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13 母の野望

 昔、まだ子どもたちといえば外を駆け回って遊んでいるのがスタンダードだった頃。あるところに体が弱く、体育の授業はいつも見学という女の子がいた。子供の頃からのひどい喘息持ちで、まだ発作もでていないうちから学校を休ませられることもしばしばだった。

 元気に外で遊ぶこともままならなかった彼女は、よく本を読んだ。空想の世界は楽しかった。本を読んでいるうちに習っていない漢字も読めるようになっていた。

 中学生になり彼女の体調は回復し、他の子達と同じように運動もできるようになった。元来活発な性格の彼女は運動部に入り、毎日楽しくやっていた。ある休み時間、クラスで「蒲公英」という字をなんと読むかという話になった。彼女は、

「そんなことも知らないの?」

 といってしまった。気を悪くした同級生の男の子は、

「お前、ちょっと頭がいいからって、自分が知っていることをみんなが知ってると思うなよ」

 と罵声を浴びせた。

 彼女は面食らった。自分が頭がいいなどとこれっぽっちも思っていなかった。みんなが外で遊んでいた時間、彼女は本を読んでいた。他の子供たちは肌が黒く健康になったが、彼女は白い肌のまま、知識だけが膨らんでいった。体調が悪い頃はコンプレックスを抱え、自分がみんなとは違うと感じていたのに、よくなってみると自分はまるでみんなと同じ時間を過ごしてきたように思ってしまっていた。だから、回りのみんなも自分と同じだけ本を読んでいて、自分と同じだけの知識を持っているものとすっかり勘違いしてしまったのだ。それ以来彼女は決して「そんなことも知らないの?」ということはなくなった。そして、同年代の友達が自分と比べてあまりにも本を読んでいないことに気がついた。本を読むことをすばらしいと思っていた彼女は、どうすればみんながもっと本を読むようになるかと考えるようになった。

 言語学だか音声学だかの学者だった祖父に相談してみた。

「全部ローマ字表記にしてしまえばいい」

 彼女は即座に相談する相手を間違えたことに気がついた。祖父は「日本語をローマ字(ヘボン式)表記にする」活動を熱心にやっていたのだ。そのほうが英語を学ぶときに便利だという。

「これからは英語が必要になる」その考えは間違ってはいないだろう。だが彼女にはあまりにも乱暴な意見に思えた。

「漢字がなくなれば本を読むやつも増えるだろう」

「だめだよ」

 彼女は漢字の必要性をとうとうと説いた。同じ「さみしい」でも「寂しい」と「淋しい」では感じ方が違う。文字になったときにその感情まで表現できるのは漢字だけだと。祖父は納得したふりをしていたが、やはりローマ字で表記することのほうにメリットを感じているようであった。

 彼女のほうは祖父の意見からぼんやりとしたヒントを得たような気になった。それは翌日の学校の準備をしているときにはっきりとわかった。

 几帳面な性格の彼女は教科書やノートの背表紙を合わせて鞄に入れたかった。もちろん向きもそろえたい。だがどうしても国語だけは表紙が反対を向いてしまう。縦書きだからだ。

「そうだ。本も横書きにしたらみんな読むかも」

 まだ印刷の技術がなかったころ、読み物は手書きで写されてきた。筆の文化であった頃には縦書きであることには大いなるメリットがあった。今では印刷の技術も発達している。活字が縦書きである必要はない。他の教科書もノートも横書きなんだから。横書きにしてそのうえにイントネーションの記号までつければ、もっと楽しくなるのではないか。ルビも一定の大きさにするんでなくアクセントをつけるところだけ大きくしたり……

 彼女の果てしない妄想は妄想で終わった。高校に入り、部活動中心の生活を送り始めた彼女は、読書どころか教科書すら開かなくなっていた。

「そんなこと知らないの? この前の授業でやったじゃない」

 友達にはそういわれるようになっていた。読書よりも楽しいことを見つけた彼女は「横書きを推奨する」なんていう活動を忘れ去っていた。祖父はヘボン式のローマ字を広めることには成功したが、すべての日本語をローマ字にすることはできなかった。


 これはうちの母とその祖父(私のひいじいさま)のお話。昭和三十年代でしょう。二人ともかなり前衛的な考え方だなあと感心。

「イントネーション表記のプラスはかなりいいと思うんだよね。とくに関西弁なんかとても伝わりやすいと思うんだよね」

 ひいじいさまの意見も「非常口」には「hijyouguchi」とは表記されず「EXIT」とダイレクトに英語を取り入れる形になり、間を飛び越えている。母はまだ「イントネーションつき小説」の案をあきらめきれない様子だけれど、そのエンターテイメントも朗読なんかの方で飛び越えられてしまっているような気がする。二人の発想は早すぎたのか遅すぎたのか……

 あ、でももし、これをみた誰かが始めてはやっちゃったらごめんなさい。多分特許はとってないだろうから。

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