民営ドラゴン 第3章:昭和の業務日誌
シン、と静まり返ったモニタールームに、俺の乾いた呟きだけが響いた。
「……非合理、ですね」
ソフィア所長は、真っ白になったモニターを睨みつけたまま、動かない。彼女の完璧に整えられたポーカーフェイスが、怒りなのか、あるいは当惑なのか、わずかに歪んでいる。数千万円の機材が、わずか数秒で「息」だけでスクラップにされたのだ。無理もない。
その重苦しい沈黙を破ったのは、オフィスのあちこちで一斉に鳴り響いた電話のベルだった。
「はい、JDMです!……え? 霜がさらに!? はい、はい!」
「こっちはJA(農協)さんからだ! リンゴが全滅だって!」
「まずいぞ、市役所の市長室から直通だ!『JDMは何をしているんだ』って!」
地獄の釜が開いた。
事務所は一瞬にして、苦情と怒号が渦巻くコールセンターへと逆戻りした。
「所長! どうします!?」
俺が叫ぶと、ソフィアはハッと我に返り、俺を睨みつけた。
「……慌てないでください。まずは事実確認です。気象庁のデータを取得。当該エリアの気温と湿度を……」
「ダメです所長!」
ベテラン職員の田沼さんが、受話器を握りしめたまま叫んだ。
「気象庁のデータじゃ『晴れ』です! でも、現場じゃ真夏に霜が降りてるんですよ! これはもう、そういう理屈じゃないんです!」
「理屈がなければ対応できません」
ソフィアはタブレットを叩き、何かを計算し始めた。「……熱力学の法則に基づけば、局所的な急激な気化熱の発生が……あるいはヌシの体表温度が……」
ブツブツと専門用語を呟くソフィアを見て、俺は直感した。
(ダメだ。この人、フリーズしてる)
データという武器を奪われた彼女は、目の前で起きている「非合理」を処理できずにいる。
だが、ドラゴンは待ってくれない。住民の怒りも待ってくれない。
この状況、俺は知っている。
市役所時代に何度も経験した、「理不尽なクレームで大炎上している状態」だ。
こういう時、どうするか。
新しいプランを考える? 違う。
科学的根拠を探す? 違う。
正解は――「前例を探す」だ。
(そうだ。こんな異常事態、もしかしたら過去にも……)
俺は、クレーム対応で混乱するオフィスを横目に、ソフィアに背を向けた。
「所長」
「……何ですか。今、対策を」
「ちょっと、古巣に忘れ物、取りに行ってきます」
「は?」
ソフィアの訝しげな声を背中に受けながら、俺はJDM出張所を飛び出した。
向かった先は、徒歩5分の沼田市役所。
元・職場のよしみで裏口から入り、エレベーターも使わず階段で地下へ向かう。
目指すは、カビ臭い空気が澱む「地下資料室」だ。
JDMへの出向時、ソフィアは「紙の資料は非効率」と、対策課時代の書類のほとんどをここに廃棄させた。だが、俺たち市役所職員は知っている。神は、紙に宿るのだ。
「竜災対策課……あった」
埃をかぶった段ボールの山をかき分け、俺は目当てのバインダーを探し当てた。
分厚い、黄ばんだ表紙。
そこには、達筆な毛筆でこう書かれていた。
『竜災対策課 業務日誌(昭和 五十八年)』
ページをめくる。インクの匂いとカビの匂いが混じり合って鼻をついた。
パラパラと、当時の職員の手書きの記録を追っていく。
「昭和五十八年……1983年か。俺が生まれた年だ」
そして、俺は息をのんだ。
『七月十日(日) 天候:晴』
『ヌシ、給餌(和牛)に応じず。山頂にて威嚇行動。麓の農地にて局所的な霜害の報告あり』
(……これだ!)
心臓が早鐘を打つ。今の状況と、まったく同じだ。
震える指で、次のページをめくる。
『七月十一日(月) 天候:晴』
『対策会議。給餌内容の変更(豚肉、鶏肉)を試すも、効果なし。霜害、拡大』
『七月十二日(火) 天候:晴』
『八方塞がり。地元古老のT氏(※判読不明)より「祭囃子でも聞かせたらどうか」との冗談とも本気ともつかぬ提案あり』
『他に手段なく、藁にもすがる思いで、沼田まつりの「お囃子」の録音テープを、第七給餌ポイントにてスピーカーで再生』
そして、そこには、緊張が走ったような、乱れた筆跡でこう書かれていた。
『――ヌシ、出現。お囃子に合わせるように首を傾げ、鎮静化。その後、給餌(和牛)に応じる。霜害、同日夕刻までに解消。
原因、不明。
ただし、以後の給餌の際は、必ず「お囃子」を併用すること。これを申し送り事項とする』
「……お囃子?」
俺は、呆然とその文字を眺めた。
祭りの音楽?
あのデカいトカゲが、BGMがないとメシを食わないって?
バカな。非合理的すぎる。
ソフィアが聞いたら、失神するかもしれない。
だが、同時に思い出した。
第七給餌ポイントの片隅に、もう何年も使われていない、古びた拡声器が設置されたままになっているのを。
ソフィアは赴任初日、あれを指差して「これは何です?」と聞き、俺が「さあ……昔からありますね」と答えると、「不要な機材は即時撤去」と命じたはずだ。
だが、あまりに古すぎて、業者が「撤去費用がかかる」と言ったため、面倒になって放置されていたはずだ。
(申し送り事項……)
俺は、昭和の職員が残した「非合理な遺産」のページを睨みつけた。
データはない。エビデンスもない。
あるのは、黄ばんだ紙に書かれた「前例」だけだ。
「……T氏」
俺は、日誌の「判読不明」な文字を指でなぞった。
(もしかして……あの人か?)
俺は業務日誌を脇に抱え、再び資料室を飛び出した。
今度は市役所の外へ。地元の商店街に向かって、全力で走っていた。




