25 人を殺すのは大変
新年早々、物騒な話だが、今とても困っている。
前回、長編に挑戦していることをお知らせしたが、これ結構早くに第一稿は脱稿した。紆余曲折があったものの、十二月の半ばには書きあがった。
最初は、ヒューマンドラマを主体とした純文学チックなものになるはずだった。ところが、真ん中辺りまで書いた時点で名作とされるミステリを読んでしまったためか、はたまた最初から本当はそうなるべきだったのか、「なんとなくミステリ」といった感じで完成してしまった。しかもなんとなく。途中からどんどん主人公は嫌なやつになっていき、果てしない様相を見せて終わった。
参った。
何がしかの新人賞に応募する予定なので、ウェブで発表というわけにもいかぬ。悩みに悩んで友達に読んでもらうことにした。そこでだめだしをもらい、第二稿へ。さらに主人公は悪いやつになる。それでも、友達が指摘してくれるというありがたい状態のため、作品としてはよくなっていっているはずだった。
ところが。
やはり人間。第四稿あたりで、事実上のギブアップ宣言がでてしまった。
「何度も読んで、いいか悪いかわからなくなってきた」
というのである。困った。とりあえず、しばらく寝かしてみるか、とする。
そして、四日ほど寝かして読んでみると、なんだか物足りない。短絡的な某、とりあえず大筋には特に支障のない二人ばかりを殺してみることにした。
これがとっても難しい。
事故なり、病気なりで死者が出る話はこれまでにも書いたことがある。しかし、人が人を殺す話は読むばかりで書いたことがない(はず)。もちろん実際に殺した経験もない(はず)。参った。どうやって書いてくれよう。おかげで友達やお客様との年末の話題は、「いかにして殺すか」とか「誰を殺すか」とかいうとても穏やかではないものになってしまった。
いや、殺すこと事態はそれほど難しくはない。だが大筋で「人間」を書いているからして、はい殺しました、そのあと残された人は大変でした、はい犯人捕まりました――ではすべてが水の泡になってしまうのである。今まで斜め読みで右から左へ読み飛ばしていたトリックスターと呼ばれる小説家先生みなさまがた一人ひとりに謝罪して回りたい気分である。
というわけで、「殺す」ために半分あたりまで整合性に気をつけて書き直しながら、実際に「殺した」ところで完全に筆がとまってしまい、こちらに逃げてきた有様である。
紙の上でにしろ、犯罪を犯すというのはこれほど大変なことなのかと実感した。もちろん、実際に殺人を犯す予定はないのだが、どのようなことなのかを考えさせられている。被害者、加害者、遺族。そして筆を持つというのは現実に手を下すことよりも、時には人を傷つける場合もある。そんなことを改めて考えた。
もう一度、今回の自作について考えてみたい。本当に誰かを死なせければいけないのか。それが主題である思いを強烈に伝えために本当に必要なことなのだろうか。そうして、新たな目標を見出した。
いつか誰も死なないミステリを書いてやる。もちろん夢オチなしで。