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民営ドラゴン  作者: もしものべりすと


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民営ドラゴン 第1章:KPIとドラゴンのフン

受話器の向こう側で、甲高い悲鳴が鼓膜を叩いた。


『だから! 布団が汚れたって言ってるでしょ!』


「はい、はい。布団でございますね」


俺、赤城あかぎ つばさは、死んだ魚のような目でヘッドセットのマイクを口元に寄せた。「日本ドラゴン・マネジメント(JDM)お客様コールセンター」のプレートが置かれた、安っぽいスチールデスク。ここが俺の新しい職場だ。


『“はい”じゃないのよ! どうしてくれるのよ、今日干したばっかりの、お気に入りの羽毛布団! 龍のフンよ、ドラゴン・ドロップよ!』


「はあ、フンでございますか。誠に申し訳ございません。お客様、恐れ入りますが、保険適用には被害状況のわかるお写真と、それが当該飛翔個体『アカギノヌシ』のものであるというエビデンスが……」


『エビデンス!? 私が嘘ついてるって言うの! あのねえ、民営化してからサービス最悪よ! 竜災対策課のころは、電話一本ですぐ飛んできてくれたわよ!』


(そりゃ、あの頃は税金で湯水のように運営してましたからね……)


口が裂けても言えない本音を飲み込み、公務員時代に培った「感情を殺して謝罪するスキル」を発動させる。


「大変申し訳ございません。JDMでは現在、コスト最適化の一環として人員体制を見直しておりまして……」


『言い訳ばっかり!』


ガチャン、と受話器が叩きつけられた音で、朝一番のクレーム対応は強制終了した。


俺は大きく、深く、肺の底からため息をついた。

数ヶ月前まで、俺は沼田市役所の「竜災対策課」という、ちょっと変わった部署でのんびり働く地方公務員だった。


主な仕事は、赤城山を縄張りにする長老ドラゴン「アカギノヌシ」の飛翔ルートを監視し、たまに地元の農家から「風圧でビニールハウスが破れた」という苦情に頭を下げに行き、月に一度、儀礼的に最高級の和牛を餌場に置きに行くだけの、退屈だが安定した仕事だった。


そう、政府が「ドラゴン管理事業の抜本的見直し」などと言い出すまでは。


突如として事業は民営化され、俺たち職員の大半は、新設された謎の外資系企業「日本ドラゴン・マネジメント(JDM)」への出向を命じられた。安定を求めて公務員になったはずが、気づけばそこは「コスト」「KPI」「効率化」という言葉が飛び交う、まったく別の戦場だった。


「赤城さん」


氷のように冷たい声が、背後から飛んできた。

振り返ると、完璧な黒いパンツスーツに身を包んだ女性が、タブレット端末を片手に立っていた。


ソフィア・ヴァーミリオン。26歳。


欧州の親会社から送り込まれてきた、俺の新しい上司。伝説の「竜騎士」の末裔だかなんだか知らないが、その血筋を「非合理的」と切り捨てる、MBA持ちの超合理主義者だ。


「……ソフィア所長。おはようございます」


「今の対応、KPI未達です」


ソフィアはタブレットをタップし、グラフを表示させる。


「クレーム対応一件に15分。ターゲットタイムは8分です。それに、お客様の感情に寄り添いすぎています。我々はセラピストではありません。JDMの規定を説明し、対応不可なものは速やかに切断してください」


「いや、しかし、あのお客様は長年のお得意様というか……昔の対策課時代から……」


「『昔』は関係ありません」


ソフィアは、俺のデスクに山積みになった紙の束を指差した。


「それも非効率です。昨日までの『ヌシ目視確認レポート』ですね? なぜデジタル化されていないのですか。本日付で、全報告業務をJDMグローバル・ポータルに直接入力するよう切り替えます」


「所長、ここの職員は年配の方も多くて、その……ポータル入力は少し時間が……」


「ならばトレーニングします。あるいは、交代させます。効率が全てです、赤城さん」


彼女はそう言い放つと、パチン、と手を打ち鳴らした。静まり返る出張所のオフィスに、その音だけが響き渡る。


「全員、10時からミーティングです。本社から通達のあった、新しいコストカット計画を発表します」


(コストカット……?)


俺は嫌な予感を覚えた。この出張所は、すでに人員も備品もギリギリまで削られている。これ以上、何を削るというんだ。


午前10時。会議室。

ソフィアがプロジェクターに映し出したのは、赤城山の雄大な景色――ではなく、巨大な円グラフだった。


「当出張所における最大の非効率。それは『アカギノヌシ』に対する給餌コストです」


彼女はレーザーポインターで、円グラフの大部分を占める赤い項目を指し示した。


「現在、儀礼的鎮撫ちんぶの名目で、月額200万円相当のA5ランク和牛を供給しています。これは、グローバルな生物資源管理のスタンダードから逸脱しています」


「所長、しかし、あれはヌシ様を鎮めるための……」


古参の職員が震える声で反論しようとするが、ソフィアはそれを一瞥いちべつで黙らせた。


「それは『給餌』です。そして、非合理的です」


カチッ、とスライドが変わる。映し出されたのは、犬のドッグフードを巨大化させたような、灰色のペレットの写真だった。


「明日より、全ての給餌はJDM標準規格『高効率・栄養ペレット』に切り替えます。コスト削減率、98%」


会議室が凍りついた。

俺は、背中に冷たい汗が流れるのを感じた。


(嘘だろ……あのヌシを、ペットフード扱いでする気か……?)


あれは、伝説の獣だ。少なくとも、俺たち元・市役所職員や地元の住民にとっては、機嫌を損ねてはならない「神様」か、あるいは「非常に厄介な大家」のような存在だった。


「ソフィア所長、それは……! さすがに住民の理解が……!」


俺が思わず立ち上がると、ソフィアは氷の視線で俺を射抜いた。


「理解は得るものではなく、結果で示すものです。赤城さん、あなたに反論のデータはありますか? 和牛でなければならないという、科学的根拠エビデンスが?」


俺は言葉に詰まった。

データなんて、あるわけがない。

あるのは、「昔からそうしてきたから」という、市役所時代からの前例と慣習だけだ。


「……ありません」


「結構です。決定事項です。解散」


ソフィアは冷たくそう言い放ち、会議室から出ていった。

残された俺たちは、ただ顔を見合わせることしかできなかった。


アカギノヌシが、安物の配合飼料を素直に食べる姿など、まったく想像できなかった。


そして、その悪い予感は、翌日、最悪の形で現実のものとなる。

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