24 長編に挑戦
ちょっと誉められたことに気分をよくして、長編小説を書き始めた。
長編小説は書いたことがない。というより完結したことがない。
「書きたい!」と思うと、とりあえず書き始めてしまう性分のせいだ。集中している間はいいのだけれど、それが途切れると一気に筆が進まなくなる。何を書きたかったのかわからなくなってしまうのだ。ただ「書きたい」という気持ち先行で、頭の中にしかプロットを置いていなかったのが大いなる間違い。
今回も然り。とりあえず書き始めた。
が、だんだんごちゃごちゃしてきてしまい、
「これでは今までの二の舞だ!」
と、とりあえず、人間相関図を書いてみた。この作業にいたるまでにすでに書いていた枚数は六十枚。
人間相関図だけを見ながら、また書き始める。まだ冒頭部分だけだというのに、百枚を超える。
「せっかくだから何かの新人賞に応募しよう」
なんて考えを持っていながら、全く募集要項を見ていなかったので、とりあえず確かめてみると、大体四百枚程度なのだ。――絶対に収まらない。主題はいいのだが、副題が多すぎる。人間相関図を狭める作業に入る。
と共に、やっとプロットらしきものを書いてみる。自分の経験や知っていることはいいのだが、知らないことも書こうとしている自分に気がつく。まずい、と思い資料を集める。すると、主要人物のものの考え方がその立場に当てはまらないという致命的な欠陥に気がつく。
「遅いって……」
と自分に突っ込みをいれながら、人物の設定をしなおす。変化するのが主要人物なので、おのずとその周りの人物にも変化が生じてくる。
これで、なんとかなるだろうと、約百七十枚の原稿をボツにして、初めてスタートラインに立つ。とりあえず最後まで書きたい気持ちでいっぱいなので、情景描写などは簡潔にしておいて、その代わりに、
「ここで飲んでいるシャンパンはテタンジェ」だとか、
「ここで主人公がつけている香水はベラミ」などとメモを残しながら先を急ぐ。三分の一弱書いて約八十枚。三百枚程度書いておいて、描写を後から五十枚程度分付け加える予定であるからして、中々のペースである。数字好きの私には、内容よりもこの課程が上出来なことが一番嬉しいというおかしな現象に陥っている。
今回、「結婚について」の資料を読んだ。結婚願望のない私がそこにまつわる話を書くという時点で大間違いかもしれないけれど、大人が主な登場人物である場合、切っても切り離せない社会制度なのでこの際勉強してみるかと思ったわけである。でも普通の資料を読んでもつまらないので、「男性を結婚したい心境に陥らせる方法」的な資料を読んだ。これがものすごく面白い。
男女の考え方には大きな隔たりがある。仕事上、たくさんの心理学の本を読んでいるので、頭ではわかっている。それでも某、一応女性なので、どうしても考え方が偏ってしまう。この資料には、性別で陥ってしまう心理状態などが詳しく書かれていた。本題はそういう資料じゃないのだけれど、私にはそこが一番勉強となるところだった。ついでに、庶民とセレブの違いについても書かれていたのだが、それも面白かった。知らない世界を垣間見るというのは、小説を書く上でも、人生の経験という上でも楽しいものだ。資料を集めるときに、その物事自体を検索するのではなく、派生させたものを集めるのも、在り来たりでない作品にするには有効な手ではないかと思った。
今回、私が作成したのは、人物設定(人物相関図)、主題と副題、主題の伏線について、プロットの四つ。それと描写用のメモなんだけれど、他の作者さんたちは四百枚程度の作品を書くときにどれくらいの下書きというか、用意をするのだろうか。短編の場合は、人物がいて、そこに事件があって、結末がわかっていれば、人物たちが勝手に動いてくれるので筆もどんどん進むのだが(だから描写が薄くなるのか――反省)、長編の場合はすり合わせが必要だ。もしかしたら、今後タイムテーブルも必要になるかもしれない。いや、本当はすでに必要なものだろう。
……いや、やっぱりすでに必要だ。ああ、また書き直しか……なんにせよ、小説は完結してなんぼである。