第58話 悪役令嬢の告白と退場 (前編)
連日投稿5日目。
マリアーネ視点。その一。
(本来は本編にサブタイトルはつけないのですが、この回と次回は特別につけています)
寮の自室にて自主的に謹慎しているわたくしの元へ、その日、一人の女性騎士が訪ねて来た。
真っ赤な髪の麗人、アデリーダ・アリア・ユーディス女公。
彼女は部屋に踏み入れわたくしを見るなり、口を開く。
「こんにちは。エルセーヌ公爵令嬢マリアーネ・フラン殿。君は聡明な子だから、私がここに来た用件には見当ついていると思う」
「はい。わたくしの犯した罪に対する処分のことでございましょうか」
先日、わたくしは断罪された。
わたくしの言葉は、殿下の御心を混乱させ、罪のない少女の名誉を傷つけ、相愛の二人を引き裂いた。
「確かにその件で間違いない。だけどね、処分を言い渡す前にどうしても君に聞きたかったんだ」
「……何を、でございましょうか?」
「君の偽りのない本当の気持ちをね」
アデリーダ様のお言葉の意味を察し、わたくしは逡巡する。
確かに、わたくしは殿下の恋心ゆえ、そして、友への哀惜ゆえの罪を犯した。そのことに変わりはない。けれど……わたくしの中に渦巻く感情は、醜く汚れて切っていて、わたくしを苦しめる。
「遠慮しなくていいよ。マリアーネ嬢」
お優しいお言葉に思わず胸が詰まった。アデリーダ様は、ただわたくしの心を軽くして下さる為だけに聞いて下さるおつもりなのだ。
「……とても醜いものでございますが……アデリーダ様、聞いて戴けますか?」
「もちろんだよ。君の気がすむまで聞いていてあげる」
「ありがとうございます」
わたくしは語り始める。
浅ましくて哀れなわたくしのこれまでを。
*****
エルセーヌ公爵家は、先々代のフロワサール公の弟君が起こした家である。主筋であるフロワサールを影に日向に支える事を義務付けられたその家にわたくしは生を受けた。
わたくしは、生まれた時から”代わり”の子供だった。当主を継ぐべき兄の「もしもの際」の代わりに望まれた子供。他家に嫁ぎ政略の駒となる姉の「もしもの際」の代わりとして育てられた子供。そして、同じ年頃の主筋の姫の「もしもの際」に身代わりとなるべき子供。
父はそんな役目を誇りとして生きている。わたくしも、その薫陶を受け「姫の盾となれ」と言い含められて育てられた。有事の際の姫の代わりとして恥ずかしくないように教育を受けた。
幼いわたくしは何の疑問も抱かずに全てを受け入れてきた。
わたくしの運命が定まったのは四歳になったばかりの頃か。
ある日、王城から使者が来た。
内容は、殿下のご学友をして王宮に上がっていたフロワサールの姫がご病気で辞去されたので、その後釜にわたくしをと望まれたのだ。
リュスラン殿下に拝謁したのは、それからすぐ。
当時七歳の殿下は、とても青褪めた顔色で力なく長椅子に横たわっていた。
まさかご病気か、と思い、わたくしは父を見上げる。父はそんなわたくしを殿下の前を押し出した。
殿下がぼんやりと虚ろな瞳でわたくしを見た。
正直に言えば、とても怖かったのだけれど、背に父の圧力のある視線を感じ、わたくしは恐る恐るお辞儀をした。
「はじめまして。マリアーネ・フラン・エルセーヌともうします」
「……? まりー?」
「マリアーネです。ですが、マリーでかまいません」
「おまえ、かみ、うすべにいろだ……まりーなのか」
「……あの、うすべにというよりあかですが……」
「まりー、おまえはおぼえてる?」
「なにをでございましょう?」
「なにを? なにをなんだろう。たいせつなことなのにおもいだせない……」
「はい?」
「おまえはおぼえてない? まりー」
わたくしは困惑して父を振り返った。
もうすぐ八歳近いというのに幼児のような口調の殿下。わたくしは怯えた。
父がわたくしにそっと耳打ちする。
「殿下は、ご病気の影響でここ一年の出来事をお忘れになられている。殿下の不安を取り除くために、お話しを合わせて差し上げなさい」
「そう、ですの……わかりました。おとうさま」
「でんか、もうしわけありません。わたくしもなにもおぼえておりません」
リュスラン殿下は、わたくしの言葉を聞いて瞳を瞬かせた。そして寂しそうに微笑んだ。けれど、その瞳はもう虚ろではなくしっかりとわたくしを捉えている。
「そうか、マリーもか……しかたないな。またさいしょからだな。よろしく。マリー」
この瞬間、わたくしは”でんかのマリーひめ”の代わりになった。
それから、日一日と殿下は次第に元気を取り戻していった。
最初の印象では、おとなしく繊細な方なのだろうと思っていた。けれど、ご一緒の時間が長くなるに連れて、それは思い違いであると悟った。
殿下は……なんというか……とても元気が有り余っていらした。
殿下は、わたくしを引っ張り回して、毎日元気に王宮を走り回る。
「でんか、もうまりーにはついていけません」
「そんなことでは、りっぱなきしにはなれないぞ」
「まりーはおんなですので、きしにはなりませんし、たたかえません」
「ん? アデル・ユーディスはおんなだが、つよいぞ」
「……あのかたとくらべないでくださいませ。あのかたにはどんなおとこのかたもかないません」
「……そうか? だったらまりーもアデルじょうをみならってつよくなればいい」
「むちゃなことをおっしゃらないでくださいませ!」
毎日、もうついていけない、明日は辞めさせていただこう、と思った。けれど殿下はわたくしがいかないとお怒りになる。
幸い、幼いわたくしの体力が尽きる寸前、残りのご学友がやっと決まった。
黒の公爵ダングラル様の嫡男、カミーユ・リュート様。
ユーディス公の甥であり、王国騎士団長のヒュイス侯爵様の末子であられるジノ・ベルナルディ様。
彼等はすぐに殿下と打ち解け、わたくしは殿下に連れ回されることから解放された。けれど、安心したのは束の間、今度はわたくしが彼等を追いかけ回す日々が始まろうとは思ってもいなかった。
「でんか、だめです! ふんすいでおよがないでくださいませ!」
「ベルノ! そちらの木にはのぼらないで。はちのすがあるからだめだって……あーっ!」
「カミーユ、てつだってくださいませ! はやくでんかとベルノをおとめして。そちらはがけですのよ」
リュスラン殿下は、活発で向う見ずだった。ヒュイス家のベルノは素早くて考えなしだった。ダングラルのカミーユは、無表情無関心だった。
王宮は広い。幼児にはほんの少しの水嵩もほんの少しの段差も、危険な水場と崖だ。断言できる。わたくしがいなかったら彼等は大怪我をしていたに違いない。(いや、よくよく考えてみれば、もしかして、小さい時に世話を焼き過ぎたせいで、分別とか思慮とかを学ぶ機会を失ったのかもしれない)
王宮に上がって一年ほどした頃、流行り病が王都を席巻した。
エルセーヌ家は全員無事だったが、ちょうど王都に来ていたフロワサールの奥方様が罹患し亡くなられた。父エルセーヌ公爵はフロワサール公の元に赴き、母は病を避けるために兄を連れ領地へ、姉は婚約者の元へと王都のエルセーヌの屋敷を離れた。わたくしは誰からも声を掛けられることなく、一人王都の館に独りとり残された。
これは後から聞いた言い訳だ。
母は、跡取りである兄だけは急ぎ病より遠ざけねばならず、また王子の学友の役目のあるわたくしを父に断りなく連れ出すわけにはいかず、姉に後事を託したつもりで領地に戻った。
姉は、罹患した婚約者のいざという場合に備え婚約者の家に詰めねばならず、さりとてわたくしを連れてはいけず、やむなく父にわたくしを預けて館を出た。
父は、……母や姉がいるだろうとたかをくくり、更に忙しさにかまけて姉の言葉を聞き流し、わたくしの存在を忘れた。
それぞれが落ち着いてちょっとした連絡を取れば、なかったはずの出来事。
けれど、子供の私はそんな事情など知らない。
流行り病が収まらない王都に一人残り、わたくしは見放されたのだ、と思い込んだ。それから暫く心の傷はなかなか癒えなかった。
そして、久しぶりに王宮に出向いたその日、何がきっかけになったかは覚えていないが、ついにわたくしの心はついに決壊してしまった。
わたくしは、庭園の隅に座り、独りでめそめそ泣いていた。
そんなわたくしを見つけたのはリュスラン殿下だ。殿下は、わたくしの支離滅裂な言葉を我慢強く聞き、わたくしの頭をぐしゃぐしゃに撫でて慰めた。
「マリーはだれよりもたいせつだぞ」
「ほんとうでございますか」
「ほんとうだ」
殿下はわたくしを大切だと言って下さる。その言葉が何より嬉しかった。
殿下に対する意識が、友というより異性に傾き始めたきっかけは、殿下達が一足早く準備学校に入学した時だった。
殿下が、学院の制服をきっちり着こなしてわたくしの前に現れた。
それまで、汚れても良い子供服をまとい泥だらけになって転げまわる殿下しか目にしたことがないわたくしは、殿下の装いに目を奪われた。
その当時の殿下は十四歳。わたくしより三歳年上なだけなのに、わたくしを置き去りにしてすっかり大人になったかに見えた。
「どうだ、マリー。少しはマシになっただろう?」
殿下も今まで見たことがないほど、凛々しくあられて、胸が高鳴った。
「……見違えました……」
「だろう? もっとほめても良いぞ」
「……中身はもう少し、でございますけれど」
もっと褒めたいのに、憎まれ口しか出てこなかった。
「相変わらず、厳しいな、マリーは」
そうお笑いになる姿もとても素敵で目が離せなかった。
殿下が微笑みながら仰る。
「そうだ。マリー、そろそろ、私の事はリュスランと呼べ」
「……はい?」
「子供の頃にも一度言っただろう? お前は私の妹みたいなものだ。だから許す。リュスランと呼べ」
”妹”と言われた事に衝撃を受け、さらに御名を呼ぶ事を許された記憶がないのに愕然とする。
それをいわれたのはわたくしではない。本物の殿下の「マリー姫」だ。殿下はわたくしとマリー姫を混同されている。
ならば……御名をお呼びするのはマリー姫が許された事、わたくしではない。
内心、忸怩としながら、わたくしは断りの言葉を言うしかない。
「……それは……お許しくださいませ」
「……そうか……。マリーなら私の名を呼んでくれると思っていたのだがな」
殿下は見るからに落胆していた。後悔と同時にいい気味だとほんのりと暗い気持ちになった。
*****
殿下方に遅れること二年。
わたくしも王立魔術学院の準備学校に入学した。
すでに殿下方は学院の二学年に進級されていた。久しぶりにお会いする殿下は、向う見ずなご性格が影を潜め、物腰も落ち着かれて随分と大人びていらした。
新しい側近の方も紹介された。
アーシュリート・ブルムスター。
何故かもう一つの双子名を呼ばれることを嫌う、魔術系貴族レドヴィック出身の少年だ。今はレドヴィックを出て、ブルムスターに養子に入りフロワサール公爵の後ろ盾を得ているという。三公爵家の後見など、彼の年でそうそう受けられるものではない。それだけ聞けばどれだけ要領の良い計算高い少年なのだろう、と思われたが、実際の彼は魔術の好きな真面目そうな少年でしかなかった。
彼について特に印象深かったのは、幼馴染の平民の少女をひたすら想っている事だっただろう。疑い深く人をなかなか信じようとしないカミーユでさえ、彼の幼馴染に対する想いは認めていたのだから、その一途さは賞賛に値する。
こんなに強く思われているのはどんな少女なのだろう。わたくしの中に、彼女、セラフィカ・アズリに対する興味が芽生えた。
そんな一途な彼とは真逆な生き方をする者もいた。
ユリカ・アリス・アーベンス男爵令嬢だ。彼女は常に複数の異性を周囲に侍らしていて、眉を潜める者が多かった。
断っておくが、わたくしは彼女を嫌厭したことはない。人には生き方がある。彼女はきっと異性を侍らしたい方なのだろう。ただ、彼女の生活態度はあまりにも戴けなかった。
だから、高位貴族の義務として、彼女にそれとなく注意した。けれど、彼女の行状は収まる様子もなく、いつしかわたくしを避けるようになった。
なんとか更生して欲しかったのだけど、彼女にはわたくしの気持ちは伝わらなかったようだ。
*****
一年間の準備学校を経て、私はいよいよ王立総合高等学院魔術学部に入学する。
入学する直前、父からわたくしにある秘密を打ち開けられた。
『フロワサールのマリー嬢が、身元を隠して学院に入学される』
フロワサールの姫は、幼い頃病弱を理由に殿下の学友をご辞退され、ご領地で静養されているはず。わたくしは今まで、それを疑った事はなかった。
しかし、父は言う。実は、姫は病弱ではなく、とある事情で世間一般の目から隠して育てられていると。そして、今年度、姫は魔術学院に入学する。
そして、父から命が下った。
『速やかにフロワサールの姫を探しだし、マリアーネ・フランがお預かりしている立場を姫にお返しするように』
わたくしは、父の言葉に絶句した。
わたくしの今の立場は……殿下のご学友であり、親しい異性の友人であるという立場はわたくしが長い時間をかけて作り上げたものだ。簡単に譲れるものではない。
けれど、そんなわたくしに父は非常にも言った。
「エルセーヌはフロワサールのために存在し、私はお前をそのために育てた。お前にも思う事はあると思うが、堪えよ」
わたくしは涙と一緒に殿下への想いにそっと蓋をする。
「承知致しました」
そしてついに、魔術学院の入学の日を迎えた。
お読みいただきましてありがとうございました。
次回は19日午前0時の予定です。




