民営ドラゴン 第6章:調達と軋轢
稟議書は、ソフィアの「所長決済」のサインと共に、一瞬で承認された。
だが、それは問題の半分が解決したに過ぎない。
「赤城さん」
ソフィアが、息をつく暇もなく俺を呼んだ。彼女はすでに、本社の法務部とオンライン会議を始めていた。
「例の和牛、調達の目処は?」
「今からJA(農協)に掛け合います。市内でA5ランクの和牛を、今すぐ10頭分……となると、組合長のところに頼むしか……」
「急ぎなさい。……ええ、聞いています。リスク管理担当部長。今回の措置は、JDMの管理不行き届きによる『火山性微動の誘発』という、万が一の事態を回避するための、合理的な予防措置です。コストの問題ではありません。地域住民の生命と財産に関わる、クライシス・マネジメントです」
ソフィアはソフィアで、本社の「合理主義」と戦っている。
俺は受話器を掴み、市内最大の畜産農家であり、JAの組合長でもある権田さんの携帯を鳴らした。
「……おう、赤城んとこの翼か。何の用だ」
想像していた通り、不機嫌きわまりない声だった。
「組合長! お願いがあるんです! A5ランクの和牛を、10頭分……!」
「断る」
即答だった。
「組合長、そこをなんとか……!」
「なんとか、じゃねえ! お前んとこがワケのわからん餌に変えたせいで、こっちはリンゴが全滅だ! なのに、今さら『和牛を売れ』だあ? JDMに卸す和牛なんざ、一頭も残ってねえよ!」
ガチャリ、と一方的に電話が切れた。
冷や汗が噴き出す。これが、地元の「軋轢」だ。
霜害を引き起こした張本人である俺たちJDMへの信頼は、ゼロどころかマイナスに振り切れていた。
「……クソッ」
もう一度、電話をかけようとして、手が止まる。
これじゃダメだ。
公務員時代、俺はどうやってきた?
そうだ。「お願い」じゃない。「交渉」だ。
俺は再び受話KES-01(キーテレフォン)のボタンを押し、今度は別の番号をプッシュした。
相手は、市役所の農政課長。俺の元・同期だ。
「……もしもし、俺だけど。今、大丈夫?……ああ、こっちもヤバい。それでお前に頼みがある。今すぐ、組合長のところに『市の備蓄飼料の優先提供』と『霜害対策の特別融資』の資料を持って飛んでくれ。……ああ、俺からの『貸し』ってことでいい。JDMからの和牛の買い付けは、その『交換条件』だ。……頼む!」
元・公務員のスキルが、ここで初めて役に立った。
「ソフィア所長!」
俺は内線で叫んだ。
「和牛、30分後にJAのトラックが出ます! 受け入れ準備を!」
「……Good job」
ソフィアの短い声が返ってきた。
「田沼さん!」
俺は、事務所で一番のベテラン職員に声をかけた。
「資料室の奥、『竜災対策課』のロッカーから、カビ臭いオープンリールのテープ探してきてください! 『沼田まつり囃子』って書いてあるはずだ!」
「スピーカーは!?」
「給餌ポイントBの監視小屋に、ホーンスピーカーが死んでるはずだ! 電源車と一緒に持ってこい! 鳴るかどうかは、現地で賭ける!」
「りょ、了解!」
事務所の空気が、混乱から「作戦行動」へと変わっていく。
その時だった。
ドンッ、と地鳴りのような振動が、出張所の床を突き上げた。
「……!」
「所長! 微動が、さっきより強く……!」
タブレットに表示された赤城山頂のグラフが、明らかに振り切れている。
タイムリミットは、刻一刻と迫っていた。
「赤城さん!」
ソフィアが叫んだ。
「和牛の到着を待たず、先に現地へ! あなたがあの『お囃子』とやらを再生させなさい!」
「しかし、肝心の和牛(家賃)が……!」
「『契約更新の挨拶状』が先でしょう!」
ソフィアは、いつの間にか田宮のじいちゃんの「大家理論」を完全に使いこなしていた。
「挨拶状でまず機嫌を取りなさい! メインディッシュ(家賃)は、その後よ!」
俺は、ホコリまみれのオープンリールテープのケースをひったくった。
「……了解! これより、ヌシとの『契約更新交渉』に入ります!」
俺は、JDMのロゴが入った軽トラックに飛び乗り、赤城山頂の給餌ポイントへと、土砂降りの雨の中を爆走した。




