第46話
すでに先日十八歳の誕生日を迎えたリュスランは、明日に控えた「成人の儀」の最終調整を行っていた。
第三学年で成年に達すると言うのは、学友達より一足早い。と言うのは、幼少の一時期、彼は病に伏し一年の養生を余儀なくされたからだ。とはいえ、年齢の違いは彼にはさして不利にはならず、むしろ腹心と共に学ぶ事の利の方が大きいと彼は思っていた。
しかし、この第三学年と第四学年の境という忙しなく重要な時期に、長期間学院を空けねばならないという事態に陥って初めて、空白の一年を惜しんだ。
第四学年のこの時期であれば、卒業に必要な単位はあらかた取り終えゆっくりと「成人の儀」を迎えられただろう。
リュスランは今、生徒と王族の二つの役割を同時にこなさなければならなくなっており、目が回るほど忙しない。
そんな折にふと思い出すのは、倒れた直後に別れたきりまだ会えていない少女の事だった。
――学院は……セラフィカはどうしているのか。
書類を扱う手を留め、視線を窓の外、遠く離れた学院に向けて思いを馳せた。
「殿下、手が止まっておりますよ」
苦笑混じりで指摘したのは、連日リュスランの手伝いに駆りだされているカミーユだ。
「お疲れになったのでしたら、少々休憩しますか?」
「いや、まだ大丈夫だ」
「いえ、ちょうど切りが良いですし、あまり根を詰め過ぎても効率は上がりません。お話ししておきたい事もございますし」
「そうか? 分かった、そうするか」
カミーユの指示で直ぐ様数名の侍女が現れ、あっという間にティータイムの準備がなされた。
彼女達が容易した、香り高い茶と茶菓子を口に含みながら、リュスランは学院のぬるい紅茶と素朴な茶菓子を少しだけ懐かしむ。
「……成人すれば、学院に戻っても、前のようにはゆっくり出来ないだろうな……」
「ご公務も増えますからね。致し方がないかと。ですが、私もマリー嬢も精一杯お手伝いさせていただきますので、ご心配は無用ですよ」
「頼りにしてるぞ」
「ええ、ご存分に」
優雅に微笑みながら、カミーユは紅茶のカップをソーサーに戻した。
「そういえば、神官庁に妙な動きがありますね」
神官庁とは、この国の主神であり契約と神託の女神ラクシアに使える神官を束ねる部署である。
そして、この神官庁と王家は建国時より反目している。初めはごく些細な争いであった王家と神官庁だが、長い時を経て政権と利権と信仰を巡る争いへと発展してきている。
二十年前の王位争いでは神官庁は動かなかった。
しかし、ここに来てやや動きが活発になっている。それは世継ぎの王子としては見過ごせない。
「どんな動きだ?」
「どう見ても信仰心のなさそうな連中の出入りが目立っていますね。下級神官や下女の雇入れも多い。更には、資材の買い入れもごく僅かですが増加傾向が続いております」
「……怪しいな、何か事を起こそうとしているのか」
「可能性としてはありますね。引き続き見張らせておりますので、動きがあればご報告致します」
「ああ、よろしく頼む」
「ところで」とカミーユがさらりと話題を変えた。「不敬を承知でお尋ねしたく」
リュスランが首を傾げる。何となくだが、カミーユの機嫌が良くないように感じる。彼の気に触るような事をしでかした覚えはないのだが。
「何か?]
「……単刀直入に伺います。殿下はセラフィカ嬢をどうしたいのですか?」
――来るべき時が来たか。
リュスランは気を引き締めて身構える。隙をつかれて彼女達に不利益になるのは避けたい。
「どうするも何もない。セラフィカは友人だ」
「それを信じろとおっしゃいますか? セラフィカ嬢の名を出しただけでそれほど動揺されているのに?」
「いや、そんなことはない」
「私を見くびらないで戴きたいですね。隠し事は出来ませんよ。殿下の視線がどなたを追っているか、私には分かります。そして、どうしても一歩を踏み出せずにいることも存じております」
「……カミーユ」
「このまま踏み出せばどうなるか、殿下には予想が付いておいででしょう。相愛の恋人と引き離して愛妾に召し上げますか? それとも、正式に妃に連ならせて、醜い後宮の争いに巻き込みますか?」
「……まさか、そんなつもりはない。あそこは……後宮ほどセラフィカには似合わない」
「でしたら」
カミーユは言葉を選びつつ低くゆっくりと語った。
「ご自重下さい。遺憾ながら殿下も私もこの先自由な恋愛の末の婚姻は先ず出来ません。ならば愛した者を側に置きておきたい殿下のお気持ちは良く分かります。
ですが、私達の事情にセラフィカ嬢のように年若く素直な女性を引き込むのは忍びない」
「分かっている。だからこそ……」
「更に……願わくば、例え政略の上で結ばれた婚姻であったとしても、伴侶となる女性を尊重なさって下さい。……決して我らの父母のようにならないように」
カミーユの父母は貴族の常として政略で結ばれ、三人の子をなした。その後、父は数人もの愛人を囲い正母を顧みる事はほぼない。そして、公爵家に相続争いを懸念して長年愛人に避妊を強いている。
リュスランの父母に至ってはもっと顕著だ。王の后は一人だが、寵妃も愛妾も当たり前のように複数存在し、王には昨年婚外子も生まれた。更に、王妃にも長年の愛人がおり、今は側において悪びれることはない。
倫理観を疑う行為ではあるが、王家と三公爵家にはこれが普通だ。普通として育った。
だからこそ、そうありたくない、染まってはいけない、とカミーユもリュスランもずっと肝に命じている。
「……分かっている。セラフィカを召し上げるつもりはない。だがな……忘れたくなくて足掻いている。……どうせ、卒業までのごく短い間だけだ。卒業したら、きっぱり振り切る。約束する」
「……本当にその間だけですね」
「ああ、二言はない」
「……分かりました。では、もう一つ。私と同じように殿下のお気持ち気づいている者がいます。そして、密かに心を痛めております。どうか、その者の気持ちを踏みにじる事のないようにお願い申し上げます」
カミーユの指している者は……マリアーネの事だろう。それぐらいはリュスランも分かっている。
「ああ、承知している。精一杯隠し通すつもりだ。……。一年。一年だけ私に自由をくれ、カミーユ」
「……御意のままに」
カミーユは右手を心臓にあて、忠誠の礼を示す。もうリュスランにはそれ以上の諫言は必要ないと思われた。
*****
次の日。
リュスランの「成人の儀」は何事も無く終了した。
今は、王城に新たに設けられた執務室の広間にカミーユと従者数名、そして、リュスランの身の回りの世話を担当する数人の侍女が控えている。
この後、王城の大広間にてリュスラン主催のお披露目の舞踏会が開かれる。その舞踏会にて、主催者兼筆頭王族としてと彼は一番最初に踊らなければならない。
そのパートナーとして、今回マリアーネ・エルセーヌが選ばれた。
彼女は高位の公爵家の一つエルセーヌ公の息女であり、宮中のバランスから考えてもリュスランの公私の相手として問題はない。世情の噂では、立太子の式典のおりに発表される未来の王妃は彼女に間違いがないと目されて来た。
リュスランも噂を積極的に肯定はするつもりはないが、否定もしない。彼女は、妹のような存在ではあるが、確かに好意はあるからだ。
舞踏会の時間が迫ってくる。
重く仰々しい王族の正装から、動きやすい礼装に着替える。侍女が何人も付いて彼の着替えを手伝っているのだが、そのうちの年若いの侍女の一人が「あっ」と小さな声をあげた。
同時にリュスランにも、鈍い痛みが走った。
見ると、侍女が時分の手を見つめて呆然としていた。が、リュスランの視線に気がつくとすぐに平静を取り戻す。
「申し訳ありません、殿下」
「気にしなくていい。今日は空気が感想しているのかな」
実を言えば、目覚めてからこういった静電気の現象が何度も起こっている。余程空気が乾燥しているのだろうか。少しだけおかしいと感じたが、この時は気ぜわしさのあまり深くは考えなかった。
事が起こったのは、舞踏会直前にマリアーネを迎えに行った時の事だ。
王宮に用意された支度部屋でマリアーネはリュスランを待っていた。
赤みがかった金髪を結い上げ、色白の肌に映える金と青のドレスを纏った彼女はいつもよりずっと麗しい。
「殿下。ごきげんよろしゅうございます」
「マリーか……綺麗だな」
「あ、ありがとうございます」
すっかり大人っぽく装っその彼女だが、頬を心持ち赤くしてはにかむ所は普段のままだ。
「マリー。色々面倒をかけるが、今日はよろしく頼む」
「こちらこそ。殿下のお相手に選ばれまして光栄にございます。拙くはありますが、精一杯務めさせていただきます」
「嬉しいが気楽にな。頑張りすぎるのがマリーの悪い癖だ」
「恐れいります」
「……だから、気楽にしていろと言ってるのだが」
苦笑しながら、リュスランはマリアーネに手を差し伸べる。
「さあ、行こうか」
マリアーネも微笑んで、リュスランの手に自分の手を載せた。
次の瞬間、脳髄から背骨に沿って疼痛が走り抜けた。全身の筋肉と言う筋肉が弛緩して、呼吸さえ怪しくなり膝を付いた。
目の前のマリアーネが悲鳴を上げた。
「殿下、リュスラン殿下!! マリー嬢! しっかりなさって下さい」
カミーユの慌てた声がする。
気を抜けば闇に沈みそうになる頭を振り霞む目で凝らして見れば、マリアーネが力なく倒れている。
このままでは駄目だ。荒い息のまま気力を振り絞って立ち上がった。
「私は大丈夫だ。カミーユ。何があった? マリアーネは」
「気を失っています。今治癒師と治療士を呼びました」
「敵の襲撃か?」
「分かりません。魔術の気配はございませんが魔導塔に応援を依頼しますか?」
「今はよせ……。隙を見せるな」
実は彼の立場は脆い。王位継承権を持つものは、同母の妹と側室から生まれた異母弟がいる。彼等にはそれぞれ有力な後ろだてがおり、リュスランの隙をつこうと虎視眈々と狙っている。
ここ一番の儀式の前に、予測も防御も出来ずにに襲撃を受け、さらに敵の正体すら掴めないとあれば大きな失点となりうる。そうなればここぞとばかり責め立ててくるだろう。
それを避けるには、このまま舞踏会に出て主催者として最初のダンスをつつがなく済ませる事が必須だ。だが、このままでは難しい。
カミーユが応急処置として治癒術を試みているが、効果は薄い。リュスランはまだ自由に動けない。一方、時間は一刻一刻と迫っている。
ならば、どうすれば。
必死で考えを巡らし、彼はある答えを見つけた。
「カミーユ、陛下の所に行く。連れて行ってくれ」
*****
「お前の言い分は分かった。それで、俺にどうして欲しいと?」
国王ジャン・アルフォンス。
少年と称される時分より戦いに身を置き武勲を挙げ、力ずくで王位をもぎ取ったと言われる苛烈な王だ。容貌はリュスランと似ているが、その眼差しはずっと鋭く、その口元は常に皮肉な笑みを浮かべている。
「陛下、ソル・リュスランがお願い奉る。陛下に我が主催の舞踏会の最初の踊り手をお願いしたい」
「ほう……俺に息子の晴れ舞台を横取りしろと? 面白い事を言うな」
リュスランが出来ないのなら、彼以上の身分の者が踊れば良い。それは目の前の父しかいない。
国王ジャン・アルフォンスは、愉快そうに目を眇めた。
「……お前のパートナーは失神し、お前もたってるのがやっとという有様。事前に防ぐことはおろか、敵の姿もなにも全くわからず。無能だな、お前の部下どもは」
事実だから何も言い返せない。
せせら笑うような国王の声にリュスランは歯噛みするしかなかった。
「しかし……女の手をとった途端に痛みを感じた……? 今頃来たか。全く難儀だな」
「……陛下は何かご存知なのですか?」
「まあな。知ってる。青だぬきから教えられた。お前も知りたかったら訊くと良い。教えてくれるかどうかは知らんが」
「青だぬき……フロワサール公ですか……」
「そうだ。……お前の部下は無能だが、今回ばかりは責められまい。仕方がない、何とかしてやろう。誰か、急ぎシュザンヌを呼べ」
国王が呼び寄せようとしているのは、先頃異母弟を産んだばかりの寵姫だ。その名を聞きリュスランは国王が何を考えているのかおぼろげだが分かった。
王は寵姫の為に第一王子の成人の舞踏会を乗っ取ったという事実を持って、リュスランがて大事な式典にて失態を犯したという事実を覆い隠そうと言うのだろう。
ただ、その事実は、王の本意は寵姫と異母弟の上にあると思われるのが後々問題になりそうだが、それでもずっといい。
「感謝します。陛下」
「一つ貸しだぞ、リュスラン」
程なくして、予定時間より遅れはしたが、第一王子主催の舞踏会が開催された。
ところが、開催直後に突然現れた国王と寵姫に第一王子は主役を奪われ、国王の傍若無人の振る舞いに参加者は皆振り回された。
それでもつつがなく舞踏会を終え、その日からリュスランは成人王族と成った。
お読みいただきましてありがとうございました。
次回の更新は4月2日午前0時を予定しております。よろしくお願いします。




