第15話
アーシュ視点その一
僕は、アーシュ。
一月前、家名が「レドヴィック」から「ブルムスター」に変わった。
だから、今の名前はフィリス・アーシュリート・ブルムスターだ。
あの事件の後、僕は母の伯父夫妻、ジョシュア・ブルムスターとその夫人ソニアの養子になった。
ブルムスターは、僕の生家「レドヴィック」とは違って代々騎士を排出する家系で、僕なんか役に立たない、いらない、と遠慮していたのだが、大叔父も夫人も僕をちゃんとした家族として迎えてくれた。最近では、レドヴィックとはまるで真逆の生活にも慣れてきて、家族や友人と共に勉学や剣術を学び始めてる。
それもこれも、全ては僕の運命を変えた少女セラフィカ・アズリと出会えたから起きたこと。
セラがいなかったら、僕は今頃どうしていただろう。
*****
母がまだ元気だった頃の思い出は少ない。
というのも、僕は病弱でほとんど寝台より起きられなかったからだ。いつも寝台の横の椅子に座って、本を読んでくれたり、手芸に勤しむ母の横顔が記憶にある。
当時は兄ともさほど仲悪くはなかった。時折、顔を見せては母と雑談していたのを覚えている。僕とは、十二も年が離れていてむしろ母との方が年が近いのもあって、僕とはあまり話さなかったが、それでもごく普通の態度だったと思う。
それが変わったのは、もう何度目かわからない高熱を出した時だった。
無知だった僕は知らなかったが、僕は高魔力保持者が陥る「魔力飽和」を起こしていたのだと思う。そういう時母はいつも優しい歌のような言葉を発しながら、僕の手を握り続けてくれた。そうしていれば、いつのまにか発作は収まっていた。
その時も母は、いつもの様に言葉と紡いでた。だけど、その時は全く効果を発しなかった。苦しい息の中で、僕は母のブルーグリーンの瞳に涙が溜まっていくのを見上げてた。
それが、何回か続いて僕がもう起き上がることさえ出来なくなった頃、母はいなくなった。形見として、「蛇」の形の青緑色の腕輪だけ残して。
あの時、母が何をしてどうなったのか、それを知らせたのは兄の罵倒だった。
兄は、紫暗の瞳で僕見下ろして言った。
『母親から奪った生は嬉しいか? お前がいなければメルローズはまだ生きていた。お前が殺したんだ、自分の母親を』
幼い僕には兄の言うことが半分も理解出来なかった。兄の言葉の意味を真に理解したのはずっと後のことだ。
母と僕とは”同類”だった。幼い頃から魔力飽和を繰り返す病弱な子供。母が曲がりなりにも成人出来たのは「聖獣」である「円環の蛇」と契約出来たからであり、そのような偶然は自分の息子には望めないと母は知っていた。
だから、母は「聖獣」を僕に譲った。僕は死の淵から帰ってきて、代わりに母がそこにいった。
兄の言うとおりだ。母の命をうばったのは僕、僕がいなければ母は生きていた。
それなのに、その後何度も病はぶり返す。「聖獣」を持ちながらそんな事を繰り返すのは僕が半端者だから。
レドヴィックに生まれながら【闇】を受け継がず、魔術もろくに使えない。だから、僕が見えないのは当たり前だ。父も兄も、この家の誰もが望んでいない人間、それが僕だから。
****
僕がみえない時間は三年ほど続いた。
それが変わったのは、ついこの前のあの事件の時だった。
あの日、珍しく兄からメモが届き、僕は市場の噴水の前で兄を待っていた。
半分期待していた。兄が昔の優しい兄に戻ってくれたら、と。
ひたすら兄を待ち時間が過ぎていく。
あてもなく市場をゆく人々をただぼぅと眺めていた僕の目が、小さな女の子の前で止まった。
暖かそうな赤い上着に赤い帽子を被ったピンクに色づく金色の髪の女の子。隣にいるのは兄弟かな? あちこち見ては嬉しそうにはしゃいでる。くるくると変わる表情が気になってしばらく目が離せなかった。
それから時間がたち、さすがに寒さと退屈を感じ始めた頃、僕の目の前にあの女の子がたち「こんにちは」と声をかけてきた。
見上げた僕と目があったその子は、藍玉の目を大きくして「天使?」とつぶやいた。
いやいや、天使は君の方だよ、と僕は「こんにちは」と返しながらそう思った。
「私はセラ。 あなたは?」
僕は一瞬「フィリス」と名乗りかけて止めた。「フィリス」はレドヴィックの家の者が僕を呼ぶ名前だ。母は、『あなたは”アーシュ”よ』と言っていた。僕は……フィリスじゃない、アーシュだ。
「…………………アーシュ」
「え……アーシュ?」とセラは何故か聞き返したので、僕は「そう……天使じゃないよ」 聞こえてたよ、って意味を込めて言ってみた。彼女は焦ってたみたいにアワアワしていて微笑ましかったな。
当たりさわりのない会話をしていたら、突然、セラの頭に小鳥が乗って騒ぎ始める(あれは鳴くなんて感じじゃなかった、まさに騒ぐって感じ)し、黒い玉が飛びついて来て離れなくなるし。それより、この黒玉、生き物? まん丸で凹凸がないボールが犬?
「何? ボール?! え、生き物? 嘘だよね? って犬!? こんなに丸くて犬? 本当に?」
あれ、僕笑ってる? 母上が亡くなった時以来だ。
「ほら、クロちゃん、は・な・れ・て〜」
セラが黒玉君を引き離そうと苦労してる。さっきまでお澄ましモードの女の子だったのに、あんなに焦って。
黒玉君は僕を気に入ったのか、ものすごい勢いで尻尾振ってるし。
ドロドロに汚されてそれでも嬉しいなんて思わなかったよ。
そう思ってたら、急に黒玉君が引き剥がされた。
僕よりずっと身体の大きい、ダークブロンドの目つきの鋭い少年がいる。さっきセラと一緒に騒いでいた子だ。
「おい、黒玉。俺がいない間に何してるんだ。……で、セラ。大人しく待ってろって言ったけど、何この騒ぎ?」
と今度は僕を睨みつけて、「そいつ、誰?」って聞いてきた。
それから。
彼はセラの兄でエリーって名前だとわかった。多分彼の分の飲み物を渡してくる。ちょっと寒さを感じてたので助かった。きっと彼はそれも分かってたのかな。
セラの提案で、僕達は市場を見て回った。
途中、どう見ても銅像に扮した人間にセラたちは驚いていた。いや、わかるよあれ。質感が違うでしょう。
最後に屑魔石の屋台を見て。
セラが欲しそうにしていたので、魔石を買うことにした。
右手を魔石の上に広げて、二人には聞こえないように「【探知開始】」とつぶやく。右手の腕輪からかすかに魔力が返ってきて。
右手の腕輪、『聖獣 円環の蛇』が目覚めた。
僕の右手の腕輪は、母から譲られた『円環の蛇』だ。
最初の契約者が僕ではないためかカームと僕では意思の疎通はなく、彼は普段ずっと冬眠状態にある。
さっきの【探知】もカームとの契約によって使える【固有魔術】の一つだ。魔術を知らない僕が使える唯一の術がこれ。他に何も使えない。
僕が彼の契約者だという自覚はあるらしいし、力を貸してくれなかったことはないけど、彼との絆はか細い糸のように感じてる。だからか、期待した【魔力圧縮】も実はあまり上手く行ってなく、未だに【魔力飽和】の発作が起きる。
どうせ半端者には、使いこなせない『聖獣』だと今は思ってる。
「……【探知魔術】?」とエリーがつぶやいた。
ほんのわずかの魔力を感知したのか。結構特殊な術なのにわかるんだな、と術に集中しながら思った。
と、ふいに掌に反応が返ってくる。腕輪が示したのは、研磨されてない月長石の裸石。セラと似てる魔素を持ってる。屑石の割に魔力量が多く、双晶なので引き合う性質もある。離れないように兄妹二人で持っておくといいかな……。
「迷子にならないように一つエリーに渡しとくといいかも」と言ったら、セラが「……迷子なんてならないもん……」と膨れた。
片方の石、本当は僕が欲しかったとは……言えなかった。
夕暮れまで彼らといたが、やはり兄は来なかった。半ば諦めてはいたが本当は来て欲しかった。
顔に出さないようにしたつもりだけど、セラは察したのか明日も一緒に待とうといってくれた。
明日も一緒にいれたら、と願う。叶えられないと思いながら。
だから言った「明日も待ってるよ」って。
****
彼らの後ろ姿を見送って、僕も帰ろうと広場を後にしようとしたその時だった。
「捕まえた」
銅像に扮した大道芸人が僕を捕まえ抱えてどこかに連れて行く。
「だ、誰か」
「静かにしろ」
声をだそうとしたら、濃密な魔力の気配がして僕の意識が急激に薄くなっていく。
虚ろになりつつある視界の端に赤い影が見えた。
「おまけが着いて来たぞ」という声だけ聞こえた。
****
気がついたらセラとどこかの地下室に閉じ込められていた。
魔力が外に出るのが止められて、身体の中を余った魔力が濁流のように流れていってるのを感じる。
――こんな時に魔力飽和か……。
僕を覗くセラの瞳が不安に揺れてる。
「僕のせいだ……ごめんね」
「そんなことないよ。アーシュのせいじゃない」
いや、僕のせいだよ。僕と関わらなかったら、セラは今頃エリーや家族と笑ってるはずだから。
「きっと、見つけてくれる。だって、エリー兄さま、かくれんぼの天才なんだよ。どこに隠れてもすぐに見つかっちゃうの」
「そうだね。彼なら見つけてくれると思う」
「そう。だって、エリー兄さまは『優秀な魔術師』だもの」
「エリーは魔術が得意なの?」
「うん。魔術師の卵の卵。先生が言うにはね、エリー兄さまは【全属性】持ちで術式の選び方と組み合わせ方が早くて正確なんだって、もう大体の下位魔術なら使えるって」
「……そうか」
エリーはもう魔術が使えるのか……凄いなぁ。
「いいな……彼には先生がいるんだね」
「うん」
「凄いね、彼。きっとあの術も分かってたんだろうな……セラは?」
「私? まだ始めたばかりだから全然使えないよ。風系と光系の下位魔術がちょっとだけ。アーシュは?」
僕かぁ、僕はどんな属性かな……【闇】じゃないのだけはわかってるけど……。
ああ、なんだか、とっても怠い……。
「僕? 僕は魔術は使えない」
「え? でも……」
「僕に魔術の先生はいない。魔道書を見たこともない。属性だって分からない」
「そんなことあるわけ無い。だって六歳の『魔力測定』は義務のはずだよ」
「うん、そうだね……でも、僕はいない人間だから」
何を言ってるんだろう、僕は。セラに話すつもりなんてなかったのに。
「エリーはいいなぁ。家族がいて、先生からいろいろ教えてもらって……セラといっぱい話が出来て、黒玉くんたちとじゃれあえて。
僕をみるあの目、冷たい、じゃない。むしろそれより余程酷い。
何の感情も浮かんでない。石を見る時だってあんな目にはならない。僕はそこらの石以下の人間なんだ。
「母上が亡くなるまではなんとか生きてこれたけど、今は……。食べものは探せばあるかな……服は……母屋のクローゼットに古いのがあったから。お金は、時々、小銭を拾うからそれ貯めてる。けど、今度はいつ外に出られるかわからないから使わなくてすんでる……」
セラの家族はどんななのかな。僕の家みたいじゃないんだろうな。セラの母上は僕の母と同じように優しいのかな……。
「外にでるのは禁止されてた。母上が亡くなってから今日が初めてだよ外に出たの。人といっぱいおしゃべり出来たのも、出店見たのも初めてだ。初めてがいっぱいすぎて、ちょっと笑えるでしょう?」
本当に楽しかったんだ。普通の子供みたいだと。
「兄上のおかげなんだ。今日外に出られたの……。今朝さ、僕の部屋に手紙が置いてあったんだ。『市で待ってる』って。嬉しかった……。だから、ずっと待ってて……。でも来なかった。やっぱり兄上にも僕は見えてない・・・・・のかなぁ」
止まれよ、僕の口。
セラが悲しそうだ。嫌だ、彼女には泣いてほしくない。
でも止まらない。力も気力も僕から抜けていく。
「……泣かないで……セラ……。本当に大丈夫だから……」
微笑む。これが精一杯だ。
セラの綺麗な藍玉の瞳に涙が浮かんでる。
ああ。
これって夢かな……。優しい天使がいるよ。
僕が見えてて、僕の側にいて、僕の心配して泣いてくれてる。
でも、目が覚めたら、いなくなってるのかな。
いつものように、また僕が見えない人間ばかりになってるのかな……
「アーシュ、きっと助かる……だから頑張って……」
うん、頑張るよ。君がそう言うなら。君がここにいてくれるなら。
だから……僕の側にいて。
お読みいただきましてありがとうございます。
明日午前0時に幼少期編最終話、アーシュ視点その二を投稿予定です。
よろしくお願いします。