第10話 離宮侵入:退屈な姫君と刺激的な夜
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いよいよ「爪」エリザのもとへ乗り込むロミナ様。
夜の隠密行動のはずですが……アステルが「ロミナ様を地面に立たせたくない」という重すぎる愛を発揮して、妙なことになっています。
潜入ミッションのはずが、どこか優雅(?)な魔王一行の道中をお楽しみください!
夜の帳が完全に下り、月さえもが厚い雲の背後へと身を隠した刻限。
世界が完全なる「闇」に染まるのを待ち、カステル家の屋敷の裏手から、三つの影が音もなく弾け飛んだ。
「準備はいいわね?」
「はい、ロミナ様。……失礼いたします」
返答と同時、ふわりと視界が高くなった。
アステルが、まるで壊れやすい硝子細工でも扱うかのように慎重に、しかし抗いようのない力強さで私を抱き上げたのだ。
いわゆる「お姫様抱っこ」である。
「……アステル、自分の足で歩けるわ」
「なりません。下界の泥や埃で、貴女様のドレスの裾を汚すわけにはいきませんから。……私の背中か腕の中、それが貴女様の玉座です」
私が微かに抵抗を示しても、彼は涼しい顔で――むしろ至上の喜びを噛み締めるような陶酔した顔で、頑として私を離そうとしない。
その腕は鋼のように硬く、同時に揺り籠のように安定的だ。
彼の体温と、微かに香る冷ややかな魔力の香りが私を包み込む。
これではどちらが主人か分からない。
私は小さく息を吐き、その心地よい拘束に身を委ねることにした。
「警備の穴、巡回ルート、すべて把握済みです。……最短距離でご案内しますよ、ご主人様」
闇に溶け込んだ黒猫が、金色の瞳だけを煌めかせて振り返る。
その声には、難攻不落の王城すらただの遊び場に変えてしまう、軍師としての不敵な余裕が滲んでいた。
「行きましょう」
号令と共に、世界が後方へと流星のように飛び去った。
先導する黒猫のしなやかな影を追い、アステルが音もなく地を蹴る。
重力を忘れたかのような跳躍。
私たちは一陣の鋭い風となり、眠りこけた王都の屋根を軽やかに駆け抜けていく。
頬を切り裂く夜風が心地よい。
それはかつて、魔王として世界を見下ろしていた頃の記憶を鮮烈に呼び覚ます。
(待っていなさい、エリザ)
眼下に広がる街並みの向こう、暗闇に沈む離宮を碧眼で見据える。
そこで膝を抱え、世界を呪っているであろう、退屈に殺されかけた孤独な赤き王女。
(貴女を閉じ込めるその退屈な檻、私が跡形もなくこじ開けてあげるわ)
アステルの腕の中で、私の唇に獰猛で美しい笑みが浮かぶ。
さあ、革命の夜が始まる。
*
深夜。
王城の敷地内、北の最果てに佇む離宮は、まるで巨大な墓標のように深い静寂に包まれていた。
庭園を取り囲むように展開された、幾重もの魔法結界。
人間たちの技術の粋を集めたとされるその「拒絶の壁」の前に、闇に溶け込んだ一匹の黒猫――牙が立つ。
「結界の強度は……ふあ、あくびが出るな。まあ、こんなもんか。ザルだね」
牙は金色の瞳を細め、嘲笑うように髭を震わせた。
彼が右の前足を軽く、トンと空中の一点に走らせる。
パリン。
耳には届かない、魔力的な破壊音。
まるで薄氷を指先で突いたかのように、あるいは濡れた薄紙を裂くように、強固なはずの結界の一部にぽっかりと「穴」が開いた。
警報一つ鳴らない。
術式の構成を理解する前に解体する、神業と呼ぶにふさわしい完璧な仕事だ。
「はい、どうぞ。お通りください、ご主人様」
「ええ。行くわよ」
私は開かれた空間の歪みをくぐり、手入れの行き届いた庭園へと侵入する。
……と言っても、私の足裏が湿った土を踏むことはない。
相変わらずアステルが、私を「お姫様抱っこ」したまま、頑として放さないからだ。
彼の腕の中は揺り籠よりも安定しており、振動一つ伝わってこない。
「アステル、もう下ろしなさい。目立つわ」
「滅相もございません。却下します」
アステルは前を向いたまま、真顔で即答した。
「このような下等な雑草や泥が、ロミナ様の聖なる御御足に触れるなど、万死に値する不敬。……貴女様が地を歩くのは、私が世界を浄化し、レッドカーペットを敷き詰めた後です」
彼は言い放ち、さらに私を抱く腕に力を込めた。
そこにあるのは、執着という名の重たい信仰心だ。
呆れるけれど、鋼のような胸板から伝わる体温は、冷たい夜気の中で心地よい。
私は抵抗を諦め、無言で彼の首に腕を回し、その身を預けることにした。
その時だった。
生垣の角の向こうから、ザッ、ザッ、と規則的な足音が近づいてきた。
見回りの兵士だ。
「……チッ」
アステルの喉の奥で、小さく、しかし鋭い舌打ちが鳴る。
不快な羽虫を見つけた時の音だ。
彼は私を抱えたまま、重力や慣性を完全に無視した動きで、風のように兵士の死角へと滑り込んだ。
「――寝ろ」
氷の刃のような囁き。
トン、と首筋に手刀が打ち込まれる。
それは暴力というよりは、意識のスイッチを強制的に切るような、洗練された一撃だった。
兵士は悲鳴を上げる間もなく、白目を剥き、糸が切れた操り人形のように崩れ落ちる。
ドサリと倒れた兵士を見下ろすアステルの瞳には、無慈悲な冷光が宿っていた。
彼は私を抱いていない方の足を持ち上げ、気絶した兵士の顔面を、そのまま踏み砕こうとする。
私の視界に入る不純物を、徹底的に排除しようとする本能的な殺意。
だが、その足が振り下ろされる寸前、私は彼を見上げ、静かに視線で制した。
(殺しては騒ぎになるわ。ゴミ掃除は後にしなさい)
声に出すまでもない。
私の意思を汲み取ったアステルは、不満げに鼻を鳴らし、ゆっくりと足を戻した。
「……御意。命拾いしたな、雑魚が」
彼は汚らわしいものを見る目で兵士を一瞥すると、再び私を抱き直し、離宮の奥へと音もなく進み始めた。
*
離宮の二階、その最奥に位置する主寝室。
エリザは、グラスをサイドテーブルに叩き置いた。
眠れない。
焦燥と倦怠が、骨の髄まで蝕んでいる。
破壊衝動という名の怪物が、腹の底で暴れ回り、今にも悲鳴を上げそうだ。
――カチャリ。
その時。
厳重に施錠されていたはずのバルコニーの窓枠が、微かな金属音を立てた。
次の瞬間、重厚なガラス戸が、招かれたように音もなく左右へ開く。
入り込んできたのは、冷たい夜風と――異質な闖入者たち。
「誰?」
エリザの声には、一欠片の怯えも混じっていなかった。
むしろ、獲物を見つけた猛禽のように、そのエメラルドの瞳が鋭く細められる。
月光が照らし出したのは、奇妙すぎるシルエットだった。
冷徹な美貌を持つ執事服の青年。
その足元に纏わりつく一匹の黒猫。
そして、青年の腕の中に大切に抱きかかえられた、メイド服の少女。
「……暗殺者? それにしては、随分とふざけた取り合わせね。サーカス団の迷子かしら」
エリザは鼻を鳴らし、挑発的に顎をしゃくる。
その不遜な態度に、抱きかかえられた少女――ロミナは、口元に楽しげな笑みを刻んだ。
彼女は青年の肩を軽く叩き、拘束から解き放たれると、音もなく厚い絨毯の上に降り立つ。
そして、ドレスの裾を優雅につまみ、完璧な角度でカーテシー(礼)をして見せた。
「ごきげんよう、孤独なお姫様」
鈴を転がすような、けれどたった一言で場の空気を支配する、魔性の声。
ロミナは上目遣いにエリザを見つめ、誘うように囁いた。
「死ぬほど退屈そうなお顔ね。……そんな腐ったお酒より、もっと刺激的な『遊び相手』が欲しくなくて?」
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
アステル……「地面が汚いから」という理由で主をお姫様抱っこしたまま潜入し、見張りの兵士を「ゴミ」扱い。相変わらずの狂犬っぷりですね(笑)。
一方の牙も、王宮の結界を「ザル」と切り捨てる有能さ。この主従、敵に回すと恐ろしすぎます。
そして、ついに顔を合わせたロミナとエリザ。
「刺激的な遊び相手」――その言葉が、退屈に死にかけていた王女にどう響くのか。
次回、第11話『魂の共鳴:壊れた器と真紅の契約』。
「爪」エリザの覚醒回です。どうぞご期待ください!
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【読者の皆様へのお願い】
「お姫様抱っこ潜入、最高!」
「アステルの殺気が心地いい(笑)」
「エリザ様を早く覚醒させて!」
と思ってくださった皆様。
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