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第四章

       一


 花月から石高を聞いて()()えず大丈夫そうだと納得した。

 まぁ、桜井家が(つぶ)れても光夜は花月一人くらいなら食わせていける自信はある。

 口入(くちい)れ屋に行けば用心棒の仕事くらいいくらでもあるだろうし、無ければ無いで辻斬りでも何でもするつもりだ。

 と言っても辻斬りは花月が許さないだろうが。


 て言うか、花月も用心棒くらいは出来るんだよな……。

 なんだかんだ言って花月の方が強いのだ。

 夜の稽古で花月と試合をしてもいつも負けてしまう。

 これが他の弟子相手なら木刀では(かな)わなくても真剣なら自分が勝つ自信はある。

 しかし花月は真剣でも強い。

 早く強くなりたい。

 そう思って信之介との試合も毎回全力で戦っている。

 だが信之介とでさえ勝てるのは二回に一回だ。

 強くなっている実感がまるでない。


「なぁ」

「何?」

「どうしたら強くなれるんだ?」

 光夜の問いに、花月は小首を(かし)げた。

「どうしたの、急に」

「なんか全然強くなってねぇなって思って」

「強くなってるわよ」

「でも、花月にも勝てねぇし」

「私の方が年上なのよ。あんたより長くやってんだから当然でしょ」

 花月が笑いながら光夜の額を(つつ)いた。

「信之介との勝負も……」

「それは村瀬さんも強くなってるからよ」

「じゃあ、もっと稽古すれば花月や信之介よりも強くなるのか?」

「そうなるわね。まぁ、村瀬さんも私もそう簡単に追い越されたりはしないけど」

 花月が不敵な笑みを浮かべて言った。

 絶対(ぜってぇ)いつか追い越す。

 光夜は心に誓った。


「いい? 今日は同時に行くわよ。あんたは後ろから」

 夜の稽古場で花月と光夜は弦之丞と宗祐は少し離れた場所で話していた。

「若先生に聞こえてるけど()いのか?」

「作戦内緒にしたくらいで勝てると思う?」

 それもそうだ……。


 花月は宗祐の前に、光夜が後ろに立った。

 花月が青眼に構え、足の裏を()るようにして宗祐との間を詰めていく。

 一足一刀の間境の半歩手前で止まった。

 刹那(せつな)

 一気に踏み込んで突きを放った。

 同時に光夜も上段に構えた刀を振り下ろした。

 宗祐は(わず)かに身体の向きを変えただけで二人の攻撃を(かわ)す。

 花月が袈裟に二の太刀を振り下ろした。

 光夜が逆袈裟に振り上げる。

 宗祐には少し足を引いた程度で()けられてしまう。

 花月は宗祐の懐に飛び込んで横に払った。

 光夜も背後から突っ込んで上段から振り下ろした。

 宗祐が(かす)かに足を引いて(たい)を開く。

 花月と光夜が交差(こうさ)し位置が入れ替わった。

 花月は振り返り様、逆袈裟に振り上げた。

 光夜が回し蹴りを放った。

 宗祐は軽く身体を(かたむ)けただけでどちらも()けた。


「そこまで」

 弦之丞の声で花月と光夜は動きを止めた。

 花月も光夜も間合いの見極めは出来ている。

 宗祐は最初と同じ場所に立ったままだ。

 にも関わらず二人の攻撃は(かす)りもしなかった。


「今度は花月と光夜で()ってみなさい」


 弦之丞に言われて二人は三間の間を取って向き合った。

 花月は青眼の構えのまま、静かに(たたず)んでいる。

 光夜も青眼の構えを取ると、足の裏を()るようにじりじりと距離を(ちぢ)めていった。

 一足一刀(いっそくいっとう)間境(まざかい)の半歩手前で一旦足を止める。

 息を詰めるようにして花月に狙いを定めると一気に踏み込んで面を打った。

 花月は(わず)かな動きで光夜の手に刀の切っ先を付けた。


「そこまで」

 弦之丞が静かに言った。

「二人とも腕を上げたな」

「俺、強くなってますか」

「初めての時と比べると格段に良い」

「全然そんな感じしねぇけど」

 宗祐や花月はともかく、信之介とですら未だに勝負は五分なのだ。


「お前達は比翼(ひよく)(とり)だ」

「比翼の鳥?」

「翼が片方しかない鳥だ」

「それで空が飛べるのですか?」

「一羽では飛べぬ。だから二羽の鳥が力を合わせて飛ぶのだ」

 花月と光夜は顔を見合わせた。

「一人では(かな)わぬ敵も二人なら倒せる」

「それって、別に花月と俺じゃなくても」

「お前達は息が合っている。連携(れんけい)の取れぬ者同士で戦っても同士討(どうしう)ちをするだけだ」

 確かに今まで夜の稽古で宗祐を相手に戦っている時に花月にぶつかっったことはない。


「花月が上手くやってくれてたのか」

「あんたの動きは読みやすいから見切(みき)るのが簡単なのよ」

 花月はそう言ってから、

「そんなことも分からないようじゃまだまだね」

 光夜の額を(つつ)いた。

 比翼の鳥、か。

 片割れが花月なら悪くねぇな。


 そろそろ午前の稽古の時間だな……。

 光夜は素振りをしていた木刀を稽古場に戻しに行った。

 稽古が始まるまでに雑巾がけをして支度をしなければならないから実際の開始の時間より早く稽古場へ行かなければならない。

 光夜が用具置き場から掃除用の桶を取り出したとき、

「た、大変だ!」

 山田が飛び込んできた。顔が真っ青だ。

「どうした!?」

 光夜や信之介達が山田の周りに集まる。

「あ、麻生殿が殺された!」


       二


「花月! 師匠は!?」

 光夜は母屋に飛び込んだ。

「今、支度してるけど、どうしたの?」

 光夜のただならぬ様子に花月が驚いたように訊ねた。

「麻生が殺されたって山田が知らせに……」

「光夜、お兄様に知らせて!」

 花月は(いそ)ぎ足で弦之丞の書斎に向かった。


 報告を受けた弦之丞と宗祐はすぐに稽古場に向かった。

 その後を花月と光夜が()いていく。

「本当に麻生なのか」

 弦之丞が冷静な声で山田に訊ねた。

「はい。間違いありません、柳原(やなぎはら)土手(どて)に……」

「誰か麻生の家に知らせに行ったのか」

「坂本が向かいました」

「そうか」

 弦之丞が(うなず)いた。

 弟子達は落ち着かない様子で互いに(しゃべ)っていて稽古場内は(さわ)がしい。


「おい、麻生がどこに住んでたか知ってるか?」

 光夜は山田に訊ねた。

「本所だが」

「師匠、これでは稽古にならないのでは」

 宗祐が言った。

「そうだな。今日の稽古は休みとしよう」

 弦之丞の口から休みが伝えられると弟子達は麻生の話をしながら帰っていった。


 帰っていく弟子達に(まぎ)れて光夜も稽古場を出た。

 花月を(さそ)おうかとも思ったが流石(さすが)に弟子の死体を見せるのは躊躇(ためら)われた。

 花月に普通の女にするような気遣いが必要かは疑問だったが。

 柳橋に向かっていると数人の弟子達が山田を先頭にして歩いていくのが見えた。

 どうやら光夜と同じく見物に行くつもりらしい。

 山田が道案内してくれるなら丁度(ちょうど)いい。

 光夜も後に()いていった。


 柳原の土手に人だかりがしていた。

 大勢の野次馬がいて後ろからでは見えない。

 人混みを()き分けて行こうとした時、御用聞きらしい男が、

「どいてくんな」

 と声を掛けた。

 人混(ひとご)みが左右に分かれる。

 光夜は御用聞きの後に()いて野次馬達の前に出た。


 麻生は仰向(あおむ)けに倒れていた。

 肩から脇腹まで袈裟斬りにされている。

 近くに刀が転がっていた。

 正面から斬られたのか……。

 御用聞きが十手(じって)で手首を持ち上げたりして遺体の硬直(こうちょく)度合(どあ)いを調べていた。


 (しばら)くして黄八丈の着流(きなが)しに羽織(はおり)(すそ)を帯に(はさ)んだ武士が()ってきた。

 町方(まちかた)の同心か……。

 町方というのは町人の犯罪捜査などを行う役人やその部下である。

 同心というのが普段の捜査の指揮を()り、捕物(とりもの)の時はその上役(うわやく)である与力が指揮(しき)を執る。

 実際の探索(たんさく)――捜査は同心が自腹で雇っている御用聞きや、その御用聞きが雇っている(した)()きが行う。

 御用聞きと下っ引きは町人だ。

 同心と御用聞きは麻生の死体の前で何やら話し始めた。


 そこへ、

御免(ごめん)

 と言う声がして再び人垣(ひとがき)が割れる。

 黒い羽織袴の武士が供を(ひき)いて()ってきた。

 後ろから(かご)()いてくる。

「その者は我が家の者(ゆえ)遺体を引き取らせてもらおう」

 武士が同心に言った。

 麻生の身内らしい。


 武家は町方(まちかた)の管轄ではない。

 同心と御用聞きは素直に脇へどいた。

 武士と中間らしい男が麻生の遺体を籠に乗せると帰っていった。

 遺体が無くなり同心や御用聞きも帰ってしまうと、これ以上見る物もないと判断した野次馬も散っていく。


 光夜も帰ろうと踵を返すと花月がいた。

「花月」

 花月には見せたくなかったから一人で来たのだが……。

「見たのか?」

「うん、麻生さんのうちの方が来た時ちらっと見えた」

 花月は冷静だった。

「辻斬りだと思う?」

 花月が光夜に訊ねた。

「あいつ金持ってそうには見えねぇよ」

 どこの岡場所が安いか、などという話をしていたくらいだから実際持ってなかったはずだ。

「でも力試しって辻斬りもいるでしょ」

「力試し……」

 光夜は麻生の言っていた言葉を思い出した。

 確か人を斬ってどうこうって……。


「どうかした?」

 光夜の表情を見た花月が訊ねた。

「力試しは麻生の方かもしれねぇ。でなきゃ本所に住んでる麻生がこんなとこに()るはずねぇし」

「何か知ってるの?」

 花月の問いに、光夜は麻生が稽古場で言っていた事を話した。


「誰かを斬ったのね」

「でなきゃ、あんな風には言わねぇだろうな」

「もっと詳しく知りたいわね。他の弟子に話を聞いてもらうよう村瀬さんに頼んでみる」

 その一言に光夜はむっとした。

「なんで俺じゃねぇんだよ!」

「あんた態度悪いから村瀬さんしか仲の()い人いないでしょ。麻生さんと親しかった武田さんとは仲悪いし」

 光夜は返答に()まった。

 確かに光夜は他の弟子と話したことは数えるほどしかない。

 しかもその(ほとん)どが口論(こうろん)だ。


「ま、でも、他の人と親しくなる()い機会ね。麻生さんの事を口実に話し掛けてみなさい」

 別に他の弟子達と親しくなりたいとは思ってない。

 しかしこの先も内弟子でいたいなら他の弟子達と上手く()っていく必要があるだろう。

「あんたに話すとお父様達の耳に入るかもしれないと思って教えてくれないかもしれないけど、だからって無理強いしちゃ駄目よ。喧嘩したら『大学』全部終わるまで稽古禁止にするからね」

 花月は釘を刺した。

「それと念の為、村瀬さんにも頼んでおくから」


 次の日から稽古が再開された。

 麻生の通夜(つや)葬式(そうしき)には弦之丞と宗祐が行った。


 流石(さすが)に稽古中に私語(しご)はないが、稽古前や後は麻生のことで持ち切りだ。

 稽古が終わっても弟子達は稽古場で麻生の話をしている。


 信之介は武田達に声を掛けたが思うように話してもらえず苦戦しているようだ。

 光夜はその集団に近付いていった。

 武田が光夜を見て露骨(ろこつ)に嫌そうな顔をする。


「お前ら、花月……さんのこと嫌いか?」

「な、なんだいきなり」

 意外な言葉に武田達が面食(めんく)らったようだった。

「男みたいな格好(かっこ)して刀()して歩いて、男に混じって剣術なんかやって……」

「何を言う! 男の格好をしていようと関係ない! 花月さんは……」

 武田が光夜に食って掛かった。

「じゃあ、花月と茶でも飲みながら話してみたいとか思うか?」

「それは……」

 武田が口籠(くちご)もった。

 その場に()た弟子達が顔を見合わせる。

「茶飲み話くらいさせてやるぜ。来いよ」

 光夜がそう言って母屋へ向かうと、武田達は何か裏があるのではないか、と言う表情をしながらも花月と話せるという(えさ)に食い付いてきた。


       三


 武田達を連れて母屋へ入ると花月が何事(なにごと)かという表情を浮かべた。

「花月……さん、こいつらがあんたと話したいって言ってるぜ」

「な、何を言うか! そこもとが言い出したのであろう……」

 武田が(あわ)()っったような表情で否定する。

 花月はすぐに光夜の意図を察した。

(みんな)、座って。すぐにお茶を入れます」

「い、いえ、ご迷惑でしょうから……」

 断ろうとした武田に、

「私も同じ弟子として(みんな)と一度ゆっくり話したいと思っていたから」

 花月が微笑む。

 その笑みを見た武田が真っ赤になる。

 武田達はそれ以上何も言えずにその場に座った。


 花月が台所に向かうと、

「花月さん、拙者もお手伝いします」

 と信之介が花月の後に続く。

「お前らはその辺に座ってろよ。すぐに持ってくるから」

 そう言うと光夜も居間を後にした。

「武田さん達と村瀬さんと光夜と私で八人か。湯飲(ゆの)み、足りるかしら」

 加代が湯を()かしたり急須(きゅうす)に茶葉を入れたりしている間に花月は湯飲みを探した。


 それぞれの前に茶が出され、花月が向かいに座ると武田達は居心地悪そうに互いを見た。

「それで、麻生はなんであんなとこにいたんだ? 朝まで見付からなかったって事は夜一人でいたんだろ」

 光夜が口を切った。

「それは……」

「前に人を斬ったとかって言ってたが、あれは何だ? 辻斬りでもしてたのか?」

「そうではない!」

 武田が強い口調で否定した。

「じゃ、誰を斬ったんだよ」

破落戸(ごろつき)だ」

「破落戸と喧嘩したの?」

 花月が訊ねた。

「ち、違います!」

 武田が慌てて手を振った。

「最初から話してくれる?」

 花月が穏やかに訊ねると、

「……あれは、半月ほど前の事でした」

 (しばら)躊躇(ためら)った後、武田が口を開いた。


 稽古からの帰り道、麻生、武田、坂口の三人が人気(ひとけ)のない火除け地に差し掛かった時だった。

 破落戸達が猿轡(さるぐつわ)()まされた身なりの()いい町娘を(かご)に押し込もうとしているところに行き合わせた。

 麻生達は娘を助けようと破落戸達に駆け寄った。


「邪魔すんじゃねぇ!」

 破落戸の一人が懐に飲んでいた匕首(あいくち)を構えると他の二人も匕首を抜いた。

 武田達が柄に手を掛けた時には麻生が刀を抜いて破落戸に斬り掛かっていた。

 麻生が振り下ろした刀に破落戸の右腕が切り落とされた。

 別の破落戸が突っ込んでくると、麻生はその男を袈裟斬りにした。

 生き残った破落戸は逃げ出し、麻生達は娘を家まで送っていった。


 帰り道、麻生は「やはり武士は人を斬ってこそ一人前だな」などと言って浮かれていたという。


「人を斬ったって言うのはその破落戸の事なのね」

 花月が念を押すように訊ねると、武田と坂口が視線を交わす。

 光夜はそれに気付いた。

「それだけじゃねぇな」

 武田が(うつむ)く。

「花月に話すって言うから連れてきてやったんだぜ。話せよ」

 話し始めたからか、ここまで言ったら同じと思ったのか、武田は話を続けた。


 麻生は破落戸を斬って以来、人を斬りたくて仕方なくなったらしく、盛んに人を斬って度胸を付けなければ、と言うようになった。

 しかし、そうそう破落戸が人を(かどわ)かすところに行き合わせるわけがないし、麻生自身は冷や飯食いだが親は御役目(おやくめ)()いている。

 軽々しく商家に用心棒になりたい、などと売り込みにいくわけにもいかず、()る気を持てあましていた時、「柳橋に辻斬りが出た」と言う話をどこかから聞き付けたらしい。

 翌日、柳橋で牢人の遺体が発見された。


「それがしが麻生に問い(ただ)すと、辻斬りを斬ったと答えたのです」

「それで柳橋を彷徨(うろつ)いてたのね」

(おそ)らく」

 それ以上はいくら突っ込んで聞いても知らないと首を振るばかりだった。

 本当にこれ以上は知らないらしいと判断した花月は話題を変えた。

 一頻(ひとしき)剣術談義(けんじゅつだんぎ)をすると武田達は帰っていった。


 花月は、光夜や信之介と共に湯飲みの片付けをしながら、

「麻生さんが柳橋の辺りを彷徨(うろつ)いてたのっていつ頃だったのかしらね」

 と何気なく言った。

「五つ半過ぎくらいだろうな」

 光夜が答える。

「四つには町木戸(まちきど)が閉まるからな」


 町木戸というのは言葉通りそれぞれの町にある木戸(きど)である。

 防犯のために町ごとに木戸があり夜は閉ざされていた。

 町木戸が閉まったところで木戸番に言えば通してもらえるが、わざわざ木戸を開けてもらう必要がある。


「木戸が閉まる前に戻るとなると大体五つ半くらいには帰る必要があるだろ」

 花月はなるほど、というように(うなづ)いた。

 どうやら花月は行ってみる気らしい。

 光夜もどんなところか気になっていたし流石(さすが)に花月一人で夜道を歩かせるわけにはいかない。

 ()めようなどという考えは(かす)めもしなかった。


 その夜、五つ頃になると光夜は部屋をそっと抜け出した。

 玄関に行くと予想通り花月が待っていた。

 二人は視線を交わして頷き合うと静かに家を出た。

 弦之丞や宗祐くらいの(つか)い手なら花月達の気配に気付いたはずだ。

 どちらも花月には甘いから心配してないはずはない。

 だが出てきて()めたりはしなかったのは花月と光夜の二人ならそこらの破落戸に後れを取る事はないと考えてるのだろう。


「一応提灯(ちょうちん)持ってきたんだけど()けても()いと思う?」

 門を出たところで花月が言った。

「むしろ()いてねぇ方が怪しいんじゃねぇ?」

「そうね」

 花月が提灯に火を(とも)すと光夜はそれを持って歩き出した。


 柳橋の辺りまで来た時、剣戟(けんげき)の音が聞こえてきた。

「もう出てたのか」

「違う。複数の人達が斬り合ってる。辻斬りじゃないと思うわ」

 花月が走り出す。

 光夜も提灯の火を消して放り出すと後に続いた。


 どこか家臣(かしん)らしい武士達と、黒い覆面(ふくめん)をした三人の侍が斬り合っていた。

 家臣達の後ろには上等な籠が置かれていた。

 籠を(かつ)いでいた六尺(ろくしゃく)らしい者達は離れた場所から様子を見ている。

 家臣達が()られたら()ぐに逃げるつもりなのだろう。


「ぐあっ!」

 家臣らしい男の一人が腕を斬り付けられて刀を取り落とした。

 見ると既に一人倒れている。

 覆面の一人が傷付いた家臣に(とど)めを()そうと刀を振り上げた。


「待て!」

 花月は刀を抜くと覆面と家臣の間に入った。

 光夜も覆面達に刀を向ける。

 覆面が花月に刀を振り下ろした。

 花月はそれを()けると、そのまま首筋を斬る。

 覆面が血を吹き出しながら倒れる。


 二人目の覆面が向かい合っていた家臣を斬り殺すと花月の前に立った。

 三人目は別の家臣と戦っている。

 籠の主を守るためか皆抜刀(ばっとう)して構えてはいるものの周りを固めているだけで覆面と戦っている家臣に加勢(かせい)しようとする者はいなかった。


 こいつ、かなりの手練(てだ)れだ……。

 光夜は花月の前にいる男の左(なな)め後ろに回った。

 覆面の男が光夜に隙を見せないようにしながら花月と五間の間を置いて対峙(たいじ)する。

 花月と向かい合っていた覆面が(にじ)り寄るように(わず)か踏み出した。

 と思った刹那、一気に花月との距離を(ちぢ)める。

 速い……!

 覆面が花月の喉元めがけて鋭い突きを放つ。

 花月が右足を引いて(たい)を開きながら、覆面の刀を(はじ)くのと、光夜が刀を振り下ろすのは同時だった。

 覆面は横に移動して光夜の刀を()けながら花月に向かって袈裟に斬り下ろす。

 花月が素早く後退(あとずさ)って刀を(かわ)す。

 覆面はその勢いのまま横に払って光夜の刀を(はじ)いた。

 その隙に花月が踏み込んで男に突きを()り出す。

 覆面が逆袈裟に斬り上げようとしたところに光夜も刀を突き出した。

 覆面が斜め後方に後退しながら刀を払う。

 光夜の袖の端が切れた。


 (つえ)ぇ……。

 花月と光夜の二人掛かりでも覆面には及ばない。

 二人の連携(れんけい)が取れているから()られないだけだ。

 覆面が刀を振り上げた時、

「そこで何をしている!」

 若い男の声と共に、こちらに駆け寄ってくる足音がした。


       四


 覆面達は顔を見合わせると若い男の方へと走り出した。

「危ない!」

 花月が声の主に向かって声を上げた。

 覆面は二人だ。

 よほどの(つか)い手でもない限り一人では(かな)わない。

 覆面の片方が刀を振り下ろした。

 若い男がぎりぎりで(かわ)す。

 覆面達は若い男の横を通り過ぎて闇に消えていった。


「ご無事でしたか!?」

 若い男が走り寄ってくる。

 信之介だった。

 花月が信之介に声を掛けようとする前に、

「お陰で助かり申した」

 年配の武士が花月達に礼を言った。

「礼には及びませぬ。それより怪我(けが)をされた方がいらっしゃる御様子(ごようす)。よろしければ途中まで御同行致(ごどうこういた)しましょう」

 花月が低い声で年配の男に向き直って言った。

「かたじけない」

 無事だった家臣が殺された者の遺体を土手の草叢(くさむら)に運び込んでいる。

 後から籠で引き取りに来るのだろう。


 六尺達が戻ってきて籠を(かつ)いだ。

 花月達と家臣達は籠を囲むようにして歩き出す。


「よろしければ、そこもと達のお名前を(うかが)いたいのですが」

 花月は、名乗ろうとした光夜の前に手を上げて遮ると、

「申し訳ない。夜遅くに出歩いていた事が知られれば処分(しょぶん)を受けます(ゆえ)御容赦(ごようしゃ)を」

 と言って断った。

 年配の男も食い下がろうとはしなかった。


 大名の上屋敷が立ち並ぶ一角まで来ると、

「それではこれで」

 花月は軽く会釈(えしゃく)して踵を返そうとした。

「お待ちください。これを」

 年配の男が紙包みを差し出す。

 小判三枚ってとこか……。

 光夜が素早く見て取る。

気遣(きづか)御無用(ごむよう)

 花月がそう断って歩き出すと光夜と信之介も後に続いた。


 家臣達の姿が見えなくなるところまで来ると、

「村瀬さん、有難う。本当に助かったわ」

 花月が普段の口調に戻って言った。

「いえ……」

 信之介は暗い顔をしている。

「どうかしたの? まさか怪我(けが)でも……」

 花月が振り返った。

「いえ、違います」

「じゃあ、なんだよ」

「あの三人は拙者(せっしゃ)の方へ駆けてきました。光夜殿の方ではなく。拙者の方が弱いと見て取ったからでしょう。拙者なら簡単に倒せる、と」

 信之介が落ち込んだ口調で答えた。

「お前が一人だったからだろ」


 信之介ではなく光夜に向かっていたら花月や無事な家臣達が加勢したはずだ。

 それでは逃げられなかった。

 花月がそう説明すると、

「ですが拙者ではなく、師匠や若先生だったら光夜殿の方へ行っていたはずです」

 信之介は暗い表情のまま言った。

「馬鹿か、お前は。師匠達と比べるなよ」

 光夜は呆れて言葉を返した。

 師匠達を自分達と同列に語るなど烏滸(おこ)がましいにも程がある。

 だが信之介は黙り込んだままだ。


「強くなりたい?」

 花月が優しく訊ねた。

「はい」

 信之介が花月を見て頷いた。

「ありきたりな事だけど、稽古に(はげ)むしかないわね。師匠や若先生だって幼い頃からずっと稽古を続けて今の強さになった。それは(みんな)同じ。一度戦えば、それだけ強くなる。戦いを繰り返すことで少しずつ強くなっていくの」

「戦って……」

「言っとくけど、辻斬りしろって意味じゃねぇからな」

「そのような事は承知している」

 信之介がむっとした声で言った。

「辻斬り退治するために夜道(よみち)彷徨(うろつ)くのも辻斬りと同じだからな」

「そうね。辻斬りをするような連中にも身内(みうち)がいる。戦って勝つという事は(かたき)を作ると言うこと。剣士として生きていけば仇は嫌でも出来るけど、必要もないのに作ることはないわね。それが活人剣(かつにんけん)の教えよ」

「はい」

 信之介は殊勝(しゅしょう)な顔で頷いた。


 翌朝、弦之丞に朝の挨拶をすると、

「辻斬りは出たのか?」

 と()かれた。

 花月が、やっぱりバレてたねと目顔で視線を送ってくる。

「いいえ、出ませんでした」

 花月は()ました表情で答えた。

 それから真面目な顔になると前夜の経緯(いきさつ)を話した。

「そうか。出掛ける時は必ず光夜と一緒に行くように」

 やはり弦之丞は二人一緒なら大丈夫だと判断していたらしい。


「そこまで!」

 花月がそう言うと、光夜と信之介は木刀を降ろして礼をした。

「あの、花月さん、今夜も同じ頃で()いんでしょうか?」

 信之介が真剣な面持(おもも)ちで(たず)ねてきた。

「何が?」

「何って……今宵(こよい)も柳橋に行くのでは……」

「ああ、それね」

 信之介は当然今夜も花月や光夜が柳橋へ行くと思っていたらしい。

「行かれないのですか? てっきり麻生殿の仇をうちに行かれるのかと……」

「麻生の仇って、お前、あいつとそんなに親しかったわけじゃねぇだろ」


 そもそも仇というのは基本的に親か、せいぜい祖父である。

 兄弟でも兄なら認められることはあるが親しいだけでは仇討ちとは認められない。

 私怨(しえん)によるただの殺人と見做(みな)される。

 当然犯人だという事がバレたら処分を受ける。

 武士だろうと殺人罪は重罪なのだ。


「夕辺は野次馬根性(やじうまこんじょう)で行っちゃったけど、麻生さんが運悪く辻斬りにあったならまだしも、力試しのためにわざわざ辻斬りを捜して夜更けに彷徨(うろつ)いてたんだとしたら仇討ちって言うのもね」

「武田や坂口でさえやらないのに(なん)で俺らが行かなきゃいけねぇんだよ」

「必要のない殺生(せっしょう)はうちの活人剣(かつにんけん)の教えに反するから」

「……そうですか」

 信之介が肩を落とす。

 花月と光夜は黙ってその姿を見ていた。


 その夜、花月と光夜は柳橋に向かって歩いていた。

「面倒くせぇな。なんでまた行かなきゃなんねぇんだよ」

「村瀬さんにもしもの事があったら困るでしょ。行ってみて来てなければ帰ってくれば()いんだし」

 花月は活人剣の教えを持ち出して釘を()したが信之介は賊が自分の方に向かってきたことをかなり気にしていた。

 商家への婿養子の件もあり、武士として自分の力量を示したいと思い詰めていてもおかしくない。


「きっと、分かってねぇよなぁ」

「え?」

「あいつ。人を斬るどころか、多分、真剣を振るった事さえねぇだろ」


 麻生はたまたま弱い破落戸と戦ってあっさり勝ってしまったのが運の()きだったのだ。

 その次の相手も大した実力がなかったか、下手をしたら(ろく)に喧嘩もしたことがない武士で辻斬りですらなかったのかもしれない。

 そんな人間を斬ってしまったが故に自分の実力を見誤り、思い上がった末、力量を見極められないまま強い相手に(いど)んで斬られてしまったのだろう。

 もし最初の破落戸達が喧嘩慣れしていたら……。

 刀を持ってる相手とも互角に(わた)り合えるような連中で、麻生達が負けて怪我(けが)でもしていれば今頃は()だ生きていただろう。

 例え二度と刀を握れなくなっていたとしても。


 信之介も(おそ)らく自分の力を示したい一心で相手の実力も(はか)れないまま突っ込んでいってしまうだろう。

 それが何を意味するのかも分からずに。

「光夜! あそこ!」

 花月が指した先に複数の人影が見える。

 花月と光夜は人影に向かって駆け出した。

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