1話
「月、行けますか?」
始まりは、職安のお姉さんのその一言からだった。
「月、ですか。」
仕事内容は、外部活動装備の点検、補修、整備、と書いてある。俗に言う宇宙服のことか。
「ええ。収入面等考えても、ご希望に合うとはおもうんですが。たしかに少し遠いところに行く形ではありますが、一ヶ月に一回はちゃんと地上に戻れますし。」
確かに、給与額は希望よりもずっと高い。しかしながら一ヶ月に一回しか戻れないところは、“少し遠い”ではなかろう。
「なにより、一応都内求人ですよ。」
差し出された求人票には、東京都輝夜之宮、の住所が確かにある。
「あ、地上に戻ってくる交通費は当たり前に会社持ちです。」
「はぁ。」
「聞かれることも多いので一応。」
「はぁ。」
確かに、相当額の給与も、交通費をさっぴかれたら消え去る。ぐらい、やはり月は遠い。
しかしながら実際、結婚もしていなければ子供もいない。都内での友人との付き合いも希薄だし、ライフワーク的な趣味もない。障害が何もないのも事実だった。しかし、月か。
「えっと、evaっていうんですか?あの無重力で活動するやつ。僕その資格持ってないですけど。」
「ああ、外部活動資格ですね。」
「がいぶ?」
「この間の法改正で名前が変わりまして。ほら、evaって船外活動の略ですから。ちなみに無くても問題ないですよ。お仕事ではサテライトベースから出ることはありませんから。」
「だったら、まぁ、はい。」
「では、会社様に連絡しますね。」
目の前で面接日時が取り決められるのを、現実感なく眺めていた。
面接は無風で進み、気付くと出発日時の打ち合わせをしていた。
「事前準備とかいらないんですか?それとか、なんか虫歯の確認とか。」
「あ、うん。うちはないよ。そういうの。」
「宇宙に行くからには資格とか。」
「基地から出ないからね。国内だし。あ、住民票はそのままね。ほぼ居住は向こうになるけど、法律上月って居住地として認められてないの。だから一ヶ月ごとに短期滞在を更新するって形になる。家賃とかもったいなかったら、うちの会社の寮に部屋用意するよ。」
「あ、助かります。」
「じゃあ、その引っ越し終わったらにしようか。ちなみにすぐ出れる?」
「交渉してみます。」
あれよあれよ言う間に決まってしまった。
部屋の引き払いはなんの問題もなく承認された。一応家族に連絡を入れ、部屋の荷物をまとめ終わり、一息ついてみると、よくわからない寂寞感が襲う。
その他、月に行くことになった、と伝える友人もいなかったのだな、と。
ともあれ、こうして今、はるばる来たぜ宇宙空間、なわけである。
入口で搭乗券を確認してもらうと、乗り場の待合に案内される。
待合いのベンチに腰掛けて買ったコーヒーを飲む。
JRの駅の流用品のベンチと、JR
同様の業者の自動販売機。確かにここは日本の交通機関なのだ、と実感する。
しばらくして、円筒形のシャトルが近づいてくるのが見える。
「間もなく、輝夜之宮行きのシャトルが到着いたします。乗船の皆様は乗り場待合室にてお待ちください。」
続いて、英語のアナウンスが流れる。内容は先程と一緒のものを英語にしたもの。
時間を置かずに、搭乗口の扉とシャトルを繋ぐブリッジが連結される。シューッとブリッジ内に酸素が注入される音がして、扉が開く。
小窓から宇宙空間の覗くブリッジを渡り、シャトル内部に入る。
円形の天井。じっくり観察すると、床もカーブを描いているのがわかる。
「えっと、D13列目の、」
「こちらですよ」
ふと、視界の外から声をかけられる。
振り向くと、40代くらいの男性が手招きをしていた。
口から漏れていた言葉を聞かれていたらしい。
「すみません、ありがとうございます。」
お礼を言いながら隣に座る。
「宇宙へ出られるのは、初めてですか?」
座ると、先程の男性から声をかけられる。
「いえ、珍しそうに眺めていらっしゃったので。」
「はあ、いろいろ人の話には聞いていたんですが、実際に自分が来ることになるとは、って感じです。」
「ご旅行?」
「あ、いえ、仕事で。」
「まあ、そっか。旅行なら輝夜之宮じゃなくアポロタウンに行きますものね。」
あ、と男性は声を上げる。
「僕、こういうものです。」
名刺を差し出される。
“名東大学考古学研究所 遺跡発掘研究主任
澤口隆弘”
なるほど、と思いつつもこちら側に名刺がない。
「あ、すみません、名刺まだ作ってなくて。柴田です。柴田 聡。」
「なるほどなるほど。旅は道連れ、これもなにかのご縁だ。よろしくお願いします。」
澤口氏はこちらに握手の手をむける。
「どうも。」
握り返しつつも、大学の先生、という肩書に少し面食らう。
「どういったお仕事で月へ?」
「外部活動装備の補修、点検、整備って書いてました。」
不思議そうな顔をする澤口氏に、説明を追加する。
「職安で紹介されたので。」
「ああ、なるほど。」
得心がいった、という顔の澤口氏。
「重要なお仕事ですよ。僕も結果的にはお世話になる。」
「澤口さんは、どういったご用事で月へ?」
考古学者と月、結びつくようで結びつかない。
「月面の地質調査チームのメンバーで。基本活動はサテライトベースの外なので、外装にはお世話になりっぱなしです。あ、外装。外部活動装備の略称です。未だに宇宙服って呼んでる人ももちろんいますけど。」
「慣れてらっしゃるんですね。」
と感想を述べたものの、月の地質調査と遺跡発掘研究主任がやはりどうしても結びつかない。
「もうルナリアンになって4年ですからね。」
「ルナリアン?」
違う方向からわからないワードが来た。
「月の人、とでも言いますか。国籍、人種を超えて月に存在する人間を自負して名乗る。あなたも今日からルナリアンだ。」
自分もそうだと。言われて少し高揚するのを覚えた。
「とはいえ僕もまだまだひよっこです。10年、15年選手のルナリアンはザラですからね。」
聞いたところで機内食の案内が入る。
澤口氏の真似をしながら頼み、アテンダントの持ってきてくれた食事を口に運ぶ。
サテライトベース開設、民間業者の勤務が始まったのは、思えば20年前か。
当時のニュースは未だに覚えている。
民間人の勤務、というのが実質居住であるのだが、そこはぼかしたまま、“気軽に行き来できるようになった月”を喧伝していた。
そういえばその後のサテライトベースの様子等は知らされないまま、話題は火星航路の開発や、木星への夢の話に移っていた。
行った人間の様子を聞かないまま。
ふと、先程の高揚がなりを潜める。
改めて、自分が今から暮らすサテライトベース、つまり月基地がどんなところなのか不安が襲ってきた。
「ちなみに、サテライトベースって、どんな感じのところなんですか…?」
食事を終えた澤口氏に恐る恐る尋ねる。
こちらを見て数秒、澤口氏はいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「百聞は一見に如かず、ですよ柴田さん。向こうについたら新米ルナリアンに輝夜之宮を案内しましょう。」
結局何もわからない。
「間もなく、ゲートウェイ鳥船2に到着いたします。お忘れ物のないようにお気をつけください。皆様、月へようこそおいでくださいました。」
英語のアナウンスが続く中、席を立つ。
扉を出ると、地球側同様の待合がある。
「柴田さん、こちらですよ。」
澤口氏に先導されながら進む。
「月側にもゲートウェイがあるんですね。」
「結局こっち側も船を分けたほうが効率的だからって話ですね。あ、ちなみにこっちのシャトル内はベースにつくまで重力1/6です。気を付けて下さいね。」
澤口氏に連れられ、輝夜之宮行きの乗り場へ向う。
シャトルは一時間置きくらいに往復をしているらしい。
窓からは荒涼とした月面が見える。
ここが、いまから自分が暮らす場所なのか。
「ちなみにさっきの質問ですが。」
澤口氏が口を開く。
「柴田さん的にはどんなイメージが広がってます?」
「…南極基地ですかね。」
僻地の基地、というとやはりそれが浮かぶ。
「やっぱり。基地って言葉が問題なんでしょうね。ゴツゴツしたイメージ、しますもんね。」
「違うんですか?」
「どうでしょう?」
どうでしょうて。
「百聞は一見に如かず、ですよ。あ、シャトルきましたね。」
もんやりとしたままシャトルに乗り込む。
澤口氏は窓側の席を譲ってくれたので、月の景色はよく見えた。
シャトルがゲートウェイを離れた瞬間、浮遊感が襲う。そういえば先程重力の話をしてくれていた。
それも、景色を見ている間に気にならなくなる。
次第に、ドーム状の建物が見える。いや、建物、という規模ではない、ちょっとした地方都市くらいある巨大なドーム。
「間もなく、輝夜之宮シャトルステーションに到着します。皆様お忘れ物のないようにお気をつけください。」
シャトルを降りると、体が一気に重くなったように感じる。あれ?と思いながらステーションの窓口をくぐる。
本当に驚いたのはそこから一歩出た瞬間だった。
固まった俺の横で澤口氏がニヤリと笑う。
「ようこそ、輝夜之宮へ。」
そこに広がっていたのは、よく日本で見かける、駅前の風景だった。