第74話
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あれから、どうやって帰ったか覚えがない。
ただ、エリー兄さまとキーラに会ったような気がするけれど、夢を見たのかも知れない。
気がついたら、フロワサール本邸でベッドに入っていた。
疲れきって少しだけ転寝したら朝になった。
目覚まし係の侍女が、私の顔をみて驚いて誰かを呼んだ。
そのままぼーっとしていたら、ノリスが心配そうに覗き込んできた。
「おはようございます。マリーお嬢様。お顔の色が優れないようですが、ご気分はいかがですか?」
「平気です」
「お食事はどうされますか?」
「食べます。持ってきて下さい」
並べられた朝食を時間をかけて食べた。
「あの、マリーお嬢様。もうよろしいのですか」
「はい。もうお腹いっぱいです」
侍女たちがぼそぼそ言っている声がする。
『すっかりお元気になられたと思っていたのに』
『大丈夫なのかしら、今日は王城に行かないといけないんじゃ』
『途中でお倒れにならないといいけど』
「ノリスさん。今日の予定は?」
「昼前に王城到着の予定ですので、そろそろお支度をしていただきたいのですが……その、お嬢様、昨日は何かございましたか?」
「いいえ、何も」
「それでしたらよろしいのですが……」
「心配しないで大丈夫ですよ。これでも丈夫なんです」
「はあ、さようでございますか」
それから、少しして着替えた。
正装するのでコルセットを締める。いつ着てもこれは苦しい。最近はコルセットなしの服ばかり着ていたから一際辛い。
髪はアップに纏めた。光沢のある青灰色のシルクサテンのドレスに青玉のパリュール(同じモチーフの首飾り、髪飾り、耳飾りのセット)をつける。これは全てリュスラン殿下が誂えてくださったものだ。
いつもよりはちょっとだけ色をつけたお化粧をして完成。
鏡に映る私は少しだけ大人っぽい。
支度が整うと少し時間があいたので、侍女には下がってもらった。彼女達の姿がなくなると、私は窓を開けて、チェルシーの止まり木を窓際に移す。
「いよいよだね。チーちゃん。今日はよろしくね」
チェルシーはチョン、と首を傾げ、ぴぃと一鳴きして、窓から空へ飛び立った。
「今までありがとう。一人にしちゃうけどごめんね。……幸せになってね」
「お嬢様、お時間です。馬車の用意が整いました」
侍女が私を呼んだ。
*****
王城につき、最上階のその奥を目指す。
途中の回廊を過ぎる時、大きく開放された窓からは青空が見えた。
――いい天気だな。こんな日は、お弁当持ってピクニックに行きたいな。今の季節なら湖かな……涼しいだろうな……。
そして、辿り着いた「誓約の間」。
祭壇の背後にあるステンドグラスから七色の光が降り注いでる。
キラキラ光って綺麗だ。
その前に鎮座しているのは、透明で涼しげな水晶とその中に浮かんでいる古い革表紙の本だ。
これが「誓いの書」。
十二年前と変わらずそこに在った。
水晶の後ろ、祭壇に向けて豪華な金の縁飾りの神官衣を着ている方がいる。多分この方が、新しい神官長様だ。今日の儀式を執り行ってくれるはず。
向かって左側の見届人の席には三人いる。
濃紺の正装は、父様、フロワサール公爵。
赤い騎士服なのが、ユーディス女公爵アデリーダ様。
そして、私は初めて合う方。カミーユ様よりも白がまさる銀髪に、黒を基調とした正装の方はおそらくダングラル公爵様。
三公爵様の立会の元、リュスラン殿下と並んで水晶の前にたった。
「『誓いの書』の封印を解きます」
神官様が厳かに宣言した。
水晶が微かに光を放つ。すっと殿下が水晶に手を伸ばした。何の抵抗もなく水晶は殿下の手を受け入れ、殿下は両手で本を取り出した。
「誓約をご確認下さい」
殿下が本を開けた。
探すこともなく、そのページが開かれる。
興味を覚えて覗き込んだ。
『そる・りゅすらん・ざふぃりあ』
のびのびと大きな文字で自由奔放に、だけど意外と綺麗な字で書かれた殿下の名にならんで、
『 まぁ りー 』
最初の母音が鏡文字になってる。他のも大きかったり小さかったりはみ出ていたり。でも一生懸命書いたんだって分かる。
「……下手くそな字だな……」
「ほんとですね……。なんだか恥ずかしいです……」
「いや、確かに下手は下手だが……。可愛いな」
「……それ以上言わないで下さい」
「リュスラン殿下、マリー・セラフィカ姫。追署名の完成を」
神官長様からペンが渡される。
まずは殿下。略さない正式な署名を、昔の自分の署名の下に書き入れる。
『ソル・リュスラン・ディーヴィンデュス・オーロ・ザフィリア』
続いて、私も同じように書き入れる。私のものだと理解しているけれど、まだどこか慣れない名前を。
『マリー・セラフィカ・ディー・ヴィンデュス・アズール・フロワサール』
――書いてしまった……。
何も感じないはずの心が、少しだけ軋む。
「宣誓を」
神官長様に促され、殿下は「誓約」を宣誓する。
「我、偉大なる創始の王レヴィニスの末裔たるソル・リュスランは、ここに宣す。父を同じくする血族の娘子マリー・セラフィカと……」
殿下は、何故かここで区切り、黙って私を見下ろした。
どうしたのだろう。私は殿下を見上げる。
その青い清澄な瞳には、とても深くて優しいくて…そしてどこか苦しそうだった。
「……リュスラン様?」
殿下だけに届くように、ごく小さな声で問いかける。
弾かれたように、殿下は瞳を見開き、そして……淡く微笑む。
「マリー・セラフィカと……”信義”を誓約する」
「”信義”?」
するはずだった誓約ではない。
どうして?
「セラフィカ。誓約を」
何を? 私は何を誓約すればいいの?
「セラフィカ、落ち着け。お前はただ『誓約する』というだけでいい。後は私が引き受ける」
「リュスラン様?」
「セラフィカ」
「……誓約、しま……す」
リュスラン様が声を大きく答えた。
「ラクシア女神の裁定を。歪めた絆の災厄は我に賜われん」
神官長様は事の成り行きに、目を丸くしていたけれど、すぐに気を撮り直して神聖語による聖旨を唱えた。
神官長様の聖旨が終わった途端に、「誓いの書」が目を開けていられない程光を放ちった。やがて徐々に弱くなり、元のごく普通の古い本に戻る。
神官長様が言う。「諾なり」と。
裁可は下った。
*****
一体何が起こったのか。混乱するまま、誓約の儀式は終わった。
私とリュスラン殿下は祭壇を降りる。
「ユーディス公、お願いできるか?」
殿下がアデル様に、手を差し出した。
「おやおや、私を実験台に使うとはね」
苦笑しながら、アデル様はリュスラン殿下の手をに自分の手を重ねる。
今までなら、すぐに異変が現れるはずだ。
けれど、何も変化はない。二人とも平気そうだ。
更に数分。二人に変わった様子はない。
「呪いは解けたようだな。リュスラン殿下」
アデル様がそう言って手を戻し、激励するように殿下の肩を叩いた。
「そのようだ」
リュスラン殿下は感慨深そうに自分の手を見つめていた。
そして、三公爵に向き直った。
「ご覧のように追署名の儀式は恙無く終了した。私はこの後セラフィカに話がある。申し訳ないが外してくれるか?」
殿下の言葉に即座に頷き、簡易の挨拶をして立ち去るダングラル公爵様。
父様は私に向かって微笑み、身を翻してダングラル公爵様の後を追う。
アデル様は、逆に私に近づき、「これで君は自由だ。良かったな、小鳥ちゃん」と囁いてお二方を追っていった。
そうして、誓約の間に二人きりで残された。
私には、まだ事態が飲み込めていない。混乱するまま、殿下を見上げた。
「殿下、これはどういうことなんでしょう」
「セラフィカと私の間の誓約は成立した。ただ、婚姻の誓約ではない。私達は”信義”、嘘偽無き友誼の絆を結んだんだ。故に”制約”は変化し、私の呪いは解けた」
「呪いが解けた? では私と殿下は」
「婚約者ではない」
「……嘘」
「嘘ではない。私はお前には嘘がつけないんだ。わからないか?」
分かる。殿下の言葉に偽りないと分かってしまう。私と殿下には、確かに絆が存在していた。
これは……何?
「私はお前に嘘がつけない。お前も私には嘘がつけない。それが”信義の誓約”に対する”真実の制約”だ。
だから、これから言うことは偽りのない私の本心だ」
「セラフィカ。お前を愛している」
真剣な言葉。だからこそ胸が抉られる。
「誰よりも愛している。誰にも渡したくはない。この先もずっと私の側で、私だけを見ていて欲しい。……セラフィカ。私の妻になってくれ」
この”真実の制約”は……自分の心さえ誤魔化せない。それを実感した。
けれど、簡単にはその言葉を口に出せない。殿下が真剣だと分かっているからこそ。
「言えないのか? セラフィカ、お前の瞳は誰を映している? その涙は誰の為に流している?」
口を閉ざしたまま、ふるふると首を横に振る。
「お前の口から聞きたい。答えてくれ、セラフィカ」
「……い、言えません。リュスラン様」
長い時間をかけて、やっとそれだけを絞り出した。
そして、それより長い時間をかけて……リュスラン殿下は、深く息を吐いた。
「ああ、わかっていた」
「ごめんなさい……ごめんなさい」
「泣くな。私は我侭で暴君だから、私以外を想って泣くような女を妻にはできない。例え、どんなに愛しいと思っていても。
すまなかったな、セラフィカ。私の過ちがお前を縛りつけた。だが、もうお前は自由だ」
殿下は、顔を上に向けた。表情を悟られまいとするように。
最後に、リュスラン殿下は私をふわりと抱きしめた。
「……セラフィカ。お前が一生幸せであれと祈る」
「はい……」
「何かあったら必ず言え。一人で悩むな。……お前のためなら、何でもしてやる」
「リュスラン様……」
殿下はそっと私を離した。
私は感謝の意を込めて深く感謝を込めて頭を下げる。
そのまま辞去しようとして、呼び止められた。
「隠し通路を行け。最初の分かれ道で右に行けば、裏庭に出られる」
何故、裏庭に? 不思議に思ったけれど、言われるまま私は隠し通路の扉を開けた。
◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
セラフィカが去った。
本音を言えば……まだ、未練は大いに残っている。
強引にでも引き止めたかった。捕まえて誰の目にも届かない場所に隠しておきたかった。
しかし、このままセラフィカを無理矢理繋止めようとすれば、早晩彼女は壊れるだろうとわかっていた。あのお人好しの少女が、今の状態に耐えられるはずがない。
手を離すのが正解だ。だが、”誓約”は破棄出来ない。解放したくても方法がない。
そうわかっていたからこそ、誰がなんと言おうと抱え込んで守ろうと思った。
それが、まさか、あんな方法で逆転できようとは。
エリル・アズリの指摘。
『誓約は破棄出来ない』
『誓約の儀式は不完全である』
『”誓いの書”は婚姻の誓約の為にある存在ではない』
三番目の指摘は、フロワサールだけに伝わる秘密だと聞いた。
それが真実だとすれば、婚姻以外の誓いは可能ではないのか。幸い、リュスランとセラフィカの誓いは未成立。ならば、婚姻の誓約を別な何かに書き換えることは。加護は呪いはどうなるか。
記録には残っていない。成立するかどうかすらわからない。賭けだ。敗れれば、神罰は免れまい。
命を賭けられるか、とエセル・アズリは言った。
笑って、もちろんだ、と答えた。
リュスランは、賭けに勝った。
一番大事なものを守って、そして手放した。
*****
誓約の間の外には、フロワサール公爵と、ユーディス公爵が残っていた。
彼の顔を見て、フロワサール公は軽く頷き、軽い礼をした後にどこかに去っていった。
残ったユーディス公は。
「ちゃんと吹っ切ったか?」
「ああ、やっとだが」
「……良い男になったな、リュスラン殿下。いい顔をしている」
「そうか。そんなにいい顔か……」
「ああ、つい出来心で誓ってしまうくらいにはな」
何を言っている。
リュスランは、ユーディス公に目をむけた。
そこには軽口とは全く違う、真剣な顔のユーディス公がいた。
「殿下。私、アデリーダ・アリア・ユーディスとその一族は、殿下に忠誠を捧げる」
女公爵はニヤリと笑った。
「王になるんだろう? 味方は多い方がいいんじゃないか」
「唐突だな」
「ああ、今の殿下なら信頼出来る。思う存分使ってくれ」
「……後一日早ければ……いや、聞き流してくれ」
「ふふ。ああ、分かった。聞き流しておく」
ちらりと後ろを視る。
もう会えただろうか。
そしてリュスランは前を向く。もう、二度と後ろは見ないと誓いながら。
お読みいただきましてありがとうございました。
次回は、本日(7/2)午後12時の予定です。




