閑話 春はまだ遠い
遅れてすみません。
今回も閑話です。
前回の1年半後。エリーとセラのお話です
見渡す限り、冬枯れた草原が広がっている。
大地にも空気にも水の気配はなく、生き物の姿もない不毛の地。
国を隔てる壁を一歩出るとそこはもう別世界だった。
――これが『外』の世界か……。
「驚いたか?」
声をかけてきたのは、今回の依頼の相棒でありギルドの指定で俺の査定をする女冒険者アデルだ。
「見ての通り『外』には神の恩恵はない。ここだけが特別というわけじゃない。だから人は群れて国を作る。神に祈って恩恵を当てにする。そうしなければ生きていけないからな。こうして改めて見ると我々の国は本当に恵まれてるな」
彼女はそう言って、普段は崩したことのない端正な顔を僅かに歪めた。
「何にしても、今は我々のやることは一つ、依頼の完遂とCランク冒険者エセル・アズリの昇格試験だな」
*****
今、俺はギルドの依頼によりヴィンデュス国を覆う壁を越えて『外』にいる。
ギルドからの依頼は、水牛型の魔獣を倒し貴重な角やその他の素材を採取することである。これは俺の昇格試験を兼ねているので熟練者が相棒につく。それがこの女冒険者アデル。彼女は上位貴族の出身なのに趣味で冒険者をしているという変わり種だが、腕は確かだ。
「ほら、見習い! そっち行ったぞ!!」
彼女は口も荒いが人使いはもっと荒い。まあ、AAAランクの彼女から見れば、『外』に出たことのない俺なんてひよっこにもならないだろうが。
みると、立派な角を生やした牡牛の魔獣が俺をめがけて突っ込んで来ている。
勢いはかなりあるが動きは直線なので躱すのは容易い。あっさりとやり過ごし、移動しながら考える。
――火力なら【炎】だが、折角の毛皮に焼け焦げの跡はいただけないな。【風】も同じだ。なら【氷弾】で行くか……。
方針を決めると、頭の中に術式を思い浮かべる。
【氷】だから蒼銀、純粋な氷の色に、更に雪のような白銀で包む。それを核に魔術言語を重ねて紡いでいく。
俺やセラのように特殊な術式の捉え方をする者に詠唱はいらない。むしろ邪魔だ。
再び突進してくる水牛の魔獣の喉元に狙いをつけ、【双氷弾】を放った。
それは過たず魔獣の喉を貫き、魔獣が声のない咆哮をあげた。さらに【錬鉄】で強化した剣を一閃させ、水牛の首を落とした。
【双氷弾】の効果のおかげで、血は流れない。あの魔術の弾丸は喉を貫き体内に入った後、内側から凍らせる。魔獣が咆哮すら上げられなかったのは声帯すら凍りついていたからだ。
アデルが賞賛のつもりか拍手を送ってくる。
「なかなかやるね、見習い……っと、もう新入りか」
「いや、運がよかっただけだ。……そう言うってことは、合格か」
「ああ、この手際を見たらな。Bランク昇格おめでとう。危なくなったらかっこ良く助けて家来にしてやろうと算段してたのに、見事に躱しやがって。……お前、本当に”落ちこぼれ君”なのか?」
「……誰から聞いた?」
「私の甥は、魔術学院に通ってるからね。いろいろ噂は聞こえてくるさ。平民出身で、全属性持ちのくせに中級魔術しか使えない中途半端の”落ちこぼれ”」
『魔術学院の落ちこぼれ』というのが、最近の俺の学院での評価だ。
俺とアーシュが『王立魔術学院』に入学してすでに半年、アーシュは王子殿下に見込まれたのかなし崩し的に側近の一人に取り込まれた。それはいい。あいつは優秀なくせに、手を差し伸べてやらないと研究に没頭するあまり一歩も外に出たがらないようなやつだ。少々強引でも人を関わりがあるのならそちらの方がずっといい。
そんなあいつに比べて、俺はいわゆる”落ちこぼれ”だった。
宝の持ち腐れとあざ笑われる事は最初から分かっていたことだ。俺の魔力は、学院内では中程度。しかも、上位魔術の資格を持ちながら何一つ使えないのだから。
「仕方がないさ、本当に俺は落ちこぼれだから」
「そうか? 私はそうは思わないぞ。この水牛型魔獣、学院の坊っちゃん方の何人が倒せるかね? 魔力が大きいの、より上位の魔術が使えるのとかここでは役に立たないのを知らないから、お前を落ちこぼれなんて貶められるのだろうな」
彼女の言うとおり、生き延びる確率を高めるためには、より大きな魔術を使うのではなく、「より早く、より正確に、そして極力魔力の消費を抑える」ことが『外』での至上命題だ。
「『外』で活躍できる『魔術師』が落ちこぼれなんてありえない。お子様方の評価なんて気にしないことだよ」
「そんなつまらんこと気にしてねぇよ」
「それにしては、折角昇格してのに嬉しそうじゃないんだよねぇ。何か気にかかることでもあるのか?」
「……知るか……」
「相談ならいつでも乗るぞ」
「……うるさい」
そんなに顔に出てるのか? いつものように振舞っていたつもりなんだが。
アデルの言う事は概ねあたっている。確かに俺はこの半年、ずっと憤り迷っていることがある。
それは、学院内での評価の低さでも家族と分かれて一人でいることの寂しさでもない。
学院に入学する直前に聞かされたある理不尽な事実と運命にだ。
◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
アーシュが王都に行って一年後、エリー兄様が魔術学院に入学するのにフロワサールを離れた。兄様は筆不精だし、いろいろ忙しくてすれ違いなかなか会えない日を送っていた。そんな私たちのところへふらりと姿を見せたのは、冬の終わりの雪解け前の頃だった。
私はちょうど、春祭、春の女神レーニア様の復活を讃えるお祭りの準備をしていて、エリー兄様が入ってきたのに気が付かなかった。
「その卵、村の春祭で使うのか?」
「え、あ、に、兄様?!」
真横から突然話しかけられて驚いてお菓子を一つ割ってしまった……。
「そんなに驚くなよ。で、村に行くのか?」
「あ、うん。今年は父様が行っても良いって言ってくれたの。今年は皆いないから寂しい春祭になるし、どうしようかと思ってたけど」
キーラ達メイドの何人かは兄様が学院に入学した時に一緒に王都の屋敷に行くことになった。彼女達は私と仲良しが多くてちょっとだけだけど寂しさを感じてた。だからかな、いつもなら許可出なかったお祭りに今年は行ける事になった。
「ずっと村に行ってみたかったの。楽しみだな」
「……俺も行く」
「兄様、学院は?」
「心配すんな。しばらく休暇もらってる」
エリー兄様は事も無げにそう言ったけど、その顔は何となく暗いように見える。
何かあったのかな、とは思ったが、兄様の事だ。きっと私には話したくないんだろうな、と心の中でため息をついた。
****
『春祭』は、春の女神レーニア様に豊穣の訪れを祈願するもの、と言われてる。本来は、繁栄と豊穣の象徴のうさぎと卵のお菓子を作って交換したりごちそうを食べたりする行事だけど、テルノ村ではそれに合わせて、村人の交流の為に出店を呼んだりダンスを踊ったりする。村のダンスは貴族が踊るような優雅なものではなくてもっと騒がしくて楽しいものらしい。
そのダンスのパートナーに渡すのが卵のお菓子。私は一応、たまご型のクッキーを焼いた。とは言っても、誰にも渡すつもりはなかったんだけど。
「はい、兄様。これあげるね」と、春祭の日にやってきたエリー兄様にそれを渡した。
兄様は目を驚いたように目を見開いてから、悪戯っ子みたいに笑って「へぇ、うまそうだな。セラもこういう所は女の子なんだ。それに、そんな可愛い格好してるとマジで女の子に見えるわ」
「お褒めいただきありがとう……でも、私はいつも女の子です」
「そうか? ほんとに? 小猿じゃなくて?」
エリー兄様、酷い……。
エリー兄様が誉めてくれたのは、キーラが送ってくれたチロリアン風のワンピース。紺のベルベットのチュニックに金の刺繍がしてある。白くてふんわりしたスカートの裾にも。靴は木靴でやはり白のボンネットを被ってお菓子の籠を持って準備完了!
「じゃ、行こうか。兄様、エスコートよろしく!」
「お前のエスコートをしたなんてアーシュが聞いたら怒りそうだけどな。任せとけ」
そして、村の中央の広場で。
賑やかな楽隊の音色に合わせて兄様と踊った。
アナ先生に習った宮廷のダンスとは違って、フォークダンスみたいに皆でやたらとくるくる回る、というか回される。目が回って仕方がないけど楽しい。でも、やっぱり踊り慣れてる村の子達には敵わなくて、早々と撤退して長椅子に腰掛けた。
「ほら、セラ」と兄様が水を渡してくれる。いつものことだけど、兄様は優しいなぁ。
コップに口をつけながらそれとなく聞いてみる。
「兄様、学院楽しい?」
「……うん? そうだな……」
実は、アーシュからこの頃兄様が授業に出なくなってると聞いた。何かあるのかな? 兄様は心配ごとを人には話さないから余計に気にかかる。
「楽しい……のかな……。まあ、それなりにやってるさ。それより、セラ、お前は?」
「私?」
「そう、寂しくないか?」
「うーん。そうだね。皆がいた頃に比べたら寂しいよ、そりゃあね。でも、アーシュも兄様もこうしていつも気にかけてくれてるし、キーラも服を作ってくれたり、父様もちゃんとお手紙くれるし……。そう思ったら寂しいなんてどこかに飛んで行っちゃうよ」
「そうか」
兄様はそう言って、私の頭を撫でてくれた。いつものように乱暴な感じではなく、もっと……大事なものでも触るように。
夕方になり帰り際、ぽつりと兄様がつぶやいた。
「お前、『外』に行ってみたいか?」
「うん。兄様と一緒なら……。でもなぁ、私、攻撃魔術の適性がないんだよねぇ」
そう、私は使える攻撃魔術がほとんどない。最初に覚えた風魔術低位の【風刃】のみだ。だから兄様達のようにギルドには入れなかった。
「そうだな……俺がSランクになったら、どこにでも連れて行ってやるよ」
「ほんと!! じゃ、海、見れる?」
子供の頃、一緒に見に行こうって約束したんだ。ほぼ一方的にだけど……。兄様、覚えていてくれてるかな……。
「もちろん、見に行こう」と兄様は優しく笑って私の頭をポンポンと叩いた。なんだか、私はうれしくて。
でも、その時兄様が何を考えてるかなんて全く知らなかった。
ずっと後になり、どんな気持ちで私に尋ねたのか分かった時、兄様の優しさに私は何も言えなくなった。
お読みいただきましてありがとうございました。
次回は1月7日の午前0時を予定しています。
魔術学院編の始まりです