第06話 男爵婦人と商人と私 -その1-
「この部屋で待っていろ」
若い男はそれだけ告げると目も合わせず扉の向こう側に消えた。
「初めての場所だ」
領主の館の西側、通された部屋にはテーブルと椅子、壁にかけられた肖像絵が一枚、それ以外なにもない殺風景な室内で六畳くらいの広さ。
「予想した通りね」
いつの頃からだろうか、一人でいるとき、つい独り言を口にするようになっていて、そんな自分がなんとも可笑しくも悲しくもあって――いまはそんなことよりかなり危機的状況なのに、心は妙に落ち着いていた。
まぁいつかこういう日が訪れるんじゃないかって予想していたし、腹も括っていたから驚きは少ない。
私はいま、いつものまん丸メガネに、濃緑色のロングローブの下にはタロットカードと、少量のお金を忍ばせている。
ローブの内側、タロットカードの入った小袋に触れながら「安心して、うまくやるわ。もし、危機的状況になったら貴方たちの力に頼るから、いいカードを引かせてね」そうなんとなく、おまじない風に声をかけた。
タロットカードを選んで引くことはできない。
すべて運、偶然、ランダムに引くことしかできない。
ここに来る前、自宅でカードを一枚引き助言を求めたところ『STRENGTH./力』を引き当て私の背後、ライオンとおぼしき彼は
「強い意志で困難を受け入れ、力で屈伏せよ!」と、なんとも力強いアドバイスを授けてくれた。
私的には『JUSTICE./正義』や『THE EMPEROR./皇帝』を引き当て、的確なアドバイスが欲しかった。
とくに『./皇帝』のキーワード、地位、権力、自信は、この場においてとても重要に思え、さらに彼は様々な駆け引きを乗り越えてきたからこその高い地位であり、きっとより良い助言をもらえる気がした。
しかし逆位置カードで引けば無責任、衝動的で無自覚、目的の欠如等々、意味はガラリと変わるけど、ここぞという場面で逆位置カードを引いたことは一度もなくて、それってきっと私がカードの主だからかなって勝手に考えている。
――ドンドン――
「入るぞ」
ふいに開く扉、若い男は室内に入るやいなや横に逸れその背後、太った男性と、背の高い侍女が立っていた。
でっぷりした男性、金糸の縫い目が特徴的な紺色の高価な服装を身にまとい、歩く姿、所作からして貴族専属の高級商人。
その後ろに立つ背の高い侍女は――くすんだ薄茶色の給仕服を着ていて、白いフードで頭をすっぽり覆い隠しているけど……。
私は片膝を床に付け、右手を胸元に当て「お久しぶりにございます」そう侍女に向けて口にした。
「……」
なにも言わない侍女。
「ワシを無視して侍女に挨拶するとは、なんとも間抜けな女だな」
「そうですね、そういうことにしておきましょう」
「……」
なにも返答しない商人。
私は床に片膝を付けたまま「忌み嫌われる私を、日が高いひとときにお呼びしました件、お聞かせ願いますでしょうか?」そう、厭味を含みつつ丁重に商人へ向けて言い放った。
商人、チラリと侍女に視線を向け小さくうなずくと、椅子を自分の手元に引き寄せドンと座った。
「単刀直入に申す。タロットカードとやらを売る気はないか?」
「はい?」
「一生遊んで暮らせるほどの金を用意するがどうだ?」
「えっと……」
「悪い話じゃないぞ、あの汚らしい場所ともおさらばできるのだぞ?」
「いきなりの話なので……」
「望むならそれなりの地位も保障しよう」
「えっ!?」
「もちろんすぐに決めろとは言わぬ」
「……」
「猶予を四日与える」
私は腕を組み首をひねり、視線を床に向けウ~ンウ~ンと何度も唸り声を上げ、時折視線を左右に振りまた視線を床に戻し、さも足りない頭をフル回転して考え込んでいる演技を演じること一分、顔を上げ「いいですよ」
「そうか……やはり簡単に首は振らないか……難しいか……。なら交渉の第二段階へ……えっはっ!? 良いのか? 本当に良いのか??」
よほど驚いたのか身体を椅子から前に飛び出させ、そのまま侍女のほうへ視線を投げ「信じられません!」
侍女もかなり驚いた様子で身体をガクッとさせるもすぐに持ち直し、頭をすっぽり隠すフードの奥、コホンと咳を一つ。
「ルチア、本当に良いのかえ?」
「ギルベート男爵婦人様、相変わらずお美しい所作、貴族の見本となりましょうぞ」
「ふん、巧言はよせ。それより……本当に良いのかえ?」
「高く買い取って下さるのなら」
「もちろんじゃ、安心せい」
「ですが……」
「なんじゃ?」
「えっとですね……」
「はっきり申せ」
「はっはい、タロットカードの意志を尊重したく思います」
「簡単には手放さない――」
私はスッと立ち上がり「カードが主と認めればいともたやすく」と告げた。
「「「?」」」
目の前に立つでっぷり商人を筆頭に、ギルベート男爵婦人、壁沿いに立つ若い男、三人とも頭上にハテナマークが浮かんでいるようでポカ~ンとした表情。
私は今一度「カードが認めればたやすい話です」と、さも簡単ですよとアピールをしつつローブの内側から小袋を取り出し、中からタロットカードの束を引き抜きテーブルの上に置いた。
……っ。
まったくの偶然だけど『THE DEVIL./悪魔』のカードがめくれて鎮座していた。
商人、その絵柄を見ているせいか若干気後れしているように思える。
「……」
「商人様、どうぞ」と、右手でこちらを手に取りお納めください的なジェスチャーをしてみる。
「……本当に良いのか?」
「はい」
「……買値も聞かずに良いのか?」
「この街の領主で在らせられる御方の御推薦される商人であり、さらにその御方立ち会いの元で行われる取り引きゆえ、安値のはずがございません」
「まっ、たったしかにそうだな……」
「どうぞお納めください」
いま一度、こちらを手に取りお納めください的ジェスチャー。
「そこまで言うなら――」
商人は意を決したのかカードに手を伸ばし触ろうとした瞬間「痛っ!!」
一瞬光った。
「あっと……」
「どういうことだ!?」
「えっとですね……」
いまだ右手に痛みがあるのか左手で撫でながら「どういうことだ!?」と、同じセリフを吐いてきた。
「以前にも売ってくれと仰った貴族の方がいましてカードを差し出しましたら、やはり同じ現象が起きました」
「どういうことだ!?」
相当驚いているようで同じセリフが三度目の商人、目を丸くし口を尖らせ掴みかかってきそうな勢い。
「さきほど申し上げた通り、カードが主と認めればたやすい――それだけのことにございます」
「どういうことだ!?」
苛立ちの声を隠さず、またも同じ言葉を投げかけてきた。
私は口元をちょいと曲げ、まん丸メガネをクイッと掛け直し、めんどくさそうな雰囲気をアピールしつつ「ですから、カードの意志を尊重した結果であり――」
「ルチア、其方は先程『売れと迫った貴族』がいたと申したな、それはどこの貴族か申してみよ」
商人の背後に立ち、横槍を入れてきた男爵婦人も、明らかに声のトーンが上がっていて苛立っているよう。
「それは……」
「言えぬのか?」
「はい」
「どうしてもか?」
「どうしてもか……というより、契約によって不可能なのです」と、カードを指差しながら告げた。
「カードの意志なのか?」
無言でうなずく私。
「難儀であるな……」
急遽、予想外の出来事が起きた。
ギルベート男爵婦人、商人の右手がピリついて手が弾かれた現象にはさして驚かず、以前売れと迫ってきた貴族の名を聞き出そうとしてきて、まるでこうなるのを予想していたような素振り。
「質問の内容を変えよう。その貴族はいつごろ売れと言ってきたのだ?」
無言で首を左右に振る。
「その者は上位の者かえ?」
またも無言で首を左右に振る。
「左右に首を振るということは『違う』と答えていると思って良いな?」
無言で首を左右に振るだけ。
「なにも答えてはいないではないか?」
四度の首を左右に振り終えた私は、無言のままカードを指差した。
「契約に縛られているのか?」
「はい」
「ようやく答え、貰えたな」
「そうなりますね……」
「ルチア、ギルベート男爵婦人たるわたくしが命じる。どうすれば良いのだ、解決策を延べよ」
顔を隠すフードの奥、苛立つ表情が容易に想像でき、次の一手を思考しているのも容易に想像できる。
私は気を抜くことなくスッと片膝を付き、視線を床に落とし頭を垂れた。
「そのようなマネは必要ない」
「恐れながら申し上げます。貧民街で暮らす流れ者ゆえ、この場にいるだけでも身分不相応な下賤の者。目線を同格にするなど、決して許されるものではございません。どうかこのままお聞き下さいます許可を、願い申し上げます――」
「……っそこまで言うのならよかろう。して、わたくしの問いになんと答える?」
「解決策を延べよとのこと。御二方はなにか――誤解されているように思います」
「誤解とな?」
視線を床に向けたまま答えた。
自分は主ではなく――タロットカードが主であり、二十二枚の大アルカナカード、五十六枚の小アルカナカードのお優しきお心の一片にすがり、占いにて生計を立てていると。
「カードが主とな!?」
「はぁぁぁ!?」
声を荒らげ驚く両名。
私は二人を無視するかのように口にした。
――私は、計七十八枚のカードから外れた、七十九枚目の使者なのですと――




