四日目 探索
あれから、俺は痛む身体を引きずりながら家に帰った。
幸いなことに骨が折れたりしている様子もなく、
多少の打撲だけですんでいたのは幸運だったかもしれない。
そう思うくらいには、あの男の一撃は重かったのだ。
だからこそ、そんな相手にかかんに挑んでいた愛紗の事を尊敬した。
それと同時に、愛紗は何者なんだろうと思う。
どう考えても普通の少女ではない。
元から息を乱さず走る姿や、
自分じゃ到底追いつけない足の速さなどは見ていた。
でもそれは少し凄い少女くらいにしか思っていなかったのだ。
だが、昨日の戦いぶりはそれを逸脱していた。
去り際に言われた一言も気になっている。
「……やっぱり……お前はもう関わるな」
愛紗のようで愛紗ではない。
雰囲気や口調も俺の知っている愛紗ではなかった。
遠くなる背中にも何かを背負っているような雰囲気があった。
それでもまた会いたいと思うのは、どういう感情なんだろうか。
気持ちに整理はつかずとも、俺の足は公園へと向かう。
今日もまた、愛紗に会えるのではないかと期待して。
公園には昨日のように愛紗が座っていた。
見慣れたコーヒー牛乳と黒糖パンを食べている。
その姿は少し寂しそうで、何かを諦めているような雰囲気だ。
「今日もコーヒー牛乳と黒糖パンなんだな。飽きないの、それ」
俺が声をかけると、愛紗は驚くように振り向いた。
その顔は複雑な感情が絡み合った表情をしていて、
次に何て声をかければいいかわからないほどだ。
「…………椿……」
ただ一言。
俺の名を呼んだ。
そして様々な感情を表した表情を見せないように俯く。
「なんで……来たんだ……」
「なんでって、別に来ない理由もないだろ」
それは偽らざる本心。
ここに来ない選択肢は俺にはなかった。
だが、なんとなくこういう雰囲気になるだろうとわかっていた。
だからこそ俺も心の準備はしてきたつもりだ。
「………もう関わるなと言っただろ」
押し殺したような声。
きっと本心の言葉ではない。
それはこの状況からもわかる事だ。
「じゃあなんでここに来たんだ?」
「っっ……それはっ………」
関わらせたくなければここに来なければよかっただけなのだ。
だから俺は公園に愛紗がいない可能性も考えていた。
だが、愛紗は公園に来た。
昨日と同じようにご飯を買い、
何かを待っているかのように座っていたのだ。
「……………………」
愛紗はまた顔を伏せ、黙ってしまう。
この少女を苦しめるものを俺は知らない。
きっと聞いても教えてくれないだろう。
だから俺も今は優しく見守っている。
「…………聞かないのか?」
愛紗は聞いてほしいんだろうか。
きっとそれはYESだろう。
だが、今ではない。
「教えたくないなら言わなくてもいいと思う。だから俺も無理に聞かないよ」
その言葉を聞いて、愛紗は再度俺の顔を見た。
先ほど見た顔より、さらに辛そうな顔をしている。
愛紗の気持ちをわかる、なんて軽々しい事は言えない。
それでも俺にできることをしてあげたい。
それが俺の気持ちだった。
「別に知られたくない事の一つや二つ誰にだってあるだろ。俺は愛紗との約束を果たしに来た。それだけだよ」
「………約束?」
「あの男と話がしたいんだろ?だから捜索する約束だよ。それとも昨日話はできたのか?」
「それは………できて……いないが……」
「じゃあ俺の約束は続いている事になる。今日も探そうぜ」
俺の言葉に何を思ったのだろう。
愛紗は何度も俺を見ては俯き、何かを考えているようだ。
「椿は……昨日のを見ても私に付き合ってくれるのか?」
「そう言ったつもりだけど?」
「危険……なんだぞ?」
「俺だって少しは鍛えてるんだぜ?」
むきっ、と力こぶを作って見せる。
明らかに頼りない俺の腕を見て、愛紗は少し笑った。
「昨日だって押し倒されてたじゃないですか」
「押し倒されたって……確かに押されて倒されたけど、なんか違う感じに聞こえるからその言い方はやめてほしいね」
愛紗が笑う。
雰囲気も昨日までの愛紗に戻ったようだ。
だが、それは一瞬にして変わる。
さっきまでの悲しい雰囲気はなくなったが、
今度は威圧するような雰囲気でこちらを見直す。
「本当に危険なんだ。それでも椿は私を手伝ってくれるか?」
覚悟を持っていなければこの先にはついてこれない。
愛紗の眼はそう言っている。
だが俺は愛紗の眼を見て、力強く答えた。
「もちろん。俺は愛紗を手伝う為にここに来たんだ」
「…………そうか。じゃあ……また、よろしくお願いしますね」
手を差し出す愛紗。
昨日と同じ握手。
だが、昨日とは違う握手だ。
少しでも愛紗の負担を背負えるなら、俺には悔いはない。
こうして改めて俺達二人は協力する協力することになったのだった。
「と言っても、昨日みたいに押し倒されても危険です。今日は一緒に行動しましょうか」
危なくなったら守ってあげますよ。
そう言って歩き始める愛紗。
不甲斐ないが、確かにその通りだ。
だけど、ここは男としてこう言わねばなるまい。
「あまり俺の力を舐めない方がいいぜ。俺の右手は全てを破壊する拳だ」
「何言ってるんですか。その手はロリを捕まえる手でしょう?あー汚らわしい」
すっかり元通りになった愛紗だったが、
未だに俺の事をロリコンとからかうのだけはやめてほしいと、
切に願わずにはいられないのだった………。
◇◇◇
そして今日も路地裏へ。
だがそう簡単に見つかるものでもない。
昨日のように出会う雰囲気もなく、今日の探索は完全に空振りだった。
「と言うかなんで路地裏ばっかりなんですか?」
「え、最初の時も昨日も路地裏だったし。それになんか悪い奴って路地裏に居そうじゃない?」
ただの偏見なのだが、そもそも俺には情報がない。
二度あることは三度ある。
そう思って路地裏探しから始めたが駄目だったようだ。
「悪い奴ですか。まあここにもロリを路地裏に連れ込む悪い人がいますしね」
「待て待て待て。何度も言うが俺はロリコンではない。と言うか一緒に探してるんだから連れ込んでるわけじゃないだろ」
「言い訳ですか?ロリコンさんは本当に口達者ですね」
このロリの頭をぐりぐりしてお仕置きしたい。
そんな欲求が心から溢れたが、それをしようとした瞬間に、
『ロリコンに襲われるー!キャー!変態!』
とか言い出しそうなのでその欲求は心の奥にそっとしまった。
「まあでも悪くない判断ですよ。考え自体は的外れですが、あの男は路地裏にいる可能性は高いです」
「………そうなの?」
愛紗は単純にあの男に会いたいわけではないと言うのは、
昨日のやり取りで分かっている。
きっとあの男にも何か秘密があるのだろう。
だが、詳しく聞かせてくれとも言えない。
何故なら、さっき言いたくない事は言わなくていいと、
どや顔で言った後なのだから。
「まぁ……そうですね……あの男はもう人のいるような所を歩けない状態でしょうし……」
すごく気になる。
どういう意味?と聞き返したい。
だがその気持ちを抑えに抑えて俺は返事をした。
「ふーん。そうなんだ」
聞き返されると思ったのか、不思議そうに俺を見つめる愛紗。
ここは聞いてあげるべきだっただろうか。
そもそもどこまで聞いていいのかの線引きもないため、
俺からうかつに聞くことはできないのだが……。
もしかしたら愛紗も言うつもりじゃなく、
口に出してしまっただけかもしれない。
と思うと尚更に俺から聞くことができないわけだが。
昨日のように戻ったのはいいが、
新たに気まずい雰囲気が形成されようとしていた。
「じゃあ違う所探しましょうか」
愛紗の言葉で俺達は別の場所に移動する。
だがその日は完全に空振りだった。
気づくと日が落ち駆け、辺りは橙色の光に染まっていた。
◇◇◇
「見つからなかったな」
俺と愛紗は公園に戻ってきている。
公園を目指したわけではないが、
そろそろ時間か、と言う時に公園の近くに来たのだ。
休憩がてらベンチに座る二人。
俺は歩き疲れていたが、愛紗の方は特に疲れている様子はない。
やはり普通の女の子ではないのだろう。
「むしろ昨日はよく見つけたと思いましたよ。私的には椿が見つけられると思ってなかったから協力に応じたんです。それがまさかあんな簡単に見つけてしまうなんて……」
なんとなくそんな気はしてた。
愛紗的に嘘はなかったのだろう。
だが、期待はしていなかった。
だからこその別行動だったと言うわけだ。
「運だけはいいんでね。まあ今日は運の女神さまも振り向いてくれなかったみたいだが」
「運ですか……運とか運命とか、そういうものは信じたくないですけど」
少し暗い顔になる愛紗。
きっと言いたくない事に関わるんだろう。
今日一日、愛紗に聞かずとも俺は考えを巡らせていた。
こんないたいけな少女を縛る運命は何なのだろうと。
だが答えは見つからなかった。
家族関係や友人関係。
そう言うのもあるのかもしれない。
だけど、普通とは思えないような力を得るのは、
俺の想像力ではファンタジーとしか思えないのだ。
もし仮に魔法少女です、とか、
実は異世界人です、とか。
そういう事を言われても驚きはしない。
だけど、愛紗の背負っている物はそんな簡単に言えるようなお気楽なものではない気がした。
もし聞いてしまったら後戻りできなくなる。
そういう類の物な気がするのだ。
「…………………」
「…………………」
沈黙が走る。
俺は俺で愛紗の事を考えていただけなのだが、
愛紗は何やら俺の事を見ていたようだ。
「ん?俺の顔に何かついてる?今日の昼ごはんの米粒かな」
「…………はぁ……もういいですよ……。聞きたいなら聞いてください」
「え……何を……?」
「私の事です。ずっと気になっているって顔に書いてあります」
自分ではポーカーフェイスのつもりだったのだが、
ありありと顔に出ていたらしい。
これは失敗だ。
「でも、いいの?聞かれたくない事なんでしょ?」
「……聞かれたくない……と言えばそうですね。でも、それは話を聞いて私から離れていくと思ったからです。椿ならそうじゃないと一緒に行動してて思いました」
知らぬうちに信頼を獲得していたらしい。
すごく嬉しい。
だが、喜んでもいられない。
何故なら、愛紗の顔はひどく真面目で、ひどく辛そうな顔なのだ。
「もちろん離れないよ。その信頼には応えるさ」
「それと……もしかしたら多少は察してるかもしれませんが、ただの世間話にはなりません。聞かなかった方がよかったと思う事もあると思います。それでも……聞きたいんですか?」
「………そうだな。もしかしたら後悔するかもしれない。でも、今の俺がもし愛紗の重荷を少しでも背負えるなら、背負いたい。だから、覚悟はあるよ」
素直な自分の意見を告げた。
後悔しない事なんてそもそもない。
人は何かを選ぶ時、必ず後悔するのだ。
って言っても、この言葉もアニメとかの影響だけど。
俺の考えはまだ浅はかで、子供なんだと思う。
でも、自分が信じたもの、自分が発した言葉を嘘にするつもりはない。
「そうですか……。じゃあ何が聞きたいんですか?ちなみに、スリーサイズとか言ったらぶっ飛ばしますからね」
「俺って愛紗にどう見えてるんだよ……」
「ロリコン変態お兄さんです」
覚悟決めた後に自信なくなるなぁ……。
「でも、それ以上に優しいお兄さんだと思ってますよ」
言っていて照れたのか、愛紗は顔を背けた。
その言葉が聞けただけで今は満足だ。
だからこそ覚悟を持って俺は聞いた。
「………愛紗の身体能力……普通じゃないよな?」
走っても疲れない持久力。
年齢不相応な足の速さ。
そして不良の高校生を手玉にできるくらいの戦闘能力。
どれをとっても普通ではない。
「まぁ……それを聞きますよね……」
愛紗は俯いてから、空を見上げた。
それはきっと、少しでも雰囲気を和らげるためだ。
俺に、ではなく。
自分が、話せるように。
「椿って、人体実験とか言われて……信じますか?」
「人体実験??こんな平和な世の中にそんな物あるのか?」
いや、そもそも人体実験何てどの時代でも大体は禁忌だろう。
それにSFや特撮じゃあるまいし、
人体実験で人間兵器を作るなんてのは普通にありえない事だ。
「ありますよ。それに椿が知らないだけで、人体実験何てそこら中で行われてます。じゃないと薬とか作れないでしょう?」
「それは……十分に研究して……いや、まあそれはわかるとしても、今言ってるのはそういう人体実験じゃないだろ?」
「……そうですね。それに私の場合、人体実験と言うよりは実験動物と言った方がいくらか正解でしょうし」
実験動物と比喩したのは、
つまり研究段階で薬を投与されたという事だろう。
死ぬかもしれないような実験をこの子は受けたと言うのだろうか?
「私は……いや、私達はある施設で育ちました。そこは研究施設でもあったんです。そこにいた子供達は小さな頃から特殊な訓練を続け、身体的にも精神的にも強くなるように育てられたんです。だからと言って私の身体能力がそれで身についたとか言う話じゃないですよ?スパイ映画じゃあるまいし……」
自虐的に話す愛紗。
その訓練自体も相当に過酷なものだったんだろう。
それは愛紗の思い出すような表情を見てもわかる。
小さい頃からそんな訓練を受ければ死者も出ただろう。
そんな非人道的な実験が、
この平和な世界のどこかで行われていると言うのか?
「研究施設って事か、何かの薬とかを投与されたとかか?」
「正解です。でも問題なのはその薬なんですよ。いくら過酷な訓練を乗り越えた子達でも、その薬を投与されたら死んでしまうんです……」
「じゃあ……その成功例が愛紗って事か」
「そうです……いったい何人が失敗……いや、何人が成功したと思いますか?」
「え……何人が実験対象だったのかわからないけど……半分……いや、その言い方だと三分の一も切ってるかもしれないな」
確実に成功例は少ないんだろう。
研究中の薬なら、改良して次の薬を打つことになる。
その実験段階でどれだけの被害者が出たかは想像に難くない。
だが、俺の想像は遥かに間違っていたのだ。
愛紗の答えを聞いて、俺は絶句してしまった。
「答えは三人です」
「さん……いや……待てよ……どういう規模の実験かわからないけど……それって……他の皆は全員死んだって事か……?」
「その通りです。正確には今も実験は行っているので、多少なりとも死亡者は増えているでしょうけど」
非人道的だ。
と言うより、そんな研究施設にまだ身を置いているという事だろう。
なぜ、そんな場所に愛紗がいるのかがわからない。
「逃げたり……しないのか?愛紗は別に束縛されてるわけじゃないんだろ?それとも爆弾が体内に埋め込まれているとか……」
「あはは、そんな事しませんよ。近くに保護者みたいな監視官はいますけど、基本的に私は自由行動を認められています」
もし施設に囚われているなら何かしらの拘束はあるはずだ。
愛紗に誰かが付き添っているのも見た事がない。
だからこそ愛紗はその立場からいつでも逃げ出すことができるはずなのだ。
「でも……駄目なんですよ……たった三人の成功例が、研究にどれほど歯止めをかけているかわかりますか?私が逃げ出せば被害者はさらに増えるだけです」
「………そうだとしても……愛紗が背負うべき業ではないだろ……」
俺より遥かに年下の、
きっと中学生くらいの愛紗がそれを気にして背負う必要はない。
そんなもの、俺だって背負える覚悟はない。
「いいえ。私が逃げないのはそれだけじゃないんです。そもそもその施設にいるのは同じような境遇の子供達なんですよ」
「同じ境遇……?そんな非道な実験を肯定して、死ぬのも躊躇わないで実験を受けてまで戦う事を使命にできるって……?」
そんなのはもはや狂気だ。
復讐とかに囚われた狂気でしかそんな覚悟は背負えない。
「私達は皆、被害者なんです。とあるウイルスの」
「ウイルス……?」
「この世界は、今そのウイルスに犯されようとしているんです。幸いにも、侵攻速度はひどく遅い。ですが、一度かかってしまえば、最終的に理性をなくして暴れる存在になります。そんなウイルスにかかった者の手にかかり、行き場をなくした子供……それが私達です」
つまりは孤児だ。
だがそんな孤児がいたとして、
そんな非人道的な施設に孤児が集められるものだろうか。
……いや、それは日本では考えられないと言うだけだ。
きっと世界規模なのであれば、それを通せる国もあるのかもしれない。
「でも……そんなウイルス知らないぞ……」
「さっきも言ったでしょう?侵攻速度がすごく遅いんですよ。誰にだってかかる可能性はある。でもそのウイルスは意志を持っているかのように人を選んでかかるんです」
「……だとしても、それくらい危ないウイルスなら世間に公開されるんじゃないか?」
「逆ですよ。危ない上に、かかった者さえどうにかしてしまえば秘匿できる。椿は未知のウイルスがいつかかるかもわかりません、と言われて不安になりませんか?」
周知させるとパニックを起こしかねない。
それならば秘密裏に処理する方がいい。
そう言う事なのだろう。
「だけど……そんなの一つの国が隠せるものなのか?」
愛紗が所属しているのはおそらく日本の研究機関ではない。
だとして、一つの国でそれを隠し続けると言うのは無理がある気がする。
「そうですよ?だから世界規模なんです」
「……………は?」
「世界各国、まあ主要の国、と言った方がいいかもしれませんが。皆知ってますよ。その上で隠しているんです。この日本も例外なく」
世界規模で結託して隠せば、それは確かに隠し通せるかもしれない。
つまり国家機密の情報だと愛紗は言ったのだ。
「そんな……いや……それでも……」
必死に頭を働かせたが、理解が追い付かない。
いや、それは俺の中では完全にSFの世界だ。
ある意味ゾンビとかのパニック映画のような話だろう。
「……ま、待てよ……だとしたらその感染者を隔離とか……最悪殺すとか……まさか愛紗はあの男を殺すために……」
最悪の想像が頭を巡る。
だが、それは愛紗の言葉によって否定された。
「違いますよ。ただ殺すだけなら私なんか要りませんって。でも、例えばこの日本で不明な死亡者が出たらどうなると思います?国が隠した所で親族などにはバレてしまう。そうするといずれ噂は広まります。そうならない為に、問題が起こる前に処理するんです。そのために私がいるんですよ」
「そのために………」
線が繋がっていく。
つまりその研究施設で研究しているのはその未知のウイルスなのだ。
そしてその抗体や特効薬の研究をしている。
「つまり……愛紗が抗体を持った人間って事か?」
「そうです。その副作用で身体能力も人並から外れているわけです。私が頑張る事で、研究所の実験被害も、ウイルスで同じような思いをする人も減るわけです。………そして憎きウイルスにも復讐できます……」
まさにそれは復讐なのだ。
親を殺されただろう愛紗は、殺した人物を恨むことができない。
なぜなら、その人物もウイルスの被害者だから。
なら愛紗が憎むべきは誰か?
それは未知のウイルスに他ならない。
「で、でも……そのために愛紗が犠牲になるのは……」
俺なら同じ境遇でも逃げ出してしまうかもしれない。
確かにウイルス憎しと思うかもしれない。
だが、知らない人の為に死ぬ思いをして、
それからもずっと戦い続けることができるだろうか?
いいや、俺には無理だ。
俺は昨日、愛紗の勇敢さに尊敬の念を抱いた。
だが、本当に俺が尊敬したのはそんな事を実行できる愛紗の本質なんだろう。
目の前の少女に憧れる。
自分には到底到達できない遥かに高い信念がある。
俺の気持ちなど、ただの同情に過ぎない。
だが同情していい相手ではないのだ。
その誇りは、信念は、そんな安っぽい感情で触れ合っていいものではない。
俺はそれに気づいてから何も言えなくなってしまった。
「……どうです?聞かなかった方がよかったですか?」
「………………そんな……事はない……」
自分の言葉に自信がなくなってしまう。
どんな言葉も目の前の少女に届かない気がして。
自分のちっぽけな感情じゃ釣り合わないような気がして。
少女は顔を伏せる。
その顔は悲しみに暮れていた。
違う。
違う!!!
俺は愛紗にそんな顔をさせたかったわけじゃない。
自分で誓ったじゃないか。
俺は俺の信念に、俺の発した言葉に、嘘偽りを作らないって。
でも、今の俺は未熟すぎる。
愛紗の事を正しく受け止めることができないだろう。
ならばどうする。
成長すればいいだけだ。
愛紗を受け止められる自分に成長するのだ。
それは今すぐじゃなくてもいい。
この少女にふさわしくなれる存在になる。
そうして俺は俺の言葉を嘘にしない。
結局俺は愛紗に惹かれていたんだ。
あらゆる面で。
自分にはないものを持っている愛紗。
そんな愛紗に近づきたい。
そして横に居たいと思っていた。
ロリコンって言われても、今の俺には否定できないな……。
それでも。
俺は自分が成長して、愛紗の横に立つために。
俺は愛紗との約束を果たす必要がある。
俺は自分の頬を叩くと、よし、と気合を入れた。
「悪かった。想像以上に愛紗が背負っている物は重かったよ」
「……そう……ですよね……」
「でも、だからなんだ」
「………え?」
呆けた顔になる愛紗。
きっと想像の答えと違ったんだろう。
「今の俺には愛紗の業は背負えないかもしれない。でもそれでも背負わせてくれ。俺は愛紗の為に、愛紗との約束を果たすと誓うよ」
「……………………」
呆然としていた。
ここまで話してしまえば俺が引いて離れることも考えていたのだろう。
でも目の前にはわけのわからない事を言う男。
いつもと変わらない笑顔を愛紗に向ける男だ。
「そ、その……感染者はですね?もうそろそろ最終ステージに入ると思うので……その……この前より危ないんですよ?」
「でも愛紗は戦うんだろ?」
「それは……私しか今抗体を持っていませんし……」
「じゃあ俺も戦う」
「…………話聞いてますか?」
「おう!聞いてるぜ!」
「…………………」
相変わらずの呆け顔だ。
俺の言っている事が理解できないのだろう。
だが、次第に理解したようで、その顔は綻んでいく。
「………ぷっ……あはは!椿みたいのは初めてですよ!……ふふ……あはははははは!」
「なんだよ、笑うことないじゃないか」
「笑いますよ。こんなに何も考えず力になりたいって堂々と言うんですもん。でも……そうですね……不思議と椿といると落ち着くんです……。あ、変な妄想しないでくださいね、ロリコンさん」
「まだ何も言ってないだろうが」
「まだって事は想像したんですね!不潔です!変態!ロリコン変態……えっと、ロリコン!!」
「罵倒の種類が圧倒的に少ないな!!!」
そうして俺と愛紗は笑った。
難しく考える必要はない。
俺は愛紗の助けになりたい。
だから愛紗を手伝う。
それだけでいい。
今はそれだけでいいんだ。
きっといつか、愛紗の横に立てるくらい成長したら。
その時は本当の意味で愛紗を救うと誓うよ。
こうして俺と愛紗は本当の意味で協力関係になったのだった。