第9話 おかっぱ美少女幽霊登場!
パンの入ったレジ袋を机の上に置いて椅子に座ろうとする。
その時、どういうわけか視界が歪んだ。
「・・あれ?」
めちゃくちゃ、眠い。眠すぎて頭がグラグラする。
こんな風に睡魔が襲うことなんて、なかなか無い。おかしい。徹夜してもここまで眠くならねぇぞ。まるで、魂が抜けかけているようだ。
ふらふらしながら、ベッドに向かおうとする。数歩なのに、とてつもなく遠い気がする。
うー、うー。気分は、ゾンビ。そんなぼやけた思考の中、あり得ない声を聞いた。
「人のモノを盗ろうとするとは、いい度胸だな」
「誰だ!?」
バッと声のした方を振り向いた。俺の部屋には、母ちゃん以外来ることがないはずと、眠い目を無理やりひんむいた。小さい声なんだけど、存在感とハリのある、そして意外にも声変わり前の少年のように中性的な低音、そんな不思議な少女の声がした。
「え」と、俺は思考が止まってしまった。
そこには、着物を着た少女が、窓を背にして俺の部屋の中に忽然と立っていたのだ。
鮮やかな、それでいて落ち着いた色合いの、薄紫色の朝顔の柄の着物。
帯は、緋色を基調として、そこへ緋色より薄い色の卍を組み込んでいる柄入り。
着物を着こんでいても尚、華奢にみえる体躯。着物からのぞく肌は、陶器のように白い。
薄く形のよい眉毛が丸見えの短い前髪、CGなんじゃないかと思うほど切り揃えられたおかっぱの髪形、艶やかな黒髪。
鼻はすっと通っていて細く、先程言葉を発した口は小さな花びらのようで、唇は薄い。
そして、何より眼だ。尋常でなかったのは、紅い瞳の色だけでなく、その眼光の鋭さだ。輝く深紅の瞳は瞬きもなく、顔も人形のように無表情で微動だにしないのだが、その瞳の奥は煉獄の業火のように揺らめいている。その落差がまた、壮絶さを醸し出していた。
俺は、正直に言うと、見惚れていた。今まで見たことのないタイプの、敢えて言うなら日本の美を詰め込んだような美人だ。ぞっとするが惹き付けられる。一番近い雰囲気を敢えて言ったら、「凛」、という言葉が当てはまる。凄まじく激しい凛、略して、激凛。
だが、その眼は何故か、俺を睨んでいた。初めて会ったはずなのに、つくづく女運がない。うっそ。マジで怖い。漏れる。
「・・」
息をすることも憚れるくらい、俺は恐怖で硬直していた。いつの間にかいた冷や汗が、目に入ってしみたが、瞬きもできない。
ふと、視線の端に、スタンドミラーが映った。
鏡にいつもと違う景色が映っているように感じて、眼球だけそちらを向いた。
「・・っぎゃーーーー!」
白目のないぽっかりとした瞳と目が合った。そこには、俺だけでなく、頭から血を流している長い髪の女がいた。黒く長ったらしい髪を垂らし、肌は紙粘土で作ったように白い。頭の左半分から血が流れているようで、顔の半分くらい血に濡れてぬらぬらしている。額の辺りの怪我で皮膚が剥がれてぐちゃぐちゃになってグロいことになっている。幽霊ってぼやけた存在のくせに何でこういうとこばっかり、細密に再現されてるんだよ。こっちを怖がらせるためにしてるとしか思えない。ちょうど俺の背後にいる位置関係から、今まで姿が視えなかったのだ。そして、そのオバケの女は俺の右腕をがっしり掴んでいた。放課後、ノブを助けるときについた痣のある方の腕だ。改めて視覚により認識した所為か、急に掴まれている腕が痛み出す。化け物は、先程の美少女の方のオバケを睨んでいる。
振り払おうとしても、全く手ごたえがない。俺が手を振っただけと同じ速さで平行移動するかのようについてくる。きも!ほんっとに気持ち悪い!
ぶんぶんぶん!と、俺は恐怖から逃れようと半ばやけになり、ひたすら振りほどこうと腕を振り続けるが、結果は同じ。
そんなことをやり続けていると、周囲が暗くなった。俺は、知らない内に、しゃがみこんでしまっていたらしい。
一方、おかっぱ美人は、先程立っていた窓際から一歩も動いていない。
よくよく見ると、その少女と俺の視線が微妙に交差していない。そこで初めて俺は、その少女は、俺の腕をつかんで離れないオバケを睨んでいることに気づいた。これは、化け物同士の対決が見られるかも。いや、見たくないが。
すっ、と。着物の袖を揺らしながら近づいてきて、臆することなく真っ直ぐな視線のまま、オバケの頭に手を伸ばした。腕一つあげる動作にしても、何かの武術の型みたいに様になっている。
「ぐわし」
彼女は、可憐な容姿に似合わず、オバケの頭を鷲掴みにした。頭を掴まれたオバケ女の方は、何もできずにされるがままになっている。見掛け倒しか、激弱じゃん!
てか、ぐわし、って・・。あなたの容貌と、このホラーな状況に全く合っていない。
「・・はじけろ」
頭を掴んだ手をいとも簡単に握ると、オバケは黒い靄になって散った。黒い煙のようなものは、段々灰色になり、最後は、煙のように消えてしまった。なんだ、これ。
「・・」
唖然としていると、少女が今度は俺の方を見ていることに気が付いた。
まさか次は俺か?、とも思ったが、彼女はただ無言で佇んで、かすかに眉をひそめているだけだ。
とても、とても辛そうな顔をして。
「・・ごめんね」
そう言って、音もなく消えてしまった。
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