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16 郷に入りては郷に従え

 私は関西人である。しかし母は東京で未成年の時期のほとんどを過ごした。よって、子供の頃の食卓には納豆が並んでいた。

 お好きな方には申し訳ないのだけれど、なんというか、久しく洗っていないスニーカーのような臭いをどうにも受け付けなかった(洗っていないスニーカーの臭いがわかるのもどうかというところだけれど)。どうしても食べたくなかった私は、ご飯をすっかり食べ終わったお茶碗にほんの少量の納豆と混ぜ合わさった卵汁を多めにとりわけ、お茶碗の内側へ豪勢に塗りたくった。「食べましたよ」という既成事実を作ることでなるだけ食べないようにしていた。

 東京に来てすぐに接客の仕事をしたのだけれど、当時は今よりも関西VS関東の様相が激しく、関西弁アレルギーの方も今よりも随分と多かった。今では、

「しゃべって、しゃべって」といわれることのほうが多いのだが、はじめのうちは、

「お前は言葉が汚いのだからしゃべるな!」とお叱りを受けることもしばしばだった。こちらは納豆とはちょっと勝手が違い、芝居の勉強をしていた私にとって標準語を話すというのは別段苦ではなかった。

 問題は納豆である。どこに行っても納豆がある。コンビニにもたくさんある。しかも何種類もある。関西のコンビニにはない光景だった。人間嫌いなものには過敏なもので、他人が食べている臭いも気になる。時々嫌な顔をしている自分に気がつき、これではいけないと思った。だって、どんなに嫌だと思ってもあるのだもの。私は酸素だけを吸いたいと願ってみても、空気の中には窒素も大多数含まれているのと同じこと。これはなんとかしなくてはいけない。

 そうして私の研究は始まった。ちょうど臭いの少ない納豆が発売されて、これならいけるかもと思ったこともあるかもしれない。正しい納豆の食べ方を聞いてみた。色んな人に聞いてみて、驚いた。家で出されていたものとは様子が違ったのである。

 まず、混ぜる。何もいれずにひたすら混ぜる。人によって違うけれどだいたい三十回から多い人では百回混ぜる。納豆菌の糸で白くなるまで混ぜる。

 この時点ですでにうちとは違った。うちでは卵としょうゆを入れて混ぜる。納豆はばらんばらんになり白身がやたらとあわ立つ。納豆はみるみるうちに量を増やしていく。この作業は子供たちの誰かがやらなくてはいけなかった。貧乏人唯一の楽しみともいえる食事が、その前から苦痛になるのだ。せつないことこの上ない。

 さて、何もいれずに混ぜた白い納豆は各家庭の味をかもし出すことになる。卵は黄身だけ入れる派、ウズラ派、ノー卵派……薬味も葱が大半を占めるけれど、入れなかったり水菜の漬物(うちはこれか高菜の漬物)を入れたり。味付けもしょうゆのみやだし醤油、味ポンやからし入りなどさまざまな意見をいただいた。そのまま食べるだけでなく、味噌汁やオムレツ、バクダンというらしいお刺身の切り落としに混ぜていただく方法なども伝授された。

 片っ端からやってみた。しかし、どんなに臭いの少ない納豆を使用しても温めると際立ってしまう。日本酒の燗が芳醇な香りをたてるのと同じ作用だろう。あったか納豆はあきらめることにした。だが、言われたとおりに百回混ぜ、卵も黄身だけにしてみると結構こじんまりとしたものであることに気がつく。そこに葱を入れると不思議と臭いが半減したように思える。さらにわさびを入れると消臭効果抜群なのである。苦手な臭いが抑えられると、味は好きであることを発見した。

 臭いがない納豆なんて納豆ではないとのお叱りの声があることも理解する。関西人が関西弁でしゃべって何が悪い、故郷にプライドを持てという声があることも理解する。しかし、別に標準語を話すからといって東京にかぶれたわけでもない。納豆なんて、私にしてみればものすごい進歩なのだ。

 自分で食べるようになるとこれが不思議なもので多少の臭いは気にならなくなる。眉間に皺を寄せ、息をとめていたのが、

「あ、納豆の匂いがする。誰か食べてんだな」とまでスルーできるようになったのだ。

 紆余曲折があった。大量に作ってしまった納豆味噌汁を泣きながら食べたけれど、結局完食できず泣きながら捨てたのはいいけれど、流しに捨てたので翌日部屋中に充満した臭いにさらに泣いたこともあった。ちょっと食べられるようになったからバリエーションを持とうなんて冒険をしてごま油をいれてみたら、冷めたとんこつスープの上に固まった油みたいに重たくなってしまい、他のおかずは翌日のお昼ご飯になったこともあった。しかしだからこそ今の「百回混ぜ、薬味は白葱、卵黄、わさび、だし醤油入り」という私の定番にたどりつけたのである。

 これに関しては自分をほめてあげたい。「郷に入りては郷に従え」と昔の人はよくいったものだと思う。しかし、ことわざになるということは真理ではあるもののなすことは難しいということではないだろうか。納豆食べられるようになった事件は私にとって大きな転機だった。頑なに納豆は嫌いという自分を押し通すのではなく、

「へえ、そういうものなんだ」

 と一度まっさらに飛び込んでみてから自分のスタイルを確立する。これほどその場所の常識を理解する、また自分自身を理解する方法はないのではないかということに気付かされた。それまでの私はたかが二十数年生き、たかが子供を一人産んだくらいで自分を確立しているような気になって、他人の価値観を認めることはできなかった。表面上は、

「ふうん、そういう考え方もあるのね」と装っていたけれど、その後に必ず、

「私は違うけれど」という言葉がついていたように思う。たとえていうなら、前半はマジックの(細)で書いてあるけれど、後半は(太)で書いた上に下線が二重というくらい強調されていた。納豆のおかげでそれが多分、両方均等な太さくらいにはなったと思う。

 まあ、要するに何がいいたいかというと、タブーなんてものは自分や他人が勝手に決めているものであって存在しないものだと思う。だからいろいろやってみてもいいんじゃないでしょうか。もちろん他人を故意に傷つけないことは前提だけどね。

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