第54話
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――う~ん。冷たくて気持ちがいい……。
額に当てられた冷たい手の感触が気持ち良くて、私の意識が目覚めへと浮上していく。
目を開けるとぼんやりとした視界に、二つの青緑の宝石が映り込んだ。
「……綺麗」
澄んだ輝きがとても綺麗で思わず手を伸ばして触れようとした。だけど宝石に届く前に、触り心地抜群の絹糸みたいのものが手に当たる。心地良いので、そのまま、さわさわさわさわ。
「ちょ、セラ?」
うっ、と呻くような声が直ぐ近くで聞こえた。
一頻り絹糸を堪能した後、また、宝石が気になって輪郭をたどる。滑らかな人の肌の感触がする。ちょっと暖かくて気持ちがいい。
「……セラ、ちゃんと起きてる?」
ため息混じりのアーシュの声。心の中に温かいものが広がる。
「アーシュ……? 本当に?」
「そうだよ、僕だ」
「………………大好き……」
「………………………忍耐力のテストか、これ」
心底困惑したアーシュの声がしたと思ったら、青緑色の宝石が近づいてきて……唇に柔らかい感触が落とされた。
――これ……キス?
そこで、漸く完全に目が覚めた。
……ものすごく近い距離にアーシュの顔が。しかも、彼の頬には私の両手が何故か添えられてて。
なんて表現したら良いの、彼を引き寄せた?引き込んだ?引き摺り寄せた?……違う問題はそこじゃない! こ、これってどう見ても私がアーシュを誘惑してるようにしか見えないじゃない!
「え、え、ええぇぇ。あ、あ、あーしゅ?」
「目が覚めた?」
「さ、ささ覚めた……よ? 多分完全におもいッきり! そ、れより、こここれはななな、何? 私何かしちゃった? 夢だ夢だね夢と言って」
「セラ、大丈夫、僕は何もされてないから。とにかく落ち着こう」
「おおおおお落ち着けるはずないよ」
「はいはい。……キーラさん、お茶の用意してくれるかな?」
はい、と落ち着いたキーラの声が聞こえる。なんだ、二人っきりじゃなかったんだ。……残念……。って、違うでしょう。キーラに見られた。恥ずかしい、もうだめ、立ち直れない……。
「どうしたの? 今度は青くなってるよ。でも、すごく可愛い……」
な、何を言ってるの!? あ、頭に血が上る。誰か助けて……。
「お嬢様?」
「セラ? 大丈夫?」
「……もう無理、大丈夫じゃない……」
ぷしゅーって風船から空気が抜けていくように、全身から力が抜けていったのを感じた。
深呼吸してお茶を飲んで。漸く落ち着いて考えられるようになった。
どうやら、私は寝ぼけていたようだ。完全に場所と時間がおかしいけど。
今は夜でも朝でもない。ここは、時間は昼下がりのお茶の時間、場所はフロワサールのアズリ邸のテラス。付け加えると、約一時間前まではしっかり起きていてアーシュと話してた。そして三十分前には彼に凭れて転寝をしてたらしい。
ほんの三十分。転寝しただけで夢と現実を間違うなんて……どれだけ寝穢いんだろう、私。穴があったら入りたい、入ったら当分出たくない。
元々寝起きの良くない私に科せられてしまった、レドヴィックの【闇魔術】の置き土産とも言うべき枷。それがこのいつでもどこでも予想もつかずに睡眠状態に入る眠り病だ。
私がレドヴィックの城から解放されてもう五日が過ぎている。
直後は、酷使された精神が休息を求めていたようで、ほぼ一日中夢現の状態だったらしい。それから少しづつ良くなって、起きていられる時間が長くなり、意識もしっかり保てるようになった。ここ二日は、急激に入眠して二、三十分で目を覚ますと言う症状以外は普通の生活が送れている。それも大分少なくなっているから、きっとすぐに元通りになると思う。
五日間、アーシュはずっと私の側に居てくれた。(寝ていたからほとんど覚えてないけど……)
そして昨日、やっと彼レドヴィックで何があったのか話した。
「セラ、ごめん。謝っても謝りきれないほど酷いことをした。……僕の血族のせいで」
開口一番にアーシュはそう言って頭を下げたけれど……実のところ、ピンとこない。と言うのは、どうやらほとんど記憶から抜け落ちてしまったらしいのだ。
寮から攫われてどこかに行ったまでははっきり記憶がある。でも……そこからは酷く曖昧だ。ぼんやりと誰かと会ったな、とかなぜだか知らないけど凄く悲しかったとか、それぐらいしか覚えてなかった。
だから、アーシュのお兄さんが【闇魔術】をかけようとしたとか聞いても怒れない。酷い話だとは思うけど。それよりも、その話をするアーシュが辛そうなのが堪らなかった。
アーシュは私の反応が思った通りではないのを不思議に思ったのだろう。「どうしたの?」と聞いてきた。
「……ごめんね。良く覚えてないの」と言ったら。アーシュは驚いたように目を見開いた。そして、少し辛そうな表情が和らぐ。
「そうか……それも幸運なのかもしれないね」
「だから、謝らなくていいよ。アーシュは悪くない」
「そう言われてもなぁ……。あれ、ということは……もしかして全部忘れた?」
アーシュが急に真顔になった。
「全部じゃないけど……ほとんど?」
「本当に? 何か覚えてない?」
「さ、さあ? どこまでって言われても……。アーシュのお兄さんって誰、って感じだし……」
「……セラ、ほんっとに覚えてない? 僕にした事とか」
「え、ええ? 私、アーシュになにか仕出かしたの? ご、ごめんなさい」
「…………嘘だろ…………」
アーシュが蹲って唸ってる……。
目の前の見たこともない光景に私の方が嘘だって言いたい。
「アーシュ、ごめんね。その、ごめん」
「……これはやり直しをしろって、女神の思し召しか」
「あの、アーシュ?」
「セラ、フロワサールの丘に行った事も覚えてないんだよね?」
「えっと……レドヴィックからフロワサールまで一気に転移したこと? なんとなく憶えてるよ。あれだけの距離をいっきに飛んじゃうんだからすごいよね。丘も久しぶりで懐かしかったし…………………………………あ」
思い出した……。
私、あの時勢いで……プロポーズ紛いの告白を……仕出かした。
あああ、熱い。一気に体温が上昇する。
「あ、ああ、あれ、あれは、その」
「思い出した? 良かった。あれがなかった事になるのだけは耐えられないから」
「そ、そうですか……」
アーシュは私を抱きしめて蕩けるような笑顔で見つめる。
「やっと捕まえたんだ。もう離すものか……。今度は僕からだ。好きだよ、セラ。ずっと側にいて」
*****
という騒動があったのが昨日。
そして、思いが実って幸せだ、とさっきまでは思ってた。
「はい、どうぞ」
――この状況は一体、何?
私の前にケーキをのせたフォークを差し出すアーシュ。これは……あれだ。餌付けだ。きっとそうだそうに違いない。
「あの、アーシュ、これ」
「どうぞ、美味しいよ?」
「そ、そう? あの、自分で食べるから……」
「食べて欲しいんだ。……だめ」
誰か、【幻視】使ってない? アーシュの頭の上に垂れた耳が見える気がするんだけど。
く、どうしよう。えいっ、もうどうにでもなれ! ぱく。
「……美味しいです」
知らなかった。アーシュって甘やしたがり?だったんだ……。昨日から、至れりつくせり。お姫様抱っこで運ばれて(例の眠り病で歩いてる最中で眠ったら危ないから、だって)、何かすると可愛いって褒められて(特別なことは何もしてないんだけどな……)。
私の羞恥心のゲージはとっくに真っ赤に振り切れてるし、心臓は過剰労働で今にも壊れそうだ。
「本当にかわ「あーーーーーー。警告!! それ以上続けると砂糖ばらまくぞーーーーーー」……エリー?」
どうしようかと頭を抱えかけた所で、タイミング良くエリー兄が割り込んできた。今日は休みじゃないのに。授業さぼったね、エリー兄。
「エリー兄!」
「……えっと、何しに来たのかな?」
「笑顔で威嚇するなよ、アーシュ」
エリー兄は、苦笑どころではなくちょっと大袈裟に眉を顰めた。
「折角、いろいろ気になるかもと思って来たのになぁ。セラ、学院の事聞きたくないか?」
「知りたい! 教えてエリー兄」
それからエリー兄からいろんな話を聞いた。
学院では、一時レドヴィック没落の噂が絶えなかった事。ただ、レドヴィック城の事件にはほとんど触れてはなく、伯爵とご子息ライル・ストラトス様の不祥事とだけ伝わっている。伯爵とご子息は現在高等法院の裁判待ちで謹慎中らしい。その噂も大分峠を越えて下火になってきているらしい。
私の欠席とレドヴィックの一件が結びつく噂は幸いにないらしい。エリー兄からは学院に戻っても一切口にするなと釘を刺された。
また、総合学部のナルヴィのご令嬢だけど、その噂を聞いてすぐ別な人と婚約を発表したようだ。アーシュは既視した様子もなく「今度は名前と顔ぐらいは知ってるといいね」と苦笑いしていた。
そして、つい先日、来年度に向けての学年代表選抜試合の選考が発表された。一学年は特に関係はないけれど、二、三学年の生徒にとっては将来に関わる大事な選考となる。代表になれば経歴として記録されるし、何より来年度の「模擬試合」に出るだけで外部に名前と顔が売れる。
「もうそんな時期か。……殿下は出場するのかな」
「さあ。まだ聞いてないな。今年と違って来年は忙しいだろうから辞退するかもな。殿下にとっては恩恵は一切ないし。ダングラルは殿下に倣うだろうがヒュイスはどうかな」
「エリーは?」
「俺? 俺はパス」
「……そうか、一度ぐらい出てもいいと思うけど」
「やだ」
「じゃあ、僕もパスするかな。殿下もエリーも出ないならやる気出ないし」
「出ろよ、もったいないだろう」
「……エリーに言われたくないな」
いつも思うけどエリー兄とアーシュって、仲いいなぁ……。なんだか仲間はずれになりそうでちょっと寂しいかも。
「と、ここからが本題。アーシュ、そろそろ戻ってこいよ」
「え?」
思わず反応してしまった。アーシュ、戻るんだ……。
「嫌だ」
「……即答かよ……」
久しぶりに見た。エリー兄が困ってる顔。
エリー兄が言うには、元々アーシュが学院を休んでいるのは、レドヴィックの噂に巻き込まれるのを懸念してということだったらしい。それも大分治まってきたのだけど、今度は彼がいない事に不信感を持つ人達が出てきた。
「余計な詮索をされる前に、堂々と戻ってこい」
「……そうだね。そろそろ潮時かな。名残惜しいけど。戻るよ」
渋々を言った風だったけど、アーシュは納得した。そう決まれば早速とアーシュは立ち上がりかけた。でも、すぐに驚いたように座り直す。
「どうしたの?」
「セラ……その、手が」
彼の視線を追って見てみたら……私の手が彼の服をしっかり掴んでる。
驚いた。全くの無意識で彼を引きとめようとしてたんだ……。
「あ、これは……その、ごめんなさい」
「いいよ。……わかってるから。大丈夫、すぐに会えるよ。今度は学院で」
「うん、そうだよね……。行ってらっしゃい、アーシュ」
俯いたままそう返したら、アーシュは頭に口づけを落としていった。
途端にじんわりと顔に熱が集まってくる。まずい、心臓が止まりそうだ。
「行ってくる。またね、セラ」
*****
アーシュが学院に戻ってから一週間後。私はやっと学院に戻れた。
ちょうど昼休みに入った時間についた。今からなら午後の授業に間に合うかな。
私は寮に荷物を置いて食堂棟に向かった。
皆、あそこにいるだろう。
カフェテリアを抜け、久しぶりの階段を登り、”サロン”の扉を開ける。
「おや」「あれ?」「セラフィカか!」
皆が驚きの声を上げる中、ほっそりした人影が動いて抱きついてきた。
「え? あの……」
「……本当に……セラフィカさんですの……?」
「マリアーネ様」
「心配致しましたのよ……怪我がなくて良かった」
マリアーネ様がしゃくりあげてた。
「本当に無事で良かったですわ……」
「ご心配お掛けして申し訳ありません……」
マリアーネ様に釣られて私も涙が出てきた。
私はこの優しい方にどれだけ心配をお掛けしてしまったのだろうか。
そんな私達を、いつもの方々が向かえてくれている。
微笑みながらもちょっと物騒な気配を忍ばせている殿下……。私怒られるような事したかな……。
私の復帰を心から喜んで、しかも私達に釣られて泣き出しそうになっているヒュイス様。
対照的に、いつもの表情が読み取れない作り笑顔がちょっとだけ驚いたように揺らいでいるカミーユ様。
そして、アーシュ。
彼らといると温かい気持ちが溢れてくる。最初は畏れ多いと、自分とは違う世界の人達だと思っていた。またここに帰って来れて良かった、とそんな気持ちを抱くまで親しくなるとは思ってなかった。
「ごめんなさいね、取り乱して……身体はもうよろしいの?」
「はい。大丈夫です」
「本当に? 無理をなさってませんか? 貴女は結構無茶するから」
「本当に平気です」
いくら言っても不安顔のマリアーネ様。なんでこんなに不安なんだろう。
さて、どうしたらマリアーネ様が安心して下さるかな……。元気ってどうやったら証明できる? 誰かと組手でもすれば良い? そう思って一番体格の良いリュスラン殿下を見上げた。
「セラフィカ、何を考えているのかは知らないが、一応病み上がりだろう? やめておけ」
リュスラン殿下が、苦笑いしながらそう言った。
「……はい」
私も一瞬不敬なことを考えた事を反省する。殿下を投げ飛ばしたら元気の証明、なんてなるわけ無いよね、幾らなんでも。
「良くなってよかったわ、セ、……………………………………アズリ妹! お前いねーとつまんねーし」
言葉途中でヒュイス様が何かにたじろいだように不自然に区切った。何を言いかけたかまでは分からないけど、原因は多分彼だ。
「お帰り、セラ」
アーシュはそう言いながら近づいてきて、私を抱き寄せた。
一週間ぶり。アズリ邸でのやり取りで、やっとちょっと慣れてきたけど……多分私の顔は真っ赤になってると思う……。
「「えっ」」
殿下とヒュイス様の戸惑いの声が綺麗に重なった。
「あら」
「やっとですか」
マリアーネ様とカミーユ様は通常通り。
彼らに向けてアーシュはにっこりと微笑む。
「という事ですので、これからもよろしく]
(注)パライバトルマリンとは、ネオンブルーの色が綺麗な希少な宝石です。和名は銅リチア電気石。1カラット当たりの単価が最も高価とも言われてます。
お読みいただきましてありがとうございました。
次回は明日15日午前0時に更新します




