9話
「あんな施し、なんの解決にもならん」
金細工のイヤリングを握りしめ、何度も礼を言う少年の背中を見送ったテオバルトが低い声で呟いた。
確かに一時的に金を手に入れて腹が膨れたとしても、働かなくてはまた飢えることになる。
『男のオメガなんて、この世で一番使い物にならない!』
また、そんな心無い言葉をぶつけられるのかもしれない。
特殊な体質を持つアルファとオメガとは違い、ベータは男性は女性を、女性は男性を恋愛対象としているのが一般的だ。
そのベータが大半を占めるこの国では、「妊娠できる男性」という存在は異質であった。
オメガの多くが勤めるといわれる娼館でも、男性のオメガは少ない。
自国のことをよく分かっているテオバルトは、ベルティーナのような行動はキリがないと眉を顰める。
だがベルティーナは軽くなった耳に触れ、優美に微笑んだ。
「今はわずかな施しかもしれませんわね。でも、わたくしと貴方は、たくさんの方を救う力がある。そうではなくて?」
テオバルトとベルティーナは統治者。
この国で最も、現状を打破できる存在だ。
黒い瞳を煌めかせ堂々と言い切るベルティーナに対し、テオバルトの瞳は揺らいだ。
臣下の前で王として見せる顔からは考えられない、自信無さげな表情になってしまう。
「出来ると思うのか……オメガなんかの、俺に」
「もちろん。そのために、ローザ帝国との繋がりを求めたのでは?」
「……」
薄く形の良い唇がギュッと弾き結ばれる。
図星なのだ。
守るべきリーリエ王国と他国でのオメガの扱いの差は、歴然としている。この国にも、お茶会で出会った令嬢のようにその知識を持つ人間はいた。
テオバルトもその1人。
変えたいし、変わりたい。
だからこそ大陸の中でも抑制剤に強いローザ帝国の技術を欲したのだと、ベルティーナは言われずとも理解していた。
だが、変えるためには現状を知ることが必要だ。
ベルティーナはテオバルトの手に指を絡め、再び街を歩き始める。
「調べてもよく分かりませんでしたの。何故この国はそんなにオメガを忌避するのか」
侍女としてそばに置くこととなったフロレンツィアのことを思い浮べる。
公爵家の令嬢だというのに、手袋を外せば手がアカギレだらけだった。
彼女はベルティーナには決して言わなかったが、打ち解けやすいアメリには色々と話しているらしい。
第二性が判明してからは、物置のような部屋に押し込められ、まともな教育も食事も与えられず。
召使いのようなことをして日々過ごしていたと。
オメガであることが原因で、本来の召使いたちにも嘲られて仕事を押し付けられていたと。
そんなことがあって良いものだろうか。
ベルティーナの問いかけに、テオバルトは難しい表情になる。
「過去にオメガにうつつを抜かして政が疎かになった王がいた。貴族にも大商人にも、同じ理由で家を破綻させたものがいる」
低い声で言葉を紡ぎながら、小さくため息を吐く音がした。
「皆が頼りにしているアルファを堕落させる存在。そう思われているんだ」
「それは、アルファ側の問題ではなくて?」
「オメガを虐げるせいでアルファも少なくなったが……昔は権力者にアルファが多かったからな。地位を脅かす可能性のあるオメガを排除したかったんだろう」
オメガはアルファを授かる可能性が高い。
この国ではアルファを崇拝するきらいがあるが、オメガを迫害してしまえば当然アルファは少なくなっていく。
想定できない事態ではないが、自分たちの利権を守ることを過去の権力者たちが選んだ結果が現状というわけだ。
「もしかしたら、嫌悪を向けても抵抗してこない弱い存在を作りたかっただけなのかもしれない。とにかく、歴史的にこの国ではオメガは汚れた存在なんだ」
問題の根が深過ぎるのだと、控えめに握り返してきた手が震えている。
自身の第二性を隠して生きねばならない若い王に、周囲の人間は公爵夫人たちや料理屋の店主のような言葉をぶつけ続けてきたはずだ。
植え付けられた「オメガなんか」という意識は、他の国民と同様に簡単には取り除けない。
ベルティーナはピッタリと体を寄せ、ずっと地面を見つめる顔を覗き込んだ。
強引に視線を合わせて、強気に笑いかける。
「わたくしがついてますわ。なんと貴方の伴侶になる女は、とーっても優秀なアルファさまですの」
「ふっ」
戯けた声の調子につられて、テオバルトの口元が一瞬和らぐ。畳み掛けるように肩に頭を乗せて繋いだ指に力を込めた。
「ね。2人なら大丈夫です」
「心強い」
逞しくあろうと努力したゴツゴツとした手が、白い手をしっかりと握り直した。
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