民営ドラゴン 第2章:ストライキとドローン
悪い予感というものは、なぜこうも正確に的中するのか。
翌日。俺たち出張所の職員は、不安げな顔でモニタールームに集まっていた。
壁一面に設置されたモニターには、赤城山中に設置された複数の定点カメラの映像が映し出されている。その中央、第七給餌ポイントのライブ映像が、今日の最大の焦点だった。
そこには、巨大なステンレス製の餌箱に山盛りにされた、あの灰色の「高効率・栄養ペレット」が映っていた。
そして、その周りには、何もいなかった。
「……時刻は15時を回りました。通常給餌時刻より、すでに6時間が経過」
古参職員の一人、田沼さんが乾いた声で呟いた。
「ヌシ様、お見えになりませんね……」
いつもなら、午前9時のチャイムと同時に、ヌシは巨大な翼を広げて餌場に降り立ち、10分ほどで和牛を平らげて山に帰っていく。それが、市役所時代から続くルーティンだった。
ソフィア所長は、その映像を腕組みしながら無表情で見つめている。
「……赤城さん」
「は、はい」
「給餌ペレットの成分表です。栄養学的には従来の和牛を上回っています。彼が食べない理由は、論理的に存在しません」
ソフィアから渡されたタブレットには、ビタミンだの必須アミノ酸だの、俺には理解不能なカタカナがびっしりと並んでいた。
「いや、所長。ヌシはそういう……論理とかデータとかで動いてるんじゃなくて、その……気分とか?」
「気分」
ソフィアは心底軽蔑したような目で俺を見た。
「生物の行動原理は、生存と繁殖です。『気分』という非合理的なファクターで、高カロリーな食料源を拒否するとは考え難い。単なる『慣れ』の問題でしょう。明日になれば空腹に負けて食べます」
「しかし、ヌシが丸一日絶食するなんて、前例が……」
「前例は、あなたがたが過剰なサービスで甘やかしてきた結果です。JDMは生物の適正な管理を行います」
ピシャリと言い放つソフィアに、俺たちはもう何も言えなかった。
だが、ヌシは「明日」になっても姿を見せなかった。
ペレットは餌場で野ざらしのままだ。
さらにその翌日も、ヌシは来なかった。
アカギノヌシは、JDMの合理化に対し、完全な「ストライキ」で応じたのだった。
そして、ストライキ開始から72時間が経過した朝。
出張所の電話が、クレーム以外の用件で鳴り響いた。
「もしもし、JDMです……え? 沼田市役所の農政課さん?」
俺は思わず受話器を握りしめた。農政課。嫌な予感しかしない。
『赤城くんかい? 大変だよ! 昨夜から赤城山麓の広範囲で、原因不明の霜が降りてるんだ!』
「霜? この真夏にですか?」
『そうなんだよ! リンゴ農家もコンニャク農家も大騒ぎだ。こんなこと、昔の『竜災』がひどかった頃以来だって、長老たちが……なあ、赤城くん。そっち、何かヌシ様のことで変わったことないかい?』
心臓が嫌な音を立てて跳ねた。
(……天候不順。まさか)
俺は受話器を抑え、ソフィアに向かって叫んだ。
「所長! 麓の農地に原因不明の霜害が発生したそうです! 地元は、ヌシが原因じゃないかと……!」
ソフィアは眉一つ動かさなかった。
「因果関係が不明です。単なる異常気象でしょう。それより、ヌシのバイタルを確認します」
彼女はタブレットを操作し、別のオペレーターに指示を出した。
「ドローン部隊、出動。第四セクターの巣周辺を捜索。ヌシを発見次第、バイタル・スキャンを実行してください」
「所長! 巣に近づくのは危険です! 対策課時代からの不文律で……」
「不文律は非合理的です。管理対象が72時間も給餌ポイントに現れない。これは管理不行き届きです。状況を確認するだけですよ」
モニターが切り替わり、高性能ドローン数機が飛び立つ映像が映る。
映像はすぐに、赤城山の鬱蒼とした森の上空に切り替わった。
『……目標ポイントに接近。……あ』
ドローンの操縦士が、息をのむ声を発した。
『ターゲット、発見! 巣ではなく……山の頂上にいます!』
モニターに、雲海を見下ろす赤城山の山頂、その岩肌に鎮座する巨大な影が映し出された。
アカギノヌシだ。
全長30メートルはあろうかという巨体。鱗は赤城山の紅葉を思わせる深紅と黄金色に輝き、神々しさすら感じる。
ヌシは、餌場の方角――俺たちのいる出張所の方角を、じっと見つめているように見えた。
『バイタル・スキャン……接近します』
ドローンの一機が、ゆっくりとヌシに近づいていく。
その瞬間だった。
ヌシが、億劫そうに首をもたげた。
そして、ドローンに向かって、吠えた。
いや、あれは「吠えた」のではない。「息を吐いた」だけだ。
ゴウッ!!
モニターが激しいノイズで真っ白になった。
突風だ。ヌシの呼気そのものが、暴風と化したのだ。
『メインローター破損! 操縦不能! 墜落します!』
『二番機も風圧でバランスを……ダメだ!』
阿鼻叫喚の通信を最後に、ドローンの映像は次々と途絶えていった。
わずか数秒で、数千万円はするだろう高性能ドローンの部隊が、ただの「息」で全滅させられた。
モニター室は、水を打ったように静まり返った。
ソフィアは、真っ白になったモニターを睨みつけ、唇を噛み締めていた。
彼女の完璧に整えられた表情が、初めてわずかに歪んでいた。
「……非合理、ですね」
俺は、乾いた喉でそれだけを呟いた。
これはまずい。
データと効率化で武装した俺たちの上司は、今、データで測れない「伝説」の機嫌を、最悪の形で損ねてしまった。




