8話
色とりどりの外壁に三角屋根の建物が並ぶ街に舞い降りたベルティーナはご機嫌だった。
素朴な一つの三つ編みにした長い髪は今は赤毛に染まっている。普段なら煌びやかなドレスを好んでいるが、今は薄茶のシンプルなロングワンピースを着て軽やかに歩く。
「賑やかで可愛らしい城下町ですわね!」
祖国のローゼ帝国の城下町の建物は白で統一されていて、とても厳かで神秘的な街並みだ。
それが世界で一番美しい城下町だと思っていたベルティーナだが、それと相対するようなリーリエ王国の風景にも心が踊る。
隣を歩く袖を引いて見上げると、誇らしげに口端を上げる美形と目が合った。
「俺が守るべき国だ。今までもこれからも、この街のために命を懸ける」
太陽を反射する銀髪を暗い茶色に変化させ、常ならば雄々しく上げている前髪も下ろして雰囲気を変えたテオバルトの輝く青い瞳。
そこに、諸外国の海軍を全て退けてきた自信が伺える。
「海竜と心を通わせる力が、リーリエ王国の強みですのね」
初めてこの国に来た時、海賊船を沈めた巨大な海竜を思い出す。あの時の海竜だけでなく、様々な海の生き物を使役する能力がリーリエ王国の人間にはあるという。
海竜の中には空を飛ぶものもいるというのだから、侵略が難しいのも当然だ。
テオバルトに助けられた時はまだ印象が悪く、こんな風に二人で城下町を歩くことなんて想像できなかった。
すぐに覆った自分の心境に、人の心は不思議なものだとベルティーナは笑いが込み上げてきた。
「あまり目立つことはするなよ」
羽目を外しそうなほど楽しげなベルティーナに、テオバルトは眉間に皺を寄せて釘を刺す。
なんといっても、今日は極秘の外出なのだ。
ベルティーナはどうしても「着飾っていないリーリエ王国」を見てみたかった。
立場上仕方がないのだが、ベルティーナが街に下りるときにはどうしても「行儀の良い国」になってしまう。
だからテオバルトに頼み込み、変装までして二人っきりで城下町に繰り出した。
実際には護衛が隠れてついてきているのは承知の上だが、街の人々は気づいていないようでのびのびと生活しているのが分かる。
当初は難色を示していたテオバルトだが、出掛ける準備をする時からは楽しそうだった。
歩き始めてからも、出会ってから見る表情の中で一番機嫌が良さそうだ。
ガガンッ!
「……え?」
穏やかな時間は一瞬で打ち破られた。
何かが、目の前の店から勢いよく転がり出てきたのだ。
足を止めて反射的に身構えたベルティーナを背に庇ったテオバルトは、腰にさした剣に手を掛けた。
だが二人が鋭い視線を向ける対象は、あまりにも弱々しく店の方に顔を上げた。
「お願いします……っ」
「オメガなんて誰が雇うか! なんの役にも立たねぇ!」
「なんでもします! 仕事をください!」
鬼の形相をした料理屋の店主と思しき男の足元に、細身の少年が縋り付く。
体に対して小さい服から出ている足も腕も、擦り傷だらけで傷ましい。目に涙を溜めて必死の様子の少年に、店主は無情にも更に眉を吊り上げた。
「娼館にでもいくんだな! つっても、男のオメガなんて、この世で一番使い物にならねぇが!」
目眩を覚えるような暴言を聞いて、立ち尽くしていたベルティーナの体はようやく動く。
細い体を振り払われ、その上踏みつけられそうになった少年の体を自分の方に引き寄せた。
強く地面を踏むことになった店主を、少年を抱えて跪いたベルティーナは睨み上げる。
「おやめなさい。街中で見苦しい」
「なんだお前は! こっちは迷惑してんだ!」
興奮状態の店主はベルティーナに向かって手を振り上げた。それに対してベルティーナは、真っ向から魔術で対抗しようと呪文を頭に浮かべる。
しかし店主の平手は、横から伸びてきた逞しい腕に止められた。
「イテェエエエッ」
「雇う気がないならもう行け」
テオバルトの青く冷たい瞳に見据えられれば、店主は舌打ちしながらもすぐに大人しく引き下がる。
女性やオメガの少年には強く出ていたくせに。体格のいいテオバルトを前にしたら、まるで蛇に睨まれた蛙だ。
店主がドアの向こうに消えるのを見送り、ベルティーナは腕の中の少年を覗き込んだ。
「痛かったでしょう」
怯えた目をしている少年の傷だらけの体に手をかざす。骨に皮膚を張ったようなやつれた体を光が包み込み、小さく無数にある傷を癒していく。
その様子を、テオバルトは食い入るように見つめた。
「魔術とは、本当に便利だな」
「ええ。でも、もっと酷い傷ならこうはいきませんわ」
自分でも治せる傷で良かったと微笑むベルティーナは、あどけないがはっきりと分かるオメガのフェロモンが漂ってくるのを感じていた。
第二性の特徴は第二次性徴期とともに現れる。栄養状態のせいか発育が良くなく、見た目は幼いが。おそらくこの少年は15歳前後なのだ。
「……奥様は外国の人ですか」
「ええ」
「アル、ファさまだ……本当に、良い匂いがする」
初めてアルファに出会うらしい口振りの少年は、うっとりとした揺れる瞳でベルティーナを見つめてきた。
外見の美しさではなく香りを褒めるのがオメガらしい。ベルティーナは可愛らしく感じたが、隣にいるテオバルトから僅かにピリッとした空気が伝わってくる。
目尻が下がりそうなのを堪えて、ベルティーナは乞うような少年の目元を指先で撫でる。
「ごめんなさいね。見ての通り、わたくしにはかわいい方がいるの」
「かわ……っ」
「か、かわい、い?」
顔を引き攣らせたテオバルトを見た少年の目が点になった。
純真な瞳が一般的な「かわいい」とはかけ離れた偉丈夫をじっと見つめる。テオバルトは居心地悪そうに立ち上がり、ベルティーナと少年から顔を背けてしまった。
(こういうところがかわいいというのに、無自覚って怖いですわね)
内心でほくそ笑んでいると、少年に掛けた治癒魔術の光が消えた。傷だらけだった手足は、滑らかな肌へと変化する。
少年は「すごい」と何度も何度も言いながら、細い身体を見下ろした。
ベルティーナは抱いていた少年の体を下ろして立たせる。そして、自分の右耳に手をやった。
「今は、これくらいしか出来ませんけれど」
差し出した手のひらには、金細工のイヤリングが一つ乗っていた。キラキラと太陽を反射する繊細な作りの花を見て、少年は感嘆した。
「綺麗……」
「お父様がくださったの」
金鉱山のあるローゼ帝国では、金細工のアクセサリーが貴婦人の定番だ。
その中でも、最近人気のある職人が丹精を込めて作ったものだった。
「では大切なものではないのか」
「貴方との結婚を嫌がるわたくしへのご機嫌とりの一つですわ」
興味を惹かれたのか横目で覗いていたテオバルトに本当のことを答えてやると、ムッとした表情になってまた別の方向を向いてしまう。
子どものような反応を見て、ベルティーナも二人を眺めていた少年も吹き出した。
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