第01話 老人と私 -その1-
薄暗い室内、老人は天井に視線を向け二言三言、独り言をつぶやくとそっと目を閉じた。
「……少し時間をくれ」
「承知しました。お飲み物のほう、交換いたしますね」
「濃いのを頼む」
私は軽く会釈すると立ち上がり暖炉の前まで足を進ませ、置き炭が温める鍋から湯をすくいティーポットに入れ、丸缶から匙一杯分の茶葉をすくいそのまま入れた。
ふわっと紅茶の香りが漂い湯気も立ち込め、薄汚れたまん丸メガネを一瞬で曇らせる。
メガネを外し、くすんだ濃緑色の長いローブの袖でガラス面の曇りを拭き取り掛け直す。
――カタカタ……――
建て付けの悪い窓が小さく揺れ、風の足音を知る。
あとで窓枠の隙間、埋めなくちゃ。
壁の色は黄土色だけど、思い切って白の漆喰で補修してもいいかも。
味気ない部屋に住んでもうすぐ一年。
短いようで長い時間。
今日のお客さんは十人目のお客さん。
初めて占った人もこんな人だった。
ローブの内側に仕込んだ腕時計をチラリと見る。
きっちり三分。
カップに紅茶を注ぎテーブルに置くと、ふわりと湯気が老人の顔にかかった。
老人は、テーブルに置かれた冷えた紅茶のほうを一口飲むと「端的に話せ」と強く短く迫ってきた。
「……はい」
私は椅子に座り、胸に両手を当てる。
呼吸を整える。
心を落ち着かせる。
淡々と口を開く。
展開はクロスブレッド。
カードは『十字』の形に並べられ、計五枚。
時間軸を主に運勢の流れを詠みつつ、解を導き出す手法。
各ポジションに置かれたカードは『過去』『現在』『未来の事象』『寓意』『潜在意識』
『過去』から経緯を詠み解き、『現在』で実情を知り、『未来の事象』をするりと紐解く――。
「つまりだ。希望に満ちた未来は暗闇のなかで片方の靴を失くし、彷徨い人になっている――とでも表現すればいいのか?」と、無表情のまま口にした。
「短いながらも叙情的な表現、詩家の才能があるように見受けます」
「世辞はよせ」
「諂いを口にしたのはもう十年も前。それ以来、言葉にしたことはございませんわ」
「ふんっ」
「話を戻しますと……残念ながらその通りかと」と、告げながらテーブルに並べられたカードの一枚を手に取る。
「残念か……まぁ良い続きを話せ」
「では、『未来の事象』に置かれたこのカード名は『THE TOWER./塔』、落雷を受けた高い塔から、男女が落下していく様が描かれております。簡素に表現しますと『今まで築き上げてきたものが崩壊』と、なります……」
「なんとも、いまのワシに当てはまるではないか」
「……」
(注1)
その言葉に私は沈黙をもって返答とした。
「続けてくれ」
私は小さくうなずき、説明を続けた。
『./塔』のカードに描かれた高い塔から男女が逆さまになって落ちていく様、原因は落雷によるもので未知なる力、つまり神の力を暗示しています。
そして中央に描かれた灰色の高い塔は、神の意志に背いたバベルの塔と言われています。
「バベル?」
「はい、私の国では神々の領域たる天界への足場を築こうとした塔と言われ、それゆえ怒りを買い、神罰を授かった建造物と古い文献に伝承としてあります」
「なんとも……」
「そして下部のポジション『潜在意識』に『THE DEVIL./悪魔』のカードが鎮座しております」
「悪魔……」
「『./悪魔』のカードに描かれた裸の男女の首元にかけられた鎖の輪はゆるく、いつでも逃げられるのに悪魔の足元から逃げ出さないのは、欲望や快楽に溺れた証拠――」(注1)
「……カードの深い意味がわからなくとも、二枚の絵柄を見ただけで雰囲気が読めてしまう」
「はい、このカードが同時に出ることは滅多にございません。ゆえに私も少々驚いた――というのが率直な感想になります」
「ふぅむ……」
老人は険しい表情を隠さず小声でブツブツと独り言を吐き、もしや独り言を吐いていることに自分でも気づいていないよう。
老人の雰囲気を察しつつ私は再度口を開く。
「二枚のカードに共通する点を、神の啓示と捉えました。それは、共に男女が描かれており貴方様の過去、現在、未来に多大な干渉と――詠まざる負えません」
「……っ」
言葉に詰まる老人。
肩を崩し、目を閉じ瞑したまま天を仰ぐ。
薄暗い中、私はまじまじと老人を見る。
白髪まじりの髪に、広い額には深い皺が何本もあって頬はシュッとしていて体系はやせ型。
衣服は所々糸がほつれた灰色のローブで、明らかに身分を誤魔化そうとしている。
それにワザと猫背も演出していて、時折見せる下級商人の仕種はどこかぎこちなく、本来持っている上品さを隠そうとしていて会話のなかから読み取った感じでは、ある程度の地位に身を置く人物、そして理解力のある聡明なお方。
「……」
「どうされましたか?」
「なんでもない……」
老人について明確にわかっていることは、隣の街に住んでいる商人それだけ。
私のタロット占いは基本、誰かの紹介がなければ受けられない。
露店や酒場のすみで行なわれる民族占いのように手軽に運勢を計るようなものではなく、なにかトラブルが発生したときは紹介者が責任を追う決まりになっている。
このお客さんの紹介者はこの一帯を治める男爵のご婦人で、無理やり感がある請け負いのせいかあまり気が乗らないけど、手を抜くようなマネはしない。
老人がもっとも固執しているのは、いま現在の地位からの転落を恐れているようで、占いの結果を聞いても大きく驚かなかった点を考えると、現在進行形で『事』が進んでいると推測。
「つまりだ、人間関係に気をつけろと?」
ふいに口を開く老人。
「端的に言ってしまえばそうですね」
「なら、対処はさほど難しくはない」
「それはいささか安易な考えかと……」
「なぜだ?」
「さきほどもお伝えした通り、どんなに抵抗しても抗えない力(落雷)、つまり――神々のご意志が働く可能性が示唆されており……」
「神々の……」
「謀は、そう易々と運ぶものではないのです」
「フンッ良い見立てならその通りに、悪い話しなら忌避すれば済むだけの事」
「そうですね、皆様そうします。ですが一度知ってしまった以上、貴方様の心中に、占いの解は存在するのです」
「所詮、占いは絵空事の妄想だっ」
「『占い』とは、どこまで突き詰めても絵空事で妄想で空想で夢の世界で、人々の欲望、願望を満たすただの道具に過ぎません。当たるも外れるも、結局のところは貴方様ご自身が決めるものなのです」
『人間関係に気をつけろと?』と言っていたけど占いの最中、老人の瞳は『./悪魔』のカードに描かれた裸の男女の、女のほうに視線が向けられていた。
私はまん丸メガネをかけ直し、大きく息を吸い吐き、答えたくなければ答えなくても良いと伏線を貼り尋ねた。
さる人物が要求したものは、光が分散する宝飾品ではないかと。
「っ!」
少し驚いた表情をするもすぐに冷静さを見せつけ、苦笑いをひとつ。
『過去』のポジションに『Ⅳ of PENTACLE/金貨のⅣ』が逆位置カードで鎮座していて、占いの流れからして『強欲で自分自身を見失う』と私は詠み、『物質的要求』として宝石の類だと推測。
私のなかで答えはすでに出ていて、占いの内容からして容易に推測できる単純な話。
老人がもっとも恐れている事案は社会的地位の失墜で、要因は女性。
社会的地位の高い老人の、取り巻き連中の誰かが「女を落とす算段としてこれ以上の物はございません」なんて誘惑のセリフを添えて宝飾品を持ち込んだのだろう。
そう、なにやら隠れた事情がありそうな、いわくつきのブツを。
古今東西、いわくつきで訳ありで出所の怪しいブツ話はいくらでもあって、持ち主を次々と破滅させたと言われる『フランスの青』ホープ・ダイヤモンドしかり、ブラックダイヤモンドのオルロフは『呪いのダイヤ』とも呼ばれ、持ち主が次々と死を迎えたという逸話さえある。
老人の手元に転がり込んだブツもそっち系だろう。
「……か」
「はい?」
「いや、なんでもない」
「失礼しました……」と、一応に非礼を詫びるも、時折見せる老人の挙動に注視せざる負えない。
そんななのか、私はゆったりと終焉に向けて口を開く。
占いの流れから総合的に判断すると、人間関係では人知の及ばない力、神々の悪戯がひとつの要因として影響するでしょう。
そして、その力には逆らおうにも逆らえず、そのまま素直に受け入れるべきかと。さすれば傷口は浅くなりましょうぞ。
また、貴方様の身の回りで最近、ただならぬ宝飾品が持ち込まれたように感じました。
私からできる助言としては、その宝飾品を、時間を開けることなくすぐに手放すべきとも進言します。
「占いは――以上になります」
聡明な老人のことだ、これ以上言わなくても解決策にたどり着くだろう。と同時に、かしこい人物でも女の誘惑には勝てないという事実、滑稽でもあり人間味溢れる人物でもある。
私のタロット占い、はっきりとした口調で言えない伝えられない、事情がある。
この世界、身分の高い者に睨まれれば、あっという間に首と胴体が切り離されてしまう世界だからどうしても『ぼんやり感』が必要となる。
そう、首チョンパの危険と隣り合わせの日々。
「価値があり光が……人間関係……神々の悪戯……」
老人、思い当たる節がたくさんあるようで目を閉じ、天を仰いだまま黙ってしまった。
(注1)
・かげした真由子様著書 『はじめてのタロットBOOK』を参考にさせて頂きました。
・LUA様著書 『78枚のカードで占う、いちばんていねいな タロット』を参考にさせて頂きました。
・吉田ルナ様著書 『タロット占いの基本』を参考にさせて頂きました。




