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14 ググれがすき

 五歳も年下の友達が愚痴った。

「最近の若者は、何でも人に聞けばいいと思っている」

 出会ったころは確かまだ大学生だったのに、そんな友の口から「最近の若者」と聞いて軽くショックだったが、彼もすでに「信じちゃいけない」ほうに入っていることに気がついた。

 しかし、そんなことは最近に限ったことじゃない。大体私なんて、親や祖父母からは二言目には、

「辞書を引きなさい」といわれて育った。今の言葉に直せば「ググれ」だろう。それでもわからないから質問にいくと、

「質問するときはなにをどこまでわかっていて、どこがわからないから教えて欲しいとききなさい」とくる。

 要するに漠然とした「わからない」は「知らない」であって「わからない」ではないという論理である。そこまで自力で調べてやっと自分より博識であったり経験が豊富である者に対して質問をする権利を得るという教えであった。

 こうして叩き込まれた教育は今日でも役に立っている。人間という生き物は自分の知っていることを聞かれるとうれしい。それが専門分野であればあるほど、きちんと勉強してきてその後を教えて欲しいといわれるとうれしいものだ。喜んで教えてくれる。ときには思いがけない裏話まで聞けたりする。私はその質問の方法である銀行員の方に今が旬の投資を教えていただいたが、残念ながら先立つものがなかった。たった今は役に立たなかったけれど興味深いお話だった。

 興味を持ったことはとりあえず調べる。凝り性なのでとっつきがいいとのめりこんでいく。文献だけでなく映画を見たり、テレビでそれらしい番組をやっていると見てみたりする。英語の歌を歌うというところから始まって、約二年の間、年間百五十本の映画を見ていたことがある。もちろん映画を見るのも好きだったから続いたのだけれど。競馬にのめりこんでいる近年について考えると、娘に騎手学校を受けさせたこともある意味潜入取材であった気がする。娘にはちょっと申し訳ないが、彼女自身いい経験をしたと思ってちゃらにしておく。

 小説を書くにしても、下調べは大切だ。小心者の私にはたいして知識もないことを調べもせず書くなんて大物っぷりは発揮できず、今のところ身の回りで起こったできごとしか書けない。突拍子もないストーリーを思いついて、とりあえず書き始めてみるとすぐに壁にぶちあたる。さくっと調べられるものならいいが、突拍子もなければないほどそう簡単には調べられない。ウィルス系のSFを書こうと思い立ってちょっと調べてみたところ、核に近づく前にそれがあまりにも壮大なことに気がついて作業は難航している。資料自体がこれまたホラーなので実質挫折しかけている。そんなSFの話をしたら、最初に脳内に関する専門的な事柄が延々とかかれており、全く不親切だが参考になるのではとある作品を推薦してくれた人がいた。ぜひ読んでみようと思う。

 私は自分自身役に立っていると思う教育方法を、娘には実践しなかった。自我が発達してきて、

「ねえ、ねえ、あれは何なの?」などとうるさく聞くようになったころ、私は一切答えなかった。ただ、

「なんだと思う?」と質問でかえし、娘が考える不思議な答えを、

「そうかもね」と全く否定することなく聞いていた。全然的外れな答えでもそれが生命の危機にかかわることでない限り否定はしなかった。すると小学生になってからしばらくして、

「ママの嘘つき!」と本気で怒られた。たぶん、自分がそうと信じてきたことが間違っていたことに、友達に小ばかにされるなどという一番傷つく形で知ったのだろう。まったく――知識のない子供のとんでもない持論に正解を与えないなんて――不親切な親である。だがしばらくすると娘は自分で調べるという能力を身につけていた。私がちょこまかと調べものをしているのを見ていたからか、はたまた「ママが『そうかもね』ということは信じられない」という結論に達したからか。一つの事柄に親切であるか不親切であるかなんていうのはナンセンスだと思う。こまかいディティールにこだわりすぎて全体が見渡せなくなるほうが不幸なのではないか。それに親切不親切は受ける人間が決めることだ。不親切なことがたいしたことでないならば手を引けばいい。どうにもならないことならばせめて自分くらいはまねをせず、親切にすればよい。

 親切に書くか不親切に書くかは別にして、調査は必要だ。そこからどれだけ抜粋して書いていくのか。わかっていて書くものと、想像で書くものは抜粋の場所が変わってくるだろう。ムダであろうがなかろうが、知識を持つということは人間だけに許されている特権でもある。だから私は「ググれ」という言葉が好きである。私は不親切だからいわないけどね。


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