28 あきらめない
サイトをチェックしてくれている友達に、「最近書いてないよね」といわれてしまった。その通りである。最近、書いていない。新人賞の応募用の原稿も進まない有様である。
何かがあったのかといわれればあったし、なかったのかといわれればなかった。日々の生活なんて振り返ってみればたいしたことがなく、今はまだ過去のことよりも過ぎ去っていくたった今に精一杯なくらいは若さを保っている――つもりなのだが、大量に発生した白髪がとうとうおしゃれ染めでは染まらなくなり、再度白髪染めを決行したことは、かなりへこんだ出来事である。
信頼して頼っていた人に裏切られたのも、へこんだ出来事だった。不可抗力で仕方がないといえば仕方がなかったのかもしれない。それでも私は相手を責めた。私の立場からすれば、仕方ないよね、というべきではないと思ったからだ。悪いのはそれから先だ。相手は一度だけ釈明した。それ以後の連絡はない。
それが切ない。
結局それまでの薄っぺらな付き合いだったのだと思うと同時に、そんな薄っぺらな付き合いを信頼して頼っていた自分が情けなかった。
「もう忘れよう」
そう決めてやっとあきらめかけられた頃、今度は私が誤解を受けた。不可抗力というよりは、私としては思いやりと思ってとった行動が、相手には裏切りに感じられた様子だ。その思考が全面的にわからないというわけではないので、自分自身にも反省すべき点はある。素直に謝りたい。だが、そのような誤解を受けてしまう相手だけに、謝り方が肝心だと思う。
どこかのヒーリングメッセージの中に、
「いいたい言葉と届く言葉は違う」
という記述があったことを思い出す。このエッセイの中でも書いた。つい最近、「ことば小説」に参加してそのようなことを書いたばかりだということもあり、思案中である。
しかし、これまでの自分といえば、先に私が責めた相手のように簡単にあきらめてしまっていた。面倒なことをするよりは、前へ進んでいこうという気持ちのほうが強かったのかもしれない。たった今よりも過去を大切にし始めたのだとしたら、その分だけ老いているのかもしれない。はたまた似たようなことがあったから意固地になっているだけなのかも。
理由は何にせよ、今の私はわかって欲しいと思っている。それを伝えたいとも。結構勇気のいることだし、根気も必要だと思う。誤解を受けているこの状態は、本当に胸が痛い。それでもなんとなく気力がわきあがっている自分を大切にしたい。
一度ではあきらめず、何度でもチャレンジしよう。
そういえば、娘の父親は三回も振ったにも関わらずあきらめずにいたな、なんて二十年近く昔になったロマンスをこっそり思い出したりして。結局、離れ離れの今ですが、それはそれでいい思い出です。