第03話 街の喧騒 -その1-
夕暮れの中、まな板の上でごろりと転がったパンを、ふくよかな店主は小さな斧で真っ二つにして片方を差し出してきた。
「銅貨四枚だ。釣りは出せねぇ」
「それじゃ干し肉も付けて三日分で、お願いします」
「肉付きで三日分なら――二十八だ」
「二十六でお願いします」
「帰んな」
「二十七で……」
「帰れ」
「わかりました大銅貨三枚で……」
濃緑色のフード付きローブの内側に手を入れ、内ポケットからお金の入った革製の小袋を取り出し、大銅貨三枚を手渡そうとしたら店主は指で下に置けとジェスチャーをしてきて、私に選択権はなくてテーブルの端にそっと置いた。
店主は露店の天井に吊るした干し肉数枚をテーブルに置き、それと同時に「釣りだ」とぶっきらぼうに言ってテーブルの上にお釣りを投げてきた。
――チャリリン――
勢い余って数枚が地面に落ちた。
銅貨を拾い上げ釣り銭を数えると間違いなくお釣り分の銅貨があった。
「黒髪のインチキ占い師がっ」
捨てセリフを吐くとそのまま店の奥に消えて行った。
このセリフを初めて聞かされたとき、怖くて震え上がり路地裏に隠れて泣き、それを見た周りの人たちは嘲笑し蔑みの視線を向けてきた。
「ぁりがとぅござぃます……」と、一応にお礼だけは口にした。
半分に切られた固いパンと干し肉を油紙で包み、麻で編んだカゴに入れ、濃緑色のローブに付けられたフードで頭をすっぽり覆い、足を自宅のほうへと進める。
ローブといってもエレガントさは一切なく、所々縫い直しの跡があったり端切れで補強したりと、生活感満載の一張羅。
もうすぐ日が落ちるせいかほとんどの露店は閉まっていて人通りも少なく閑散としているけど、私にとっては都合がいい。
路地裏は石畳みのせいか冷気が地面から上がってきて、無意識のうちに歩く速度が早くなる。
「暖かくなるまでがんばろ……」
あの日も今日みたいに肌寒い日で、早歩きで帰った覚えがある。
街に来たての頃で、無知な私は何度も釣り銭詐欺に合い、他の人の倍以上の値段で食材を買わされたこともあった。
あの日っていっても一年前くらいなのに、なんだかとても昔のように思えた。
この世界に迷い込んだ夜、私がしたことは、神様へ苦情をたくさん言って私の前に出現させ、お詫びの印としてレアアイテムやチートスキル、支度金をも貰い受け、この世界で生きていく手ほどきも受ける――はずだった。
でも、無情にも私の前に神様は現れなかった。
「あれま!?、ルチアじゃないの」
「古着屋のおかみさん、こんばんは」
「また良い品が入ったら持ってきてちょうだいな、高く買い取るよ」
「手に入ったら持ってきますね」
「そうしてちょうだいな」
おかみさんは露店の天幕にかけてある支え棒を外して天幕を畳むと、そのまま店の中にしまい扉を閉めた。
人当たりのいいおかみさんでいつも話しかけてくる。
元いた世界での肌着や靴下を買ってくれて、生活の基盤にさせてもらった。
けど、かなり安く買い叩かれたのを後日知って以来、営業スマイルを交わすだけの関係となった。
古着屋の隣は雑貨屋で、使いかけのボールペンを売ったらこれまた安く買い叩かれ後日、街で有名な商人が買い取ったと噂で知り、なんでも分解して商品化できないかいろいろと調べたそうだ。
結果はもちろんというか、簡単にマネできるような代物じゃなくて失敗に終わり、商人は雑貨屋の店主に出所を聞いたけどあやふやに誤魔化すしかなかった。
だって大銅貨一枚と銅貨四枚で買い取ったものを、大銀貨三枚と銀貨八枚で売ったのだから私に「どこで入手したのか教えてくれ」なんて聞けるはずもない。
日本円に換算すれば千四百円で下取りした物を、三十八万円で売ったのだから。
それ以来ずっと、雑貨屋の店主は私と目も合わせないし声をかけてくることもない。
私的には騙された私が悪く、もう一年前の出来事で和解したいと思っている。
でも、店主からすると、儲けの差額分をせびられるのではないかと考えているのだろう。
おかげでちょっとした雑貨、石鹸や食器類など生活に必要な物を買えず、住んでいる地区から一番遠い雑貨屋までいかなくちゃいけないのが悩みのタネ。
もうボールペンの件、水に流したいのだけどねぇ……。
「おい!」
路地裏、ふいに背後から声。
振り向くと足元がおぼつかない酔っぱらいの若い男が二人。
「姉ちゃんよぉ相手してくんねか~。金ならあるぞっ」
「……」
「なんだよ無視か」
薄暗くてよく見えないけど襟元から階級を示す刺繍がちらっと見え、どうやら衛兵のよう。
「この辺りは物騒だ。家まで送るよぅ」
「……」
「オレはこう見えても剣技には自身があるんよ」
「……」
「そのメガネ、似合ってないぞ。新しく買ってやろうか?」
「……」
「そのフード、下ろして顔を見せてくんねかな~頼むよぅ」と、もう一人の男もかなり酔っている様子。
どこの世界も酔っぱらいは万国共通なんだなーって思ったらなんとなくホッとする自分がいて、ちょっと面白くてつい「プッ」と含み笑いが出た。
で、どうやらそれがカチンときたのか片方の男が急に真顔になった。
「女、なんだ?」
「あっと失礼しました。衛兵さん」
「あぁ!?」
「お二人は――最近こちらの街に赴任されたのですか?」
「んだてめぇ?」
「誰と言われましても……」
「なんだと!?」
真顔になった男、舌打ちをしながら一歩、また一歩と近づいて来る。
考える時間、ない。
できればこれはしたくないけど、悠長に構える時間はない。
「衛兵さん。お相手、してもよろしくてよ……」
そう口にしながら深く被ったフードを下ろす。
顔を左右に軽く振り髪を整え、ゆるりと垂らす。
そしてまん丸メガネをかけ直しいま一度「こんな私でよければ、よろしくてよ」
「やっとその気になっ――」
「っ!!」
片方の男はすぐに気づいた。
両目をまん丸に見開きその視線は、私の長く垂れた髪に向かっていた。
そして一歩、また一歩と後ずさりをはじめた。
「どうした兄弟!?」
「やっ奴はダメだっ」
「はぁ!?」
「帰るぞっ」
「どうしたってん――」
「行くぞ!!」
「ちょっ」
「ヤツは黒――」と、なにか言いかけるも言葉は切れる。
気づいた男は振り返ることなく足早に歩き出し、仲間の肩をガッと掴むと容赦なく引きずりはじめた。
それは路地を曲がる付近まで続き薄闇のなか二人は立ち止まり、会話をはじめたかと思うとすぐに驚きの声を上げ、慌てて角を曲がり視界から消えた。
「行った……」
どっと汗が吹き出し、その場に座り込む私。
心臓がバクバクしている。
手汗もすごい。
脇の下も汗がすごくて肌着が一瞬にして汗まみれ。
「怖かった……」
「危なかった……」
「やばいかった……」
「引っ越したい……」
「帰り――たい……」
とめどなく独り言が湧いてくる。
「まさかデメリットがメリットだなんて……」
私の長い黒髪は、不吉と厄災の象徴といわれている。
もちろん街に住む全員がそう考えているわけじゃないけど、年配者を中心に黒髪を忌み嫌う風潮があり、少なくともこの国ではそうなのだ。
そのためこの街の住人の大多数は私を避け、それは街を守る衛兵でさえそう。
それでも私がこの街、バリアムトに居られるのは、街を治める男爵の口添えに他ならない。
「……ちゃん」
私を呼ぶ小さな声。
「お姉ちゃん……」
かすれた声の主、あの子だ。
左先の石垣のほうからだ。
私は周囲を何度も見回し、誰もいないことを確認すると声のほうに向かう。
「ヘティーちゃんなの?」
「……ぅん」
「ちょっと待って、そっち側に行くから」
たしか少し先に石垣の崩れている場所があるはず。
小走りで向かい、石垣の境目に手をかけ身体を押し当てズリズリと隙間に押し入り、向こう側へ出る。
「無茶しないでお姉ちゃん」
「大丈夫よこれくらい」と、言ったはいいものの普段使わない筋肉を使ったせいか内太股がプルプルしている。
って、それより声のするほうへ視線を向け、彼女を見つける。
暗くてよく見えない。
けど、少し先でゴソゴソ動くなにかに視線を送る。
「こんばんはヘティーちゃん、って!」
いきなり足元にギューって抱きついてきた。
「風が冷たいね、お姉ちゃん」
「そうだね」
「お姉ちゃんの足も冷たい」
「そうかもね」
「さっきは危なかったね」
「見ていたの?」
「……うん」
「良かった、ヘティーちゃんを巻き込まなくて」
この街の西側は貧しい者たちが住む地区で治安はもちろん良くなくて、あの手の出来事は日常茶飯事。
「ご飯、一緒に食べる?」
「……うんっ!」
薄闇のなか、彼女の表情を見ることはできなけど、思いっきり笑みを見せているだろう。
「んとねっ、この前の続きを聞かせて」
「はいなっ」
ヘティーちゃんは小さな女の子。
この界隈、孤児は珍しくもなくたくさんいる。
けど、私を怖がらない子は数える程度しかいなくてその内の一人が彼女。
歳は自分でもわからないと言っていて、雰囲気からして小学三~四年生くらいの背格好。
茶色い髪はボサボサ、灰色の衣服はボロボロ、靴はどこかで拾ってきた大人用の革靴で前部分がパカパカしている。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「んん、なんでもないよ……」
彼女を買い取るだけのお金を、私は持っている。
けど、一人の人間を買う権利を、私は持っていなかった。




