6話
朝いつもどおりの時間に起きて、ふと気づく。
そうか、今日、休日だ、と。
月に到着したのが日曜日。翌日から5日間働いて、昨日の出勤が月一回の土曜出勤。
つまり、一週間目の日曜日だ。
とりあえずコーヒーを入れ、菓子パンを齧る。
地上にいたときもあまり趣味のない人間だったため、休日は持て余していた。
とりあえず音が欲しくてテレビをつけてみる。
チャンネルごとに、BBC、CNN、アルジャジーラ、などなどの海外のニュースが並ぶ。それぞれ字幕放送になっているから、どういうニュースかはわかる。
回しているうちに、NHKに当たるが、
とかく民法はない。
みたい番組があったわけではないものの、疑問は残る。
NHKのニュースをぼんやりと眺めていると、月の調査チームの事が報じられていた。
月の裏側に国連旗を建てる外装の一団の映像。この中に澤口氏もいるのだなぁ、と思う。
そういえば、結局あったのだろうか。文明の遺跡。
ぼんやりと考えている間にニュースが終わる。
どうしよ。
テレビを消し10分ほどボーッとした後、
「出かけてみるか」
と、口に出してみた。
服を着替えて、外に出る。
空は、相変わらず薄曇りのように見えている。実際はドームの天井がそこにある、ということなのだと思うのだが。
周りを見回せば、いつもお世話になるコンビニ。その隣にコインランドリーがあることに気がつく。
そういえば部屋に洗濯機が付いていなかったこともあり、洗濯物も溜まっている。
中に入って見ると、存外地上のコインランドリーと変わらない。
洗濯機本体に“eco water”の表示が見える。洗濯機の中もミストシャワーなんだろうか。
とかく使い方は地上と一緒のようなので、後で洗濯物放り込みに来よう、と心に決める。
コインランドリーを出て、さらにステーションに向かって歩く。駅前には、自転車屋、本屋、と、資格センター?
結構広い建物だが、資格センターって何なんだろう。
とにかく、本屋を覗いてみる。
少しこじんまりとした店内をぐるりと回る。雑誌がない。週刊誌みたいな雑誌がなく、漫画も少し古いものが少しだけ。
小説なんかもあんまりおいていない。
結構な場所を割いて置かれているのが、トレーディングカードゲーム。色々な種類のカードゲームが箱やら袋やらで並んでいる。ちなみに心得がないためどれがどんなものかさっぱりわからない。
奥には、資格の参考書のコーナー。ここもかなりのスペースを割いている。外部活動資格、救急救命士、などなど。
月で使う資格が主になっている感じ。
その横にローバー運転免許というのもある。
手にとってパラパラとめくる。ページの最後には実技試験の申込方法と、資格センターの連絡先と地図。
あ、と気付き、店の外を振り返る。
資格センターってそういうことか。外部活動や運転免許にはもちろん実技が必要なわけで。
とはいえ。
今すぐ何かの資格を、という感じでもない。何も買わないのもな、と思いながら探していると、
“月の歩き方”
を見つける。
輝夜之宮の歴史やら、その他のサテライトベースのことが解説されているらしい。
どこかで読むこともあるだろう、と思い、その一冊を買って店を出る。
駅前に戻る。ぐるりと見回して、案内板があることに気がつく。
案内板をくまなく見ると、ステーションを超えた先に、レクリエーションセンターの記載。
レクリエーション。何があるんだろう。
ステーションを通り抜け、反対側の出口を出る。
マンション側の出口と違い、自然公園然とした風景が広がる。
少し先に大きめの建物。あれだろうか。
建物の方に向かって歩く。
歩いているとランニングコースに出くわす。立ち止まって眺めていると、ランナーが走ってきた。
ランナーの方が会釈してくれたのでこちらも会釈を返す。
ニコリと笑って去っていくランナーの方。
ランニングコースを抜けて振り返ると、他にも数人走っている人たちがいる。
歩いているうちに広いところに抜ける。グラウンドが2つ、いや、奥にもまだある。
野球場と、奥に見えるのはテニスコートだろうか。もう一つの広いグラウンドでは、サッカーをしている。
思い返せば、スポーツの語源は気晴らしだという。
そういえば、体を動かすこともまた、当たり前にレクリエーションだ。
フェンスで囲まれたグラウンドの間を抜けると、目指していた大きな建物にたどり着く。
扉をくぐると、ベンチが置かれた広い玄関ロビー。2階からガヤガヤと賑やかな気配を感じる。
階段を登り2階に行くと、いくつかの部屋。そのうちの一つを覗くと、結構な人数が机に座っている。
手元には、トレーディングカードゲームがある。
どうやら、月のトレーディングカードゲームユーザー人口、多いっぽい。
それで本屋にあんなに置いてたんだな。
まあ、ただ本当に心得がない。
邪魔をしないように部屋を出て、違う部屋を覗く。
入り口の横には棚があって、そこに囲碁、将棋、チェス、諸々のボードゲームが置いてある。
こちらの部屋は、こういった遊びのユーザーのための部屋、ということだろうか。
棚の横に張り紙を見つける。
【麻雀牌セット、トランプカードセットの貸し出しに関して】
そういえば、棚になかった。
【ご希望の方は、最下段の書類に必要事項記載の上、1階事務所へご提出ください】
最下段、と見ると、書類ラックにプリントが置いてある
【下記の同意事項を読み、チェックボックスにチェックしてください。
□金銭、衣類、食べ物等を用いた賭博を目的としない。
□上記の賭博の経験はない。
□上記にチェックがない場合、輝夜之宮特別条例第7条に従い、無課金、無賭博によるゲームを行うことを誓約する。
□上記に違反した場合、法令違反により処罰を受ける旨、了承する。
□ゲームの開始から終了まで、カメラによる録画が行われる旨了承する。】
の後に、自著記名欄が続く。
いや、怖っ。
そこまでして麻雀やトランプゲームをする人がいるんだろうか。
と、眺めると、端っこで麻雀をしているオジサンたちが確かにいた。カメラが置かれている中、和やかに麻雀をしている。
そこまでしてでもやりたい人たちのために、用意されているのである。
麻雀は多少わかるものの、ここまでしてやろうとは思わず、ボードゲームの中には知っている物もあるものの、いかんせん一人である。
結局また邪魔をしないようにそっと部屋を出る。
階段まで戻ってくると、上階の案内に図書館の文字を見つける。
図書館あるのか。そっちのほうが興味をそそられる。
階段を登ると、視界が一気に広がる。広い。ワンフロア使い切り。
本屋に本が少ない理由がわかった。図書館にこれだけの蔵書があれば、そこで借り、そこで読めばいいのである。
ふと先程気になっていた事が頭によぎり、法律コーナーに足が向いていた。
輝夜之宮特別条例、条例文の冊子が見つかる。
本格的な行政文書なので頭に入ってくるまでに苦労する。
【第7条 輝夜之宮滞在者は、レクリエーションを各専属業務に専念するためのものと理解し、一切の課金遊戯を行わない。(課金遊戯、には広義に衣服、食物等物品を賭ける場合も含む)これに違反した場合、課金遊戯の設定者、遊戯参加者ともに50万以下の罰金と〜】
マスターの言っていた“打つ”がない、というのはこれによるものか、と納得する。
なんというか、徹底して博打を排除する強い意思を感じる。
パラパラと読んでいるうちに、時計を見ると17時頃。
そういえば、お昼も食べずに歩き回っていた。いい加減お腹が空いている。
冊子をカウンターで借り、レクリエーションセンターを出る。
来た道を引き返し、ステーションを越え、駅前に戻る。橋野氏とよく行く定食屋で腹ごしらえをしていると、18時頃。
ふと、誰かと話したくなり、bar cancerに足を向けた。
「で、それでこの2冊なんだ。」
「おーおーおー。」
一律の今日の流れを聞いた玲奈さんはいつものように納得してくれる。
「メッチャ歩いたねぇ。」
実際足は疲れている。
「トレカは、実際月で人気ですね。更新性のあるゲームがほかあんまり無いですから。」
「コウシンセイ?」
マスターの言葉に玲奈さんが引っかかる。マスターは玲奈さんに漢字を書いてみせる。
「新しいものがどんどん入ってくる、ってことかな。まあ、地上のものが入ってくるまでに一月くらいのタイムラグがあるので、最新のものが揃うわけではないですが。」
「マスターも、トレカ、やってるんですか?」
マスターに問いかけると、マスターは顔の前で手を振る。
「追いかけるの大変でやめました。続けてる人は、地上に降りたときに新しいのを買い占めてるみたいですけど。」
「あ、それ。地球の友達に聞いたことあるー。トレカ屋さんの店員なんだけどね、なんか月イチでめっちゃ買い占めてく人が何人かいるんだって。月イチだから、月の人って呼んでるって。」
玲奈さんの言葉に、思わず吹き出す。
「ホントに月から来た人だとは思わないよね。」
「まさかだよねー。友達にも教えてあげよ。」
ニヒヒと笑う玲奈さん。
「で、で。柴っち。これはもう読んだん?」
「あー。まだ。」
「見せて見せて。」
玲奈さんの持ちあげた“月の歩き方”を受け取り、パラパラとめくる。
目次には輝夜之宮、アポロタウン、エリシア、マギシュタイン、それぞれの項目がある。
「あ、マギシュタインって、昨日ミクミク先生が言ってたひどいトコでしょ。気になる気になる。」
マギシュタインのページをめくると、まずは概要ページが出てくる。
「マギシュタインは、月面に唯一存在する国家です。」
国家です?
急いで続きの文章を目で追う。
「UAE、中東アラブ諸国、東南アジア諸国が共同出資で立ち上げ、各国の国民が自国の国籍と合わせてマギシュタイン国籍を取得し居住しています。」
居住しています?
頭にハテナが果てしなく浮かぶ。
玲奈さんを見ると、
「うん。柴っちがなんかすごい不思議に思ってる、ってコトはわかんだけど、あたしはゆーえーいー、って言ってるあたりで頭に入ってないんだ、ごめんね。」
ド頭じゃないすか。
「あの、つまりさ、輝夜之宮で月イチで地上に降りるのは、住んでない、ってことにするためのものなわけでさ。でもここでは居住って言っちゃってるわけでさ。」
「住んでいいのかよ!ってこと?」
「そう、だし、国家って。」
「国作っちゃっていいのかよ!ってこと。」
「まあ、そう。」
なんだかとたんにシンプルになった。
「そう、マギは中立的単一国家として、国民の居住を認めています。」
マスターが言う。
「ただ、そのかわり、国民の諸権利の制約がとても多いです。いろんなことが国民の責任になっちゃいます。たとえば、妊娠はマギの法律で処罰の対象になります。父母ともに実刑です。」
実刑、というワードの重たさに一瞬怯む。
「まあ、つまり、居住だ国家だと言っても実態はそんなに変わらないってことです。マギの様に複数の国が共同でサテライトベースを作るにあたって、別の国を一つ作った方が理にかなっていたってことだと思いますよ。結婚や出産の自由がない代わりに勤務地、って扱いにした他と、結婚出産の権利のない国を作ったマギとの違いです。」
「ていうかマスター詳しいね。」
玲奈さんが言う。
「マギは最後に出来たサテライトベースでね。出来てすぐは輝夜之宮からも、いろんな技術指導の人間が行ったんだよ。僕は、飲食店業務担当。」
マスターは思い出すように少しだけ中空に目をやる。
「当初の時点でアポロタウンと並ぶくらいの人数、400人近くがいて。多分そこにも書いてあると思いますけど、マギって男女比がほぼ半々なんですよね。」
月の歩き方のページを探すと、確かに書いてある。
「へー。すごーい。」
玲奈さんがそれを見て感嘆する。
「ちなみに輝夜之宮は大体3対1くらい。」
マスターが補足してくれる。なるほど女性が珍しいはずだ。
というか、発行時で人口は1000人、めっちゃ増えてる。
「女の人も国籍さえ手に入れたらマギに来られる。その代わり、女を理由に動けない、みたいなのは自己責任なので仕事に穴あけたことに罰が下る、ってところですね。」
昨日の話だ。
「月で動くお金が大きいのはマギも一緒で。生活用品売っぱらって国籍手に入れて、一攫千金目指して着の身着のまま、みたいな人たちが僕が行ったときもたくさんいました。そういう人たちが集まるとどうしても荒っぽくなっちゃう。」
「だから、法も厳しくなる。」
こちらの言葉に、マスターは頷く。
「そういうことじゃないかなと。人の入れ替わりも激しい、悪く言えば治安に問題がある、良く言えば活気のあるサテライトベースとして認知されてる、ってところですね。」
「ふーん。」
空になったグラスを眺めながら玲奈さんが言う。
「なんだか、どっちがいいのかわかんなくなっちゃった。」
どういうことだろう。
不思議に思っていると、
「柴っちもうちょい飲む?アタシ明日遅番だからもうちょい残れるんだ。」
「うん、じゃあ、飲もうかな。」
「オッケ!マスターおかわり!」
玲奈さんは元気よくおかわりを頼んだ。
家に帰り、寝ようとしてもなんだか寝付けない。
明日も仕事であることを考えればむしろ遅くまで飲みすぎたくらいなのだが。
ふと、店での玲奈さんの様子が気になって図書館で借りた条例文の冊子を手に取る。
ベッドサイドの明かりをつけてパラパラと目を通していくうちに、女性滞在者規則に関して、を見つける。
【第18条 輝夜之宮における女性滞在者は、月一回の健康診断受診の義務を負う。】
多い。メンズは確か半年に一回だったはず。半年に一回でもけっこうだな、思っていたのに、月イチ。
【その際、妊娠検査も同時に行う旨も義務とする】
冊子から目を離す。
「2ヶ月以内は」という澤口氏の言葉が頭をよぎる。
「どっちがいいかわかんなくなっちゃった」
そういった時の玲奈さんの横顔も。
やるせない気持ちに耐えきれなくなって、ベッドサイドの明かりを消し、目を閉じた。