第73話
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明日に誓約式を控えているというのに、リュスランの目に山積みされた書類は一向に減らない。
そればかりか、追加の書類を持ったカミーユが入ってきた。
「殿下、神官庁関連の追加の書類をお持ちしました」
「……持って来ないでいい」
「何かおっしゃいましたか?」
涼しい顔でカミーユは山の上に更に積み上げた。
マリアーネの一件があって以来調子が出なかったカミーユだが、今日は憑物が落ちたようにすっきりとした顔をしている。いい傾向だ。
「カミーユ、お前もまだ反対か」
「そうですね。反対でした」
「……でした? 過去形か?」
「そうですね」
「どういった心境の変化だ」
「さあ。……少々思い違いをしていたと気づいたという所でしょうか」
「そうか……」
「ですが、苛々はしますね。『惚れた女なら、少々強引にでもさっさとものにしてちゃんと守ってやれ』」
「は?」
「芝居でありそうな台詞でしょう? もちろん、当人の意思だけでどうなるものでもない、というのは存じておりますよ」
「ああ」
王妃の反対は相変わらずだ。王妃を黙らせるなら王妃が納得のいく力を手に入れるか、更に強い力で押さえ込むしかない、が。
「それで、こちらが殿下が緊急に調べるように仰った事案です」
「間にあったか。……カミーユ、中身は見たか?」
「いいえ。見ておりません。お言いつけ通り、最も口の硬い部下に任せましたので」
「そうか」
書類を渡したカミーユがさっさと帰ろうとするので、リュスランは引き止めた。
「どうした? 少しは付き合え」
「普段でしたらそうしますが、生憎、これから王都は離れねばなりませんので」
「……領地で何かあったのか?」
「いえ、ある方の願いを叶えようと思いまして」
リュスランは僅かに眉を寄せた。
「願い? 誰のだ?」
「その方を裏切るわけには参りませんので、黙秘させていただきます」
「カミーユ、お前……」
「何を言われてもこれ以上何も話すつもりはございません」
そのまま、カミーユは辞去の挨拶をし、扉を開けた。振り返って思いもかけない事を言い出す。
「そうそう、殿下。私事ですが、いずれ私はダングラルを降ります」
「は? 何を言って」
「今回の一件で、私は無力だと思い知りました。ダングラルのままでは、殿下をお守りする力は得られない。ダングラルを降りて一貴族として、実力でのし上がります」
「……そうか」
「ええ。…………それに、今のままだと、マリーに謝りにも行けませんし」
「は? お前」
「では失礼します」
呆気に取られるリュスランを置いたまま、カミーユは執務室を去った。
リュスランが気を取りなおしたのは、随分と時間を消費した後だった。
周囲に人気がないのを確認してから、彼の持ってきた書類に目を通す。
文字を追いながら次第に表情を堅くし、読み終えてから暫く目を瞑って思案していた。
やがて、おもむろに立ち上がって人を呼んだ。
「誰か、フロワサール公爵に連絡を入れてくれ」
*****
その夜、月が中天に達する時間。
自室の長椅子に座るリュスランの耳が、小さな足音を捉えた。
隣は彼の執務室。
期待通りの待ち人であれば、あの足音はそこを目指しているはず。
今からの話は誰にも聞かれるわけには行かない。
そのために、護衛は外した。
リュスランは、足音が中に入ったのを確認し、隣室に続く扉を開けた。
暗がりの中、僅かな月の光に浮かび上がった人物は。
「よく来たな。エセル・アズリ」
「ああ」
いつものようにそっけなく応える彼。媚を売らないその態度をリュスランは好んでいる。
「まあ、座れ」
リュスランは薄く笑い、彼を長椅子に誘った。
対面で座る。
二人ともなかなか口を開こうとしない。
長い沈黙の後、先に口を開いたのは……エリーだった。
「フロワサールは動かない」
リュスランの眉が一瞬だけ跳ね上がる。しかし、それすぐにもとに戻り、それ以上の変化は見られない。
「公爵閣下からの伝言だ。今回の婚姻に関して、フロワサールが表に出ることはない。血族も力を貸すことはない」
「それが、フロワサール公の最終結論か……。セラフィカは実の娘だろう。なのに何故動かない?」
「……それがフロワサールだから」
ヴィンデュスの准王家の中でも、フロワサールは異質だ。同じように表舞台にでない三公爵でも、独自に騎士団を持ち、軍に影響力を持つユーディスや、政治家を何人も輩出し現宰相家とも縁続きのダングラルとは違い、全く権力はない。ただ、王家の存続の為にだけ存在する一族である。
それでも、王家に継ぐ三公爵家なのだ。公爵が娘の後押しとして表舞台に出てくるだけで、今のこの危うい状況が変わる。
「どうしても、無理か?」
「ああ」
「このままでは、セラフィカが危険だ。頼む。娘を思うなら考え直てくれともう一度公爵に伝えて欲しい」
「今更だな」
時期を間違えたのは、確かにリュスランだ。
「承知している。全ては私の力不足だ。しかし、こうなってはもはや他に取る道はない。今更、私が王位を返上すると言っても……むしろ、その方が危険が増す」
このままセラがリュスランの妃として発表されれば、彼女は否応なく権力争いの標的として狙われ続ける。かと言って、リュスランが王位を捨て臣下に下ろうとすれば、今度こそ王妃が黙っていまい。
寵姫シュザンヌに男子が生まれていなければ、事はもっと穏便にすんでいた。リュスランが継承権を放棄して、フロワサール次期公爵として下り、シャルロットが女王として立つことも可能だった。が、女性の継承権は男子より低い。王妃としても、リュスランを王に立てるしか手がない。
「セラフィカを守るためには、継承権を保ったまま有力な者の後見を受けるのが望ましい。王妃一派を抑えるなら、それ以上の権威が必要だ。今現在私独自の味方には適任者がいない……。フロワサール公に出てきてもらうしかないんだ。エセル・アズリ、もう一度、公爵に伝えてほしい」
「……無駄だ。あの人は動かない」
「どうしてもか」
「ああ。あの人はセラの父である前にフロワサール公爵だから」
「そうか……」
リュスランが肩を落とした。そんな彼を見てもエリーは眉一つ動かさない。
「利は元々なく、情は切り捨てられたか……納得は出来ないが公爵の考えは理解した」
リュスランは覚悟を決めた。
セラフィカを守る為に、私は今から卑怯者になろう、と。
「フロワサール公爵は娘を溺愛していると評判だった。その公爵が動かない、いや動けないのはお前のせいじゃないのか、エセル・アズリ」
「……何を根拠に」
眉一つ動かさなかったエリーの表情がここに来て初めて揺らいだ。
エリーの僅かな変化を認めて、リュスランは確信を得た。
「公文書記録には、フロワサール公爵と夫人の間には一人娘しかいない。故に、フロワサールの後継者はマリー・セラフィカ嬢となっている。対する、アズリ家は男子と女子の二人兄妹。フロワサールには、エセル・アズリに対応する記録はない」
「……それで」
「『新しい兄さまに母さまを取られた、寂しい』」
「何だよ、それ」
「最近思い出したマリーとの記憶だ。一度だけだが、泣いていたな。心あたりはあるか」
一瞬だけ、エリーの顔が苦痛に歪む。
「お前とセラフィカは、血の繋がった兄妹ではないな、エセル・アズリ」
「……確かに俺とセラは血は繋がってない。だが、だからどうした?」
「認めたな。では、お前が来たのは、今から十二年から十三年前ということになるな。ほう、ちょうど伯父上とそのご嫡男が亡くなった年あたりじゃないか?」
十二年前に、リュスランの伯父、ジェラルド王子が当時四歳の嫡男と共に事故死している。そしてその直後に、王子と親しい公爵家に現れた幼児。関係ないと言い切れるのか。
「お前は誰だ? エセル・アズリ」
リュスランはエリーを、エリーはリュスランを睨みつけたまま動かない。
その瞳はどちらも深い青。非常によく似た色味をしていた。
体外的に見れば、彼らが睨みあっていたのは、ほんの数分だろう。けれど、本人達には永劫にも等しい時間だった。
やがて、エリーが張り詰めた息を大きく吐き出した。
「誰でもない。俺はエセル・アズリ。フロワサール森番のアズリ家の長男で、セラの兄貴だ。それ以外になったつもりはねぇよ。
だけど、確かに、俺にはもう一つ名前がある。あんたは予想付いてんだろう。
ディート・エリュオン・ディー・ヴィンデュス・オーロ・ザフィリア。一応本物のはずだ。偽物と違って、証拠になるようなものは一切ないがな」
リュスランは、してやったりと頷いた。
「大当たりか。では、お前が本物のディート王子なんだな」
「さっきも言ったが、俺はエセル・アズリだ。それ以外の名前では呼ぶなよ」
エリーは渋い表情で言った。もう取り繕う気がなくなったせいか、表情が顔に出るようになっている。
「分かった。今まで通り、エセル・アズリと呼ぼう」
「ああ、そうしてくれ……。だけど、良く俺の正体にたどり着いたな。俺に関する記録は一切消去されている上に、ご丁寧に罠まで仕掛けたあったはずなんだが」
「簡単ではなかったな。だが、私には確信があった」
「確信?」
「お前の存在に違和感を覚えたのは、随分前だな。そう、入学当時か。お前の顔、誰かに似ていると思った。違和感が大きくなったのは、セラフィカの苛めがあった頃か。お前と私、赤の他人なのに何故見間違うかと、不思議に思った。それから、お前に注目するようになった。だから、お前も私を必要以上に意識していたしな。確信を得たのはつい最近、反乱の時だ」
「反乱? 俺は何もしなかったはずだが」
「お前、セラフィカを助ける際に『隠し通路』を使っただろう。私ははっきり見ていたぞ」
「ああ、あれか。確かに使ったな」
「あれは、王族にしか使えないんだぞ」
「は? まさか……。父さん、何も言ってなかったぞ……。全く肝心な事を教えないなんて、なんて間抜けだ」
王家の隠し通路は魔術で封印され、王家の血を引く者しかその通路は使用できない。ということは、エセル・アズリは王家の血を引いている。そして、彼の年頃でその出自を隠さねばならない存在は、ただ一人。「行方不明の王子」しかいない。
「なるほど……抜けてるようで、案外鋭いんだな、殿下は」
「よく言われるな」
エリーが呆れたように僅かに破顔し、それに釣られてリュスランもニヤリと口角を持ち上げた。
束の間、和やかな空位が漂う。
しかし、ほんの一瞬で流れが変わった。
「で、俺が従兄弟だって分かった殿下は、俺をどうしたいんだ?」
「どうこうするつもりはない。ただ、フロワサールがお前を守るために、セラフィカを犠牲にして沈黙するようなら黙ってはいられない」
「…………」
「否定はしないか。やはり、フロワサールはお前の為に動けないんだな。では仕方が無い。お前の正体を公表させてもらおう」
「……この間偽物騒ぎがあったばかりだ。誰も信じるものか」
「そうか? だったら、証明して見せれば良い。民衆の前で、あの”真なる玉座”に座ってもらう」
「やなこった。見世物になる気はない」
「それなら、王命を賜ってもいい」
「脅すつもりか」
「なんとでも言え。大体、お前が王子と認められなくても全然構わない。要は、お前という存在がなければ、フロワサール公を引き摺り出せる」
「あの人はそんな一筋縄じゃいかない」
「やってみないとわからないだろう?」
「言っとくが、相当の古狸だぞ……それにな。俺の存在は、あんたにとっては致命的じゃないのか? 多分、継承順では随分高いはずだが」
「今のところは、私に継いで第二位か。確かに、お前を王にと言い出す奴らは出てくるだろうな。それも想定済みだ。その時は、堂々臣下に下ってやろう。王妃陛下には、お前とシャルロットの結婚を進言する。王妃も口を閉じるだろう」
「はあ? あんたが臣下? まさか」
「セラフィカを守れるなら本望だ。さあ、選べ。お前の存在を秘密にしたまま公爵がセラフィカの後見を受けるか、秘密をばらされて引き摺り出されるか」
長い沈黙の後、エリーは大きく息を吐き出した。
「まさかなぁ。あんたが王を降りるなんて言い出すとは思わなかった……」
エリーはこの三年間、ずっとリュスランを観察してきた。王に相応しくなるため、我欲を抑え己を律し、努力してきたのを知っている。その彼が、全てを投げ打つと言い出すとは。
「あんたも真剣なんだな。分かった。だったら、俺も切り札を使わせてもらう」
「切り札?」
「ああ。だけど、その前に一つ聞きたい。あんた、セラを好きか」
「今更だな。もちろんだ」
「俺の言ってるのは、”マリー”を抜きにした”セラ”を、ということだ」
「どちらも同じ人物だろう?」
何を当然のことを、とリュスランの表情は渋い。
「……同じだが、違う。あんた、セラが【癒やし】の特性を持っている事を知っているか?」
「……そうなのか?」
「ああ、発現は四歳の時、ちょうどあんたと会っていた頃だ。……あんたが”マリー”に執着したのは、【癒やし】のせいではないか、と言われてる」
「は? そんな覚えは……」
「あんたとセラ、相性良いらしい。あんた達が引き離されたのは主に政情のせいだが、それも遠因の一つではあった。それを踏まえて、もう一度訊く。あんたの好きなのは”マリー”か”セラ”か」
「………」
「もし、セラの方が好きというなら、これから言う事をよく聞いて、判断してくれ」
ゆっくりと言い聞かせるようにゆっくりとエリーは話す。
「一つ、『誓約は破棄出来ない』」
「二つ、『誓約の儀式は不完全である』」
リュスランは目を瞬かせた。何を今更、そのために明日、再度”誓約”を交わすのだというのに。
「三つ……、『”誓いの書”は婚姻の誓約の為にある存在ではない』」
二つ目までは、旧知の事実だった。しかし、三つめは、リュスランは知らない。それが真実であるなら。リュスランは考え込んだ。
ふと、脳裏にある答えが閃いた。
気づけば、エリーが探るように、真剣にリュスランを見ている。
「気がついたか? これはあんたにしか出来ない。どうする? 命かけられるか?」
お読みいただきましてありがとうございました。
次回の更新は、明日(7/2) 午前0時の予定です。




