第62話
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フロワサール公爵に促されて、談話室の一室に入る。
失われた一年の記憶。
ただの記憶だけではない。その時に感じた様々な感情――不安、憤慨、憐憫、そして……ほのかな恋情――が津波のように押し寄せ、生々しい感情として蘇った。
長椅子に腰を掛け、額に手を当てる。
鼓動はまだ収まらない。
「リュスラン殿下、ご気分はいかがでしょうか?」
「……」
フロワサール公爵が尋ねてくるが、なかなか答えられない。
「閣下、私が……殿下、失礼します」
公爵とは別の声が聞こえた。それがまた記憶を刺激する。吐きそうになってやっとのことで堪えた。
衣擦れが聞こえ、何かの術式が展開された。同時に、頭の中に渦巻く記憶と感情が少しだけ鳴りを潜めた。
「殿下、如何ですか? 少しは楽になられましたか?」
「……ああ、なんとかな……貴方は魔術の」
「思い出して戴けて光栄です」
どこにでもいるような青年がいた。
どこといった特徴ない顔は誰かに似ているようで、誰にも似ていない。だが、何よりも時代遅れの魔術師の長衣、それには覚えがあった。
彼を知っている。驚くほど老けていないが、失われた一年の間、リュスランが魔術講師の一人して師事していた人物だ。名前は確か。
「トーマ・イリヤ・マークス師だったか……」
「そうです。どうやらすっかり思い出されたようですね。思い出した際に頭痛又は嘔吐感はありましたか?」
「いや、先程まではあったが今はない。……先程術式を展開していたようだが、あれは?」
「【忘却術】に対する【抹消魔術】です。【忘却術】そのものは経年劣化で解けかかっておりましたが、精神に追干渉の過剰反応が起きかかっておりましたので、術式にて強制解除致しました。頭痛や嘔吐感なども無くなったとは思いますが、いかがでしょうか?」
「ああ、もうなんともない。手間をかけたな」
「いいえ。大した事ではありません」
マークス師は、何度か質問をし、心配ないと分かるとフロワサール公爵と場所を後退した。
今、リュスランの目の前に公爵がいる。国王をして「古狸」と称される食えない人物だ。記憶を取り戻した以上、彼から、事の真相を聞かねば何も始まらない。
「フロワサール公、まずは聞く。マリーは……本当にセラフィカなのか」
「セラフィカ・アズリは私の娘、マリー・セラフィカに相違ありません。殿下が仰る”マリー”が、殿下と”婚姻の誓約”を結んだマリーという娘ならば……我が娘、マリー・セラフィカにほかなりません」
「そうか……やはりそうなのか……」
セラフィカに対し、リュスランが感じていた感情は間違ったものではなかった。狂おしいまでの感情が渦巻く。ただ、リュスランはそれを抑えた。今はまだ、マリーとセラフィカが同一人物であるとわかっただけでいい。
「セラフィカがマリー……それは理解した。だが、何故、マリーは私の前からいなくなった? なぜ、マリーの存在を忘れている? 先程の物言いから考えると【忘却術】を使ったようだがどうしてだ?」
公爵はまっすぐリュスランを見つめてくる。強すぎて目を離せない。
「まずは、殿下にお詫び申し上げます。私は、娘マリー・セラフィカを殿下より隠しました。殿下と娘の記憶を封印し、殿下と娘を引き離しました」
「謝罪はいい。理由が聞きたい」
「そうしなければ、私は娘を失ったでしょう。あの当時の情勢が、殿下と娘が結びつくのを良しとしなかった。ですから、私は王に請い、娘を隠し記憶を封印しました」
「当時は……十二年近く前になるか……。そうか、伯父上が亡くなる前後になる。なるほど、そう思うのも仕方がない事だ」
十二年前。
それは大変殺伐をしていた頃である。
始まりは伯父である元第一王子とその妻子が不慮の事故にあい亡くなった事だ。当時も暗殺か事故かと意見が別れていた。
未だに真実は判明していない。が、元第一王子派は、現国王派の陰謀と宣言し報復を始めた。主なターゲットとなったのは、国王を始めとする王家の人間、王の外縁に当たるもの、その家族だった。
リュスラン自身も何度か命を狙われた。幸いにも、怪我一つなかったが、当時の宰相の孫がリュスランの代わりに命を落としたと聞く。リュスランの母は当時の宰相の娘、宰相の孫はリュスランの外縁の従兄弟に当たる。リュスランとよく似た容貌だったと聞いている。
そんな荒れた世情の中、リュスランに婚約者が出来たらどうなるか。しかも、准王族の姫で在るなら。ターゲットになるのは間違いないと思われた。
「婚約を望んでいなくても、破棄は出来ません。娘が結んでしまったのは、神霊を介する誓約なのですから。
とすれば、兇手の手から娘を守るには、徹底的に隠蔽するしかなかった。ですから、王の許しを貰い【忘却術】を使用しました。娘は貴方を忘れ、マリーの名とフロワサールの家を捨て、セラフィカ・アズリとして生きる事になった。おかげで今まで無事に生き延びてこれた」
「私のせいだな……私が”誓約”を結びさえしなければ……」
「いえ、殿下のせいではありません。私達が甘かったのです」
当時のリュスランは気付かなかったが、当時の彼らは幾重にも警護と監視の目が付けられていた。二人は守られた箱庭の中で暮らしていたのだ。
ただ、外の敵に対しては完璧な布陣を引いていた公爵とその部下だったが、リュスランに対しては甘かった。俊英な子供といえども七歳だと侮った。
「まさか、貴方が教えられもせずに”王家の抜け道”をご存知だとは思いもしませんでした」
「そうか? 簡単に見つけられたぞ。あれでは隠し通路の意味がないな。あれを見つけられないなんて節穴しか持ってないのだろう」
「いえ、警護の者はよくやってくれていましたよ。私のミスです。私が直接、殿下たちを見張るべきでした。まあ、過去のことですし、瑣末な事ですでこれぐらいにしておきましょう」とフロワサール公は苦笑していた。
「娘の秘密は現在に至るまで、ほとんど知られていません。まあ、秋には成人ですし、その際にはフロワサールの戻さねばとは考えておりましたが。
ただ、誤算はいくつかありました。その一つが……殿下、貴方がご自身の健康を損なう程強く娘を思っていらしたことです」
「マリー」がいなくなった事により利発だった王子がガラリと豹変した。剣術にも魔術にも身が入らず、果てには、健康を損い一時的な退行現象まで引き起こした。
事態を重く見た公爵は一計を案じた。娘と同じ年頃のマリアーネ姫を殿下の友人として王城に上がるようにエルセーヌ公爵に依頼した。マリーと同じ年頃の娘と過ごすことで、少しでもマリーへの執着が薄れてくれたら、そう思っていた。それが功を奏し、リュスランはマリーを幻へと追いやり、元の王子へと戻っていった。
だが、それが更なる誤算を生む。
マリアーネがリュスランを慕い始めたのだ。リュスランには”誓約の婚約者”がいる。父親であるエルセーヌ公爵を介しは何度か引き離そうと画策したが、マリアーネの思いは消えることはなかった。
「マリアーネ嬢は……申し訳ない事を致しました。マリーの身代わりをさせるべきではなかった。今回の事件は全て、私の読みが甘かったのが原因です。殿下、今回の一件、マリアーネ嬢に寛大なるご配慮を、贖罪の機会をお与え下さい」
「それは、マリー次第だ。マリーが許すというのなら、私は口を挟まない」
「それで結構です。感謝いたします」
フロワサール公爵は、深く頭を下げた。
「それで、これからの事でございますが……」
フロワサール公が切り出した。
「娘の処遇をどういたしますか」
「どう、とは?」
リュスランとの”婚姻の誓約”がある以上、セラフィカは彼と結ばれるしかない。
ちらりと、黒髪の青年の顔が浮かんだが、努めてその存在を打ち消した。
「殿下が結ばれたのは、不完全な”誓約”です」
「”誓約”は不完全か……」
”誓約”には決まり事が在る。幼いリュスランはその幾つかを省略し、又は誤ったままにした。それが、今、リュスラン本人に跳ね返ってきていると言う。
「本来の”誓約”に於ける”制約”では、一切の女性に触れ合えないというような厳しい物ではありません。おそらく、儀式そのものが不完全だったために過剰に反応していると思われます」
「では、破棄もできるのか」
「いいえ。”誓いの書”に名を書き入れられるのは生涯一度のみ。更に、死するまで”制約”は逃れられません。一度、名を書き入れた以上、”誓約”は破棄できません。ですので、”制約”の過剰反応を止めるためにも近いうちに、殿下には”追署名の儀”をおこない、”誓約”を完全なものにする必要があります」
「……そうか。破棄が出来ないならば”誓約”がある以上、私の妃はマリーだけだ。彼女の身分が平民ではないのなら何の問題もないだろう」
「…………」
「何か、思うことがあるのか」
「……王妃陛下がなんとおっしゃいますか」
リュスランは考える。
王妃は……母はきっといい顔はしないだろう。母はリュスランの妃には自分と同じ派閥か、自分の派閥に有益になる娘を望んでいる。たいして、三公爵家、特にフロワサールは表向きの権力は何も有していない。王家とも血が近すぎる。身分だけが高い何の益にもならない少女だ。
これが、マリアーネなら……。同じフロワサールの血族ではあるが、エルセーヌ公爵家は政務関係に発言権が強く、更に、奥方は現宰相の従姉妹姫に当たる。マリアーネなら歓迎であるが、マリーでは相応しくない、きっとそう主張するだろう。
そして、王妃は己が意を通す権力がある。
「母は……私が抑える」
「お出来になりますか?」
「大丈夫だ……今度こそ必ず、守る」
フロワサール公はそれ以上は何も言わず、黙って頭を下げた。
公爵が話し終えて、退出する際、リュスランはかつて師であった魔術師を呼び止めた。
「マークス師。十二年前は迷惑をかけたな。すまない」
「……迷惑とは?」
マークス師は平凡そのもの顔で目を見張っていた。どうやら思い当たることはないようだ。
「貴方のことを覚えていない、ということは、貴方は辞職せざるを得なかったのだろう」
リュスランが勝手に行ったこととは言え、警護の者達に責任が問われないはずがない。おそらく、彼の他にも辞職や左遷の対象になったものもいるだろう。
そう思って、謝罪したのだが、本人は全く気にしていないようにきょとんとした表情していた。
「ああ、確かに辞めました。良い機会でしたので」
「は? いい機会?」
「はい。ちょうどその頃、私の興味を引く珍しい能力を持った子がおりましたので、殿下の一件がなくても辞職する予定でした。殿下は確かに才能がおありでしたが、私のような変人ではなく他の優秀な者に付いた方が伸びると思っておりましたし。現に、今は学院を代表する優秀な魔術師におなりだと伺っておりますが」
「まあ、そうなのだろうが……しかし、貴方は変わっているな……」
「よく言われます」
「気にしていないのは分かったが、それでも謝罪は受けて欲しい」
「……分かりました。それで、殿下のお気が済むので合えば。……ああ、アナ……クリスティアナ女史は、大分殿下のことを気にしていたようですので、何か一言言っていただけると喜ぶでしょう」
「クリスティアナ……女官のクリス?」
「はい、そうです」
「そうか、彼女も処罰されたのか。マークス師は彼女が今どこにいるか知っておられるのか?」
「少し前までは、フロワサールに一緒におりましたが、今は、どこぞの村で教師をしているときいております。詳しい居所は公爵閣下がご存知ですよ」
「そうか。わかった。彼女には手紙を書こう」
「きっと喜びます」
そして、公爵一行は去り、部屋にはリュスランだけが残った。
日が暮れていく中、リュスランは思い煩う。
ずっと、マリーはただの願望のなせる幻の姫だと思っていた。
それが、実在する。
嬉しくないわけがない。
だが、その彼女の傍らの存在を思うと……後ろめたくて苦しい。
きっと、恨まれる。そして、嘆かれる。
それでも、止まらない。
なぜなら……やっと見つけた安らぎだから。
「私は……これから、あの二人を引き裂く」
声に出してみる。
悲しむ二人の像が浮かぶ。それをむりやり塗りつぶす。
「決定事項だ、仕方がない。なぜならすでに”誓約”は結ばれているのだから」
お読みいただきましてありがとうございました。
次話は本日12時更新の予定です。




