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2話

見回せば見回すほどに混乱した。

周囲に並ぶオフィスビル。少し離れたところに建つマンション郡、マンション群の一階には、コンビニエンスストアはもとより居酒屋らしき赤提灯も見える。そしてその街並みは見回した限りで終わりが見えない。

「柴田さん。」

「はいっ?」

思わず変な声が出た。

隣の考古学者、澤口氏は気にせず話を続ける。

「このあとのご予定は?」

「え、あ、部屋に荷物おいたら今日はあと自由、って言われたんですが…」

部屋?

そもそも、イメージで言えば基地に入ると居住部屋みたいな一角があって、そこに名前がある、というようなことを想像していた。

部屋、と言われるその場所はどこにあるのか。


見回していると、会社名のプレートを持った初老の男性が立っている。

「あの会社です?」

「え?ああ、はい。」

「案内してもらえるっぽいですね。では柴田さん。2時間後にここで待ち合わせしましょうか。」

ぽんと肩を叩き、澤口氏は軽快に去っていく。

見送りながら、突っ立っていると、男性の方からこちらに近づいてきてくれた。

「柴田聡さん?」

「あ、はい。そうです。」

「やっぱり。橋野です。現場はまた明日ご案内するとして、とりあえず、部屋に案内しますね。」

「はあ。」

部屋。

不自然なほど静かな街中を5分程歩いているうちに、6階建てのマンションの前に立つ。

橋野氏がマンションの管理受付に話しに行き、手招きをされる。

カードを通したあと、手押し開きのドアを開く。

至って普通のマンションの階段を上り、

3階307号室。

ここに至っては鍵はアナログ。とはいえ、コピーの至極難しいものを使用しては、いる。

中もまた、至って普通のマンションだった。

「家具類は基本備え付けなので、そのまま使ってください。あとは、滞在エリアから出るときは、鍵とカードを忘れないように。明日はまた、8:45分頃に迎えに来ますので、またよろしくお願いします。」

穏やかな笑顔を浮かべたまま事務的な話を終えると、橋野氏は部屋を出る。

あまり多くない荷物を整理し終わると、シン、とした静寂に包まれる。

窓に近づく。マンション群の外に見える、夕暮れに染まった田園地域。

窓から眺める外の景色は、中規模地方都市のそれを写真で切り取ったようだった。

窓に貼り付けるか投影されているのでは、と思いベランダに出てみる。

その景色はそのままそこに広がっており、静寂と清浄な空気がそれを包んでいる。

完全な静寂、というわけではないか。

人の話し声、微かな足音。耳をすませば、接した部屋の生活音の欠片。漏れ聞こえるシャトルステーションのアナウンス。

音のほうが消えたわけではなく、只々静かなだけだ。


狐につままれたような気持ちのまま、部屋に鍵をかけ、マンションを出る。

とっぷりと暮れた中、来た道を確かめながら戻ると、澤口氏がすでに待っていて手を振っていた。



「どうも、お疲れ様です。」

「はあ。」

氏のその言葉に、もんやりと返す。

澤口氏について歩いていると、

「どうです、所見の感想は。」

と、聞かれる。

「ひとつ、聞いていいですか。」

「はいどうぞ。」

「俺たちはどこかでどこでもドアをくぐりましたか。」

地方都市の駅前に続くどこでもドアを。無論、そんな便利な技術は未だできてはいないのだが。

「ハッハッハッ。いやぁ、いいですね。素晴らしい。ウィットに富んだ素敵な答えです。」

ひとしきり笑って落ち着いた澤口氏は、

「ここはたしかに月ですよ。そうですね、わかりやすいから、そこの赤提灯に入ってみましょうか。」

目に入ったビル一階の居酒屋の暖簾をくぐる澤口氏。

ついて店に入ると、これも日本によくある居酒屋だった。


席につくと、澤口氏にメニューを渡される。

「さて柴田さん。こういったお店に当たり前にあって、ここにないもの、わかりますか。」

メニューをまじまじと眺めて、数秒。

「あ。」

「はいどうぞ。」

「ビールも、ハイボールもないんですね。ソーダ割も。」

ドリンクメニューは、日本酒、焼酎ロック、ウイスキーのロック。

当たり前にある炭酸系がない。

「まず一つ正解です。炭酸飲料は現状成層圏突破からゲートウェイに入るまでの数分を超えられません。この数分を超える耐圧容器の研究やサテライトベース内で炭酸ガスを作る研究もされていますが、まあ、どこまでも後回しですね。」

なるほど、と思いながらフードメニュー目を移す。チャーハンや卵焼き、ホッケの開き、漬物盛り合わせ。

「野菜サラダ、ないです?あ、あとお刺身や、たたき。」

「そのとおりです。持ち込めないことはないんですが、冷凍から解凍のコストが高いので。そのまま持ち込める玉ねぎはオニオンスライスやオニオンサラダでありますけどね。魚も、こっちで育てる研究中ですが、食用に出回るほどじゃありません。いずれは輝夜之宮でも手に届く範囲の新鮮なお刺身やお寿司が食べられるかもしれませんが、まだまだ先の話ですね。」

なるほど、と得心していると、澤口氏から注文を促される。

焼酎のロックと、あとはホッケの開き。

澤口氏は、日本酒の冷やとオニオンサラダ。

間をおかずドリンクが置かれる。

「では、新しいルナリアンの誕生に。」

掲げられた澤口氏のグラスに自らのグラスを当てる。

口をつけると、たしかに酒の味が広がる。

「でも、」

「でも?」

口に出してみたものの、二の句がでない。もやもやとしたものを頑張って言葉にしてみる。

「まだ、やっぱりなんだか月にいるんだって実感が湧いてないです。」

澤口氏はグラスに口をつけて、少し考えたあとに、

「他に、気になったことはありませんか?」

「ああ、なんというか、凄く静かだなと。」

「柴田さん、街中で聞こえる音って何でしょう。」

「あ。」

「気づかれました?」

車の走行音がしていなかったのだ。ずっと。普段当たり前に聴いている信号の音も。

「緊急車両用に車道はありますが、車は走っていません。ガソリンも宇宙を超えるとなるとコストが跳ね上がるし、民間用に車のパーツが回ってくることもありません。」

「パーツも?」

「サテライトベースの外の車に使うものが最優先だから。だから、中で車に乗る習慣もないし、信号もない。」

澤口氏は、壁に貼ってあるポスターを指差す。

そこには月面の荒野を走る車、ローバーの写真が乗っている。

「あくまでもここは、外に出ていくための基地なんですよ。」

澤口氏はニヤリとしてこちらを見ながら、

「あと、子供の声、しなかったでしょ。」

その言葉にハッとする。住宅街然としたマンション群の中で、当たり前にするはずの音。

「子供が、いない?」

「ええ。まだ、子供の育成に関してオールグリーンの結果が出ていないからです。」

グラスに口をつける澤口氏。

「でも、出来てしまうこともあるんじゃないですか。」

「できた途端に月から地上に下ろされます。妊娠2ヶ月までなら、無重力空間突破に影響がない、というのは、実例によって保証されているみたいですよ。」

裏を返せば、ということを考えそうになって、あまりにグロテスクな想像になるためやめた。

「でも、そういう欲は、人間ありますよね。」

性欲の解消とかってどうするんだろう。

「もちろん、欲求解消のためのそういうお店もあります。お好きでしたらこのあとご案内しますよ。」

ニンマリとこちらを見て笑う澤口氏。

それをごまかすように手元のグラスに口をつけ、ホッケを口に放り込む。

「別に恥ずかしいことじゃありませんよ。僕も結構お世話になってますし。」

カラカラと笑う澤口氏。

知らぬうちに、グラスが空になっていた。

「その他聞きたいことがあれば何でもどうぞ。また2週間ほどお会いできないと思うので。」

おかわりを頼みながら言う澤口氏の言葉に、

「というと?」

と返す。

「また、調査に出ますので。月の全基地から人が集まる、言葉通り世界が一丸となったプロジェクト、ってところでしょうか。」

そこでずっと気になっていた事を思い出したのだが、冷静に考えるとすごく失礼な質問な気がしてきた。

つまり、あなたそれについていってなんの役に立つんですか?という質問になってしまいやしないだろうか。

「ご気分、害されないか不安なんですが」

「なんなりと。」

「月の地質調査って、鉱物資源とか、成分調査とかですよね。その、考古学者って、」

「なんのために必要なんですか?って話ですね。」

ニヤリと笑いながら澤口氏。

「はあ、有り体にいえば、まぁ。」

しどろもどろに返す言葉に、澤口氏は気分を害した様子もない。むしろ、待ってましたとでも言うかのよう。

「それはね、柴田さん。あるはずのないものがあった場合の為です。」

よくわからないことを言われてしまった。

その様子に継がれた言葉、

「文明の遺跡、ですよ。」

それに30秒程、固まってしまう。

いや、ないだろ。

「ないだろ、って思ったでしょ。」

「はい。」

「でも、もしあったらどうします?それがいつ頃のものか、どういった痕跡か、判断できる人間が必要です。」

澤口氏は楽しそうにこちらを見ながら、おかわりのグラスに口をつける。

「地球外文明、ってどこまでも“ある”証明ができないから眉唾ものとして語られますけれど、“ない”という証明もできてないんです。地球に生命が生まれ、文明を育むまでに至った確率はそれこそ天文的な確率ですが、宇宙にはその数字を超える天体があるわけだから。そして、仮にその文明がこの地球の衛星にたどり着いており、その遺跡に出会うことがあったとしたら、それは資源開発以上の成果です。宇宙に出ていった人類のカウンターパートの足跡を見つけた、ということですから。」

ふと、頭にSFオールドムービーのオープニングが浮かぶ。宇宙から送られた黒いモノリス。

「文明自体、宇宙人からもらってたりするかもしれないのか。宇宙から黒い物体が降ってきたりとか。」

「おや、柴田さん。古い映画をご存知なんですね。100年以上前の映画ですよ。ロマンチックですけどね、その人たちが上位存在なのか、対等のカウンターパートかも、会ってみないとわからないわけです。」

なんだか、聞いているうちにたしかに月のどこかに宇宙人の遺跡がありそうな気がしてきた。

「見つかるといいですね。」

呑気にそう言った言葉に、澤口氏は一瞬口を噤む。

「どうなんですかね。」

疑問を浮かべたこちらの顔を見ながら再びグラスに口をつける。

「それが見つからないうちは、月は人間が開拓したフロンティアですが、それが見つかった場合、人間は後発の存在だと証明されるわけです。つまり、開拓者から侵略者になる可能性がある。」

その出てきたワードの強さに思わずグラスを取ろうとした手が止まる。

「とはいえ、存在するのならば付き合わなきゃいけない。だから、はっきりさせる必要があるわけですよ。」


気付くと、グラスもお皿も空になっていた。

会計を済ませて店を出る。

「行きます?柴田さん、そういうお店。」

「あ、いや、とりあえず、今日は。」

そんな気分でもないし。

「ではまた2週間後ですね。あとで名刺のアドレスに連絡ください。できるだけすぐ返信しますんで。」

「あ、はい。」


簡単な挨拶で澤口氏と別れ、数秒そこに立ちすくむ。

やっと実感が襲ってきた。

ここはたしかに、月という前線なのだ。

その前線の基地であるここが、今日から、自分の居場所なのだと。

怯えなのか、高揚なのかわからない気持ちを抱えたまま、しばしその夜の街に立ち尽くしていた。


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