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第5話


 まずい!


 アナ先生は時間に非常に厳しい。

 マーク先生への挨拶もそこそこに廊下を駆け抜けて先生の部屋へ。

 

 扉を開けたら案の定、アナ先生は眉を潜めてこちらをじろりと見てきた。


――怒ってるよね! これはまずい、ほんとにまずい。

 

 今できる最大限の謝意を示さねば。チラリと頭をかすめたのは前世のあの動作。


 ばっと両膝を地につけ、額を地面すれすれに。


「遅れてごめんなさい!!!」

「…………………………………」


 何故か静まり返る部屋の中。

 あれ、アナ先生? 何もおっしゃらないのですか?

 沈黙に耐えられず恐る恐る顔を上げると、先生、無表情でこちらを見てる。


「…………………………………」


 沈黙。

 どうしよう。すごく怖い。こんなに怖いの初めてだ……。


「…………その蛙のような(・・・・・)無様な格好は、何のつもりなのですか?」

「……ひっ」


 極低温の声が更に怖い。私はそのまま石みたいに固まって動けなくなった。



**** 


 アナ先生の前で固まったまま時間が流れて……もう何分? 何十分? 何時間? 経ったのかな……。

 足の痺れてきて我慢できなくなって、それでやっと声が出せた。


「あの……先生? これはその……」


 じろりと睨む先生。


「わたくしは蛙は嫌いです。あなたもそれは知っているはず。それでいながらまだその姿勢を?」

「違います!! あの、これ、一応お詫びの形なんです……あの、遅れてすみません」

「謝罪したいと? そのひしゃげた蛙で?」


 アナ先生、よほど蛙が嫌いなんだな……。


「あの、これ、”ドゲザ”って言いまして、ニホンの……外国のお詫びの形なんです……最上級の」


 アナ先生は呆れたように手を額に当てた。


「その潰れ蛙が最上級の謝罪ですか? 外国? ニホン? どこの国ですか? いえ、説明はよろしいです。

 ……なるほど……わたくしともあろうものが、あなたがあの(・・)セシリアの娘であることをついうっかり失念していました……。なんとまあ、愚か者だったのでしょう」


 アナ先生、怒りを通り越して呆れモードに入ったみたいだ。


「セシリアもびっくりするほど珍妙な真似をしでかす子でしたけれど、まあ、貴女もですか……。嘆かわしい。だから、早く女手を入れるべきだと言っておりましたものを……。いえ、まだ遅くはございませんわね。今はわたくしがおりますものね」


 えっと、アナ先生? 途中から何だけ別の意味ですごく怖い目つきになっているんですが? 


「よろしい。醜い蛙に似ているとはいえ最上級に値する謝罪であるならば、受け入れるのが筋というものでしょう。

 セラフィカさん、謝罪は受け入れましょう。今度からは約束の時間は必ず守りなさい。それが最低限の礼儀ですよ」


 アナ先生、落ち着いて下さったみたいでようやく安心した。そして立ち上がろうとしたら、足が痺れてて力が入らなかった。そのままこてんと転がった。

 すると、アナ先生が私の手を取り立ち上がらせてくれた。


「良くお聴きなさい。……例え最上級の礼であったとしても、もうあの蛙の格好を二度としてはなりませんよ。いえ、外国だからどうこう言っているわけではありません。

 この国にはこの国の歴史があり文化があり、それに培われた美しい所作(マナー)があります。ちょうどよろしい。あなたに本当に美しい挨拶の仕方を教えて差し上げましょう」


 というと、アナ先生は私の前にピンと背筋を伸ばして立った。


「何があっても背を丸めてはいけません。

 背を丸め地を見るのは敗者の証。己に自信のない者だけです。空元気でよろしい。自尊心(プライド)を持って常に前を向いていなさい」


 そして、ゆっくり左足を後ろに引き、右手を左の胸にあて背筋を伸ばしたまま軽く腰を折る。

 目の前にいるものに対する(今は私にだ)敬愛の礼。

 流れるような動作がバレエのレヴェランスを見ているように優雅だ。まるで王女になったかのような、そんな錯覚すら感じる。

 アナ先生は中腰のその状態のまま、こともなく話し続けている。


「絶対に地に膝をついてはなりません。それは、神の前で罪を告白する姿を思わせます。してはならない事の一つですよ」


 そして顔を上げ、またぴんと背筋を伸ばした綺麗な立ち姿に戻る。


「……綺麗……」


「セラさん、美しい挨拶の最大の秘訣です。どんな時でも心からの笑顔でいなさい。それが淑女の最大の武器なのです」

「はい!」

 

 私の返事を聞いて、アナ先生は柔らかい微笑を浮かべた。アナ先生に会ってから初めて見る笑顔だった。

 

 でも、ふと疑問を感じた。私は田舎生まれの庶民。そんな礼儀作法を必要とする所とは縁遠いんじゃないか?


「今は、私があなたに教えている意味をあなたは疑問に思っているでしょう。けれど、その時が来ればあなたにも分かります。セラ、精進なさい。皆があなたの優雅な所作に見惚れてしまうように」


 そんな時が来るとは思えないけれど、私は元気に「はい」と返した。





****


 

 やっと夜になった。 

 

 食事も終わってもう寝るばかりになった時、自室のテラスの窓をコンコンと叩く音がした。ちらりと覗くダークブロンドの髪。エリー兄さまだ。


「セラ、ちょっとおいで」

「兄さま?」

「昼間の続き、しようぜ」


 エリー兄さまに連れだされて、テラスから中庭に降りる。中央にある噴水の近くのベンチに腰をあろした。

 空には、細い糸のような三日月。月明かりは弱く、もちろん人気も全然ない。ただ、エリー兄さまも持つ小さなランプだけが唯一の光だった。


「暗いのは嫌いだよね? セラ」

「……平気」

「嘘つかない。まあ、この辺りには”おばけ”はいないから怖がらなくても大丈夫」

「……怖くないもん」

「ふうん。そっか。じゃ、いいかな?」


 何がいいの、と問う前に唯一だった光が消された。


 真っ暗の闇。何も見えない。


「……やだ、やだ……」


 当然の状況でパニックになりかける。


「セラ、【灯火(ライト)】だ」

「えぇ、無理だよ、兄さま!!」


 あんなにマーク先生と練習したのに出来なかったんだよ! 


 エリー兄さまに泣きつきたかったけど、兄さまは助けてはくれなかった。


「マーク先生の言葉思い出せ。『生活魔術』は必要(・・)ならばできる(・・・)んだよ」

「だけど」

「落ち着いてイメージしてみて。暗い(・・)所に()が灯るところを」

 

 暗闇は怖い。怖い怖い。


――灯りが欲しいよ。ちっちゃな光。蝋燭でも懐中電灯(ペンライト)でもいいの……って、あれ? 


 懐中電灯はこの世界にない。でも代わりはあるじゃないか、この世界には。

 

 落ち着け、私。先ず人差し指は胴体。爪の先は電球。掌当たりにスイッチがある。そしてスイッチを入れる……。


「【灯火(ライト)】」


 ふっとやわらかなオレンジの光が指先に点った。


「で、出来た〜〜〜」

「やったね、セラ」


 私が出した小さな光が、優しいエリー兄さまを照らしだした。


「でも、昼間出来なかったのになんで?」


 私の疑問にエリー兄さまは苦笑交じりに答えた。


「あれはね。マーク先生の意地悪と言うかなんというか」

「どういうこと?」

「では、問題! 昼間と今とでは何が違う?」

「えっと……。場所、じゃないよね……あ、暗い所? そうか!」

「そ、それが、正解」


 確かに昼間に光をイメージしにくい。 だって、光は周りに溢れているんだから。

 なるほどだから『必要ならばできる』、昼間は発動が難しくなるんだ、灯りが必要じゃないから…。


「慣れれば昼間でもできるけどさ、でも、普通に考えて初心者に、昼に【灯火(ライト)】ないよな〜。俺ん時はさ、氷室の中で【火花スパーク】出せって課題でさ。氷を溶かすイメージはつかみ安いんだけど、氷の魔素が多すぎて火になんなくて。意地悪だよな」


 もしや、これ(初回の課題)って、魔術のセンスのテストですか? やだー、ほんとに鬼教師(スパルタ教師)じゃん。


 あ、そうだ、せっかく【灯火(ライト)】の魔術ができたんだし、光の色とか変えられないかな?

 後、ふわふわ浮く感じ…そうあの光みたいに。


 私は目を瞑ってイメージを固める。日本の夏のちょうど今頃綺麗な川に現れる、小さな光。鋭く鈍く変動する光の群れ。


 チリン、と風鈴の音がした。つむった目に見知らぬ文字の羅列が映る。


「――【ホタル】」


 すぅっと私の指先に金色の光が灯りふわりと離れた。風の流れに従って舞うように漂う。


「出来た……」

「え? セラ、何、この光?」

「ホタルだよ。外国にいる虫の光なの」


 続けざまに五、六個灯し、宙を漂わせた。


――ずっと見たかったの、前世で。これは本物じゃないけど。


 ずっと叶わなかった願いを思いだして、とても幸せで、とても懐かしかった。





◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇


 

 少し肌寒さを感じる庭に、淡い光の玉を見入る少年少女。

 それを、彼は物陰より伺っていた。


「……ぎりぎり合格ですね。出来ればサポート無しで気づいて欲しかったのですが、まあ、良いでしょう。面白いものも見れましたし」


 少女の出した魔術の光、それはもう単純な【灯火ライト】ではなかった。むしろ、【光属性】の低位魔術【光球(ライトボール)】に近い。それも大きさと光量をマイナス方向で制御し複数展開させたアレンジ魔術だ。


「いくら低位魔術の術式は簡単だとはいっても、まだ基礎の基礎もできていないのですがね」


 推測ではあるが、彼女もまた彼女自身の”魔術の術式”を持っているのだろう、彼女の兄と同じように。それは育て方次第で良くも悪くもなる逸材ということだ。


「また、本当に面白い子たちです。それにしても……”ホタル”ですか……。懐かしいですね……」


 彼の目が一瞬懐かしそうに歪められたが、それを見たものは誰もいなかった。












注) 作中で礼法について書いておりますが、実際の礼法ではありません。

 作中の国の文化の上で形成された独自の礼法とお取りください。



お読みいただきましてありがとうございました。

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