27 そうよ、私は腐ったみかん
久しぶりに短編文学作品を投稿して愕然とした。
きっちり「春一番」を時事ネタに書いたのに、「バレンタインデー」作品が目白押しではないか……スウィートなタイトルのお陰で際立たせていただいた自作のタイトルは「死神の子」――おおよそ世間のカップルたちがちちくりあう日には似合わない題名で少々申し訳なく思う。内容はロマンスのつもりなのだがこれがまた物騒なものが出てきたりして……
文学、しかも短編なんてところに投稿していて、さらに最近ではランキングサイトに登録すらしていないし、ブログは事実上お飾りとなっている今、なんとなくアクセス数が気になってしまう。前作のアクセスを見たら三百弱。なにもしてないわりにはいいんじゃないの? と思いきや、これ投稿したのが三ヶ月前。なんとも怠惰な投稿状況だと反省し、「ナオミ」を投稿したら暇を持て余してちょうど見たという友達から間髪要れずに電話がかかってきて、「死神の子」において片桐は死んだのか否かとか、何故プリンなんだとか長いこと食っちゃべっていた。
この友達はそれこそ「ナオミ」のようで、私が夢中になったことをとりあえずやってみるという性癖を持つ。この間は、
「ダーツカード作ったよ!」と意気揚々と連絡を頂いたが、私はすでにマイダーツがどこに行ったかわからない。そもそもダーツはお付き合いでやっていたので、そのお付き合いとのつながりが完璧に、恐ろしいほど綺麗さっぱりと切れてしまったので(切れてくれていないと困るので)、すっかり興味がなくなっていた。
その友達にこのサイトのことを話すのをすっかり忘れていて、やっとお知らせした頃には「パドックのこちら側」も半分くらい進んでいたような気がする頃である。友達は競馬のブログを始めた(競馬はやつのほうが上手であり、たまに「馬友」として「パドックのこちら側」にも登場している)。
とりあえずやってみる病のお陰で、読書も似たように偏っているので新人賞応募作もこの友達に読んでもらったのだが、それがどうやら心に火をつけてしまったらしい。せっせと小説らしきものを書いているようだ。
「一人称と三人称はどう使い分けるのか」
「時系列を重視すると過去形ばかりが続いてしまうのはどうすればいいのか」
「読み返すたびに書き直してしまうのはどうすればよいか」
などと質問を浴びた。仕方がないので、
「一人称と三人称は――好きなようにしろ。でも概ねどちらかにそろえろ」
「時系列なんてわかればいいんだから気にするな。どうしても嫌なら体言止めを途中に入れてごまかせ」
「読み返す前にとりあえず最後まで書いてしまえ」
と適当に答えてやった。でもそれだけではそのうち私の小説の添削をしてもらえなくなるので、新人賞に応募した原稿の時系列やら人物設定やらプロットを送っておいた。
それを見返すと、そこここにこのサイトに投稿した短編に出てくる人物がいるのである。人物は違うがその背景の設定が同じという者もいる。要するにここで確立したキャラクターたちが、長編で活躍している。そういう練習の場に、知らず知らずのうちに短編を書いていたのだなという結論に達した。道理で。長編書くのに詰まったら、こっちに短編書きに来るわけだ、と勝手に納得した。
もう一人、このサイトを教えてくれといってきた人物がいるのだが、
「小説家になろうで検索しろ」といったらそれ以来連絡がない。起動の仕方すらわかっていなかった輩のため、初めて買ったパソコンが無事かどうかが心配である。そもそも漫画すらまともに読まないっていっていたのにどんな心境の変化があったのだろうか。
どちらにしても一人でも文字の世界に興味を持つ人間が地球上に増えるというのは喜ばしいことである。今後もじわじわと蝕んでいってやるぞ、と決意を新たにする。
そうだな、まず手始めにこの辺りのデザートワインたちからはじめるか。近所のヴィンテージ73は、シャルドネが多い。立派な貴腐菌がしっかり繁殖しているようだから、文字の文化に弱い輩も多いだろう――とこの文にくすりと笑えた人はきっと二十歳以上でしょう。