第2話
兄さまと一緒に冒険物語に夢中になっている間に、随分時間が過ぎた。もう夕方近い。
もう終わりにしなきゃ、と思いつつエリー兄さまに目を向ける。
兄さま、エセル・アズリはちょっと癖のあるダークブロンドの髪に、瑠璃色の切れ長の瞳にすっきりとした目鼻立ちの男の子だ。おっとり貴公子風に見えるけど、中身は意外に悪戯っ子で、冒険者物語が好きで外遊び大好きの行動派。いつもふらっとどこかに行っちゃってはメイドたちに連れ戻されてる。毎回、逃げまわる兄さまも凄いが、兄さまを軽く見つけ出して捕まえちゃううちの使用人達はもっと優秀だと思う。
「あ〜、飽きた。セラは? もう終わりでいいだろ?」
「うん。ご本はもういい」
エリー兄さまは、さっさと本を書棚に戻した。
「今日は父さんの帰って来る日だったよね。おしゃれしておいで。父さん喜ぶから」
父さまはお仕事の都合上、ほとんど家にはいない。ご領主フロワサール公爵様のお屋敷が主な仕事場みたいで、月に二、三度しか帰ってこれない。子煩悩の父さまにはそれが悩みの種だとこの前言ってた。だから、たまにしかない父さまの帰宅に合わせて、目一杯おしゃれする。それが一番父さまが喜ぶことなんだって、この間使用人頭に聞いた。
「うん、そうする。じゃね、兄さま」
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自室に戻って、早速クローゼットを開けて衣装を探した。
私の髪色はピンクブロンドで、瞳は水色に近い青。正直、何が似合うかがわからない。
ちなみに、こちらの普段着は足を覆うような裾の長いものよりふくらはぎが隠れるぐらいのワンピースが主流なんだ。年配や既婚者のご婦人型は足首まで隠すけど。
そして、夜会服のような正装はまだ裾の引きずるぐらい長いものがエレガントだと言われているみたい。でも以前のベル型に大きくふくらんだドレスよりは、自然なAラインドレスが宮廷で流行してるって、衣装係のキーラが言ってた。前世で言うと、ちょっと前まではロココ風だったものが、S字ラインが主流のアールヌーボー風になったって感じかな?。宮廷なんて行ったことがないからよくわからないけど。
では、ミニスカートは、というと流石にはしたないと思われているようで、街中でも見かけたことはない。
さて、クローゼットを見ながらどうしようか悩んでると、軽いノックの音がした。
「お嬢さま、そろそろお支度整いましたか?」
仲良しの衣装係メイドのキーラだった。針仕事が大好きで、私の衣装の半分は彼女の力作なのだ。
「まだなの。悩んじゃって」
「よろしければ、お手伝いいたしますよ?」
「………おねがいできる?」
「もちろん、喜んで承ります」
アズリ家は庶民なので使用人もメイドも必要最低限しか雇ってないから、私は着替えも一人でできるように躾けられてる。けれど、女性の使用人達は私を着飾るのが好きみたいで、時間が合えばこうして手伝ってくれる。特にキーラは、その最たるものだ。
「今日のお嬢さまでしたら……鮮やかなお色より淡いお色の方? ピンクだととても可愛らしくて捨てがたいですが……」
ブツブツとつぶやきながら選んだのは、淡いミントグリーンのちょっと短め丈のワンピース。裾に金糸で縫い取りしてあってレースもついてる。同色のリボンタイプのチョーカーには瞳と同じアクアマリンの飾りがついていた。そして、ふわりとした透ける素材のケープを羽織って。
どうですか? とキーラに言われて覗いた姿見の中には。
――服は可愛いの……。本体がね……。
大きな目ばかり目立つちびで痩せた女の子がこちらを覗いてる。血色も悪いし。
唯一、美少女だった母さまにそっくりの華やかなピンクブロンドの髪だけは自慢できるけど。
父さまも兄さまも、この髪だけは好きって言ってくれてるし。
自然とため息が出た。
「完璧です!! お嬢さま」
キーラは大満足してるようだ。こんなんですみませんと言いたくなるけど。
着替えてるうちに、父さまが帰宅されたみたいで使用人が呼びに来た。
急いで玄関に駆けつけて、勢いをつけて父さまに抱きついた。
「父さま〜。おかえりなさーい」
「ただいま、セラ。私の大事なお嬢さんのご機嫌はいかがかな? 父さまいなくて寂しくなかったかい?」
父さまは笑って私を抱き上げて頬で頭をすりすりと撫でる。う〜ん。ちょっと恥ずかしい……。
「寂しかった。昨日なんて兄さまにまた置いて行かれちゃったし」
「ほう、エリーはまた大事な妹を泣かせたのかな?」
「ち、違うから。たまたまだから。ちゃんと面倒見てるし」
「今日はエリー兄さまとご本読んでたの」
「そうか。二人とも仲良くな」
父さまは私を腕に抱いたままエリー兄さまの頭を軽くぽんと叩いた。
この、まだまだ若くて結構強そうで少しだけダンディで、実は結構抜けている人が私の父さま、テオドール・アズリ。
ほぼ茶色に近い金褐色の髪を軽く後ろになでつけていて、赤みの強い茶色に瞳は眼光鋭い。一見すると強面に見えるけどとっても優しくて私たちに甘い、見た目と中身のギャップが激しい人だ。
父さまのお仕事は、アズリ家近くにある『渡りの森』も管理人。『渡りの森』はちょっと危険な場所なので、監視が必要なんだって。でも、父さま普段あまりこちらにはいないけど仕事大丈夫なのかなぁ。
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そして晩餐が始まり、家族が集まった。
食堂の一番上座につくのは当主の父さま。
父さまの右隣りにエリー兄さま。その隣が私。
父さまの左隣は一つ開けて、マーク先生とアナ先生。
皆揃ったので、食事が運ばれてくる。今日は……。お肉の煮込み? カレーが食べたい……。
「留守中、変わったことはなかったかな?」と、父さま。
「ないよ。ねぇ父さん。騎士舎の方へ行ってもいいよね」はエリー兄さま。
「おいおい、騎士様たちは遊びでここに赴任しているんじゃないぞ」
「そうだけど、この間、暇の時は剣術教えてくれるって騎士様がいてさ」
「基礎もやったことのない子供に、騎士様の剣術はまだ早いと思うが」
「平気だよ。明日行ってもいい?」
「えー明日? 騎士様の所は私は入れないよ。私置いて行かれちゃうの? また?」
アズリ家と同様「渡りの森」に何かあった場合のために、森の近くに騎士団の駐屯場がある。エリー兄さまはそこに良く遊びに行くけど、騎士舎は女人禁制なので私は入れない。必然的に置いていかれることになる。
エリー兄さまは、少し自慢気に「そりゃあね、女の子は連れていけないよ」って。なんかむかつくなぁ。
「やだー。いきた〜い」
「ダメ」
「セラさん、明日は私にお付き合いしていただけませんか?」
「ふぇ?」
マーク先生が私たちの不毛ない言い合いを遮った。
エセル兄さまの魔術の家庭教師の先生だ。中肉中背で、いかにも魔法使いって長衣を愛用してる。あまりに前世での魔法使いのイメージそのままなので、「魔法使いってローブ着用が普通なの?」って聞いたら、マーク先生、とってもいい笑顔になって。
「……面白い事をおっしゃいますね。セラさんは魔法とは何だと思いますか? ああ、それは、人の使う”魔術”と言われるものですね。厳密に言えば、”魔法”とは”神の理”を指しますので、セラさんの言われる”魔法使い”は現在は存在しておりませんね。いえ、歴史を紐解けば幾人かはいると思いますよ。……セラさんの問いが”魔法使い”が”ローブを着用しているか、というならば調べてみないと分かりません、ですかね。ああ、もしかして、”魔術師”が、というなら答えは”否”です。それか、何でこの格好をしているのか尋ねたいのであれば、答えは”単に趣味です”ですかね……。さて、セラさんの問いかけはどれでしょうか?」
変な質問は厳禁だと悟った瞬間だった。マーク先生への質問は簡単且つ簡潔に。例えば、今回の「明日は私は何をするんですか?」みたいに。
「セラさんの魔力判定をしてみようかと」
「ほんとですか?」
「本当です。ああ、エリーさん、あなたもお付き合いください。熊男達と剣など振り回すよりよほど有用ですよ」
「えー。俺いなくていいじゃん」
「エセルさん、”俺”ではなく”私”です。それに、”いいじゃん”など俗語を使ってはなりません」
すかさず飛んだアナ先生の叱責に「チッ」と舌打ちすると「エセルさん、舌打ちは紳士のすることではありませんよ。注意なさい」と畳こまれた。
ビクッと肩をすくめて縮こまるエリー兄さま。すっかり叱られた子犬みたいになってる。アナ先生厳しいからなぁ。
くすっと笑ったら、アナ先生から「鼻で笑うのはお止しなさい。あまり上品には思われませんよ」と叱責が飛び火した。
アナ先生は、いつもピンと背筋が伸びてる貴婦人の鏡みたいな人だ。父さまと母さまの古くからのお友達で、多方面にかけて優秀らしい。半年前から私とエリー兄さまの一般教養とマナーとダンスの家庭教師をして下さっている。背が高くて、後れ毛一つなく髪をシニョンにまとめてて厳しい先生だ。
いつもキリリとしてなかなか笑わないし、ちょっとマナーを間違うとすぐに注意が飛んで来るのでちょっと苦手です……。
「まあ、もういいじゃないか、クリスティアナ。ここには家族しかいないんだし」
「そうですわね。よろしいでしょう」
父さまがとりなしてくれた。アナ先生は右眉だけピクリと動かしてたけど、結局それ以上のお小言はなかったので助かった。
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――とっても楽しい家族の晩餐の光景。
でも、こうなったのはつい最近のことだ。
もうお気づきだと思うが、父さまの隣の席に母さまの姿はない。
優しくて綺麗で誰からも愛されていた母さまは、一年前に儚くなった。
仕事が大好きでダンディな父が、よれよれの上着のまま母の部屋から暫く出てこなかった。エリー兄さまも笑いも怒りもしなくなった。家中、笑い声はおろかしゃべり声すら聞こえず、静かで昼間なのにどんより暗く感じた。
その当時、私は何をしていたかよく覚えてない。夜、母を思って泣いてたのだけははっきり覚えている。そんな時はエリー兄さまが側にいて、優しく頭を撫でてくれた。
やっと、笑い合えるようになった家族の時間を、私は大切にしたい。いや、しなくちゃいけない。そうだよね、母さま。
ありがとうございました