表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/29

15 隣の芝生が青いのは当たり前

 隣の芝生は青い――そんなのは当然のことだ。

 阪神淡路大震災で被災したとき、しばらく叔母の家にお世話になっていた。震源があった同じ区内だというのに、山の手の新興住宅にあった叔母の家は殆んど被害を受けなかった。

 叔母の家には従姉妹にあたる三姉妹がいた。うちの娘はまだ小さかったので、叔父にも叔母にもとても可愛がられた。三姉妹は文句をいう。

「私たちのときはそんなに甘くなかった」

 叔母は笑った。

「当たり前じゃない。孫の世代だし、しかも姪の娘になったら私には全く責任もなくただ可愛いだけだもの」

 隣の芝生は青いし、孫は良質のコンタクトレンズのように目の中に入れても痛くないくらい可愛い。そしてうちの芝生はなぜかいつも元気がないし、子供はいうことを聞かず、親は頭ごなしに否定をする。自分の境遇はいつも不遇だし、不細工に産んでもらわれたせいで彼女もできなければ、友達もできない。それがどうして勝ち組なんて全員死んでしまえばよくて、無差別殺人へとつながっていくのか――ご存知であろう、秋葉原の事件である。

 私は、犯人との共通点を自分の中にも感じる。子供の頃にはなぜか勉強はできて大人受けがよい。顔色を読むのは天下一品という才能を授かっている。おかげで自分の本当の感情を表すのが下手くそで孤独感を感じる。とっくに大人になってしまった今でも「友情」を肌で感じるのではなく頭で考え続けている。子供の頃太宰治先生の「人間失格」を読んで吐き気がしたのは、共通点を見てしまったからではないかと今となっては考える。

 だが、多かれ少なかれそんな感情は誰の中にでもある。うちがもっと金持ちだったら。親が仲良しだったら。兄弟なんていなければ、またはいれば。もっとスポーツに造詣の深い親であれば。もっと背が高ければ、あるいは低ければ……不満なんてどこにでもある。全くどこにも不満を感じないほうがまれではないか。不満はあるが、現状は現状で満足しているというのが概ねの人の意見ではなかろうか。

 不満には、自らで改善できることとできないことがある。例えば、勉強ができないであるとか運動ができないであるとか努力すればなんとかなること。これはある程度までは自力で改善していける。だが親とどうしてもそりが合わないであるとか、車が左側通行なのがどうしても気に入らないであるとかは自分ではなかなか改善できない。自ら選んでその場所にいるわけではないからだ。ならどうするか。

 これは同じ意味だけれど二つの改善方法がある。

 一つは物質的逃避。車が右側通行の国に行く。自分の体の置き場所を自分の満足できる場所におけばよい。たとえば「私はどうしても太っていてもてない。やせるのは絶対に嫌だけれど、もてない現状にも不満が募る」のなら「太っていることが美人の条件」という場所に身をおけばいい。やせる必要もなければもてないことに不満を募らせることもなくなる。

 二つ目は精神的逃避。この人は親ではないと思い込む。先の場合の例ならば、太っていることが美人の条件と思い込む。またそういう精神世界の住人となる。他の意見は「おろかな人たちね」とでも思っておけばよい。

 ずいぶん乱暴なことを書いたけれど、要するに「自分」だということだ。

 夏は暑いから嫌いだといっても、全部をぶっ飛ばして春と秋だけを繰り返す季節に変えることができるだろうか。しかたなく暑い夏を甘んじて受け入れた上で、涼しくすごくように自分のほうを工夫するのではないか。汗を吸うシャツを着たり、休みの日には避暑にいったり。

 学校や職場といったようなあきらなか環境はもちろんのこと、同級生や先生、同僚や上司や部下、ご近所さんや家族までもが環境なのだ。受け入れた上で自分が対策をするしかない。自分すらかえていけないのに環境をかえようなんて、おこがましいばかりである。自らに向き合った上でそれでも環境を変えなくてはと思うならば、向き合っている時点でどう行動するべきかが見えてきているはずだ。それが恐怖で人を支配するべきではことではないことを。ましてやその刃を、自分自身でもなく、自分を産んだわけでも育てたわけでも、身近な環境だったわけでもない人たちに向けるなど、人間として生まれてきた時点でやってはいけないことだということに。

 私は鼻が低いことにコンプレックスを持っている。あるとき女の子に

「いいねぇ、鼻が高くて」

 そういうと彼女はこう返した。

「いいじゃない、まつげが長いんだから」

 私は鼻が高く見えるように、彼女はまつげが長く見えるように、日々化粧の研究を繰り返す。

 隣の芝生は青い。なぜ青いのかを考える。日当たりのせいか、それとも特別な努力をしているのか。踏みにじってしまいたいくらい隣の芝生は青いのか。羨ましく思うこととそれを実行することにどれだけの違いがあるのか。そもそも芝生は青いことが美しいのか。隣の芝生は青いけれど、うちの芝生とは種類が違うのではないか。その種類の芝生をうちの庭に敷き詰めたいのか。

 

 亡くなられた方のご冥福と、ご遺族、被害にあわれた方、そのご家族、その場に居合わせて恐怖を感じた方々の心の傷が少しでも和らぐようにお祈りいたします。

 私にできることは少ないけれどせめて、この凄惨な事件をずっと忘れないでいようと思います。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ