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 治療中のヴァンとシェイニーからシイナを引き離すために、ユフィはシイナを部屋の隅へと追い込んでいた。


「もはや正気ではおらぬようじゃの。いったい何がこの娘をこうまでしてしまったのやら。我の知らぬぬしさまの過去を是が非でも知りたくなるのぉ」


 振り降ろされた短剣をかいくぐり、ユフィが鉄扇を振るう。

 閉じた鉄扇は金属の塊としてシイナの手首を撃つが、その手に握られた短剣は手から離れる事はなかった。

 普通ならばほぼ確実に取り落とすというのに。


「この症状は、ぬしさまによう似とる」


 突然に軌道を変えた短剣と、無理矢理に動かされた腰の動き。

 痛みを感じているならば間違いなく苦痛に歪む筈の顔は、かつては黒真珠を思わせた瞳の周りに血が走り、いささか美人とは程遠い形相と化していた。


「じゃが、質はぬしさまほどではな……む? まだ力が強くなるのかや」


 速度と力があがったことでシイナの攻撃を受けきれなかった鉄扇が弾かれる。

 しかしユフィは冷静に短剣の軌道を見切り、身体を待避させた。

 大振りの一撃が強引に振り抜かれる。

 その刃が切り返された時にはもうユフィは十分に距離を取っていた。


「あまり長引かせるとこの娘の身体にも悪そうなのじゃが……さて、どうしたものか。致命傷なしに気を失わせることが可能なようには何故か見えぬの」


「ユフィ、変わってくれ」


「およ?」


 後ろから近づいてくる気配に気が付いていながら、わざと後ろを取らせたユフィが言葉だけで応じる。

 視線は変わらず敵であるシイナの方へ。

 そのユフィの頭に手が乗っかる。


「今、取り込み中じゃ。ぬしさまよ、悪戯なら後にしてくりゃれ」


「後なら悪戯していいのか?」


「内容によるの。膝枕ぐらいならしてやってもよいぞえ?」


 シェイニーとの会話が聞こえる距離ではなかったのに、まるでそれをダシにしたようなユフィの言葉にヴァンは一瞬ドキッとする。


「その時には是非に狐耳と尻尾をつけた状態で頼む。色々愛でたい」


「あまり調子にのるでない」


 撫でようとするヴァンの手を振り切り、ユフィが前へと出る。

 突進しようとしたシイナの出鼻を挫くタイミングで攻撃を仕掛け、ヴァンへの接近を強制中断させる。

 ユフィは頭に乗せられた手の感触で、ヴァンの容態がまだ回復しきっていない事を読み取っていた。


「ユフィ、変わってくれ」


「変わってどうするというのじゃ?」


「助ける」


「ぬしさまの方が殺される気がするから嫌じゃ」


 ヴァンの口調がまだお願いの言葉であったため、ユフィは拒否を選ぶ。


「我に奇策あり」


「これこれ、そこはせめて秘策と言って欲しいの……どうする気じゃ」


「原因を全て排除して無理矢理意識を取り戻させる。ちょっと荒っぽいやり方になるがな」


「ほむ」


 短剣を鉄扇で絡め捕ろうとするがやはり叶わず。

 代わりに小ぶりの攻撃をいくつか叩き込んだ後で、ユフィは再びヴァンの手の届く位置へと戻った。


「気が付いた事があるなら申してみよ。それを聞くまでは譲れぬ」


 後方移動の制動をヴァンの胸で行ったユフィが問う。

 ユフィの身体を受け止めたヴァンが前に手を回して抱きしめようとしてきたが、それは丁重に断った。

 思わせぶりに飛び込んだのはユフィの方だったが、抱き付かれると動きが制約されるのでそれだけは阻止する。

 今はまだ戦闘中。


「ユフィももう気付いていると思うが、彼女は既に正気を失っている。だが、どう見ても不自然だ。その理由を少し考えた」


 ユフィが再びシイナ目掛けて飛び出すのをヴァンは止めない。

 ユフィにシイナを殺す気がないのをヴァンは気付いていた。


「たぶん毒ね」


 横から現れたシェイニーがほくそ笑みながら言う。


「俺の台詞が……」


「元々は私の推測よ」


 シェイニーがヴァンの頬をつねりながら言う。

 味をしめたのか、ちょっと癖になりつつあるようだ。


「なるほど、毒かや。まぁその線は我も考えておった」


 ヴァンが自分で出した答えではないためユフィは褒めない。

 折角、褒め言葉を用意していたというのに、ちょっと残念に思う。


「が、肝心の解毒をどうする気じゃ? シェイニーの法術では癒せぬぞ」


「私が使える法術は対象の自然治癒力をあげて回復を促すだけね。残念ながら毒は除去できないわよ」


「だから、解毒は宿に連れ戻してからだな」


「では、どうするというのじゃ? まさかぬしさまは無理矢理あんなことやこんなことをしてこの娘の体力を奪うというつもりかや?」


「俺はいったいどれだけ鬼畜だと思われているんだ……」


「聞きたい?」


「聞きたくない」


 不気味な笑みを浮かべているシェイニーの方は見ないでヴァンは即答する。


「一見するとシイナは全力で暴走しているように見えるが、恐らくまだ本気じゃない。余力を残すように戦っている」


「ふむ……確かに我もそこが解せぬと思っておった所じゃ。ぬしさまもそこに気が付くとは、流石じゃの」


 今度はシェイニーの茶々が入ってこなかったので、ここぞとばかりにユフィはヴァンを褒めた。

 予想通り気を良くしたヴァンが口元に笑みを浮かべながら続く言葉を軽快に口にする。


「理由は、恐らく俺だろうな」


 ただ、その言葉を口にした所で笑みは消えていた。


「動機は不明だが、明らかにシイナは俺を敵視している」


「私も敵視しているわよ」


「我はたまに殺意をおぼえるの」


「だから、俺がやお……って、おい!」


 意外と余裕な3人だった。

 いくら半バーサーク状態化しているとはいえシイナは素人同然。

 ユフィにとってはあしらうことなど容易きこと。

 但し油断はしていない。

 ユフィの視線はずっとシイナから反らされる事はない。


「そろそろこの舞台も見飽きてきたわね。あなたを殺せばこの舞台が終わるというのなら、すぐにでも実行に移してあげるのだけれど」


「その終わり方だけは絶対にないから安心してくれ」


「残念にしか思えないことね」


「とにかく」


 無理矢理シェイニーの脱線劇場から抜け出したヴァンがユフィへ向けて声を投げる。


「俺との戦闘になれば、恐らくシイナは全力で俺に襲い掛かってくる。そうなれば、体力のないシイナの事だからすぐに力尽きて倒れる」


「ぬしさまのバーサークモードなるものと同じようにかや?」


「ああ」


 確信はなかったが、ヴァンは敢えて断定する。


「はて、先程ぬしさまから聞いた言葉と違う気がするのは我の思い過ごしかのぉ」


 しかしその事に気が付いたユフィはすぐに看破してみせた。

 原因を排除して正気に戻すのと、体力を消耗させて意識を断つというのは、どう考えても一致する内容ではない。

 辻褄があっていない。

 ユフィはシイナが気絶すれば正気に戻るとはどうにも思えなかった。


「まぁよいか。折角ぬしさまがやる気になっておるのじゃから、ここはぬしさまに任せてみようかの」


「不純な動機じゃなければいいのだけれど」


「ぬしさまが隠そうとしておる奇策とやらがいったい何かは知らぬが、無茶だけはするでないぞ」


「もちろんだ」


 そう言って、ヴァンは懐から短剣を取り出した。


「やはりそれを使うのかや。まぁ当然じゃの」


 それは例の隠し部屋の中にあった宝箱から手に入れたアイテムだった。

 見た目は無骨な作りで味気ないの一言に尽きる。

 しかしその鞘の中に収まっている刀身は、実用一点張りの姿をしていた。


 名を、マインゴーシュと言う。

 相手の攻撃を受ける事を前提とした補助的な防御用短剣。

 本来は利き手とは逆の手に持って受け流しに用いる武器だが、ヴァンはそれを利き手で持った。


 ちなみに、ヴァンが持っていた棍棒2本は既に返らぬ物となっている。

 1本は耐久限界に達して砕け散り、もう一本はベルセルクスパイダーと共に焼滅した。

 2本目もダメにしたことをいつシェイニーに責められるのかヴァンは気が気でなかったが、今はその事は忘れる。


「迷宮で手に入れた物を使ってはならないという決まりはなかったからな」


「確実に価値が落ちてしまうが、背に腹はかえられぬからの」


「大丈夫よ。どれだけ価値が低くなっても、あなたよりは遙かに価値があるから」


「フッ……俺の価値は計り知れないんだぜ」


「ただより安いものは計れないものよ」


 ユフィがシイナを叩き飛ばし、隙を作る。


「危なくなったらちゃんと助けを求めるんじゃぞ」


「おう!」


 交代したユフィの代わりにヴァンが前へ出る。


 この階層最後の戦いがついに始まった。










「バーサーカー相手にノーマルじゃ力押しされるだけ。だから、初っぱなから飛ばしていく。モード、バーサーカー!」


 その瞬間、ヴァンの瞳に熱い闘志が宿る。


「今の俺に触れると火傷するぜ」


 先制は、シイナが持っている短剣目掛けて振り降ろされた。

 半月を描いたマインゴーシュが、シイナの持つ長さ50センチ程度の諸刃の短剣――一般にバゼラードと呼ばれる若干大振りのダガーとぶつかり鈍い金属音を鳴り響かせる。


 空気を鳴らした金属同士が離れると、先に動いたのはシイナだった。


 右に大きく振りかぶった宙に銀の弧を描き、眼前のヴァンに襲い掛かる。

 だがヴァンの反応は速かった。

 筋肉の限界を無視した脚力で横へと高速移動し、軌道からずれる。


 その直後。


「――!?」


 ヴァンがさっきまでいた場所へと振り降ろされる筈の短剣の軌道が、真横へと強引に変えられた。

 普通ならば死の旋律を感じる場面。

 しかし狂戦士化しているヴァンの心に恐怖はない。


 最短の判断――咄嗟にマインゴーシュを垂直に振り上げてバゼラードを迎撃する。


「ククククッ……人間技じゃないな。それでこそバーサーカー」


 感情のタガが外れたヴァンが思いのままに呟く。


 そのヴァンに向かってシイナが再び凶刃を斜め上から振り降ろす。

 回避は危険と判断したヴァンは、その強撃を躊躇うことなく受け止めた。


 撃剣の音が立て続けに鳴り響く。

 筋肉の限界を無視したシイナの攻撃を、同じく筋肉の限界を外したヴァンが攻撃で撃ち弾く。

 どちらも剣の素人。

 だが場数はヴァンの方が確実に上。

 シイナとヴァンの筋力差も相成って、シイナの攻撃は尽くヴァンによって弾き返された。


 そして、つたない連続攻撃の間に大きく空いた隙をヴァンが見つけた、その瞬間。

 ヴァンのマインゴーシュが牙を剥く。

 刃筋の通っていないがむしゃらな横薙ぎの斬撃の出だしをヴァンが踏み込みと同時に攻撃する。


「ぐっ……」


 しかしシイナは強引に持ちこたえ、そのまま鍔迫り合いへと持ち込む。


「おおおおぉ……」


「がぁぁぁあっ!!」


 互いに両手で短剣を持ち、全力で押し合う。

 肺の中にある空気を全て吐き出すような声をあげながら悪鬼の形相で押してくるシイナに、ヴァンもお腹の底から声を張り上げて1歩も引かない。


 そしてその膠着状態は、そのまま暫く続いた。


「好い加減、見苦しいからやめてくれない?」


 その降着状態に終わりをもたらしたのは、そんな一方的な外野からの言葉だった。

 否。

 言葉よりも先に鍔迫り合いをする両者の間に飛び込んできた物――シェイニーが放ったホーリーアローの一閃が止まった時を動かす。


「おぬしの気持ちも分からんでもないが、あのまま続けておればすぐにあの娘の体力は尽きたと思うんじゃがの」


「醜い勝利は敵よ」


 ほぼ同時に引いた両者が再び斬り結ぶ。

 その耳に外野の声は届いていない。


 6度ほど斬り結んだ後、ヴァンが真横へ疾走。

 そのヴァンを追ってシイナも真横に駆ける。

 走力で勝っていたシイナがすぐに追い抜き、その進行方向が急激に曲がってヴァンへと向かう。


 突進してくるシイナのバゼラードを、ヴァンはマインゴーシュで迎撃する。

 鈍色の輝きを放つ短剣を、それよりも若干輝色を放つ短剣で迎え撃つ。

 鈍い金属音とともにバゼラードの切っ先が大きく弾かれる。


「裁く天幻の想」


 弾かれた刃が強引に引き戻され、再びヴァンの身に振り降ろされる。

 振るわれた凶刃は、しかしヴァンの放った一撃によって急激に加速させられ軌道を変える。

 そこに金属同士の甲高い悲鳴は鳴らなかった。


「静なる天鳴の想」


 全力の斬撃が更に加速させられた事でシイナがバランスを崩して多々良を踏む。

 そこを鋭い突きの一閃が襲い掛る。

 但し、あくまでもシイナの持つ短剣をヴァンは狙う。


「虚ろいし天麗の想」


 マインゴーシュの鋭い切っ先がバゼラードの鍔を柄の方から襲い掛かり、シイナの指をこれまでにない方向から引き離そうとした。

 しかしヴァンの踏み込みが僅かに足りず、後1歩の所でバゼラードはシイナの手の中からすっぽ抜けない。


「麗しき天躍の想」


 踏みとどまったシイナがバゼラードを真横に振るってすぐ近くにいるヴァンを殺しに掛かる。

 ヴァンはそのシイナの腕の回転にそってシイナの背後に回り込んだ。

 まるでワルツを踊るようにシイナの視界からヴァンが消える。


 そしてヴァンは後ろからシイナの両腕を掴み、そのまま前のめりに押し倒した。


「チェック……メイト」


 耳元に向けて小さく呟いたその言葉は、シイナの耳にしか届けられなかった。











「なんかいつもの暴走と違うのぉ」


 暴れるシイナを怪力で取り抑えているヴァンの姿を眺めながら、ユフィは隣にいるシェイニーがまた手を出さないように警戒しながらそう呟いた。


「釈然としないわね。むしろ気持ち悪いわ」


 隙あらばヴァンを攻撃する気満々のシェイニーが答える。

 その腕は胸の位置で組まれていた。

 しかし攻撃の意思がないという雰囲気をその姿勢はまるで物語っていない。

 ユフィはその姿勢を、速射する弓の威力を高めるための準備段階だと見ていた。


「欲望を全開にするのがぬしさまのバーサークモードじゃと聞いてはおるが、今回はいったいどんな欲望を解放したんじゃろうの」


「あら、欲望なら何でも良いのかしら」


「その思いが強ければ、じゃの。でなければ他の欲望によって簡単に消されてしまうじゃろうて」


「あの子の顔が少し他人には見せられない酷いものになっていたのが幸いしたわね」


「まことにの」


 対人戦の時点でヴァンの中にある闘争本能が増幅されたというのはまずありえないので除外する。

 対美人であれば碌でもない感情が真っ先に浮かび上がるのだが、今回に限ってはそれは心配しなくてもよい状況。

 ならば、いったいどんな欲望をヴァンは力の源としているのか。


「自己陶酔とかじゃない?」


 いわゆるナルシズム。


「ただかっこつけたがっているだけにも見えるがの」


「死に急ぐような戦い方ね」


「あまり褒められたものではないことは確かじゃな」


 シイナが左肩関節を強引に外して拘束状態から抜け出す。

 そんな事をすれば強烈な痛みが発生すると同時に、外した後に多大な問題が残るというのにお構いなしだった。


 可動範囲を越えた事で行動の幅が広がったシイナが、すぐ近くに落ちていたバゼラードを逆手に掴んで背後を斬る。

 その刃の回避が不可能と判断したヴァンは、シイナの左腕を拘束していた手を離しバゼラードを素手のまま掴み取る。

 バゼラードの切っ先は脇腹の手前で停止していた。


「……本当に任せて大丈夫なの?」


「ちと我も心配になってきた」


 地面に横になったままシイナの身体が反転する。

 しかし状況はヴァンに有利なままのマウントポジション。

 シイナが全力でバゼラードの切っ先を進めようとするが、より強い力でヴァンが押し返す。


 そのヴァンの頭がシイナの両足によって挟まれた。

 そして首締めが始まる。


「む……これはいかん」


 右手でバゼラードの進行を妨げ、左手で首を絞める両足を外そうと藻掻くヴァンだったが、分の悪さは目に見えていた。


 左肩が外れているシイナは右手一本でバゼラードを押し込むしかないので、そちらは力の差でヴァンの方が優位に立っている。

 が、単純比較で腕よりも4~5倍程度の筋肉があるという足による絞め技は、左手一本で簡単にどうにか出来るようなものではなかった。


 ヴァンの顔がみるみる赤身を帯びていく。


「結局負けるのね」


 シェイニーが組んでいた腕を崩すのをユフィは当然咎めない。

 が、その窮地への対処は当事者であるヴァンの方が一瞬早かった。


 弓を引こうと弦に手を掛けたシェイニーの瞳に、ヴァンが全ての力を緩めるという暴挙におよぶ光景が映し出される。

 バゼラードの切っ先が急加速し、5センチ程度あった隙間を一気に零へと縮める。

 もはやシェイニーの速射でも間に合わない。


 その刹那。


「はぁっ!!」


 シェイニーは、まるで空気が弾けたような錯覚をヴァンに見た。


「バーサーク……2倍っ!」


 首を絞めていたシイナの足を左手一本で引き離しながらそう呟いたヴァンに、シェイニーは戦慄する。

 1センチ以上突き刺さったバゼラードもその進行を突然に止め、シイナがどんなに力を込めようともそれ以上ビクとも動かなかった。


 ヴァンの攻勢が再び始まる。










 自らの名前も喪失していたヴァンがこの地に降り立ったのは、今よりも10日以上前の事だった。

 何も分からないまま現実を認識したばかりのヴァンにテーゼの森の一角に住む悪しき賢者が戯れに多くの呪いをかけたのは、それからすぐの事だった。

 そして――その悪しき賢者がかけた呪いを緩和させる働きを持った呪いを受けたのも、それからすぐの事だった。


 その日から今に至るまでの間に、ヴァンが死にかけたのは1度や2度ではない。

 制御のきかない呪いはヴァンを幾度となく暴走させ、窮地へと陥れてきた。

 端から見ればそのほとんどがヴァンの自業自得とも言える無謀な行動からくるものではあったが、ヴァンが受けた呪いというのはそんな生易しいものではなかった。


 何かをしようとする際、そこには必ず理由が存在する。

 お腹が空けば食事を、眠たくなったら睡眠を、お金がなければ仕事をしようとする。

 裸でいるのは恥ずかしいから服を着るし、可愛い女の子が視界に入れば意識を向けるし、お金が地面に落ちて鳴り響く音がしたらつい振り向いてしまう。

 つまり、そこには何らかの意思や欲望が発生する。

 しかし条件が整わない場合には、その行動は実行に移される事はない。


 眠たくなったからといっても、いきなりその場で寝るような事はまずしないだろう。

 幾つもの細かな条件を揃えた上で――寝床の確保、時間的要因、片付けるべき仕事の処理など――寝るのが普通である。

 強制的に脳が眠ってしまうほどの睡眠欲を感じていた場合は、もちろん別だが。


 しかしヴァンがその身に受けた呪いの一つは、そんな理性的な思考を吹き飛ばしてしまう類のものであった。

 例を一つあげるならば、お腹が空いていなくても食べたいと思ってしまったら、例え他人の食事でも手を伸ばす事に一切躊躇わない。

 食べたいという欲求の赴くままに身体が自然と動き、途中でその欲求を上回る別の強い思いが発生しない限り、ヴァンはその手を止める事は出来なかった。

 ――本来ならば。


 悪しき賢者がかけたその呪いを緩和してくれる後付けの呪いがなければ、ヴァンはとっくに野生の獣と化し、そして殺されていた事だろう。

 ただ、その緩和の呪いも万全という訳ではない。

 ヴァンの精神状態は酷く不安定になり、欲望と理性とが常にせめぎ合い時折ヴァンから冷静な判断力を奪い去っていた。


 迷宮内での移動時、ユフィとシェイニーを守りたいという思いからヴァンは先頭を常に歩き幾度となく罠に引っかかっていたのも、冷静な判断力が欠けていたからだと言える。

 矢面に立つという願望が、ユフィとシェイニーはこの階層の罠は見抜けるという事実を霧がかったように霞ませ、不必要な危険をもたらし続けた。

 ユフィとシェイニーはそれもヴァンには貴重な経験だと思いその無謀な行動を受け入れていた訳だが、別に必要だった訳ではない。

 むしろ願望をため込みすぎて暴走へと至ってしまわないように、ガス抜きという意味合いの方が強かったぐらいである。


 そんなユフィとシェイニーがヴァンと一蓮托生の関係になる前は、ヴァンはその不安定な精神状態を制御仕切れずに幾度となく暴走した。

 が、この地に降り立ってから、既に十日以上。

 数多く暴走した産物として、ヴァンはその呪いの効果を利用したバーサーク化というオリジナル技を遂に編み出すに至っていた。


 バーサーク化は自ら欲望の一端を解放して暴走の風向き意図した方向へと向けるというもの。

 合体して巨大化したユニオンスライムに立ち向かった時には、純粋にユニスラを倒すという戦闘欲を暴走させていた。

 そして今回、対シイナ戦でヴァンが暴走させていた感情は、想像を現実化したいという、誰もが持ち合わせている理想欲だった。


 もう少し正確に言うなら、ヴァンは一瞬先にある自分の理想状態を思い描き、そこへと近づける作業を黙々と行っていた。


 例えば、馬乗りに拘束していたシイナが自ら肩を外し、反転してバゼラードを突き刺そうとしてきたのを視界に入れた時。

 ヴァンはすぐにその刃を手で掴み取って止めるという光景を、まず思い描いた。

 短剣の刃を素手で掴めば手が傷つくという光景も、ヴァンは理想形として想像した。

 あとは、その欲望を全力で叶えるのみ。

 筋肉の限界など無視してヴァンはその願いを叶えた。

 別の呪いの効果で痛みをほとんど感じない状態にあるというのも、ヴァンがそんな無茶な事を思い描いた要因でもあったが。


 ちなみにヴァンが戦闘中に奇妙な台詞を吐いていたのも、ヴァンが思い描いた未来映像に含まれていただけの話である。

 自己陶酔気味な台詞となってしまっていたのも仕方のない事だろう。

 何しろ、自分に酔っていないと理想の姿などにはなれないため。

 理想を現実にするというのは綺麗事ばかりではない。

 羞恥心は最初に捨て去るものだった。


 しかし――。

 この理想欲を糧としたバーサーク化は、諸刃の剣でもあった。


「がはぁっ!」


 両足による首締めを解除したヴァンが吐血し、シイナの顔に血の雨をまき散らす。

 たった1つの欲望を解放するだけでも身体に大きな負担が掛かるのに、バーサーク2倍――つまり2つの欲望を解放した事でより一層の負荷を身体にかけた事で身体の方が耐えられなかったのだ。

 首締め攻撃から抜け出すためとはいえ、出来るかどうか分からない事をヴァンは理想し躊躇なく実行に移した事が裏目に出た結果だった。


「これまでじゃ! シェイニー!」


「言われなくても!」


 それまで以上に強烈な威圧感を発して凶暴化してから、僅か1秒後。

 ヴァンが自滅した事を察した2人が、一騎打ちへの強制介入を決意する。


 当初の予定通りにシイナがつがえていた矢を放ち、ユフィが自身の持ちあわせている最高速度で疾走を開始。

 だがその2人の瞳が再び驚きの色へと染まる。


 ヴァンはシェイニーが放った必殺の矢を、咄嗟にマインゴーシュを投擲して撃ち落とした。


「殺すことは……まかりならぬ!」


 ヴァンの力強い言葉に、しかしユフィの疾走は止まらない。


「それ以上の無理は見過ごせぬ! 無茶をするなとあれほど言ったであろうが!」


 一気に間合いを縮めたユフィが、バゼラードを持つシイナの手目掛けて鉄扇を振るう。

 その一瞬前に、片腕だけでは不可能だったバゼラードの破壊を両腕の力を投入する事で達成したヴァンの腕が入り込む。

 血とバゼラードの破片にまみれたヴァンの掌が、鉄扇の一撃を受けてその傷口を大きく広げた。


「正気かや!?」


 防ぐ必要のない攻撃まで防いだヴァンに、いよいよもってユフィもヴァンが既に冷静な判断力を失っている事に気付く。


「是非もなし」


 首筋を狙って突き向かってきたシイナの手套を、ヴァンは左前に向けて崩れ落ちるように回避。

 そのまま横転しながら首の後ろを通り過ぎたシイナの腕を掴み、回転する力を利用してシイナの身を強引に引いて空中へと放り投げる。


「さっきから言ってる意味がまるで分からないわよ!」


 その絶好の好機をシェイニーが見逃すはずもなく、3度目となる必殺の矢をシェイニーの頭部目掛けて射出。

 が、またしてもその攻撃はヴァンが投げたバゼラードの破片群の一つに当たり、目的を達成する事は出来なかった。


 空中で姿勢を取り戻すシイナ。

 そのシイナに照準を合わせているシェイニーの前にヴァンが躍り出る。

 それは同時に、敵であるシイナに背を向ける事になる。


 着地と同時にシイナがそのヴァンの背中に向けて疾走。

 攻撃の主役であるバゼラードを失ったため、ヴァンの首を貫こうと手套の突きを放つ。


「3対1とは卑怯な」


「いやいや、ぬしさまが勝手に我等を妨害しておるだけじゃろうに」


 2人の言葉を無視してシェイニーが射軸を確保するために右へ動く。

 それを追ってヴァンも位置取りを変える。

 一瞬後を、シイナの腕が空をきる。


「我はいったいどうすればよいのじゃろうの」


 阻む者のいないユフィの鉄扇はいつでもシイナの身を撃つ事が出来たが、ユフィはシェイニーほど過激な行動を移すつもりはなかった。


 そのユフィの視界の中で、顔を血まみれにしたヴァンとシイナが互いの手を掴む。

 再び根比べの様相を呈した2人に、ユフィは困った顔を浮かべながら歩み寄り、ヴァンの首筋に鉄扇を当てる。


「3対1と言うなら、これでまたぬしさまの詰みじゃの」


「くっ……もはやこれまでかっ!」


 ヴァンが片膝をつきながら口走る。

 両者とも既に体力の限界に達していたため、この期に及んでの力と力のぶつかり合いは簡単に両者の膝を折り曲げていた。


「無様ね」


 射軸を確保したシェイニーが必殺の一撃を構えながらそう評する。

 しかし3度もヴァンによって防がれたため、4度目を射るような真似はしない。

 確実に殺すことの出来るこの状況での攻撃は、さしものシェイニーもそれがヴァンとの間に決定的な心の壁を産んでしまう事を理解していたため、振りにだけでとどめていた。


 そのシェイニーの瞳が、ついに限界を迎えたシイナの身体から力が抜けていくのを確認する。

 ようやくこの茶番劇にも終わりが来たのだとシェイニーはほっと安堵する。


 そして……。


「む……勝機!」


 そう叫んだヴァンが、最後の攻撃をシイナに叩き込んだ。

 その瞬間。


「きゃぁ!」


 そのヴァンの攻撃の巻き添えを浴びたユフィが、そんな可愛らしい声で鳴いた。


「ななな……なにをするんじゃ! 酸っぱいではない、か……?」


 咄嗟に鉄扇で目元はかばったものの、一足先に口の中へと入ってきたその攻撃の余波にユフィは抗議の声をあげようとする。

 が、視界を守ってくれた鉄扇をのけた後に飛び込んできた光景に、その言葉は尻すぼみしていく。


 ――何故なら。


「これが奇策?」


 ヴァンとシイナは、何かとんでもない激痛に襲われたかのような絶叫の表情を浮かべたまま気絶していた。

















 一部始終の全てを安全圏から見ていたシェイニーが、動かなくなった2人から弓を下ろしながら溜息を吐く。


 悲鳴の言葉すらあげる事の出来ないほどの強烈な刺激を受けた事で気絶した2人。

 その理由は、ヴァンが最後に行った予想外の攻撃によって引き起こされたものだった。


「後のこと、まるで考えていないのね。どうする?」


 同じ境遇にあるユフィに向けてそう問いかけるシェイニー。

 その瞳の中で、ユフィの姿は徐々に透けていた。


 どちらかといえば【聖】属性である攻撃を受けた事で、ヴァンの気絶は魔力側であるMPの枯渇によるものとなったからである。

 MPが0になったことで、MPを源に召喚維持されていたユフィは消えるほかなかった。


「判断はぬしに任せる。我は見ての通り、力を貸せぬようじゃからの」


「荷物が2つもあるのはきついわ」


「なに、結果に関してはぬしさまも文句は言えぬであろう」


 含みあるユフィのその物言いが言い終わらないうちに、シェイニーが一瞬眉間にシワを寄せて弓をつがえる。

 その矛先は気絶したシイナの方へと向いていた。


「……正気かや?」


 ほとんど冗談でユフィは言ったつもりだった。


 シイナを今ここで殺してもヴァンに気付く術はない。

 シイナはどう見てもおかしな状態にあった。

 目を覚ました後、正気である保証も精神が壊れていない保証もない。

 故に、結果的にシイナは死んでしまったと告げても不思議ではない状況とも言える。


「そう……あなたには分からないのね」


 消えゆくユフィは、その最後にシェイニーが矢を放ったのを確かに見た。


「気がついてたのは最初から私だけ。私だけが全てを知ってる。ほんと、面倒な話ね。説明するのは得意ではないのだけれど」


 トドメを刺したシェイニーは、そう呟きながら動かなくなったヴァンの身体を血塗れの少女から引きはがした。

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