第16話 ヨフィーナ王国 辺境の街、ペルーナ -その2-
ひんやりした石畳みの上、二度寝から目覚めると見知らぬ老婆が隣で寝ていて、天井近くにある小さな採光窓から射す光はいつの間にか月明かりになっていた。
両腕を伸ばし壁の端に置いた、まん丸メガネを手に取り鼻先に掛ける。
むくりと身体を起こし、濃緑色したローブの裾に手を入れ、縫い付け隠した腕時計をこっそり確認。
時刻は――二十時。
元いた世界ならただの夜に過ぎないけど、こちらの世界ではがらりと変わる。
太陽が沈むと同時に夜は訪れ、森では狼や鹿、猪、熊たちが徘徊する世界へと変わり、夜盗たちが暗闇のなかで準備体操をはじめる。
そして人工的な明かりは酒場やギルド、高級料理を提供するお店、裕福な商人や貴族など、限られた場所でしか真っ当な明かりは存在せず、一般の平民は弱々しい明かりを放つ魔道具か、揺らめく炎で明かりをとる。
もちろん牢屋に照明用の魔道具はなくて唯一の光源は窓から射す星々の明かり。
「まぁこうなるよね……」
ぽつりと出る独り言。
検問所で慌てて考えた嘘はカラカラと空転を重ね、怪しい人物として目を付けられるのに対して時間はかからなかった。
幌馬車に乗り合わせた人たちが次々と検問を無事に通過していくなか、私は不審人物として護送馬車に乗せられ、数日間ともに過ごした人たちから突き刺さる視線がとても痛かった。
「牢屋の鉄格子って以外に細いのね」
不思議と私の心は平静を保っていた。
理由は単純。
濃緑色のローブの内ポケットに隠したタロットカードの小袋×二袋があるから、なんとでもなる。
ただ、ローブの内側にこっそり縫い付け隠した硬貨はさほど多くなくて、何度も呼び出したカードを引き当てると不足分を補わなくてはいけない。
生爪や皮膚の一部でも代用できるけど極力したくない。
一度、右腕を上げ「腋毛でどう?」と『./魔術師』に言ったらグーで後頭部を殴れた。
しかも頭がクラクラするほど力強いパンチで。
私が主なのに。
「おはようさん……」
振り向くと床に寝そべる老婆は身体を起こしながら「あんた、なにやったんだい?」と投げかけつつ、ぺたんと床に座った。
薄暗いからはっきり見えないけど年配者のようで六十~七十くらいだろうか。
「おっおはようございますって、いまは夜だから――こんばんはですかね?」
「ふふ、そうさな。こんばんはさね……」
老婆は衣服に付いたをホコリを手で叩き落としながら「なにやらかしたの?」
「わっ私ですか?」
「あんたとあたし以外、誰もおらんじゃろ?」
「まぁそうですね」
「……なんとも変わった子じゃね」
「そうでしょうか?」
「そうさ……」
薄明かりの中、老婆は目を細め、私を上から下、下から上と何度も舐めるように見ると「ここは牢屋、普通はもっと殺伐しているものさ」
「あーたしかにそうですね。では、緊張感を出したほうがいいでしょうか?」
「プッ」
「はい?」
「いやなに、あたしらの会話を衛兵が聞いたら笑い転げるさね」
「あ~そうかもしれませんね」
「なんともまぁすごい子を捕まえちまったようだね」
「すごい子!?」
「そうさね、井戸を囲んで旦那のグチを言うのとワケが違う。なんでそんなに落ち着いていられるんだい?」
「落ち着く……」
「そうだ」
私は素直に言った。
なにも悪いことはしていないと。
「なら、なんでここにいるんだい?」
老婆は、腕組み&顔をひねりながら「冤罪とでも言うのかい?」
「冤罪というか、うまく伝わらなかったというか……」
「なんだいはっきりしないね。きちんと整理して、はじめから言ってみな」
「そっそうですね――」と言いつつ頭のなかで話す順番を決め口を開く。
私は山脈の向こう側の隣国から来た。
私は旅をしている。
私は恩師の生まれ故郷が見たく来た。
私は検問所で掴まった。
私はなにも悪いことをしていない。
ただ、衛兵さんにうまく伝わらなかっただけ。
「それだけかい?」
「はい……」
「つまりあんたは……山脈の向こう側の国から旅をしながら、はるばる恩師とやらの生まれ育ったふるさとを見たくてここまで来たと!?」
「はぁ……」
「はあぁぁぁっそりゃあ掴まるさねっ」
「そうでしょうか?」
「そうだとも」
老婆はあきれ顔を隠さず口にした。
隣の国と言っても山脈を挟んだ向こう側とこちら側ではほとんど交流はなく、交易すら山々に残る雪の影響で夏の時期にだけ数回程度あるのみで、向こう側のお偉いさんが来訪したのさえ十年以上前。
それだけの距離を、恩師の生まれた場所を見たくて来訪したなんて言ったら不審者以外なにものでもない――と。
えっと……目を瞑って飛翔する馬の背中に跨がりわずか小一時間の移動でした。
ただ、ちょっと死ぬほど寒くてガチガチ震えてトイレにもいけなかったけどなんとかなった。
同乗者の裸の子供はキャキャッ言いながら跨がっていて、もちろん目をつぶっていたからカードの絵柄から想像するしかない。
山脈を越え地上に降り立つと『./太陽』は言った。
我がいたからこそ、凍傷にならずに済んだのだと。
私の真上でギラギラと太陽の光りを与えてくれていた。
「ちなみに、恩師とやらはどんな人物なんだい?」
「そうですね……」
一呼吸置いて言った。
私を、救ってくれた人。
私に、生きる術を教えてくれた人。
私に、魔法と魔術を教えてくれた人。
私は、彼女の最後を看取った人。
パッサリアさんは自分の寿命が短いことを知っていたっぽくて、別れは予定調和のようにやってきた。
満月の夜、眠るように亡くなった。
――あたしのすべてをあんたに預ける――
めぐる季節の道すがら、それが最後に交わした言葉。
パッサリアさんから託された知識を譲り受けるも、魔法も魔術も使えない私にとって宝の持ち腐れにほかならなく、タロットカードから精霊を呼び出すしかできない。
死が訪れるその日まで「今宵の相手は『世界の娘』と『隠者』、久しぶりに死生観について――」と、精霊を呼び出しどんちゃん騒ぎをした日々がとても懐かしく、私の大切な思い出。
「魔法と魔術を教わったというのなら、魔法で濁り水と汚水をきれいにする重要な手段はなんだい?」
唐突な質問。
けど、答えはとても簡単だ。
でも、それを言ってもこの人は納得してくれない気がして、ちょっと悪戯心に火が付いたというか、久しぶりの技術話にワクワクしている自分がいた。
「サクッといきます。まず一つ、手段と手法は違います。貴女は手段と言いましたが、正確には手法が重要となります」
「ほほぅ……」
「それに正確に言えば『きれいにする』というより『濾過工程』での手法により、精錬度に差がでますね」
「もっと簡単に説明してくれさね」
「わかりました」
私は両手を天秤に見立て上下に上げ下げしながら「濁り水は雨水や地面に溜まった水なので、液の表面と底に汚れが溜まりやすい傾向にあります。しかし、汚水は糞尿も含まれるため液中すべてが汚れている傾向が強く、それにより濾過工程に差が生まれます」
フンフンとうなずく女性。
なんとも真剣に聞いてくれるとうれしくなるもの。
「では続きまして――」
伝えたい内容をギュッと簡素にまとめ、口を開く。
通常、瓶に入れた対象水をきれいにする場合、呪文を唱え魔力を込め不純物を潰します。
ですがその方法ですと、時間と労力、魔力の消費量が多く効率的に行えないのが実情で、魔力が切れればそこで終了。
なのでイメージで表現すれば、最初は荒い目の布生地で濾過し、少しずつ布生地の目を細かくしていく感じで濾過していくと効率的に捗り、とくに汚水を扱うさいに明確に精錬度に差がでます。もちろん魔力の使用量にも差が生まれます。
「なるほど……。あんたの言っていることは理解できる。しかし、それは一般的には理解されていないし、普及もしていない手法やろ?」
「はい、その通りです。ほとんどの人は「おりゃあ~一気に真水に持っていくぜぇ~」と魔法を発動しますが、本質というか精錬度も含め『汚れた水をきれいにする』というのなら、水本来の性質を理解したうえで魔法を展開すべきと、恩師はいつも語ってくれました」
「濾過工程に、精錬度、水本来の性質、展開……なるほど」
「はい?」
「いやなに、普通の人様の口からそうそう出ない言葉なんで驚いてしまったよ」
「そうでしょうか?」
「そうさね」
「はぁ」
「まぁいい。それより、アレは本物なんだね?」
「本物!?」
「アレを見た衛兵が困り果て訪ねてくるわけさね」
「困り果て!?」
「でもまぁアレを検分した衛兵が博識で助かったよ」
「博識!?」
「この街でアレを知っている者は数人といない」
「えっと……」
「専門用語の語彙を含め、通行証を読み上げた博識、問題ない」
「はい?」
「容疑は晴れた――」
すっと老婆は立ち上がり「私の名はアンネリケ。この街の片隅でガラクタを売り生計を立てている者。そしてようこそヨフィーナ君主国、街ペルーナへ」
鈍感な私でも理解した。
老婆、アンネリケさんは牢屋に入れられた囚人ではなく、私を見定めるために送り込まれた人物。
検問所で衛兵に見せたものはパッサリアさんから譲り受けた古い通行証で、文庫本サイズの一枚の羊皮紙。
内容はかなり古い言語で『この者に馬車から降りる行為をさせてはいけない。この者の歩く道を妨げてはいけない』と書かれていて、その言葉を衛兵の前で音読した。
「これは強制じゃなくあたしからのお願い。もしよければ教わった魔術とやらを、ひとつ見せてもらえんかね?」
「魔術を……ですか?」
「そうじゃ。あんたの力量を見てみたいんじゃよ」
「……では、魔術を発動することなく、術式を描き展開だけでもいいでしょうか?」
「ああ、かまわんさ」
すでに試験に合格しているから軽い気持ちで出来るのがいい。
スッと立ち上がり胸元で両手を合わせ詠唱の準備に入る。
「ほぅ、変わった型だね」
「独自の型です。では、一気にいきます」
頭のなかで術式を記述する。
パッサリアさんに教えてもらった手法を自分なりに改変し、○や▽、△、☆型の図形の内側に文字を当てはめ、結果を強く思い描く。
頭をコクンと垂らし目を閉じ術式を唱える。
[夜空に流るる雲は言いました。ぼくはなにもの? ぼくのかわりはどこ? 牧草に寝そべってもいいかな? 耳元に聞こえるはなんの音? ほんわか鼻にくる匂いはなに? 目を閉じてもいいかな? 夢魔が襲う晩に夢見るぼくはなにもの? きみはだれ? さぁこれで話はおしまいだ。捻じれて捻じれてエントロピー。惰眠の女神よ深き眠りに誘えライダー・ウェイト・スミス・ザ・ハーミット!]
カッと目を見開き、右手で天井を指し、左手で床を指差す。
――ブワーン――
鈍い音と共に私を中心に瑠璃色輝く丸い円がいくつも重なり、円の周りでは文字もキラキラと光りを放ち、ゆっくりと回転をはじめた。
「一文すら……まったく理解できない詠唱……しかも極端に短い……しかし、まさしく術式――それもⅧ(8)階――いや第Ⅸ(9)階層っ!!」
アンネリケさん、かなり驚いているのがわかる。
「ありえない……文字の羅列が揺らいでいる……術者の力量に術式が負け、破綻しようとしている――」
パッサリアさんの術式に比べ、私を中心に広がる瑠璃色の光る円と文字はゆらゆらと揺らぎ不安定で、よく呆れさせたものだ。
「なんてことだ……まさかこんな牢屋で揺らぐⅨ(9)階層の術式を見ようとは……しかも瑠璃色の展開……」
魔法は魔力と血筋、経験によって成長するから手軽で扱いやすく、この世界で『基礎』となり『科学』と位置付けされている。
それに比べ魔術は、術式が命で誰にでも扱える代物ではない。
とにかく知識が重要で、なぜ1+1は2なのか、雲はどうやって発生するのか、水を入れたバケツを回転させても水がこぼれないのはなぜか――など、学問、自然の原理、物理の法則らを知らないと術式すら組めず、それらを知り計る差=術師の技量の差となる。
「瑠璃色の揺れる文字、初めて見たよ――」
『物理』『学問』『法則』『科学』らを知る私にとって術式はさほど難しくない。
もしこの世界に、向こうの世界から来た人がいれば誰でも魔術師になれる可能性がある。
そう、きっかけさえ掴めれば。
しかしそのきっかけを掴むのはものすごく難しく私の場合、運良くパッサリアさんにご教示してもらえたから理解できるようなもので『迷い込んでこっちの世界にきました~。術式が組めますー』とは絶対にならない。
それとたぶん、魔力の無い世界で生まれ育った者のため『魔力が無い=魔法が使えない』のではとパッサリアさんの見立て。
――ブツゥン――
テレビの電源を切るかのように術式を終わらし一瞬にして消滅させた。
「おおおおお……術式の残り香を引きずらず、瞬きひとつの間に消し去るとは……信じられん……」
驚く姿からして合格なのは間違いないけど術式を展開中、アンネリケさんの言葉がほとんど聞き取れずなにを口走っていたのか少し気になるところ。
「いかがでしたか?」
「…………いかがもなにも、貴女様はもしや、お忍びでいらした宮廷魔術師様に――ございますか?」
「そっそんなすごい人物じゃありませんよ、ただの流民です」
「えっ!?」
「流民、ですです」
「…………第Ⅸ(9)階層の術式を展開してもなおも元気な御様子、魔術師の範疇に収まるとは到底思えません。もっもしや――魔導師様――」
アンネリケさんの口にした魔導師は魔術師の上位版で、例えるなら山手線の乗客数と、地方都市線の乗客数くらいの差があるらしい。
「ですから、ただの流民ですって。私の話、聞いてます?」
「あっ、あぁ……貴女様が流民とそう仰るのなら、そういう話にしておきましょう……きましょう……しょう……」
「はぁ」
アンネリケさん、どっと疲れた様子&目をパチパチさせて私と目を合わそうとしない。
「して、あの術式が発動されたと仮定しますと……」
「えっと……私、術式を描き展開できても……発動ができないのですよ……」
「」
「できないのです……」
「」
「そうなんです……」
「」
『言葉を失う』そんな語彙そのままに驚きの表情を隠さず口をあんぐり開けたまま固まった。
私の魔術、術式を描き展開できても使えないからまったくの無価値で、なぜ発動しないのかもまったくわからない。
パッサリアさんによると、第Ⅶ(7)~Ⅷ(8)階層付近から詠唱だけでカップ麺ができる時間が必要になるそうでそれってつまり、三分もの長丁場の詠唱を滔々と(よどみなく)唱えると。
そりゃあ一般に広まらないわけだ。
ちなみにあの術式が発動すると、目の前にふんわりした柔らかい雲が出現し、簡易ベッドの代用品になる。さらに耳元でやさしい曲調のクラシックが流れ、鼻先には甘く澄んだ香りが漂い、夢かそれとも現実か区別がつかなくなり、口からヨダレを垂らすほどの惰眠へと誘う、練習用魔術。
そういえば、パッサリアさんは言っていた。
魔術を展開すると必ず自分を中心に光り輝く円ができて術式が発動するもの。
しかしタロットカードから精霊を呼び出すとき、光る円が展開されないのがどうにも気にかかると。
原因はもちろん不明で、そんな事例は過去の文献にも書かれていなくて八方塞がりの状態。
「すっすみません、驚いているところわるいのですが、ひとつ相談にのってください」
「なっなななんでしょうかっ?」
「安宿を紹介してください」
「はぃ?」
「所持金が少なく……」
「あれだけの術式を展開する御方がそんな……」
「いろいろとありまして……」
お世話になった方々にお礼代を渡したり、街を逃げ出す時に衛兵たちに渡した裏金、ここまでの食費と旅費など、お金は湯水のように消え、コツコツ貯めてきた分と『./悪魔』からもらった対価としてのお金ももうすぐ底を付こうとしている。
えっと……ゲームで言うところの『縛りプレイ』をしているつもりはまったくないのに、現実はグルグルに縛っているんだよね……。
オカシィ!




