4 宣伝方法
別に小説家になりたいわけじゃないなんていったけど、かといって書いていられりゃ誰にも見てもらえなくてもいいとも思っていない。
一年たってこう眺めてみると、結構たくさん書いていることに気づく。私のお家に私専用のノートパソコンちゃんがやってきたのはこの半年くらいのことで、それまでは携帯でぴこぴこ執筆していた。パソコン使う仕事もしていたし、ワープロは子供の頃に触っていたのでタイピングは得意だ。パソコンのほうが書きやすいし、他の作者様方の作品も読みやすい。だが、一方で悪影響もある。
ほとんど携帯からサイトに来なくなったので、携帯から見るという読者様への配慮に欠けている。一行あけやら、段落の始めの空白をあけないやらは、心情的にできないので、そうでない小説は読まないと決めてらっしゃる読者様は仕方がない。私がト書き形式の作品は読めないのと同じであきらめる。だがそれだけではなく、長いのだ。
まず、センテンス。そして一段落。それから作品自体。携帯から書いていたなら連載小説という形で区切ったであろう小説を、つらつらと短編小説で投稿している。これは多分よろしくない。ちょっと反省しておこうと思う。
私はたいてい「文学」のジャンルに投稿するが、ごくたまに「恋愛」のジャンルに投稿した作品もある。ほとんど詩のような短いものだ。もともと惚れた腫れたを書くのはちょっと苦手だ。それでも「恋愛」を書いたのには、わけがある。「恋愛」のジャンルは「ひょえ〜」というほどアクセスが多い。私が書いた作品の中で、十ヶ月たってやっと一五〇〇アクセスが一番多いのだが、「なにそれ? 一日分? あはは〜ん」と言わんばかりである。
アクセス稼ぎのための片手間か! といわれそうだけど、それはそれで真剣。
「あれ、この作者さんいいなぁ〜 他の作品も読んでみたいなぁ」
と別の作品も読んでいただくための罠なので、かなり頑張って書く。その罠は成功しているか、さだかではないけれど。
ところで、このジャンルについてだが、ちょっと悩んで問い合わせたことがある。私は文学だと思っているけれど、恋愛を下敷きにしたものをそのジャンルに載せていいのか、ということだ。
だいたい文学の定義とはなんぞや、と思う。ときどき『ジャンルがちがうんじゃないですか』という評価を目にすることがある。そうかなぁ……と私は思うことが多い。たぶんその評価をしているひとは、そのジャンルに熱い思いがあったり、確固たる定義を持っているのだと思う。私自身、自分の作品がジャンル違いで、どなたかに不快感を与えているのではないかと思い、問い合わせた。
「作者様にお任せします」
との返答だった。今考えるとこんなことで手を煩わせてしまってごめんなさい、だ。
音楽やってるというと『なに系?』と聞かれることがよくある。『銀河系』です。はてしなーいかんじ、とはぐらかす。だって自分でもわからないんだもん。演歌とラップではないことだけは確かだけど、他の細かいことはわからない。『R&B』ですら、世代によって思い浮かべるものが違うと思うから。だから作者が言い切ればそれでいいんじゃないかな、なんて思っている。
恋愛ものは一瞬のアクセス増加にはなるけれど、廃れるのも早い。なんにせよ古くなった作品はだんだんとアクセスが減ってしまうけれど、恋愛ものはそれが顕著だ。こっぱずかしい思いと葛藤して嵐を起こしていってくれた作品は、今では私の心の中でさえ、片隅に追いやられている。いや、意図的かな。だって恥ずかしいんだもん。でも、ときどき読み返したりもするのは、怖いもの見たさなどではなく、ちゃんと自分の作品を愛しているからです。
あとは読んでいただけるように、出来上がり次第投稿するようにしている。名づけて『私はここにいます』作戦。『忘れないでね』作戦のほうがいいかな。
私は面白いものはかけない気がするし、書きたいのではない気がする。ただ、いいものを書きたいし、それを書いていれば自然に読んでくれる人も増えると思う。一人でもアクセスがあったらうれしくなる。どんな人が読んでくれたんだろうか、なにか感じてくれただろうか、と。もっとも、みんながいいと思うものではなく、自分なりにいいと思うものしか書けないけれど。
そろそろ恋愛ものを書こうかな。もちろん、まじめに。気合を入れて。
そういえば、誰かのエッセイの中で
「若い人は恋愛してるときには書かないもんだよ」という台詞があったが、誰の本だったかな。
じゃあ、今恋愛してないんだな? なんて……それは秘密です。