5話
今回もちょっと赤裸々寄り。苦手な方はお気をつけください。
翌朝の仕事は、週に一度の荷受けだった。
運搬の人が手運びでかご車を次々と持ってくる。
スーツは畳まずにかご車に積み上げられている。
「以上でーす。よろしくお願いしますー。」
運搬の人は、書類にハンコを押して帰っていく。
かご車の運び入れが終わると、橋野氏と二人、工場内にかご車を持っていき、積み上げられたスーツを一着ずつ吊るしていく。
「吊るしたら、中身を目視で確認してください。」
スーツの中身を見て見ても特に何もわからない。
「目に見えた異変がなければ中をこのアルコールスプレーで消毒してください。ビッシャビシャになるように。」
相当使うらしい。
スーツを吊り、中身を確認して、アルコールでビッシャビシャに。
それを繰り返しているうちに、
「うわぁ。」
変な声が出てしまった。中に結構な量の血。
「どうしました?」
見に来た橋野氏が覗きこむ。
「あ、出てきましたか。じゃあ、これはそのまま置いといてください。」
と、何もなかったかのように言い、どこかに電話をかける。
出てきましたか、て。
「あ、引き続きお願いします。」
橋野氏に言われて、なんとか息を整えて作業に戻る。
そこからは、血のついたスーツは出てこなかった。しかしながら結構なインパクトが残っている。中の人、どうなったんだろう。
そんなことを考えているうちに、入荷したスーツは血のついた一つを除いて無事ビッシャビシャになった。
しばらくして、ベルの音がなる。
「玄関、出てきてもらっていいですか?」
橋野氏に言われて入り口に向かう。
ドアを開けると、30代半ばくらいの女の人が立っていた。
そういえば、ここで女の人と会うの、すごく珍しい気がする。
「あ、そうか。たしか、柴田さん。」
女の人はこちらに向かってそう言う。
そうか、とは?そして初対面なのになぜこちらの名前を?
頭に疑問符ばかり浮かんでいる俺に、
「輝夜之宮病院の御厨です。橋野さんから連絡を頂いてまいりました。」
輝夜之宮医院 医師 御厨舞と書かれたidカードを差出し言う。
「とりあえず、中へ。」
言われて、やっと工場の中へ案内する。
「あれ、御厨先生がこられたんですか。」
橋野氏は御厨医師の顔を見て言う。
違う人が来るはずだったってこと?
「あ、あとでまとめて説明します。」
こちらの疑問符が見えたのか、橋野氏が云う。しかし後回し。
「とりあえず事故報告はないし、それらしい入院記録もなかったから、警察から先に行くように言われたんです。」
「あ、そうだったんですね。」
「現物、見ても?」
「こちらです。」
現状、橋野氏と御厨氏の会話を40%程度の理解度で聞いている。
先程の橋野氏の発言は警察でなくお医者さんが?の意味だったと一度解釈しておくことにする。
「調査チームからの分担分のカートから出てきましたね。」
「あ、やっぱり。」
血塗れのスーツをくまなく見た御厨氏は橋野氏の言葉を受けて何かをわかったよう。
そうこうしている間に、またベルがなる。
玄関に向かうと、今度は警察官が来た。警察官だ、とわかったのはさすがにお巡りさん然とした格好をしていたからである。
「ご苦労さまです。」
警察官は中にはいると、御厨氏を見つけ声をかける。
「お疲れ様です。浅尾さん、調査チーム分担分のカートから発見したそうです。一応病院に持ち帰って血液鑑定をします。」
警官は浅尾さんというらしい。
「お願いします。」
そう言った後、浅尾警官はあー、と天を仰ぐ。
「ということは、アポロやマギにも連絡ですねぇ…。」
「多分事件性はないと思うんですけど、法律が違うのでなんとも。日本のメンバーなら何事もなく終わるかと思いますけど。」
「はぁ、とかく鑑定結果をお待ちしてます。では、お先に。」
浅尾警官はそう言って去っていく。
「では、こちら回収します。」
「ご苦労さまです。」
橋野氏の言葉を受けて、御厨氏は血がついたスーツを大きめの袋に入れ、担ぐ。
ちなみに、何もかもがわからない俺。
「おや、もうお昼ですね。お弁当食べましょう。」
御厨氏を送った後、橋野氏はこちらに向かって言う。
お弁当を開きながら、
「さて、どこから話しましょうね。」
と橋野氏。
「何から何までわかりません。」
「なるほど。」
そう言って、橋野氏は麦茶を口に含む。
「うちの仕事上、例えば事故を受けたりした外装が入荷される場合があります。血痕がついたようなものが、ですね。」
例えば今日のような。
「それが出た場合は、今日のようにまず触らずに警察に連絡します。警察は病院と連携して、事故記録やそれらしい通院記録を確認して、事件性がないかを確認するわけです。」
「事件性、ですか。」
「基本的には行方不明者の採取血液と適合を調べるみたいですね。」
はあ。と頷きながら、頭を巡らせ、怖いことに思い至る。
「基地の外で人知れず、っていう人がいるかも、ってことですか。」
「ほぼありませんけどね。私が来た頃に比べれば。」
また怖いことを言われる。
「調査チーム分担分、というのは。」
「ああ、それですか。」
こちらの質問に橋野氏はアジの開きをほぐしながら言う。
「輝夜之宮以外のサテライトベースのことは?」
それは、一応知っている。
「アメリカのアポロタウンに、EUのエリシア、アラブ首長国連邦のマギシュタインですよね。」
たしか、まずアメリカが最初に月基地の一般開放を行い、アポロ計画にあやかって名付けられた。
その次が日本の輝夜之宮で、次がEU。加盟諸国全参加の共同プロジェクトで、エリシアの建設、一般開放。
その次がアラブ、UAEだった記憶がある。
「そうです。マギシュタインは、UAE単体というよりは、中東、東南アジア諸国の共同出資で出来たベースですけどね。
この4ベース共同で未だ開発しきれていない月の裏側を調査しにいくので、調査チームと呼ばれています。」
澤口氏が言っていたやつか、とやっと頭の中で繋がる。
「このチームの使用済みスーツの回収補修は各ベースで分担です。そこで事故外装が出たとなれば、日本だけの問題ではなくなってしまうわけで。アポロとマギにも連絡、とお巡りさんが言っていたのはそういうことですね。」
「エリシアは?」
「あそこはスーツの規格が違うんです。流用が効かずに不便だろうなあとは思いますがそこはこちらが口をだすところでもなく。
ので、エリシアは除外されます。」
「はぁ。」
やっと頭の中で繋がってきた。澤口氏が向かった調査研究チームからあのスーツがたどり着き、今病院に持っていかれた、ということになる。
それはつまり、もしかすれば、澤口氏に何かあったかもしれない、ということになりはしないだろうか。
「とまれ、事件性はないだろう、と言っていましたし。あとは警察と病院のお仕事ですよ。」
そう言ってお茶を飲む橋野氏を、消えきらない不安を抱えたまま見るしかなかった。
仕事終わり。
お酒が飲みたくなって、昨日と同じclub cancerのドアを開けた。
マスターだけがこちらを見て、会釈をする。
中には、こちらに気づかず話す二人の女性がいる。一人は玲奈さんで、もう一人は後ろ姿なのでわからない。
マスターの目配せで、玲奈さんがこちらを振り向く。
「あーーーっ。柴っちじゃん!また来たんだ!おいでよ、おいで!」
玲奈さんはこちらに来ると、先程自分が座っていた隣に引っ張って行く。やっぱり距離近い。
先程玲奈さんと話していた女性に挨拶をしようとして、
「あっ。」
変な声が出てしまった。
「ああ、柴田さん。お昼間はどうも。」
御厨医師だった。
「あれ?柴っちとミクミク先生と知り合い?」
ミクミク先生て。
「お昼間に、お仕事のときに。」
御厨氏は、仕事着から着替えて少しカジュアルな格好をしている。
「どした?柴っち。病気?怪我?」
「いや、そういうのは特にないよ。」
「じゃあ先生なんで?」
「守秘義務の範囲内です。」
玲奈さんにすげなく返す御厨氏。少し楽しそうでもある。仲いいんだろうなぁ。
マスターにドリンクを頼んだ後、思い切って声をかけてみる。
「あ、その。」
なんというか、気になっていることがたくさんありすぎてモヤモヤしていた。
「お昼間、初対面だったのになんで俺の名前を?」
御厨氏は、聞かれて目をぱちくりとさせる。
「ああ、そうか、柴田さんは、来てまだ一週間も経ってないんでしたね。」
頼んだドリンクがマスターから手渡され、3人でグラスを合わせる。
少し考えた後、御厨氏はグラスに口をつけながら言う。
「さっきの質問ですけど。輝夜之宮の病院は、一つしかないので、健康診断のような健康管理も全部病院が引き受けてるんですよね。それを5人の医師で行ってます。ので、輝夜之宮にいる人、来た人は大体知ってるんですよ。」
「でも、ミクミク先生、200人くらいいる月の人全部覚えてるんだよ、すごいよね。」
玲奈さんは我が事のように誇らしげに言う。
「もちろん、全く覚えない、って人もいるわよ。それは、人それぞれ。」
誰もが同じではないらしい。
「ちなみに、鑑識業務も輝夜之宮病院が兼務してます。専門以外のありとあらゆる医療科目をやる、大っきな街病院、って感じですね。」
疑問は解消しました?と目配せをくれる。
こちらが聞きたそうな事を大体全て織り込んで最短の答えを出してくれる。
頭のいい人なんだなぁ、と思う。
「もう1つ、聞きたいことがあって。」
先程守秘義務の話をしていたからには答えてもらえない可能性が高そうな気がするものの。
「お昼間の、その、スーツのことなんですけど。」
「あ、それ聞きたい聞きたい。ってか、スーツって外装のこと?柴っち外装のお仕事なんだ。でその外装がどしたん?」
玲奈さんが入ってくる。
「いや、血のついたスーツ、外装が出てきて。」
興味津々の玲奈さんに対して、御厨氏は、困ったな、という表情を浮かべる。
「友人、あー、いや、知人が。考古学者の人なんですけど調査チームに加わっていて。何かあったのかな、と少し不安なんです。」
「えーなに、柴っち。友達いたの?」
隣から玲奈さん。言い方。
「シャトルで会って、初日に月のこと色々教えてくれて。」
「えー。」
えー、て。
御厨氏は少し中空に目をやり、考えている。
「輝夜之宮から調査チームに参加してる考古学者、澤口さんかな?」
名前がやはり出てくるのがすごい。
「話せる範囲が限られているのであんまり突っ込まれると困るんだけど、彼ではないので安心して貰えれば。というか、輝夜之宮の人じゃなかったし、そもそも怪我でもなかったし。」
御厨氏の言葉は、にわかに理解に追いつかない。怪我じゃないのに血が出る、とは?
「あーー。」
と横で言ったのは玲奈さんだった。
「始まっちゃったんだ。」
「突っ込まれると困るんだけど。まあ、そういうことね。輝夜之宮だと特にペナルティにはならないけど、マギシュタインでは体調管理不足でペナルティ受けるんじゃなかったかな。」
「えー何それ理不尽。」
いまだついて行けずなんの話?と玲奈さんを見る。
「女の人だった、てことでしょ。」
ぐるっと頭が回ってやっとなんの話をしていたかがクリアになる。
「調査チーム自体が一大プロジェクトですからね。無理を押してしまった、って場合もあるんじゃないですか。ご本人も大変だったでしょ。」
ずっと話を聞いていたマスターが口を挟む。
そうか、そういうことか、とホッとするとともに、この会話自体結構なセクハラになってないかが気になってきた。
ふと、隣の玲奈さんを見る。
「どした?」
「いや、デリカシーがない話振っちゃったのかな、と思って。」
「そんなんしょうがないから気にしないでよくない?だって柴っちは友達が心配だっただけでしょ?」
友達、と言えるほどの仲かどうかと言われると、ではあるのだが。
「あ!でもちょっとだけもやっとしたとこある!」
なんすか。
「柴っちの月の最初の友達はあたしだと思ってた!」
えええ。
「いいじゃない、別に。友達なんていくらいても。」
横から口を挟む御厨氏。
「いいんだけど、いいんだけどー!ちょっとモヤるー!」
モヤられても。
「めんどくさいから、話題変えてみる?」
御厨氏の提案。本音を挟むのも忘れない。
「いいんじゃないですか?」
マスターが促す。
「そうだなぁ。じゃあ、柴田さんにクイズです。この月にも流水の出る水道とシャワーがある施設が2種類あります。」
「そうなんですか?」
「それはどことどこでしょう?」
うむ。全くわからない。
「皆はもちろん答えわかってる感じですか?」
「うち一つは玲奈ちゃんも知ってるかな。」
「月に長く居る人間はなんとなく知ってますね。」
質問に対して、御厨氏とマスターの答え。玲奈さんはブーたれるふりをしながらチラチラ見ているので多分聞いている。
たぶん、偉い人のところ、とかそういう事じゃない気がする。
必要な場所に必要だから置かれている、と考えると、
「病院、ですか?」
「一つ正解です。処置の際や処置後の血液は流水で洗うのが衛生上やはり必要なので。」
「もう一つはギブアップです。」
「もう一つは、シャワールーム、玲奈ちゃんのお勤め先です。」
言われてそうなの?と玲奈さんを見る。
「そうなの?」
玲奈さんも言う。って言うか知らなかったんすね。
「ホントに?あったら使いたい。」
「っていう人がいるから教えてなかったのかもね。知らなかったら知らないふりしてたらいいよ。」
御厨氏は少し呆れながらも楽しそうだ。
「えー、やだやだ。そんなんあるのわかったら使いたいじゃん!」
そう言って、時計を見る玲奈さん。
「あー、もういい時間じゃん。お会計お願いー。」
と、マスターにお金を払うと、玲奈さんはまたこちらを見る。
「柴っち明日も来る?って言うか来なよ。あたしも明日も来る。明後日は、あーー、明後日から夜シフトだー。じゃね、また明日ね!」
玲奈さんが去ると、途端に静かになる。
「そうか、知らなかったか。」
ポソリ、と御厨氏が言う。
「まあ、それこそ、すごいことですね。」
答えるようにマスターが言う。
「なんだか私がセクハラしちゃった感じだな。しくじってしまった。」
「そもそもの振りが下に寄ってましたね。」
「ホントに反省です。」
どういうことだろう、と思っていると、
「なぜそこに流水の設備があるか、ってことです。」
御厨医師がこちらに言う。
「急いで流水で洗い流さなければならない状況が起こりうる場所なので。」
洗い流す、何を?
と考えて、鈍くも、やっと察した。
「事故であれ、故意であれそれが起こる場所なので。知らずに来ているということは、その状況に陥ったことがない、ということ。マスターの言うとおり、すごいことだと思います。」
「玲奈ちゃんがちゃんとしてるんだ、というのもそうですけど、お客さんもしっかりした人がついてるんでしょうね。」
御厨氏の言葉にマスターが続ける。
「まあ、だから、柴田さんもちゃんとしてあげてくださいね。一般の部屋では流水施設はないので。」
御厨氏の言葉にお酒を吹きそうになった。
「どう、いう、」
言っていたら気管に入ってしまった。苦しいを通り越して痛い。
「あれ。また間違いました?付き合ってるわけじゃ、あ、でもまだ柴田さん来て一週間経ってないのか。」
「知り合ったのは昨日だそうですよ。」
マスターが助け舟を出してくれる。喉が痛い。
「まあ、男女の中は時間じゃありませんが。」
助け舟でもなかった。やっと喋れそうになってきた。
「あの、とりあえず現状そういう関係では。」
やっと御厨氏に言う。変に勘違いしてもアレだし、玲奈さんにも申し訳ないし。
「いや、もう本当に申し訳ないです。今日はポカばっかりだ。」
本当に誠心誠意謝ってくれる御厨氏。
「いや、まあ、そのなんというか、お気になさらずというか。」
「そうそう。とりあえず現状の話ですもんね。」
そういうことでもなくてね?
とマスターを見る。
「いやぁ、柴田さん、楽しいお酒ですね。」
悪びれねぇなこの人。
ワイワイと過ぎる夜。
明日もこんな夜になればいいな、と思いながら、おかわりを注文した。




