妹は超人暗殺者
「この肉、硬くて食えやしないな」
隻腕の男は言った。
肉をフォークに刺し、口まで運んで肉を噛み切る。ナイフとフォークを片腕ではうまく使うことはできないから、隻腕の男は肉は大抵このようにして食べた。
「ラム肉なんだから仕方がないだろう。我慢しろ」
隻腕の男の前に座る椅子の前のテーブルを挟んだ先に座る隻眼の男が言った。
二人の男は、深夜のダイナーで遅い夕食を食べていた。
そろそろ夜は明けそうなため、夕食というよりも朝食に近いのかもしれない。
ダイナーには、二人以外には窓際でタバコをふかしているピンク色の髪の女性と、入り口付近でハンバーガーを頬張るスキンヘッドの男性だけだった。
ダイナーの照明はときどき点滅を繰り返した。場末のダイナーであるため、設備はあたらしくない。真夏の夜ではあるが、エアコンも止まったり動いたりを繰り返している。
ここは、この世界の長距離移動者にとっては天国のような場所であるが、大抵の人にとっては縁がない場所である。営業するのがやっとのようである。
「いらっしゃい」
カウンターの中に居るダイナーのマスターが、入り口から入ってくる客に声をかけた。
こんな夜更けに誰だろと怪しんだが、待望の客である。拒否する理由がない。
入り口から入ってきたのは、大きい黒いサングラスをかけた女性だった。白いTシャツにブルーの短パンというラフな格好であるが、足元はしっかりとした黒いブーツを履いていた。
上背はない。黒いサングラスのせいか年齢がよくわからなかったが、Tシャツから伸びる腕は白く艶やかさを感じる肌であり、若さを感じた。
女性は隻腕の男と、隻眼の男が座る席に向かって歩いた。
ハンバーガーの男や、タバコをふかしているピンク色の髪の女性などに見向きもせず、男たちの方に向かった。
「なんだてめぇ。 こっちをみるんじゃねぇよ」
隻腕の男は女性に向かって、話しかけた。
隻腕の男の問いかけに、女性は沈黙の姿勢で答えた。
「兄弟、こいつ女だぜ」
隻眼の男が隻腕の男に向かって話すと、驚きの表情を浮かべた。隻腕の男は、素行も悪いが男女の区別もつけられなかった。
二人組の男は、一瞬油断した。
そして、その油断が彼らの死を招いた。
サングラスの女は腰に隠し持っていた銃を取り出し、隻腕の男と隻眼の男の頭にそれぞれ一発ずつ銃弾を撃ち込んだ。男たちは、無言でそのままダイナーのソファーに頭を打って倒れた。
あまりの一瞬の出来事に、店内にいた客は、銃声のあった方向に体を向けることはあっても声を出せなかった。
サングラスの女は銃口から上がる煙が上がった銃を再び腰に戻した。
白いTシャツには、赤い返り血を浴びていた。そしてそのまま無言で店から出ていった。
マスターは急いで店にあった固定電話の受話器をあげて警察に通報しようとしたが、ボタンを押しても反応がなく、通信がつながっている気配がなかった。
『任務完了したわよ』
サングラスの女は、ダイナーから数メートル先に止めておいた年季の入ったドイツ車の中にいた。車の中に設置してある無線機を通じて自らの任務を報告した。
『ご苦労さま』
無線機から発せられる男の声に、サングラスの女は耳を傾けた。
『こんな任務、私には簡単すぎるわ』
『そんなことを言うな。我らの組織も大きくなりつつあるものの、人手が足りないのだ。先の作戦で多くの人員が命を失ったのだから。君もそれは十分理解しているだろう』
『はいはい』
サングラスの女は、後部座席に用意しておいた着替えの入ったボストンバックを取り、助手席に置いた。
そして返り血を浴びたTシャツを脱ぎ、ボストンバックから代えのTシャツに着替えた。
『おい、着替えをしているのか』
『悪い? だって返り血を浴びたんだもの。いつまでも着てはいたくはないわよ』
『そこは車内だろう? 外の人間に見られたらどうするんだ。君はまだ嫁入り前の......』
『こんな夜更けに誰が、こんな場末の道を通るのよ。だいたい嫁入り前を心配するなら、人殺しなんてさせないでくれるかしら?』
サングラスの女の言葉はもっともであった。
無線越しの男も『確かに』という以外の言葉がなかった。
しばらくの沈黙の後、サングラスの女は車のキーを回してエンジンをかけた。
『また次の任務があったら連絡して。私は今日は帰るから。それじゃまたね』
無線を切って、アクセルペダルを強く踏み込んだ。
この世界は、一度崩壊している。
物理的に崩壊したわけではない。隕石が落ちたとか、火山が噴火したといった災害の類ではない。世界大戦が起こり多くの人命が消えたわけでもない。
人類は驚異的なスピードで成長を果たした。いくつかの高度成長期を経て、人類は様々なネットワークとつながった。ネットワークにつながることによって、人々はさらに進化していった。
ある人は、記憶力を高め、ある人は肉体的な強さを高めた。
しかし、それらの進化はネットワークの崩壊によって崩れ去った。反社会的なハッカー集団が、ネットワークによる人類の進化を嫌がったのだ。
ネットワークは最高峰のセキュリティが組まれており、いくつものハッカー集団がハッキングを試みるものの成功することはなかった。難攻不落、誰しもがそう思った。
ある時、日本の田舎の山奥に住む青年がネットワークのハッキングに成功した。その青年の名はレイ。
ハッキング集団の人員は世界各地にいたが、それぞれがどこにいるのかは誰もわからなかった。
ハッキングが完了すると、彼らの想定とは異なる出来事が起こった。
ネットワークに繋がれた一部の人たちが、一斉に意識を失ったのである。そして意識は戻らないままとなってしまった。
ネットワークを管理していた政府は、事実を釈明するものの国民の反乱は治らなかった。
そしてこの出来事は数多くの国々で起こり、同様に国民の反乱が起こった。
各国の政府は、この現状を打破するためにはハッキング集団を捕まえることが最重要であるという結論を出した。
彼らには多くの賞金がかけられた。特に主要な人物には、一生かかっても手に入らないような賞金がかけられていた。多くの者たちが、この賞金をめがけてハッキング集団の捜索に乗り出したのである。
意識を失った人のうち、実は一人だけ目を覚ましていた。名は、アン。レイの妹である。
レイが必死にネットワークの仕組みを分析した結果、奇跡的に意識を戻すことができた。
しかし、完璧に戻ることはなかった。自分の名前とレイが兄弟であるということ以外は思い出せなかった。
それでもレイは必死に妹の面倒をみた。最初は元気がなかったアンであったが、レイの懸命な看護により次第に元気を取り戻していった。
ある時、アンは山の中で足を滑らせて崖から落ちそうになった。
隣を歩いていたレイは、気づいた瞬間にはすでに妹の姿は消えていた。
妹の命はこんなにも簡単に失われるのか、とレイが絶望した時だった。
アンは崖を駆け上り、レイの前に姿を表したのである。
レイは驚いたが、アンは平然な顔をしていた。
この出来事をきっかけに、アンの身体能力の高さをレイは認知した。
ネットワークに繋がれていた影響でアンの身体的な能力は飛躍的に向上していたのだ。特に、筋力、跳躍力、銃の取り扱いの巧さが際立っていた。
アンの身体能力の異常性に、違和感を感じたレイは再度政府のネットワークをハッキングを行なった。
すると、驚きの事実を発見した。『超人類計画』という、漫画のようなタイトルの付された研究である。
人間の能力を向上させ、来たる世界大戦の兵士を簡単に且つ低コストで創造するという研究だった。
冗談のような本気の話だったようだ。
きっと、ハッキング集団の中にこのような計画を見つけた人物がいたのだろう。
故にこのハッキング合戦は止まらなかったのだ。この超人類計画を止めるために。
古いドイツ車は、平屋の前に止まった。
車のドアを開けて、サングラスをかけた女は車から降りた。
「ただいま」
平屋の扉を開けて、サングラスをかけた女は入っていた。
「アン」
アンと呼ばれたサングラスをかけた女は、持っていたボストンバックを玄関の下駄箱の前におろして部屋にあがった。
「仕事はどうだった。順調だったかい」
部屋の中央にある小さなテーブルの前の椅子に、腰掛けている人物がアンに話しかけた。
「順調も何も、さっき報告した通りよ。無線で連絡しあってたじゃない」
「そうだったね。このデジタルが発達したご時世にかなりアナログな無線を使っているからね。傍受される危険もある。身近な人間はなく、組織っぽさを出すためにはあのやりとりが必要なのさ」
「それが、この流れなわけ?」
「そうなるね」
「まったく、レイ兄はそういうところ神経質だよね」
「褒めていると受け取っておくよ」
アンは、小さいテーブルの前に置かれた椅子に腰をかけた。
テーブルの上に置いてあったペットボトルの水の蓋を開け、そのまま一口飲んだ。
「そうそう、次の任務だけど......」
「また人でも殺せと?」
「ああ。でも、今度はもっと強敵だと思うよ」
「強敵」
「政府の要人。多分僕らの目的に近づくと思う。彼からは貴重な情報が取れるはずなんだ。超人類計画を阻止するための貴重な情報がね」
アンは、両手を頭の後ろにやり深く椅子に腰掛けた。
「早く普通の女の子に戻りたい。恋がしたい」
「別に今も恋はできるだろ」
「こんな脚力と銃の腕前を持った女に誰が声をかけるっていうのよ。銃の扱いじゃなくて、包丁の腕前を磨きたいわ」
「ナイフ使いの方がよかった?」
「バカにしてるの? というか、最初の頃はレイ兄は私がこんな体になって深く落ち込んでたのに、今はなんだか楽しそうよね」
「そんなことはない。でも、現状は楽しむべきだと思ってね。早く治ってほしいのももちろん願ってるし、忘れてない」
彼らの戦いはこれからも続く。政府の超人類計画を壊すために。
昔見た映画のワンシーンをアレンジしたくて試しに書いてみたのでした。