20 ペンネームの由来
妹にペンネームを言ったら、
「またうっとうしい名前やな」とばっさり切られ、知り合いには、
「こころざし(志)のうち(内)にほのう(炎)を秘めてるなんてすごい名前だよね」といわれたが、全く持ってそんなこと考えてもいなかった。
苗字の「志内」は旧姓である。といっても私は結婚したことがないので、要するに父方の苗字で、親が離婚して以来三十年余りは今の苗字を名乗っているから旧姓とは言わないのかもしれないが、生れ落ちたときには確かに私は「志内」さんだった。だから苗字は、
「とうちゃんからもらおう」と決定した。
名前のほうだけれど。私の本名は非常に珍しい。最近では変わったお名前をお子様につける方が増えている。多分、それでも珍しい。同姓同名に至っては日本に二人といないかもしれない。その点で電話番号案内ともめたことがあるほど珍しい。名前だけで電話番号が案内されてしまうからだ。もちろん、クレームつけた上で止めてもらった。そんなに珍しい名前なので、名前を忘れられるということはほとんどなかった。学生時代も先生からも苗字を呼ばれることはほとんどなく、常に名前を呼ばれていた。
ところが、あるときに出会った人が、どうしても私の名前を覚えられず、私のことをずっと『ほのおちゃん』と呼んでいた。慣れ親しんできて、親からもらったものの中で数少ないありがたいと思い気に入っている名前を覚えてもらえずちょっとショックだった。それを思い出し、いただくことに。語呂を考えて「えん」とした。
というくらい適当な名前の付け方をしている。娘の名前も字画や両親から一文字みたいなことを全く考えず、意味と音だけでつけたら、あまり画数はよくないらしい(すまない)。それでもそこには私なりに大切な意味があり、美しいと思っている名前である。
登場人物に名前をつけるときに非常に悩んでしまう。ときどき見かけるとんでもなく変わった名前をつけたくはない。変わった名前をつけられて生きてきた人間なんて、大体が偏屈の変わり者だ。私が実証している。けれども、日本中に同姓同名は百人はいるという名前でもそこには親の愛があったり、脈々と続く何かがあったりするわけである(私の友達はひいじいさまと同じ名前。三代ごとに名前が回るというひょえ〜な旧家のぼっちゃんである)。悩みに悩んで結局、名前をつけられず、『彼』や『彼女』なんて表現でお話を読みにくくしてしまっていたりする。
これだけ自分の名前を大切にし、命名に悩んでいるくせに他人のことには勝手である。随分前に付き合っていた同級生のことを、ずっと変わらず苗字で「○○君」と呼んでいたら、
「そろそろ名前で呼んで」といわれた。ふん、前のカノジョにもそうよばれていたんでしょ? と思い、ずっと苗字で呼び続けた。呼ぶたびに私の背中には黒い翼がばさばさいっていたのであろう。一年も持たずにだめになりました。
あだ名というのかなんというのか、自分だけの呼び名を持ちたいと思うことがある。とても仲良くなったお客様であったり、会った瞬間にインスピレーションを感じたお友達であったり。好きになればなるほど、『まだ誰にも呼ばれていない名前』で相手を呼びたいと思うのは、偏屈な私だけだろうか。あ、だから実際にはありえないような変わった名前を物語の中に見つけたりするのかな? うーん、作者の思いいれかぁ。読者に届けばいいのだけれど。
そういえば、
『まだ誰にも呼ばれたことのない名前で あなたには呼んで欲しい』
というようなラブソングを書いたけれど……ああ、恥ずかしい。ボツになってよかった。