シュレディンガーの黒猫
少しずつ書いていきます。
翌朝のマリエンブルク城には暖かな春の風が吹いていた。
着替えを済ませ朝食に集まる時間になっても、アニエスは昨夜のできごとについて繰り返し考えをめぐらせていた。
イザベルの婚約は妹として喜ぶべきことだが、姉妹が離れて暮らすことなんて少しも考えたことのなかった彼女にとって、残された日数はあまりにも短い。
『あの方は良い人よ。三年間も遠く離れた姉に心を寄せていたのがその証拠。お手紙の内容だっていつも凝っているし……』そう考えて何とか自分を納得させようとした。
寝不足のせいで鉛のように重たい体を引きずって食堂へ行くと、すでに席に着いていたマルタがきょとんとした顔でアニエスを見た。
「ぷっ、アニエス。頭の上でなにか飼い始めたの?」
心ここに在らずで支度をしていたから、髪を梳かすのをすっかり忘れていたのだ。
慌てて自室へ戻り身支度を整え、再び食堂へ姿を現したときにはもうみんな顔を揃えていた。
「アニエスがまたペットを飼い始めたんだってね。今度は小鳥よ。それも頭の上に」
さっそくマルタから話を聞いたらしいアンナが、エリーゼの頭の上に手を乗せて笑い転げている。
「そうなの?小鳥なら鳥かごが必要ね。街で買えるかしら」
真剣に考え込むイザベルの様子はいつもと変わらないように見えた。少なくとも、今朝のアニエスみたいに髪が鳥の巣になっていたりはしていない。
「そういえば、前にアニエスが連れてきた子猫はどうしてるのかなぁ」
独り言のように呟かれたエリーゼの言葉に、「ああ、あの子はね」とイザベルが話を引き受けた。
「あの子はね、街にあるカフェの店主さんに預けたの。他に面倒を見てくれるような知り合いもいなかったから、お願いして。とても素敵なカフェテリアなのよ。古い本が置いてあるし、何より壁と天井がぜーんぶ岩塩でできているの」
これにはみんな興味津々だった。
「舐めるとしょっぱいの?」とか「塩臭くないの?」などと質問をしては、「舐めたことはないけれど、匂いは感じないわ。でも壁がまるで生き物みたいに見えるの。でこぼこしていて、陰影があるせいね。だって中は幻想的なほの暗さに包まれているから……」という話にうっとり顔で聞き入った。