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7話

今回は柴っちではなく、御厨医師目線での話です。

また、今回、次回と世界政治情勢の話が出てきます。現在の情勢が2070年代の作中で強く尾を引いている、という設定です。

あくまでもフィクションです。こちらもご了承お願いします。

「ミクミク先生、やっほー。」

御厨舞みくりやまいは、明るい声で入ってきた女性に会釈する。

熊谷玲奈。今日は彼女の月次健診の日だった。

必要な検診項目を終えた後、事前のアンケートを元に30分ほどカウンセリングを行う。

カウンセリング、といったところで御厨自身が心理士資格を持っているわけではない。検診後雑談を行い、女性滞在者のストレス緩和に務めるという範囲である。

無論、その中で明らかな心理的不調を発見した場合は、病院に常駐するカウンセラーに繋げる。

御厨自身を含めた医師5名とカウンセラー1名。皆女性で構成されているのは、この女性滞在者のカウンセリング業務を分担するためでもある。

御厨は、玲奈の差し出したアンケート用紙にざっと目を通し、机に置く。

記載内容は先月と変わらない。

「あ、そうそう、聞いてよ先生。こないだ柴っちとね、ババ抜きの話になって。でさ、マスターが実はあるんですよ、ってトランプ出してきて。そうなったら皆あとに引けなくなっちゃって。書類にわざわざサインしてさ、カメラ置いて皆でババ抜きしたんだよ。メッチャシュールだった。」

楽しそうに語る玲奈を眺めながら、御厨は先日のバーで出会った青年を思い出す。月に上がってきたての外装整備員。

玲奈はもともと人付き合いに隔てのないタイプではあるが、最近は特に親しいように見える。

隔てがないように見えて一定の線を引いている彼女には珍しく、以前御厨もそれ故に誤解した。

「楽しそうね、最近。」

御厨の言葉に、玲奈はニヒヒと笑う。

「そーなの。柴っちといると今まで知らなかったこといっぱいわかんだよね。あ、それとこの前柴っちがさ、」

月で暮らしていくに際して重要なのは、地上おかと同様人間関係の構築にある。

地上おかよりも歴史のないこの月においては、その有り様にも類型はない。

大抵の仕事が人員を最小限にしていることも踏まえると、人との接点はむしろ求めないと得られない。

人はどこまでも孤独に弱い生き物だ。

月に来て最初の半年程で、人間関係に失敗した人間は精神不調を来し始めるし、そういう人間は大抵において次の年には地上おかに降りている。

御厨の同僚たちですらその傾向からは逃れられない。

その点、柴田青年はその人間関係において最初の一週間程度で成功している、と言える。

シャトルの中で友人が出来、今現在玲奈達ともうまくやっている。

ベテランのルナリアンである橋野氏が上手く導いてくれている、というのもあるだろう。

橋野氏が地上おかに降りるのももう少しだが、少なくとも柴田青年が孤独で精神不調を来すことはなさそうだ、と見て取れる。

孤独、においては。

改めて、今までになく楽しそうに近況を語る玲奈を眺める。

その目線を受け、

「あー、うん。そういうめんどくさい事にはなってないよ、ダイジョブ。ほら、アタシ、シャワールームの女だからさ。そのへんちゃんとわかってるし。」

玲奈は、顔の前で手を振りながらアハハと笑う。笑って見せている。

孤独に次いで多い精神不調が恋愛トラブルで、彼女達シャワールーム勤務者はその渦中に巻き込まれることが多い。

玲奈のように7年続けてくるにはそれ相応のバランスを保つ必要があっただろう。

しかしながら、

「同意があれば、恋愛は自由よ。“シャワールームの女”だって、地上おかに降りたら関係無くなるんだし。」

実際、月のシャワールームにはそういうからくりがある。

「そなんだよね。まーまー、でもね。それでも、シャワールームの女、だからさ。」

御厨の目を上目遣いに覗き込みながら、ウンウンと頷いてみせる玲奈。

「そう。」

だとすれば、これ以上は蛇足だ。

「そろそろ、時間ね。」

「うんうん。じゃ、またね!」

立ち上がり、背を向け鞄を背負いながら、

「柴っちと一緒にいたら、自分がそういうヒトだって時々忘れそうになっちゃって。それは怖いなぁ、と思ってるけど。」

ポソリと、玲奈が零す。

「あー、うんうん。でもでも、ダイジョブなので!じゃね!」

扉が閉まるのを見届け、一瞬、空を眺める。

「別に、諌めたり止めたりするつもりじゃなかったんだけどな。」

誰にいうでもなくポツリとこぼす。

かぐや姫、などと持ち上げられたところで、彼女達の負う荷物は地上と何も変わらない。いやむしろ、地上よりも重い。

手元のアンケート用紙に目を落とす。この記名アンケートも虚偽記載に対しては罰が下る。

【1.妊娠検査の承諾 シャワールーム勤務者は、本日のエコー検査を了承する

はい/いいえ】

御厨たち医師も含め月一回の妊娠検査は義務である。だが、一般の女性滞在者の検査が試薬検査であるのに対して、彼女たちはダイレクトにエコーを取られる。

いいえの選択肢に意味などない。

【8.一ヶ月の間に性交渉をもちましたか? はい/いいえ】

【9.性交渉を持った相手の詳細を記載してください(任意)】

間に怪我、病気等を聞く質問をはさみながら入るこの2項目を、御厨たち医師側は89(はちきゅう)項目と呼んでいる。

【※シャワールーム勤務者は、私的な性交渉に関してのみ解答】

89項目に続くこの米印も、このアンケートを破って捨てたくなる原因である。

なぜ。女であるというだけで。

フツと沸く憤りは、月に来て10年近く経っても無くなりはしない。医者として仕方がないじゃないか、と思う気持ちとの二律背反はいつまでも残っている。


とはいえ、今日の気の重い仕事はまだ残っている。

御厨は鍵のかかる引き出しを開け、そこに入ったファイルにアンケート用紙を挟み込む。

別のファイルを取り出し、鍵を締める。

同僚の中には、本棚の中にアンケートをおいている輩もいるが、御厨は人のプライバシーの重さを蔑ろにしたくなかった。

取り出したこのファイルとても、また負けない機密事項なのだが。

ファイルを鞄に入れ、部屋を出る。

病院の3回渡り廊下には隣との連絡通路がある。

隣の建物。

警察と役所が共同で使う、輝夜之宮行政センターである。


渡り廊下のドアは、輝夜之宮に珍しくIDカード認証による電子ロック。

IDカードを翳しロックを解除すると、重いドアを押して中に入る。

輝夜之宮行政センターは、東京都の末端で有ると同時に、宇宙開発事業の国際推進組織である、国際宇宙開発連合こと『ISDUアイスドユー』の日本支部も兼ねる。

輝夜之宮行政センター長は、通例としてISDU日本支部長を兼ねている。

ここに御厨が何の用があるかといえば、先日の血液付着外装の結果報告だった。


目的の307号会議室には、既に警察官の浅尾が入っていた。

「お疲れ様です。」

「お疲れ様です。」

浅尾氏の挨拶に返答をし、席に座る。

机にはそれぞれネームプレートが置かれている。

目の前には【輝夜之宮病院医師 御厨舞】

浅尾氏の前には【警視庁 輝夜之宮分署 警部補 浅尾正隆】のカード。

浅尾氏もたしかまだ20代であったはずだが、警部補まで昇進しているのはキャリアもさることながら、月の警察業務を取り仕切るにあたって最低限の役職が与えられている、という点が大きいのだろう。

御厨の読みでしかないものの。

「遅くなりました。」

手前の扉から入ってきた男は、壁面のスイッチを操作した後、【輝夜之宮行政センター長 森丘徹】のネームプレートの席に座る。

50代前半の痩せ型、官僚然とした風貌の彼が実質輝夜之宮を仕切るトップ、森丘徹もりおかとおるである。

「通例のことではありますが、この会議は録画録音の上、警視庁、東京都、ISDU本部に共有される旨、了承いただけますか。」

森丘はほぼ一息で言う。

『了承します。』

これも通例なので、御厨と浅尾も同意する。

「さて、御厨先生、浅尾警部補。以前頂いた調査結果では、外装はマギからの調査チーム参加者、シルヴィ·ロウ氏のものである、というところまででしたが、追加調査、検査の結果を教えていただけますか。」

実際、月に来て生理用品に事欠くような状況にある、という可能性を考えれば、外装の装備者がマギの人間であることは想像が出来ていた。

マギは、そのサテライトベースの特性上、全員が二重国籍を保持している。

その「もう一つの国籍」に関してはISDU側に調査義務が課せられている。

浅尾も御厨も、形式としてはISDUの調査に協力している形となる。

「シルヴィ·ロウという人物に関して、国内の入国審査の情報にヒットはありませんでした。故に、警視庁、各地方県警はシルヴィ·ロウに関する情報は持っていない、というのが現状です。こちらの書類は会議後ISDUに提出いたします。」

浅尾が書類を元に話した後、森丘は御厨に目線を向ける。

「先日、調査チーム側で採取していた血液データとの照合で、マギ国籍のシルヴィ·ロウ氏の血液と一致したことをお伝えしましたが、同様の血液サンプルを元に国内の血液サンプルデータと照合しました。」

ここまで面倒なことをしなければならないのは「もう一つの国籍」にネックがある為である。

「結果、1件のヒットが。」

御厨はファイルから一枚書類を引き出し読む。

浅尾はメモを確認していた自分の手帳から目を上げる。

「3年前、海洋資源共同開発事業の参加者に関して、事故等の際確認用に血液サンプルの採取を行なっていました。その参加者の中の1名、労銀鈴ラウインリンの採取データが、今回の血液サンプルと適合しています。」

三年前の海洋資源共同開発事業は、2020年代以降関係が冷え切っていた“ある国”と日本の数十年ぶりの国際交流事業だった。

建築関係、海洋関係の専門家が両国から集まって海洋資源開発のプラント建設にあたった。

「つまり、除外国籍。」

「三年前の時点で、です。」

息を飲むように言う浅尾の発言に、書類を渡しながら御厨は返す。

除外国籍。マギの“もう一つの国籍”を探らなければならないのは、この流入を防ぐためだ。

2020年以降の戦争犯罪の責をおって、宇宙開発事業への参加が認められていない国家群がある。彼らが宇宙船を飛ばしたところでゲートウェイの発着は許されず、自分たちでのゲートウェイ、サテライトベースの建設も認められてはいない。

その国籍を保持していることがわかれば、地上おかに強制送還になる。


御厨は改めて森丘に向き直る。

「現在の国籍に関しては、国内のデータベースにヒットはありませんでした。わかったのは、シルヴィ·ロウと労銀鈴ラウインリンが恐らく同一人物である、という点です。現在回覧している書類はこのままISDUに提出いたします。」

いつの間にか書類は森丘の手元にある。

「大変重要な情報です、御厨先生。ちなみに、アポロ、エリシアともにシルヴィ·ロウの記録はありませんでした。マギ諸国のISDU支部も含め労銀鈴ろうぎんれいに関する現状の情報を再度共有します。また、浅尾警部補。調査チームにもこちらの情報を共有お願いします。」

「かしこまりました。」

森丘の言葉に浅尾が頷く。

「では、これで会議を終了します。お疲れ様でした。」

森丘はそう言うと再び壁のスイッチを操作する。

録画用のカメラが動作を止めたのを確認すると浅尾はウーンと伸びをする。

「カメラ回ってるってやっぱり緊張しますね。というか、いっつも思うんですけど、マギが自分でやれよ!って思いますよね、こういうの。」

浅尾はこういった軽率な発言をすぐする。目に見えている録画用のカメラが止まったからといって、目の前にいるのはISDUの管理責任者でもあるというのに。

浅尾はそのまま部屋を出る。

「では、私もこれで。」

御厨も部屋を出ようとしたところを、

「御厨先生。」

森丘に呼び止められた。

「何か?」

「我々の仕事は、ルールに則って、ルールを守っていない者を摘発することです。それは、本当はルールを守っていたものを守ることでもあります。労銀鈴ろうぎんれいがルールを守っているか否かは、ここまで来たら彼女の問題です。」

御厨には、森丘の言わんとしていることはよくわかっていた。わかっている、と思っている。

「貴方は専門以外も適切にこなす優秀な医師です。これからも頼りにしています。」

「ありがとうございます。では、これで。」

頭を下げて、部屋を出る。


“見つからなければよかったのに”

そう御厨が思っていたことが、森丘には見えていたのだろう。

気に病むな、仕事と割り切れ、と。

病院の自分の部屋に戻り、コーヒーを淹れる。

口をつけ、一息つく。

「マギが自分でやれよ、か。」

浅尾の言葉が頭をよぎる。浅尾はまだ20代でマギ建設の際のゴタゴタを知らない。

現在、除外国家と言われる国家群は国力、経済的余力を持たない国として認知されているが、もともとは世界を二分する勢力の盟主だった。労銀鈴の生まれた国は、2020年代前半まで独自の宇宙開発で世界を牽引していたという。2020年代から10年近くに渡る戦争を続けた為、国力を使い果たし現在に至っている。

マギ諸国は当初、ISDU、除外国家間の中立国としてサテライトベースを建設する、と発表し、世界に波紋を広げた。

そこに対して、マギ諸国もISDU加盟国である旨、国連決議である宇宙開発参加除外処置の遵守を求め撤回を迫った。

その妥協的着地点が、現在である。

マギ諸国は、国籍交付に際して除外国家の流入阻止を「鋭意努力する」。

その後の調査に関しては「ISDUに全面的に協力する」。

つまり、国籍は各国が販売、除外国家の国民に関してはISDUが調べろ、というところでマギ諸国が折れた。

この時除外国家側の国力がISDUに比していれば、マギの判断は反対に寄っていたのでは、というのが研究者の言。

こういった国同士の政治的な駆け引きの煽りを食らうのは、いつも一般人だ。


調査チームの選定担当者も馬鹿じゃない。シルヴィ·ロウは優秀だから選ばれたのだろう。

能力に自負があるにも関わらず、機会に恵まれなかった人間の悔しさは、御厨にも痛いほどわかる。

自らが望んだ晴れ舞台に立ちながら、女であるがために破綻し、生まれによって降りなければならなくなる。


「ルールを守っていれば。」

ポソリと口に出してみる。

その実、この3年の間にISDU加盟国の国籍を取得していれば、なんのことはない合法である。

元来、シルヴィ·ロウの同胞は全世界にいる。

「それに。」

もう、ここからは自分の仕事ではない。

御厨も、そんなことはわかっていた。


病院を出て、ふと足が向きbar cancerのドアを開ける。

玲奈と柴田が二人で本を覗き込みながら話している。まるで当たり前の地上おかの男女のように。

ニヒヒ、ととても自然に笑っている玲奈の顔が見える。

マスターがこちらに気付き目配せしてくれるも、御厨は顔の前で手を振り、

『次の機会に』

と口だけでいい外に出た。

今日くらいは、空気を読もう。

御厨は、自宅に向かって足を向けた。



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