魂の世界
特異点からロイドは万物の魂が行きつく世界である『魂の世界』へと帰ってきた。
魂の世界は人間界や魔界とは異なる世界であり、神の一族が住まう無限の空間が広がる場所。いかなる生物も肉体を持って入ることはできない。
そんな無限の空間が広がる魂の世界にはそれぞれの遺子が住まう領域が点在している。ロイドは人間界の通貨ルーンを貰うために、カオスの第四遺子クラウディウスの支配領域である『万物の館』に立ち寄った。
万物の館はあらゆるものに溢れていて足の踏み場もなくゴミ山のように映る。クラウディウスは万物の館の中心に物で積み重なった山の頂点に置いてあるベッドの上にいる。ロイドがクラウディウスの元まで飛んで行くと、彼は天に浮かぶ神の門を仰いでいた。
「クラにい起きてる?」
「また金を創れと言いに来たのか? 金なんて人間が勝手に作ったものだ、そのような母上に反するものを子であるお前が使うんじゃない」
クラウディウスの両肩には大きなカオスの紋様が刻み込まれており、それは自身が神の子であるのと同時に忠実な使徒としての証だ。そして、彼は並み居る兄弟たちの中でもカオスに格別な忠誠を誓っているので、神の子が人間の手で作られたものを使うことが許せなかった。
「それは“神の書”に書かれた内容じゃなくて、クラにいが勝手に言ってることだよね。勝手な注釈で定められた決まりを変えてはいけないよ」
神の書は原初の遺子の一人である、カオスの第二遺子アリスターによって編纂されたもので、内容は神カオスと世界の関わり、律法について等が書かれていて、遺子たちが守るべき神の意思なのである。
その前では、いくら上位の遺子であるクラウディウスと言えども逆らうことはできない。渋々、ルーン金貨を大量に創ってロイドに与えた。
「ありがとうクラにい。じゃあ僕は家に帰るね」
「ロイド……お前の“平等”の力は母上より賜りし神の恩寵だ。それに反するようなことは絶対にしてはいけない。あの愚昧にもそう言ってやれ」
「………うんわかった」
ロイドは貰った大金を魔法で包んで自身の支配領域である『平地の丘』に帰っていった。
平地の丘は一面に広がる緑の草原地帯の真ん中に小さな小屋が一つだけ立っている寂しい空間ではあるが、ロイドやカオスの遺子にとって物欲は無いに等しく、寝床さえ確保できればそれでいいのだ。
ロイドの小屋は開かれた作りになっていて、屋根と木造の骨組み以外には藁を積み上げてできた簡素なベッドがあるだけだ。その暮らしぶりは家畜のようで、神の子の住居とは到底思えない。
だが、ロイドはこの暮らしについて不満はない。ただ一つあるとすれば、それは姉の訪問だ。
「あ~~んロイドちゃ~~ん!! お姉さんが愛に来たわよ~!」
いつものように藁ベッドで神の書を読んでいると、明るい声を響かせながらカオスの第五遺子ウェスタシアがやって来た。
ウェスタシアは出会い頭に勢いよく抱きついて、自身の顔をロイドの頭に擦り付けた。真っ赤な髪をした小さな少女はロイドに夢中で、いつもロイドのことを探し回っている。
「これじゃあ読めないよ姉さん」
家にいる時はずっと神の書を読み込んでいるロイドにとって、ウェスタシアの訪問は読書の邪魔以外の何物でもない。ロイドが頻繁に人間界へとやって来るのは、姉から逃げるためでもある。そのことをウェスタシアに言ったとしても、彼女の愛は止められない。それどころか一緒にいられるように、魔法で閉じ込めようとしたこともあった。
「だって、こんなに愛らしいのだから仕方ないじゃない。あらっ、神の書を読んでいるの? 勉強屋さんね~、分からないことがあればお姉さんに聞きなさい!」
「それじゃあこの本を書いた原初の遺子たちは今どこにいるの? 僕はまだ生まれてから五百年しか経ってないしね」
「バベル兄さまとアリスター兄さまのことね。いいわ教えてあげる」
ウェスタシアは抱擁を解いて、ロイドの隣に座ってからゆっくりと話し始めた。
「そうねぇ……お兄様方は忠実な神の子であり、私たち遺子たちの先導者でもあったわ。その手に持っている神の書も、二人が中心となって作り上げたものなの。
バベル兄さまは寡黙ではあったけど、私たちの長として常に母上の意思を理解しようとしていたわ。それと、アリスター兄さまはラフィーネ姉さまと一緒に世界で初めての夫婦となったの。人間の結婚も、永遠を誓い合った二人の関係を崇拝して生まれたものなのよ。
……でも、その永遠は千年前に壊れてしまったわ。竹馬の友であり、魂を分けたお兄様方がどういうわけか大喧嘩を始めたの。魂の世界で起きた喧嘩は、他の世界にも天変地異を引き起こして私たちも危うく死にかけたわ。
全てが終わると、二人の姿はどこにもいなくなっていたわ。永遠の番を失ったラフィーネ姉さまは悲しみのあまり自身の屋敷に引き籠ってしまわれたし、人間界も創造主である母上を捨てて新たな秩序を作り出したの。あの運命の日が世界を一変してしまったのよ」
ウェスタシアは悲しそうな目をしていた。かつて人間界はカオスや自分たちを崇拝し、愛していたのに、その日から人間たちは母を裏切り、あろうことか神の意思にさえたてついたのだ。神の子として、これほど悲しい出来事はない。
「じゃあ二人は死んでしまったの?」
「わからない。でも、あの二人は死んでいないと思うわ。だってまだ、私たちの神が現れてないのだから」
「そうなのか。なら僕が二人を探しに人間界へと赴こう」
「待ってっ、それなら私も行くわ! か弱い弟が死んじゃったら困るもの」
ロイドが立ち上がった瞬間、ウェスタシアは彼の腕を掴んで制止させた。
姉さんはそう言っているが、神の子が人間に敗れることなどあり得ない。溺愛もここまで来ると滑稽だな。もう姉さんと一緒にいることはできない。ここでガッツリ言って僕から離れてもらおう、だって僕には愛の概念はないのだから。
「いつまでお前は僕に付き纏うつもりだ? お前はカオスの第五遺子“愛のウェスタシア”だろう。お前のその小さく非力な体はまさに母上の怒りだ! 母上の子であるなら、母上の意思に適え!」
ロイドは冷徹で、激しい言葉で実の姉を罵倒した。ウェスタシアはそれを聞いて、信じられないような顔をしていた。
「な、なにをいきなり……そうか、あの愛も知らない狂人の入れ知恵ね! ダメよロイドっ、あんな奴の言うことを聞いたら!!」
「それでも姉さんより母上の意思に従っている。僕はカオスの遺子だ! 母上の意思が絶対! それを受け入れない奴は僕の前から消えろッ!!」
必死に説得しようと試みるが、ロイドは彼女の言葉を無視して拒絶し目の前から立ち去った。
「アア……母よ、これほどまでの苦痛が必要なのですか?」
一人残された小屋の中で、ウェスタシアは顔を手で覆いながら泣いていた。彼女が母カオスより与えられた力は“愛”、全てを等しく愛する神の愛である。
神の愛に偏愛は許されない。だが、ウェスタシアは母の愛に逆らっても心からロイドを愛していた。
しかし、それは叶わない愛であり、彼女の悲痛な声もカオスには届かない。




