二日目 会話
さて、昨日の出来事は一体何だったんだろう。
あれからおいおいと泣きながら帰った。
家についてからも、ロリコン呼ばわりされたことを、
誰もいない家で遠慮なくおいおいと泣いていたわけだが。
冷静に考えてみれば何だったのかと思い返したのだ。
そもそも男が少女に大声を出していたのがきっかけのように思える。
それが無ければ俺も路地裏を見ることもなかったかもしれない。
俺の聞き間違えでなければ、
あの男は確実に少女に向かって何かを叫んでいたのだ。
と、昨日一日考えてみたわけだが、何もわからなかった。
そもそも少女には迷惑そうにされたし。
ただの高校生にはわかりようもない問題だ。
名前すらわからない少女の事は早々に忘れ、
今日も今日とてコンビニへ。
さて、新商品でもないものか。
そう思った矢先だ。
「100円足りない……全部あのロリコンのせいだ……」
パンのコーナー前で見覚えのある少女がいた。
まぎれもなく昨日の少女だ。
昨日とは違う水色のワンピースに身を包み、
小さな腕にはコーヒー牛乳が抱えられている。
見つめているのは黒糖パンだろうか。
なんとも渋い少女だ。
「しょうがない……黒糖パンを諦めるか……でもこれ以下の値段の物となると……むぅ……」
どうやらお金が無くて困っているようだ。
なんとなく見つけてしまって呆然と眺めていたが、
このままだとまたロリコンストーカーとか言われかねない。
ここは大人らしく対応してやろうじゃないか。
「お困りかい?お嬢さん?」
俺が声をかけると、可愛らしい顔で一瞬振り向くも、
その相手が誰かわかると途端に苦虫を潰したような顔になった。
いくらなんでもその反応は失礼ではなかろうか。
「どうもロリコンお兄さん。ええ、お困りです。でもロリコンさんには関係ない事ですから」
ぷいっ、とそっぽを向いてしまう。
その光景だけなら可愛いものだが、
ロリコンロリコンと店内で言われると周りにあらぬ誤解を生んでしまう。
「ロリコンはやめてくれないかな……?それより、お嬢さんは黒糖パンが欲しいみたいだけど」
黒糖パンを持ち上げ、少女の前でふりふりと振って見せる。
その行為に腹が立ったのか、
パンを奪い取って商品棚に戻しこちらを睨みつけてきた。
「なんなんですかあなたは。嫌がらせですか?」
嫌がらせのつもりはないが、ここであったのも何かの縁だろう。
俺的には友好関係を築いてみたい。
正直一人で暇だっただけだが。
「そんなつもりはないけど。それに、黒糖パンが欲しいならそのコーヒー牛乳じゃなくて安いのがあるじゃない」
少女が大事そうに抱えているのはそこそこ値段が張るものだ。
100円ほど安い格安のコーヒー牛乳が商品棚には残っている。
先程少女が口にしていたのは百円足りないと言う言葉。
それならば安いコーヒー牛乳を買えば特に問題はないだろう。
「そっちのは美味しくないんです」
まあなんとなくそんな気はしていた。
でも確証はなかった。
俺にはどっちのコーヒー牛乳の味も美味しいと思っていたからだ。
俺の中で少女の事を『コーヒー牛乳マニア』と言う称号を付け足した。
黒糖パンといい、食にこだわるタイプなのかもしれない。
「そうなのか。じゃあここは年上の『お兄さん』がその黒糖パンを奢ってあげよう」
これが年上の余裕と言うものだ。
お金だけならある。
まあ正確に言えば俺のお金ではないけど。
親がいない間好きに遊べるように結構お金は置いて言ってくれてるし、
これくらいどうという事もない。
「必要ありません。それに、そもそもあなたが引っ張るから………いや、やっぱりなんでもないです」
何かを言いよどむ少女。
だが、恐らく昨日俺が無理に攫っ……引っ張ってしまったから、
お金を落としたのかもしれない。
それなら俺が謝罪も込めて買う必要が出てきた。
「あー……俺のせいなら余計に買ってあげるよ。ついでにそのコーヒー牛乳も買ってあげよう」
「そうやってどこかに連れ込むつもりですか?やっぱりロリコンですね」
そんなつもりはない。
だが、早々にロリコン疑惑は解消させたい。
顔をお互い覚えている以上、
この小さな町でまた出会う事もあるだろう。
その度にロリコンロリコンと言われるのは風評被害すぎる。
「そういうつもりは一切ないよ。でもロリコン疑惑も晴らしたいし、一緒に公園でランチでもどう?」
公園と言う開けた場所ならこの少女も問題あるまい。
夏休みでこの町から人は減っているとはいえ、日中の公園だ。
少なからず人の目はあるし、
ご飯を食べて語らう事で警戒心が薄まる。
と何かの本で見た事がある気がする。
「そうやって巧みに騙そうとしてもしても無駄ですよ」
疑り深い。
まあそれくらいの方が今の世の中安心ではあるかもだけど。
だがその刺々しい態度はやはり敵を作ってあらぬ方面から恨まれそうだが。
「本当にそういうつもりはないよ。俺も一人で暇だから一緒にご飯を食べてくれる人が欲しかっただけだよ。そんなに嫌なら奢るだけにしておくけど」
無理に食い下がるとそれこそロリコン疑惑が深まってしまう。
また会える気もするし、問題は早急に解決したいが、
焦っても拗れてしまうだけだ。
「ロリコンさんは一人でご飯ですか。それは可哀そうですね」
そもそもこの少女は一人で昼ご飯を食べるわけではないのかもしれない。
それなら俺は本当に寂しい奴だ。
今日も家でおいおいと泣くことになる事を覚悟していたが、
少女からは予想外の言葉が返ってきた。
「でもそうですね。ロリコンさんが可哀そうだからお昼ご飯くらいは一緒してあげます」
「あれ?いいの?」
「なんですか?不満なんですか?やっぱりよからぬ事を考えてるんですか?」
なんだかよくわからないが、
少女の気まぐれで昼ご飯をご一緒してくれるらしい。
それならばこれ以上怒らせないようにご一緒させてもらおう。
「考えてないよ。じゃあそれ貸して。買ってあげるから」
「そこのプリンもお願いします」
結構ちゃっかりとしている。
だがそれくらい可愛いものだ。
子供は甘えていい。
それが俺の考えだ。
◇◇◇
という事でコンビニで俺のご飯も買って近くの公園へ来た。
昨日の公園とは違い、一番近い公園。
昔は俺もここで遊んだものだ。
俺はベンチに腰掛けると、
少女は俺から離れるようにベンチの端に座る。
まあそれくらいは予想していたからいいんだけど。
昨日は妄想で
『助けてくれてありがとう!大好き!』
とか抱き着かれるのを妄想はしたが、本気でそうなるとは思っていない。
これが現実的な距離だ。
そんな事を少し考えている内に、少女は俺の方をじっと見つめていた。
もちろん俺の事を好きになって見つめているとかではない。
早く寄こせと言う視線だろう。
「ほれよ。好きに食べなさいな」
少女にコンビニ袋を渡すと、
お礼も言わずさっさとパンとコーヒー牛乳を開けて食べ始めた。
まあこれは謝罪のつもりだしお礼は言わなくてもいいんだけど。
なんだか寂しいものである。
黙々と黒糖パンとコーヒー牛乳をすする姿は少女そのものだ。
妹が居たらこんな感じなのだろうか、とちょっと思ったり。
嫌味を言われようと、ロリコンと言われようと、
これくらいの少女は可愛いものだ。
……いや、決してロリコンじゃないよ?
「そう言えば名前、なんて言うの?」
俺の言葉を聞き、手を止める少女。
そしてジトっとこちらを見つめる。
名前くらいで何を警戒しているのやら。
まあ最近では名前だけでも危ないともいうが、
ネットならまだしも、近所に住んでいるんだから関係ないだろう。
「別に名前くらいはいいだろう?」
と、言ったものの、そもそも俺の自己紹介もしていない。
人に名を訪ねる時は自分から名乗るものだ。
よくある中二病セリフを頭で反芻しつつ、俺は自分の自己紹介を始めた。
「ちなみに俺の名前は橘椿。北涼高校二年生。特に特技もない平凡な高校生。誕生日は5月10日。ロリコンなんて言われるのは程遠いような無害な一般人だぜ」
自慢の歯をここぞと輝かせ、少しイケメン風にしてみる。
当然のことながら少女は訝しそうに眼を細めるだけだったが。
「聞いていない事をぺらぺらと喋りますね。超どうでもいいです」
そう言うとそっぽを向いてまたパンを黙々と食べ始める。
仲良くなろうとした一歩は完全に一蹴されてしまった。
と、思ったがそうでもなかったらしい。
一口パンをかじり、それをコーヒー牛乳で流し込むと、
ぽつりと少女は名前を言った。
「愛紗。遠藤愛紗です。これで満足ですか」
歩み寄ろうとした努力は無駄ではなかったらしい。
相変わらずこちらを向かないが、それでも第一歩は成功だ。
ひと夏の思い出として、ちょっとした女の子と知り合いになる。
これも青春かもしれない。
そんな事を思って一人でニヒルに口元を笑わせてみたが、
なぜかそこだけ少女に見られていた。
「やっぱり気持ち悪いですね。ロリコン確定です」
等と言われてしまった。
一歩進んで一歩下がってしまった。
「そういえば昨日はあいつに何の用事だったんだ?」
ふと気になっていたので聞いてみたのだが、
もしかしたら聞かれたくない内容だったのかもしれない。
少女は食べる手を止めて何かを考えているようだった。
無理に聞く気はなかったのだが、
そもそもロリコンと呼ばれたきっかけはあの場面だ。
男が叫んでいなければ俺も特に気にすることはなかったはずなのだから。
「………ロリコンさんには関係ないです」
やはり聞かれたくない事だったのか。
まさかパパ活や援交等とは考えたくはないが。
いや、それだとしてもあの男を選ぶのはなんだか違う気もする。
とにかく言いたくないなら無理に言及することもないだろう。
「まあ言いたくないならいいさ。俺も無理に聞きたいわけじゃないし」
そして会話は終わる。
というか昨日の事以外に話せる話題がない。
ここで愛紗ちゃんて何年生?とか聞くのは論外だ。
まあのんびりとした昼下がりを一緒に過ごしているだけでも全然いいんだけどね。
「でもあれだよ?あいつはうちの高校で有名な不良だし、あんまり近づくと危ないかもよ?」
一応の注意喚起だ。
愛紗ちゃんがあの不良に用事があるのは聞いた通りだ。
どんな理由かは知らないが、
積極的に関わっていい事があるとも思えない。
「別に大丈夫ですよ。私には全く問題ないです」
素性を知っているという事だろうか。
まあ少なからず知っていなければ用事はできないよな。
余計な心配だったわけだ。
愛紗ちゃんは黒糖パンを食べきり、
せっせとコンビニの袋にパンの包みを戻している。
なんとなく無言も気まずいので話題を振ってみようとしたのだが。
「そういえば愛紗ちゃんってコーヒー牛乳―――」
好きなんだね。
と言おうとした時だ。
何かに反応するように愛紗ちゃんは立ち上がる。
その瞳はどこか遠くを見つめている。
何事かと思って俺も言葉を止めてしまった。
「ど、どしたの?」
俺の言葉も聞かず、愛紗ちゃんはそのまま走り去ってしまう。
その速度は俺がとても追いつけるような速さではなかった。
と言うか意味が分からな過ぎて呆然とその光景を見つめていた。
「え、何?不思議ちゃん?」
よくわからないが、愛紗ちゃんは立ち去ってしまった。
おねだりしたプリンも置き去りに。
何かがあったんだろうと足りない頭で考えたが、
そんな電波少女でもあるまいし、
いきなり何かを受信するように立ち去るだろうか。
昨日に引き続き俺には理解できない。
今日も今日とて謎を残したまま愛紗ちゃんとは別れてしまったのだった。