をしながらお茶を飲む二人は、ある種お似合いかもしれません。


 一方で、ターゲットにされたマーガレット様が……。  エリザ様の圧倒的な「母性という名の支配」に、ついに心が折れてしまいました。


 これにて駒は揃いました。  次回、いよいよこの王国を揺るがす「奇跡」が発表されます。


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