きおく
三題噺もどき―さんびゃくろくじゅうよん。
海の匂いが鼻をさす。
鼻につくようなその香りに、目が覚める。
「……」
ぼんやりとした視界では、明るさ程度しか分からない。
ただ少し視界が傾いているような……あぁ、頭を柱に預けていたのか。
ゆっくりと頭を戻していくと、ようやくはっきりしてきた。
「……」
洗濯が干せる程度の小さめの庭。
庭を囲むように植えられた低木。
その緑の向こうには、海の青が広がる。
「……」
どこだろう……と不安に襲われるが、それはすぐに掻き消える。
よく目を凝らしてみれば、見覚えのある景色だったからだ。
私はよく、ここに、こうして座って、この景色を見ていた。
幼い頃はそうでもなかったが、年を経るにつれて、こうしていることが多かった。
ここにくると、いつも、そうしていた。
「……」
でも、この家は。
―もう、ないはずなのだけど。
「……」
ここは、港町に住んでいる父方の祖父母の家だ。父の実家だ。
坂の上にあったから、こうやって裏庭から海が見えた。
その祖父母は、数年前になくなっていて、それと一緒にこの家もつぶされた。
何かの問題があってか、父とその兄弟たちの話し合いで、残す必要もないだろうと、即決だったそうだ。幼い頃の思い出とかないのかなぁとか思いもしたが、私の言うことじゃない。
「……」
だからもう、ないはずで。
こんな景色が見えているはずもなくて。
見ることなんて敵わないはずで。
「……」
それを頭では分かっているが……どうにも。
動く気にもなれない。
目は覚めているはずなのに、やけにぼんやりとしている。
「……」
裏庭に面した縁側に座って、そこにある柱に肩を預けて。
果たして、どうしたものかなぁ……と、のんきに思っている。
「……?」
と。
後ろで何かが動いた気がした。
けれど、振り向く気にもなれず、頭は動かない。
ぼうっと、海を眺めている。
「……」
ごそごそと布のズレるような音がしている。
そういえば、後ろにある部屋は、広い畳の部屋だった。
そこでよく寝泊まりをしていた。
客間といえばいいんだろうか、そこに布団を敷いて、毛布を頭までかぶって。
仲良く2人で遊んでいた。
「……」
幼い頃。
まだ、4,5歳くらいだろうか。
走り回れるようになって、庭をよく駆け回っていたような歳の頃。
大人1人には丁度良いぐらいのサイズの煎餅布団に、寝転がって。
毛布をかぶって、2人……2人?
「……」
何かを思いだしそうになった時、視界の隅で何かが動いた。
それは、横切るように庭の中をかけてきた。
「……」
あれは……私だ。
幼い。それこそ、4歳くらい。
まだ無邪気で、何も知らない、可愛かった頃の時分。
……可愛かったなんて自分で言うのもなんだが、子供は総じて可愛い。いろんな意味で。今は苦手だけど。
「……」
庭をかけてきた幼い私は、縁側に座る私の横に靴を脱ぎ捨て、上がっていった。
短い足で、後ろに倒れないよう注意しながら。
―それでもどこか急ぎながら。
「……」
なんとなく。
そんな私を。
視線で追いかけて行く。
「……」
そのまま、何かから隠れるように後ろにあった、毛布の中に隠れていった。
……かくれんぼでもしているんだろうか。
そんなことをするような仲の子は、あの頃いなかったような。
この辺りは、そもそも子供が少ないし、従兄弟もまだ生まれていなかった。
「……」
いや。
でも。
誰か。
「……」
毛布に隠れた私から、視線を外し、海に戻す。
そこに。
1人の子供が立っていた。
「……」
長い前髪のせいか、目元までが隠れてよく見えない。
男の子のようにも見えるが、女の子らしくもある。
このくらいの子供は、どうも見分けがつかない。
「……」
ぽつんとそこに立つ子供は、見まわしながら、その場から動こうとはしない。
幼い私の遊び相手、だろうか。
でも、こんな子供に見覚えがない。
確かに、あの頃の記憶は曖昧もいいところだが、それでも、知らない。
……そもそも、先程から引っかかる「仲良くしていた子供」というものの記憶そのものが、曖昧で仕方ない。靄がかかっているような感じがして。
「……」
でもなんとなく。
思いだすべきではないような。
気もしていて。
「……」
ぼんやりとした何かが、形を作りだそうとした瞬間。
ばち。
「――」
庭に立つ子供と目が合った。
三日月のようにゆがむ唇。
嗤っている。
眼は見えない。
でも。
「――」
合ったということは分かった。
見つかったということも。
分かった。
「――」
あの頃遊んでいた子供だ。
そう思いだし、記憶が形作ろうとした。
――――」
視界に見慣れた天井が広がる。
靄がかかったような頭の中で、何かが動いているような気がする。
何かを、思いだしていたような。
「――」
あぁ、それよりも。
早く起きて、仕事に行かなくては。
お題:港町・毛布・かくれんぼ