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後編


 透けない夜着に着替えた。紺色のシルクワンピースは、手触りがすべすべしているお気に入り。アルフレッド様と一緒に寝ると伝えたら、とんでもなく扇情的なものを勧められて全力で断った。いつも着ているものなら目の毒ではないだろう。


「あの、お邪魔します……」


 アルフレッド様の待つ夫婦のベッドに、そろりと潜り込む。広いベッドの端に横になって、アルフレッド様を窺い見た。


「そんな端にいると落ちてしまう」

「ひゃ、ひゃい……っ」


 伸びてきた逞しい腕に引き寄せられて、すっぽり腕に閉じ込められる。熱い体温が伝わってきて、心臓がばくばく鼓動して落ち着かない。


「俺のことをぬいぐるみだと思って、ブランと寝ているようにして欲しい」


 アルフレッド様の言葉に固まった。そんな私を見て、何かに気が付いたように表情を和らげる。


「アルフレッドだと長くて呼びにくいから、アルと呼べばいい」

「え?」

「ぬいぐるみのアルだ」


 突っ込みどころしかない状況に頭が痛くなってきたような気がする。なんとか糸口を見つけ出そうと口を開く。


「あの、アルフレッド様、」

「アル」

「あ、えっと、アル……?」


 気づいたら戸惑いながらも呼んでいて。

 アルフレッド様の顔も耳もほんのり赤い。普段の凛々しい姿とのギャップがある分、なんだか可愛く見えてきてしまう。愛おしいと思ったら勝手に名前を呼んでいた。


「アル」

「アリス、おいで」


 腕を広げてアルフレッド様を差し出される。ぬいぐるみは言葉を話したり、動いたりしないけど、それは言ってはいけないだろう。


 私は躊躇いつつアルフレッド様に腕を伸ばして、そっと抱きつく。大きな身体に腕を回してしばらく過ごしていると、肩が痛くなってきた。ゆっくり両手を胸の前に戻して顔を上げると、アルフレッド様が困ったような表情を浮かべている。


「ブランより大きくてすまない……」


 否定するように首をふるふると左右に振った。


「アリスを温めるなら、俺が抱きしめてもいいか?」


 まっすぐに見つめられて、こくん頷いた。ひどく安堵したように笑みを浮かべたアルフレッド様に、優しく抱きしめられる。


「苦しくないか?」

「はい……」

「アリス、ブランより温かいだろうか?」

「アルのほうが温かいです。それに、すごく安心します……」

「ああ。俺も温かい」


 優しい声で話しかけられて、心がとろりとほぐれていく。ずるいけれど、逞しい胸に頭を引っ付けて顔の見えない今なら言えると思った。


「アル、一緒に行きたいお店があります。一緒に行ってもらえませんか……?」

「アリスが望むなら、喜んで一緒にどこへでも行こう」


 大きな手のひらが髪を優しく何度も撫でる。


「明日からフィリップ殿下の視察に同行する予定だったが、アリスが誘ってくれたから断ってくる」

「そ、それは駄目です!」


 ベッドから抜け出そうとするアルフレッド様を慌てて引き留めた。第一王子の視察を断ろうとするなんて、惚れ薬の効き目が怖すぎる。


「お仕事はちゃんとしてください」

「分かった。アリスの行きたい店に行くのは、視察の後でもいいだろうか? なるべく早く終わらせてくる──俺もアリスに話したいことがあるんだ」


 もう一度抱き寄せられた。高めの体温と優しく撫でられるのが、心地よい。アルフレッド様の胸に額を寄せた。目蓋を閉じて、鼓動する心音に耳を傾けると、私と同じようにアルフレッド様の心臓もどきどき早鐘を打っているのもお揃いのようで嬉しくなる。


 だんだん穏やかな気持ちになって、気が付けば私は眠りに落ちていた。



 

 ◇



 視察に出掛ける直前まで、アルフレッド様は離してくれなかった。玄関で抱きしめられ、見つめてくる熱を帯びた茶色の瞳に、私の心臓は私のものでなくなるみたいに鼓動を打つ。


「アリスと二週間も離れたくない」

「アル、そろそろ行かないと遅れてしまいますよ」


 朝になってアルフレッド様と呼んだら、眉を下げてひどく悲しそうな顔をされてしまい、押し切られる形でアルと呼ぶことになった。


「ああ、分かっている。アリスを胸のポケットに忍ばせて連れて行けたらいいのに」


 長身のアルフレッド様から見たら、小柄な私はとても小さく見えているのだろうけれど、流石にそんなに小さくはない。ポケットが破れるし、やめてほしい。


「えっと、それは困ります。あの、本当に遅れてしまいますよ」

「……アリスとずっと一緒にいたいと思っていたら、手がアリスとくっついてしまったんだ。本当に困った。どうしよう」

「そ、そうなんですね」

「そうなんだ。魔法だろうか?」


 本当に訳がわからなくて小首を傾げる。あまりに真面目な顔で言うから、嘘ですよねという言葉を飲み込んでしまった。


「ああ、そうだ……!」

「?」

「……キスされれば、魔法は解けるだろうか?」


 まっすぐな視線を向けられたまま沈黙が流れる。アルフレッド様の言葉の意味に気づいた途端に、顔が痛いくらいに熱くなった。


「……遅れてしまうのは、まずいんだ」


 困ったようにアルフレッド様が眉を下げる。ひと言「嘘ですよね」と言えばいいだけなのに、期待するように見つめられて心臓が大きく跳ねた。どきどき早鐘を打ち始める心臓を押さえて、口をひらく。



「…………しゃがんでください」


 嬉しそうに屈んだアルフレッド様の頬に、唇を掠めてから離れた。なぜかアルフレッド様は首を傾げて、ますます困ったように眉を下げる。


「……どうしよう。まだ魔法が解けていないみたいだ。全然アリスから手が離れない」

「え?」

「……このままアリスと一緒に行くしかない。いいだろうか?」

「だ、だめに決まっています!」


 なんでもないように言われてしまい、慌てて左右に首をぶんぶん振った。第一王子と視察なんて全力で拒否するに決まっている。本当に、アルフレッド様は何を考えているのだろう。


「俺は構わないけど、アリスが嫌なら仕方ないな。魔法を頑張って解こう」

「そ、そうですね」


 どこもかしこも突っ込みどころしかない状況だけど、第一王子にこの姿で会うのだけは絶対に避けたくて、頷くしかできない。


「それなら、場所を変えて試してみるのはどうだろう? 俺の勘だが、唇にキスされたら魔法が解けるような気がする」

「…………」

「アリスが嫌ならこのまま視察に行くしか、」

「わ、わかりましたから! 唇で試してみますから……っ! でも、恥ずかしいので、アルは絶対、絶対に目をつむっててください……っ」

「分かった」


 目蓋を閉じたアルフレッド様の精悍な顔に少し見惚れてしまった。それから視線をゆっくり下げて、唇を見つめる。肉厚で大きくて、嘘つきな唇。


 ──そして、大好きな唇。



「アル、好きです……」


 アルフレッド様の唇を確かめるように触れた。視察から帰ってきたら、惚れ薬を解く。だから、これが最後のキスになる。


 柔らかな温もりも、アルフレッド様の匂いも忘れたくない。もう少しだけこのままでいたいと思ったら、アルフレッド様の手が頭の後ろに回って。食べられるみたいに口付けられる。初めての深いキスは、熱くて、ひどく甘い。


 魔法の解けたアルフレッド様を見送ったあと、腰の抜けた私ははしたなくずるずる床に座り込んだ。


 

 ◇



 アルフレッド様が視察に出掛けてから十日が過ぎた。侯爵家を出る準備を少しずつ進めていたが、鞄に詰め終えるとすることがなくなってしまった。


「旦那様の持ち物に刺繍をするのはいかがでしょうか?」

「それは迷惑だと思うけど……」

「まさか! 絶対に喜びますよ」


 侍女からのキラキラしたまなざしに耐えられなくて、視線を逸らす。悩んだけれど、ハンカチ一枚なら捨てるのも簡単だろうと自分に言い訳をして、裁縫箱を持ってきてもらった。


 刺繍の図案は、使いやすい家紋とイニシャルに決める。アルフレッド様の色と同じ紺と茶の糸、それにアクセントになる金糸を手に取った。




「俺は、(すみれ)色と桃色を使ってくれると嬉しい」



 自然にソファの隣に座ってきたアルフレッド様に目をぱちくりさせる。(すみれ)と桃色の刺繍糸を渡されて、思わず受け取ったものの困惑したままアルフレッド様を見つめた。


「説明の前に、アリスを補充させてほしい」

「え?」


 流れるように膝の上に乗せられる。確かめるように抱きしめられて、伝わってくる体温にアルフレッド様が帰ってきたことを実感した。


「ただいま。もっと早く帰るつもりが時間がかかってしまったな」

「アルフレッド様、」

「アルだろう?」

「アル……」


 近距離で顔を覗き込まれて、心臓が跳ね上がる。名前を呼び直すと頭を二回ぽんぽんと撫でられた。


「あの、視察は二週間の予定でしたよね……?」

「実は、視察は行ってないんだ」

「視察は行ってない……」


 オウムのように同じ言葉を繰り返して、戸惑って見つめ返す。


「かわいい」


 ちゅ、とおでこにキスが落とさせる。あまりに意味が分からなくて、頬を膨らます。なぜか嬉しそうに膨れた頬を指でつついて遊び始めたから、じとりと見上げた。アルフレッド様の指が名残惜しそうに離れると、ようやく口をひらいた。


「あまり詳しいことは言えないが、第二王子とその側近達が揃って、ある令嬢に執着している調査を行っていた。裏で手を引く者や叛意のある者たちに罠を仕掛けて、回収したんだ。まだ事後処理は必要だけど、ある程度落ち着いたから帰ってきた」


 驚いて目を見開く。アルフレッド様はなんでもないことのように言っているけど、第一王子の側近のアルフレッド様が調査するなんて、よっぽどのことだと思う。いくつもの不穏な単語に、恐る恐る尋ねた。


「あの、ネトラル男爵令嬢が、薬を使っていたんですか……?」

「ああ、我が国で禁止されている薬を使っていた」

「っ!」


 アルフレッド様の言葉に、血の気が一気に下がる。身体がふるりと震えた。


「すまない。アリスを怖がらせてしまったな」

「い、いえ、平気です……。あの、それよりも薬を使われた第二王子は大丈夫なのですか? 薬を使ったネトラル令嬢はどうなるのでしょうか……?」

「王宮医と王宮魔術師たちが手を尽くしている。令嬢については、聴き取り調査が済んでいないから分からないが、王族と高位貴族の令息に何度も薬を使った事実は重い。厳しい処分になるだろうな。修道院に行くだけでは済まないと思う──アリス、真っ青だ。大丈夫か?」


 惚れ薬が禁止されている薬だったなんて、思った以上にとんでもないものをアルフレッド様に使っていたことに、愕然とした。第一王子の側近の妻が、禁止薬を使っていると分かったら絶対に迷惑がかかってしまう。


 ──アルフレッド様の人生の足を引っ張るのだけは嫌……。


 



「アルフレッド様、私と離縁してください」





 




「……………………は?」


 沈黙を破るようにアルフレッド様の低い声が地を張った。


「アリス、理由を聞かせて欲しい」

「話せません……」

「それなら離縁はできない」


 見つめた先には、傷付いた顔。惚れ薬の効いているアルフレッド様に伝えても分かってもらえない。私は、覚悟を決める。


「これから、一緒に来てもらえますか?」

「ああ。どこにでも行こう」


 

 アルフレッド様を私から解放するために、馬車に乗り込んだ。



 ◇



 馬車に揺られて、終わりへ向かう。無言のまま、魔女のブレンドティー専門店の入り口をくぐる。もし魔女が捕まっていたら王宮医を紹介してもらうつもりだった。


「あらあら、随分と酷い顔ね。こちらへどうぞ」


 首を左右に振る。魔女に向かってアルフレッド様を押した。


「この前の惚れ薬、解毒してください」


 アルフレッド様が私を見下ろしたけれど、無視して魔女を真剣に見つめる。なぜか魔女は楽しそうに、くすくす笑いはじめた。


「まあまあ……っ! 惚れ薬入りのクッキーが効いたの? どんな風に効いたのかしら?」

「そ、それは──私は初夜にアルフレッド様に愛することはできないって言われた嫌われている妻なんです。でも、私はアルフレッド様のことが好きで、惚れ薬入りのクッキーを食べさせてしまったんです。そうしたら、急にアルフレッド様が優しくなって……好きって言ってくれたり、キスしてもらえて──でも、惚れ薬は禁止されている薬だと知って、いえ、そうでなくても、やっぱり人の気持ちを意のままにするなんて、間違っていたんです……。こんな私は、アルフレッド様に相応しくないので、惚れ薬の解毒が終わったら離縁して、修道院に行こうと思っています」


 ひと息に話し終わり、目が合った魔女はにこりと笑う。



「あれは、正真正銘、普通のクッキーよ」

「え?」

「惚れ薬の成分は入っていないのよ。ハート型に矢が刺さっているから、好きな人を射止めることができるように『惚れ薬入りのクッキー』って呼んでいるだけなの」

「ええっ? 本当ですか……? でも、だったら、どうして?」

「もちろん本当よ。成分を検査してもらってもいいけど──検査より、あなた達には話し合いが必要みたいね」


 魔女の視線が私からアルフレッド様に移動すると、ぴたりと止まる。釣られて見上げたら、アルフレッド様が両手で顔を覆って呻いていた。




「どうしよう、アリスが可愛いすぎる。勘違いの仕方がとんでもなく可愛い。可愛すぎる。本当に可愛いんだが。ああ、可愛い……」


 静かな室内にアルフレッド様の可愛いが繰り返される。どうしたら可愛いなんて斜め上の感想になるのか分からない。それなのに、惚れ薬の効果ではないアルフレッド様の言葉だと思うと、顔にじわじわ熱が集まって、頬が痛いくらい熱くなる。



「あ、あの、恥ずかしいです……」



 一生分の可愛いを言われた気がする。恥ずかしくて居た堪れないので、アルフレッド様の洋服の裾をきゅっと引っ張って止めた。大きな身体がびくんと跳ねた後、きつく抱きしめられていた。



「……すまない。俺のせいでアリスを傷つけてしまった。本当に、すまなかった」


 アルフレッド様の声が、震えている。


「どんなに謝っても、俺の言葉は取り返しがつかない。アリスを傷つけたことをなかったことにはできない──それでも、もう一度、やり直しさせてもらえないだろうか?」


 抱きしめられていた腕が緩んで、茶色の瞳に覗き込まれた。


 初夜の言葉が甦る。愛することはできないと言ったのは、アルフレッド様の本心だったはず。そう思ったら、込み上げてきた涙が一筋、頬を伝った。



「…………」



 なんと答えたらいいのか分からない。永遠に続きそうな張り詰めた沈黙を明るい声が破った。


「ごめんなさいね、そろそろ次のお客さまを案内したいの。これは悩める若いあなたたちに、わたしからのサービスよ」


 魔女は、私とアルフレッド様にハーブティーの入った缶を渡して言葉を続ける。


「奥様に渡したハーブティーは、話し合いのときに二人で飲むといいわ。素直になれるリラックスティーなの。旦那様のハーブティーは、とっても喉にいいのよ──明日の朝に飲むのをおすすめするわ」


 微笑む魔女に見送られて、馬車に乗る。あまりに気まずくてアルフレッド様のことを見れない。




「アリス、帰ったら俺の話を聞いてもらえるだろうか?」

「…………はい」



 ◇



 屋敷に戻り、魔女のハーブティーを丁寧に淹れた。ゆらりと消える湯気は、柑橘の爽やかさとほんのり甘い花の匂いを運んでくる。ゆっくりティーカップを傾けて、心を落ち着かせた。


「……俺は婚約を結ぶ前から、アリスが好きだった」

「え?」

「アリスが俺のことを素敵だと言っているのを偶然聞いてから、いつの間にか目で追うようになっていた」


 私の三学年上には、身分はもちろん学業も見た目も完璧なフィリップ殿下や側近の方達がいた。ミーハーな気持ちで、どなたが素敵だなんてアンバー達とよく話していたと思う。フィリップ殿下が圧倒的に人気だったけれど、私の一番はいつだってアルフレッド様だった。


「俺は名門侯爵家の跡取りで婚約者がいない、それに加えて第一王子の側近という立場。露骨に媚を売ってくる子が多くてうんざりしていたから、時折り学園で見かけるアリスの笑顔に癒されていた」


 思ってもいなかった事を言われて、頬が赤らむのを感じる。身分差もあって近づこうと思ったことはなかったけれど、見られていたなんてびっくりした。


「二年生になったアリスの笑顔が曇るのが気になって、ようやく自分の気持ちに気づいたんだ。アリスの笑顔が見たくて、メイプル男爵に支援するよう父上に直訴した。直ぐに支援が決まったよ──アリスと婚約することを条件にしてだけどね」

「我が家を救ってくださって、ありがとうございます……」


 驚きで目を見開く。まさか私のためにアルフレッド様が手を尽くしてくれたなんて、夢にも思っていなかった。


「いや、正直なところクロテット侯爵家が援助しなくても、メイプル男爵家に支援する者は現れたと思う。王家の御用達だし、恩を売りたい者も多かったはずだ」

「たとえ我が家を支援してくれる方が現れたとしても、あの時に支援してくださったのはクロテット侯爵家です。私が学園を卒業できたのはアルフレッド様のおかげです」


 学園を退学しなくてはいけない程、メイプル男爵家は追い詰められていた。今、こうして私がいるのは間違いなくアルフレッド様のおかげだと思う。


「あの、クロテット侯爵様は、どうして男爵家の私とアルフレッド様の婚約を許してくださったのでしょうか……?」


 ずっと不思議に思っていたことを口にする。侯爵家と男爵家では身分差がありすぎる。アルフレッド様が求めてくださったとしても、クロテット侯爵家にとってなにもメリットがない結婚だと思っていた。


「母上も子爵家の出身だからな」

「えっ、そうなのですか?」

「ああ。父上が猛アタックしたと聞いている」


 意外な事実に目を瞬かせる。確かに侯爵は侯爵夫人をとても大切にしていて、直ぐに納得してしまった。

 

「政略結婚なんかしなくても、クロテット侯爵家は困っていない。ただ、政略結婚をしないならば自分の力で道を切り開いていけと言われている。俺は、アリスの笑顔を見ているだけで癒される。本当に癒されるんだ。そばに居てくれるだけで、幸せなんだ……」

「あ、ありがとうございます……」


 茶色の瞳を細めて、愛おしそうに見つめられる。嬉しくて、胸が大きく跳ねたけど、首をふるふると左右に振った。


「それならどうして初夜の日に、私のことを愛することはできないって言ったんですか?」


 アルフレッド様が口元を手で覆うと、はあ、と長い溜め息を吐く。それから、ゆっくり口を開いた。






「…………天使だと思ったんだ」

「へ?」


 訳が分からなすぎる言葉に、私は自分の耳を疑った。意味がわからなくて、間の抜けた声が溢れる。


「純白の夜着を纏ったアリスを見たら、アリスが可愛くて、癒されるのは天使だったからなんだと分かった。天使を俺が汚せるわけがないと思ったら、ああ言ってしまっていた……」

「ええと、もしかして、私を見て目の毒だと言ったのや、私をぐるぐる巻きにしたのは……?」

「ああ、天使なアリスにあんな姿を見せられて理性を保てるはずがない……だから、すぐに部屋も出た」


 アルフレッド様は、身分も容姿、剣術だって何でも完璧なのに、視力がおかしい。私が天使に見えるのは、世界にアルフレッドしかいないと思う。知らぬ間に緊張していた身体の力が抜けていく。


「アルフレッド様に嫌われたと思って、悲しかったです」

「本当に、すまなかった……」


 眉を下げ、肩を落とすアルフレッド様は、ひどく後悔していて話を続けるのを少し迷ったけれど、口を開いた。


「どうして、いきなり態度が変わったんですか?」

「……チャンスがもらえたと思ったんだ」

「チャンス、ですか?」


 アルフレッド様の言葉に、首を傾げる。


「ああ。きっとアリスは、もう俺に会いたくないと思っていると思っていたし、もし面と向かって拒絶されたら死にたくなるから、会わないようにしていた。遠くからアリスの幸せを願って、仕事に生きることに決めたんだ」


 アルフレッド様の思考回路が訳がわからない。本当にどうなっているのだろうか。


「そんな時に、アリスが倒れたと知らせが届いた。久しぶりにあったアリスは、痩せてやつれていて俺のせいだと思ったら、消えてしまいたくなったんだ。それなのに、アリスがクッキーを勧めてくれた──俺は、アリスの願いはすべて叶えるために生きようと誓ったんだ」


 アルフレッド様の言葉や仕草の全部が惚れ薬の効果ではないと思ったら、身体が(ゆだ)っていく。耳も頬も熱くて痛い。


「あの日のことを許してほしいとは言えない。それでも、アリスの近くにいさせてほしい。駄目だろうか?」


 不安に揺れる茶色の瞳を向けられ、私もまっすぐに見つめ返す。


「駄目です。許せません……っ!」

「っ、そうだよな……」


 私がそう答えれば、アルフレッド様は諦めたように笑って、目を伏せた。大きな手を両手でしっかり握って、じっと見る。


「近くにいるだけなんて駄目です。私は天使なんかじゃなくて、アルの妻です。あの日の続きをしないまま白い結婚なんて許せません──アルは忘れているかもしれませんが、私は酪農を生業にしている家の生まれなので、動物の交尾なんて何回も見てます」


 交尾という単語でぶわっとアルフレッド様の顔が赤くなる。可愛くて、愛おしくて、アルフレッド様の膝の上に乗り上げた。私を落とさないように腰に大きな手を添えてくれた愛しい人を見つめて。


 アルフレッド様の真っ赤な頬に手を添えて、キスをする。



「愛してください、旦那様」


 きつく抱きしめられて、アルフレッド様のぬくもりに包まれた。



 ◇


 

 

 それからすぐに、アルフレッド様から初夜のやり直しを提案されて。あまりにも真剣な表情に、夕暮れ前の青空だと思いつつも、こくりと頷いてしまった。


 頷いたあとは、流れるように笑顔の侍女達に引き渡される。入浴してふんわり甘い花の香油を塗られ、髪も肌も整えてもらう。初夜のときと同じ真っ白で繊細なレースの薄い生地の夜着に着替えて、夫婦の寝室に入った。


「…………」


 先程は勢いで大胆なことを言ってしまったけど、ベッドに腰掛けていたら心臓がどきどきを通り越して、ばくばく弾む。いつ心臓が口から飛び出してきてもおかしくない。


 カーテンを閉めていても、日差しが部屋を明るく照らす。肌がうっすら透ける夜着は初夜よりも心許なくて、ふるりと心が震えてしまう。その時、控えめなノック音がした。


「どうぞ……」


 寝室の扉が開いてアルフレッド様が入ってくる。初夜のときと同じ紺色の夜着、しっとり濡れた髪。色香が立ち上りすぎていて、ぽぉと見惚れてしまう。

 そんな私を愛おしそうに見つめたアルフレッド様が、ゆっくりと跪き、手の甲にキスを落とした。




「アリス、愛している」


 見上げるアルフレッド様の瞳がとろりと甘い。


「もう、俺は、アリスを愛することができないなんて、できない………本当にこれから初夜をやり直してもいいのだろうか? やめるなら今のうちだが」


 口をひらいたら心臓が飛び出してきそう。アルフレッド様に触れている大きな手をきゅっと握り返して、頷いた。


「やめないでください……」


 緊張している私を見ていたアルフレッド様が、ふっと微笑む。


「アリス、かわいい」


 膝の上に乗せられる。ちゅ、ちゅ、とくすぐるようなキスに緊張がほぐれていく。

 アルフレッド様の指が自身の頬を指すから、ひな鳥みたいにアルフレッド様の指を追いかけてキスをする。頬が緩むのが嬉しくて、アルフレッド様の顔に沢山のキスを落とす。ゆっくり指が動いて、肉厚な唇の端に指が止まる。


「おいで?」


 甘く掠れた声で誘われて、頬が熱くなる。吸い寄せられるように動きはじめた途端に、優しく塞がれた。


「ごめん、可愛すぎて我慢できなかった」

「アル……もう我慢しないでください……」


 アルフレッド様が私の肩にぽすりと顔を埋める。深いため息を吐きながら抱きしめられた。


「……これから我慢しなくていいなんて、夢みたいだ」


 大きな身体で甘えてくるのが愛おしくて、アルフレッド様の頭をそっと撫でた。紺色の毛先が首筋をくすぐるから、くすくす笑ってしまう。


「アリスは無邪気に抱きついてくるから、我慢するのが大変だったんだ。婚約中で手も出せないのが分かっていて、嫌がらせなのかと疑ったこともあるくらいだ」

「え?」

「ぬいぐるみになった時は、アリスの柔らかさを感じて……それは、もう、大変だった……」



 ゆっくり顔を上げたアルフレッド様の瞳に熱がゆらりと灯っていてる。その瞳に見つめられると、なぜか身体がふるりと震えた。熱い指先が頬をなぞる。


「もう、我慢しないから──覚悟して」



 唇が重なって、優しい触れ合いはすぐに深くなっていく。絡まる舌も吐息も熱くて、甘い。もっと近づきたくて、腕を伸ばして首に回すと、アルフレッド様も私をきつく抱き寄せてくれた。心がとろりと溶けて、力がくったり抜けて。



「アリス」



 優しく寝かされると、窺う茶色の瞳に小さく頷く。頼りない細いリボンをアルフレッド様の指がつまむ。寝室に、小さな解ける音が響いた。


 沢山の甘い言葉に溶けて、甘やかなキスと触れ合いに蕩けていく。茜色の空に変わる頃、アルフレッド様に私の初めてを捧げて、私は身も心もアルフレッド様の妻になった。それから、二回目の初夜は夜更けまで続いて……。





 

 

 

 翌朝、声が掠れて動けない私を見て、アルフレッド様が飲み物を差し出してくれた。


「喉に効くブレンドティーと言っていたな」


 苦笑いするアルフレッド様を見て、魔女にはすべてお見通しだったのだろうと微笑み返す。ふわりと香る蜂蜜に頬を緩めると、隣に座るアルフレッド様は宝物のように頭を撫でてくれる。そんな仕草が嬉しくて、大好きなアルフレッド様をうっとり見つめた。




「旦那様、愛しています。これからもずっとずっと、愛してください……」



 驚いたアルフレッド様の顔が一転、獰猛な獣のような瞳に変わる。あっと思った時には、押し倒されていた。


「煽ったアリスが悪い──もっと愛してもいい?」


 甘い声でささやくアルフレッド様の重みと熱を感じて、大好きな人からの誘惑を断れるわけがない。

 今度は体力回復のブレンドティーを相談しようと心に決めたところで、我慢をやめたアルフレッド様のキスが落ちてきた。アルフレッド様に腕を伸ばして、抱きしめる。


「アル、大好き」

「アリス、愛してる」


 私とアルフレッド様は、愛する人と、愛して、愛されることができるしあわせに甘く深く溶けていった──


 




 おしまい

読んでいただき、ありがとうございます♪

広告の下にある透明なお星さまを青いお星さまにして下さると嬉しいです!

応援よろしくお願いします୧꒰*´꒳`*꒱૭✧



みこと。様からすっっごく素敵なイラストをいただきました♡

アリスとブラン……!

めっちゃ可愛くて尊い♡

挿絵(By みてみん)

イラスト/みこと。様


当て馬ならぬ当て熊になってしまったブランのその後。

アルフレッド様が後日「これなら寂しくないだろう?」と言って、アリスと同じ色のくまのぬいぐるみを買ってきます♪

嬉しくて、クマの女の子のぬいぐるみを、ぎゅうと抱きしめたアリスが可愛すぎて、ぬいぐるみと一緒に抱きしめて「かわいい」とキスの雨を降り注いだことでしょう♡


素敵なイラスト、本当にありがとうございました!

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2024年11月 配信START
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嘘つきな溺愛

恋愛作品を色々書いています୧꒰*´꒳`*꒱૭✧
よかったらのぞいてみてください♪
ヘッダ
新着順① 評価順② 短編③ 商業化④ お勧め作品⑤ 自己紹介⑥
ヘッダ
 

― 新着の感想 ―
[良い点] きゃーっ! 甘~い! >「ぬいぐるみのアルだ」 これは噴くwww
[良い点] うぉー、これぞ甘々じれじれ! て、天使ですって! いろいろなハーブティの香りが立ち上ってそれぞれのシーンの舞台装置のように効果的でした。 堪能しました、ありがとうございました!
[良い点] かわいいー! ひたすら甘くて癒されました♪ 大好きな人を相手に、頑張るアリスちゃんが切なくて、甘々のだんな様に戸惑う心情もよくわかるだけに、きゅんきゅんの展開でした。ハピエンよかったですー…
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