カラッポのポケット
いつ見たってあいつは何処か抜けたような表情を周囲に振りまいていた。顔立ちは結構整っている方、だと私だけが思うのは惚れた弱みかもしれないけど、友達に聞いても「顔立ちはいいと思うよ」と返ってくるのだから、事実認識としては正しいのだろう。
だけど、その整った顔立ちはいつも螺子が一本抜けたような緩みを表面に被っていた。奥まで踏み込んでみようと思っても、緩みが柔らかく受け流してしまい、結局辿り着くことはできない。そんな感じの緩み。初対面の人にしてみればとっつきやすい印象を受けるのだろうが、二年も周りにいたら逆にとっつきにくい印象に変わるに違いない。私だってそうだったわけだし。
性格も表情同様。良く言うなら温厚、悪く言うなら何考えてるかわからない。軽く接するだけなら身に纏った柔らかいオーラだけしか感じ取れないから、「いい人」評価を与えてしまうのだが、実のところ「いい人」以外のものを掴むことができないのだ。だから、怖くもある。
まとめれば、あいつという人間はぱっと見イイヒト、実はわからない人、ということになる。こんな風に言い切ってしまえば、一体私はどこに惹かれたのかよく分からなくなってしまうけど。
大体何で私が少々とは言えないくらい恥ずかしい人物図まとめなんかやっているかというと、世界には数々の偶然が存在するように、友人の一人であいつのことを好きだという私並に変な女の子(一コ下)から「うまくセッティングしてください」と頼まれたからである。人に頼む時点で恋は成就しないとは思ったけど、さすがにそんな理由で断るわけにもいかなかったので仕方なく動くことにした。
動くことにしたとは言っても、いちいち細かいところまで気を配るつもりは無かったので、同じ講義のときあいつに直接言う事にした。
「祐介、あんたのことが好きな子がいるんだって。ちょっと会ってあげて」
あまりにも直接過ぎた表現に対し、「もうちょっと間接的な表現を使ってあげればよかったのに」と苦笑したあと(あいつはこの手の気配りは常に絶やさないのだ)、
「俺みたいなヤツを好きになるなんて、変わっている子だね」
と、普段あまり見せない悲しげな表情を私に見せてくれた。
「何でそんな顔をするのよ……人に好かれるって嬉しいことじゃない」
「まあ、それはそうだろうけど。俺の感性はその辺り変だから」
「自分で言っていたら悲しくない?」
「いんや、ま、俺の話なんてどうでもいいから、その子の名前なり電話番号なり教えてくれ。会って断ってくるから」
「最初から断ること決めているのね……自分だって直接過ぎるじゃない」
「下手に誤魔化したりする方が不誠実だ」
独特の価値観があるあいつは、本当に講義のあとに彼女に電話をして会い、断った。その後彼女と会った時に断られたときのことを聞いてみたら、
「あの人、会って早々『好意は嬉しいが、申し訳ないけど俺は受け取ることができない』って私に言ってくれたんですよ。ちょっとだけ粘ってみようかな、とも思いましたけど、スパッと言われたのでつい『ちゃんと断ってくれるだけで嬉しいです』って答えちゃいました」
との返答が返ってきた。
「理由とか聞いたの?」
「最後に一応聞いたんですけど、『俺の時はあの時のままで止まってるから。動き出すまでは誰の好意も受け取れないんだ』って言われて……珍しく、悲しそうな表情を浮かべてたので、こっちも凄くいたたまれなくなって『変なこと聞いてごめんなさい』って言っちゃったんですよ。そしたら『コレは俺のせいだから、君は何にも悪くないよ。こっちこそ少し不快な思いをさせてすまない』って。
理由はよくわからなかったんですけど、きっぱりとあきらめられましたね」
ある種の清々しさを持って発言する彼女の様子から、あいつは本当に丁寧に返答したんだなということがよくわかった。
同時に、私の持つ好意も、そのまま届けることが出来ないと気付き、彼女にばれないようこっそり落胆することにした。
いつ見たって何処か抜けたような表情と、奥底の見えないあいつとは、昼食を一緒にとることが多い。大体週に3から4回、二人きりのときもあればどちらか(もしくはどちらともの)友達とともに学食でカレーなりうどんなりを食べている。
傍目から見れば付き合ってるように見えなくも無い(私のささやかな願望も含まれている)のだが、実際は片や恋心を秘めて食事をしている乙女(友達には恥ずかしくていえないけど)、片や何を考えてるかわからない上に秘めたる恋心をお届けできない不思議男。中身を知ってるものからすれば、非常にアンバランスな二人組に映るはずである。
でも、習慣、それにわずかな希望というものは強いもので、なんやかんやで二年も同じ状況を作り上げている。いつも食べるのが280円のカレーか250円のきつねうどん、たまに贅沢しても350円のラーメンか450円のカツ丼の4種類、というところまで似通ってしまうのはいかがなものかと思うけど、単に値段とボリュームのバランスから考えるコストパフォーマンスをはじき出した結果なので気にしない。大体、930円の「おばちゃん特製懐石弁当」なんて、頼む人がいるのだろうか。
で。ここ最近は私の友達(男)が一緒に食べてたので二人きりということが無かったのだが、今日は久しぶりに二人で昼食をとる運びとなった。頼んだのは私がきつねうどんであいつがカレー。世間の一般的な給料日である25日前はローコストで乗り切るしかないのだ。
基本的に食べている間も食べ終わった後もゆっくりと喋っていることが多い。話題のテーマは最新の事件から伊東家的小技まで多岐に渡る。こっちが何かを突っつけば、必ずあいつは返してくれるのだからその懐具合は計り知れない。ただし、向こうから話をしだす、というのは残念ながら数えるほどしかなかったりもする。
さておき、今日の話題はいつもとは違う系統のものにしてみた。
「そういえばさ、この間裕美を振ったじゃない? あの時のこと聞いて少し気になったんだけど、時が止まってるって何?」
言い終わったときのあいつの顔は、予想通り少し苦しそうな表情(付き合いの長いものにしか分からない程度)を見せた。
「……まあ、聞かれたからには多少答えるけどその前に。普通聞くか?」
「聞くかって、裕美に振られた状況を聞いたこと? 当然じゃない。簡単だけどお膳立てをしたのは私なんだから、結果がどうであろうと報告義務があるわよ」
「まあ、確かにそうだといえばそうだけど……しまった、君にこの話を聞かれるとは思ってなかった」
こめかみに指を当てて自分の失敗を嘆くという、極レア級の仕草を見せたあいつは、カレーの乗ったスプーンを皿の上に戻し、私のほうに向き直った。
瞳に、私が映りこむ。
「よく考えれば、この2年間君は俺と一番一緒にいた人なんだから、別に教えてもいいんだけど、でも、別に面白い話じゃないよ?」
「いいのよ、単に私が知りたいだけだから」
恋を東京湾に沈めるかどうかの命運がかかってるんだから、とまではさすがに言わなかった。
「まあ、いいけど、さすがに具体的に話すつもりも無いよ? 強いて言うなら、カラッポのポケットなんだよ」
「……カラッポのポケット?」
恋の命運が――という話は、実に抽象的な話だった。思わずストレートに聞き返してしまう。
「そうそう。例えば……ドラえもんの四次元ポケットってあるじゃん。みんなあのポケットが欲しい欲しい言うけど、結局は中身の道具が欲しいわけでしょ。ドラえもんのはたくさん道具が入ってるかもしれないけど、あの世界の未来で市販されている四次元ポケットには何も入ってない。道具が入ってないから普通欲しいとは思わない。そんな感じなんだよ」
「……それと、時が止まってるとはどう関係があるのよ?」
「……自分で言ってて何だけど、四次元ポケットってのは例えが悪かった」
思わず頭を思いっきり下げてテーブルにぶつけそうになる。だったら最初から言わなければいいのだが、それでも言ってしまうのが不思議なところだ。
「んーなんていうのかなあ。人は無数のポケットを持っていて、それぞれのポケットには、決められたものしか入らない。例えば知識だとか、出会いだとか。で、俺は一つ、ポケットに入れ忘れたものがあるから、取りに行くまでは他のものを入れられないんだよ」
「なんか、よくわからないんですけど。簡単に言うならやりのこしたことがあるから他人の好意を受け取れないみたいな感じ?」
「ざっくばらんに言われると遠回しに言った意味がないんだけど……まあ、そんなところさ。まあ、今後出てくるかどうかわからないけど、もし俺のことが好きだっていう変な女の子がいたらやんわりと無理っぽいって言ってやってくれ。俺に回してもいいけど、結果は変わらないよ、多分」
「女心をわかってるのかわかってないのか、祐介は中途半端ね……」
「俺なんてそんなもんさ。って、もう飯食いきらないと間に合わないじゃん」
あいつは最後、明らかに話を切るようにカレーを食べだした。もう無駄だと思ったので、私も伸びてしまったきつねうどんの残りを食べる。
ふにゃふにゃのうどんをかみながら、これは結局私って振られたのかなあ、と少しだけ落胆して、それからまだ答えを貰ったわけではないし、と思い直して表情に何かが表れてしまうのを防いだ。
噛み応えのないうどんは、想いをぶつけるには柔らかすぎた。 いつ見たって何処か抜けたような表情と、奥底の見えないあいつとは、同じ講義をとっていることが多い。大体、去年ほとんどの講義で被っていたので仲良くなった、というのもあるし、少なからずつながりめいたものを感じてしまうのは私の思い込みかもしれない。ただ単に学びたいものが被っているだけなんだけど。
座席指定でない講義の場合、かなりの割合で隣同士で座ることが多い。昼食と同様、友達と一緒だったりあるいは今受けているマクロ経済みたいに二人だけだったりと、講義によって様々である。
今みたく、二人で講義を受けているとき、あいつはよく小さなメモ帳に何かを書き込んでいる。前に「芸人にでもなるつもり?」と聞いたら、「ネタ帳ってのはあってるけど、笑い用じゃなくて小説用だから」と返ってきた。作家・ライター志望なあいつは普段からせっせと話の種をかき集めているらしかった。
その横で、私は多少不真面目に講義を受け続ける。教授の言葉を端から端まで全部聞くつもりは無く、所々テストに出てきそうなところだけをメモする感じだ。大体この教授はテストのみで単位を決め、おまけにそのテストが授業からではなく教科書(しかも教授の著作)から出てくるのだから始末が悪い。だったら最初から出席せずに教科書だけ勉強していればいいのだが、そこはそれ。ほのかに恋心を抱く相手が生真面目に出席している(とはいっても真面目には受けていないが)以上、私も出なくてはいけないのだ。あくまで出るだけ。
古典派だのケインズ派だのといった頻出事項すらも無視して、横に座るあいつは熱心に独自の世界をメモ帳に書き込んでいく。他の事は大概几帳面な割に字はかなり読みづらく、何を書いているのかをうかがうことは出来ない。さらに言うと、一回も完成したものを見たことも無い。ひょっとしたら、今までに一本も書き上げたことが無いのかもしれない。
この辺りやっぱり得体が知れないなーと眺めていたら、ふとこちらを見上げる視線に気がついた。
「どうしたの?」
「……どうしたも何も、じっと見られてたら書きにくいんだけど」
そんなに見つめていたんだと気付き、慌てて目線をそらして少し熱くなる。でも悟られるのも嫌なので苦し紛れに今書いていることについて聞いてみた。
「何の話を書いてるの?」
「これ? 救われない話」
「救われない話って……そんなの書いてて悲しくならないわけ?」
「救われる話は書いたって何にも生まれないからね。それよりかは救われない状況下でどのように進むのかを追い求めた方が結果的に救われるんだよ」
「書いている人にしかわからない部分ね……」
小さくため息をついて、再び黒板に向き直る。
チョークの粉が市場介入についてを形作っていた。一体、マクロ経済とあいつの頭の中と、どっちがパンドラボックスなのだろうと延々と考えていたら、いつの間にか講義は終わっていた。
出した結論は、やっぱりあいつの方だろう、ということだった。 いつ見たって何処か抜けたような表情と、奥底の見えないあいつとは一緒に昼食をとらないことだって、週に何回かある。そういう時は大抵女友達数名とどうでもいいことをぐだぐだ喋りながらマックで時間を潰すことが多い。マックはみんなの(財布の)味方なのだ。
今日もそのパターンで、おまけにどうでもいいことの中身が恋愛話だから余計始末が悪かった。
「今度原宿でカレシと買い物に行くんだー」
『へぇー』
私含め4名のうち、弘子だけが彼氏もちであとはみんなしがないシングルなので、反逆者からのろけ話が出たりしたら冷たくあしらうのが常である。
なんやかんやで冷やかしたり冷やかしたり冷やかしたりしたあと(それ以外にすることがないのだ)、何故か私とあいつについての話になった。
「そういえば深雪は例の彼とどこまでいったわけ?」
「……例の彼って、ちょっと待って。ひょっとして祐介?」
「そーそーいっつも一緒にいるあの少し抜けたような人よ」
「あ、それアタシも気になるなぁ。深雪ちゃんがお熱な彼でしょ?」
「お熱って、もうちょっといい言い方は無いの……? 大体、私とあいつは、その」
「……まさか、あの状態を見せ付けても、付き合ってないとか恋人同士とかじゃないってやつ? 信じられない……」
3人の疑わしげに私のほうに集中する。
気心はそれなりに知られている友達なので、誤魔化すことは難しい。
「……あいつに聞いたんだけど、“俺は時が止まってるから、今は誰からの好意も受け取れない”んだって」
「何それ……格好つけ?」
「あいつに限ってそれはないと思うけど……」
あーだこーだ、あいつの人格論について私の目の前で延々と繰り広げてくれる。まあ、これだけ聞いたならば(プラス、あいつの中身を少しでも理解しているわけではないのなら)そう思っても仕方ないのだけど。ここで下手に擁護したら冷やかしの的になるのはわかってるので、何も言わないでおく。
しばらくしてあいつについては飽きたのか、再度私に話が回る。しかも、それは爆弾つきだった。
「気になったんだけど、深雪さあ、あいつに自分の気持ち伝えたの?」
「気持ちって、私が、え?」
「深雪ちゃん、別に変なこと聞いてないからパニックになる必要ないと思うけど……」
「ははーん、その様子だとみゆは聞いてないなぁ? ちゃんと自分からつっこまないと、私みたいに恋に辿り着けないよ?」
『ヒロは黙ってて』
恐ろしいほどの速さで話が進む。一人縮こまる弘子を尻目に、ハルとかおりがなにやら不穏なことを相談しだした。話についていけない、というよりはついていきたくない私は隅でオレンジジュースを啜って待つことにした。
2分後。
『善は急げ、というわけで深雪、今からいくよ?』
「待って待って。どうしてそういう結論になるのよ?」
思わずカップを握り締め、氷が音をたてる。冷たさが心地いい。
この二人は、時折突拍子もないことを言い出すのが楽しいのだが、自分に降りかかるとなると話は別である。
「私、別に今のままでもいいんだけど……」
「ダメダメ! 深雪ちゃんは普段は強気なのに、恋話になるといっつも弱気なんだから」
「いっつもって言うほど付き合い長くないし、恋もしてないと思うんだけど……」
「そんなツッコミはいらないの! ほら、行って玉砕してきなさい」
「……なんでこうなるのよ……大体、振られること前提なのね……」
無理やりに立たせられて押し出される。おまけに背中に、「ちゃんと言わないとダメだからねー」とか「逃げたら罰ゲームが待ってるからね♪」とか余分なことまで降りかかってくる。罰ゲームって何?
……どうしよう? 悩みながら店外へと出てしまう。
残してきたポテトが少しだけ名残惜しかったが、戻っても罵詈雑言が浴びせられるだけなので、仕方なくあいつのいるであろう場所を考えて向かうことにした。
腕時計を見ると、12時49分。3限開始は13時ジャスト。
……よくよく考えたら、次の講義が一緒だから、そこでよかったじゃない…… 大教室の講義。民法概論。いつ見たって何処か抜けたような表情と、奥底の見えないあいつと、いつもどおり並んで受ける。
だか、さすがにいつもどおり、というわけにはいかなかった。
言うか言わないか、それが問題。
横で暢気にメモ帳に書き込んでるあいつをちらちらと見やっては、どうしたものかと考える。大体、言わなくてもハルとかに適当に誤魔化しておけばすむ問題なのだが、こんな機会でもない限り私の性格から言う事はないなとも思っていた。だとしたらこれはいいチャンス、だけど言うのもなあ、と密かに葛藤。
言う。
言わない。
……遠まわしに言ってみようかな。勘がするどいから、気付かれるかもしれないけど、その時はその時だ。
意を決して、話しかける。
「ねえねえ、お取り込み中に悪いんだけどさ」
「ん?」
「私がさ、もし祐介のことが好きだって言ったらどうする?」
刹那、時が止まる。
この間、あいつは無表情。
一拍、二拍、三拍。ワルツのリズムが一週したとき、
「……マジで?」
失礼な答えが、言葉の意味の割には抑揚の無い発音とともに返ってきた。
「……マジでは失礼だと思うけど」
「いや、ごめんごめん。講義中の話題としてはあまりに不自然だったから、つい聞き返しちゃったんだよ。おまけに、直球だし」
ふう、とため息をついて、あいつはペンを置いた。いつものあの緩んだ表情に、少しだけ力が入る。
「……正直なところ、自惚れが多少交じってるんだけど、君が俺に好意を持っていることには気付いてた」
「え……? そっちの方がマジで? って感じなんですけど」
「自分に向けられる感情についてはすごい敏感なんだよ。あ、別に俺が壮絶な過去を経て敏感になったとかそういうのじゃなくて、単に努力の賜物だから、敏感って部分に関しては気にしなくてもいいから」
「じゃあ、この前『もし俺のことが好きだっていう変な女の子がいたらやんわりと無理っぽいって言ってやってくれ』っていったのは、私に対してもってこと?」
「……一応ね」
そこまで言われて、無性に泣きたくなった。でもここで涙を流したら負けだとも思ったのでどうにか堪える。
「まして君はいまや一番俺と一緒にいる人だ。その手の感情を持ってるから、あるいは途中でその手の感情を持つことだってわかるさ」
「……気付いてたんなら、もうちょっと冷たくしてくれても良かったのに。その方が私にとっては――」
ともすればヒステリーを起こしそうになる。
だけど、あいつの次の言葉が全てをやわらげてくれた。
「まあ待てって。言っておくけど、俺だって好きでもない子とかなりの割合で一緒にいるわけないからな」
「……え、それって?」
「君が俺に対して抱く感情と同じものを、俺は君に対して抱いてる。まあ、これは間違いないさ」
……正直びっくりした。ついで、驚きと混乱の渦に私は陥る。
「で、でもさっきの言葉はつまり、私とは付き合えないってことだから、その、」
「それも本当。俺は誰からの好意も受け取ることは出来ないし、逆もまたしかり」
いつもよりもよりわけが分からない。私はあいつが好きで、あいつは私に好意を持ってくれていて、だけど受け取り拒否で……
「この間のカラッポのポケットなんだよ。まあ、もうここまで来たんだから君にはちゃんと話すさ。さすがにここじゃ言えないから、講義終わったら場所移そう」
わけのわからないまま、とりあえず講義が終わることを祈る。
時間の経過が、ただただ長かった。 いつ見たって何処か抜けたような表情と奥底の見えないあいつと、いつもとは違う面持ちで、いつもと違う場所で向かい合う。
近くにあった喫茶店の窓際の2人席。テーブルの上にはホットの紅茶が2つ並ぶ。
「……カラッポのポケットとか大げさにいったけどさ、そんなに大したことじゃないんだよ」
いきなり始まったあいつの話は、いきなり核心だった。
普段あまり底を見せてくれない祐介が、私にだけ中を見せてくれる。そのことだけで嬉しかったけど、どうなるかがわからないだけに何ともいえない。
私は静かにして、話の続きを聞く。
「実はですよ、俺には前好きな子がいたんですよ。二人とも多分、好きあってたとも思う。だけど、互いに言い出すこともないまま、ね……」
初めて聞く、あいつの昔話。
「それが、やれなかったこと、つまりはポケットの中に入らなかったもの?」
「うん、付き合えるなり振られるなり、結果を出すことが出来なかった」
「……それだけ?」
「それだけって、それだけだけど」
「ついでに聞くけど、その子は今どうしてるの?」
「遠いところへ行っちゃったよ。死んだとかそういうわけじゃなくて、単に留学したって話だけど」
……
……
私は、どうしようも無いほど笑いたくなった。
「……くく、くくくっ……」
堪えきれない分が、口から外に漏れ出していく。もう、滅茶苦茶おかしい。
「な、急にどうしたんだよって、笑ってるのか!?」
「これが笑わずにいられるわけないじゃない! まさか、あのどうしようもなく緩んだ情と何を隠しているのか分からないと評判の祐介が、そんなことで人の好意を受け取れないなんて!」
「し、失礼な! そんな事ってなんだよ! 俺にとっちゃ重要なんだから!」
「だから余計笑えるのよ!」
ひたすら、笑う。
何を隠しているのかわからなかったあいつが、とても小さなことで悩んでいたことが、ほほえましくもあるし、ちょっぴり悔しくもあるし、それでいてやっぱりおかしい。
5分くらい笑い飛ばして腹筋がつり出した頃、ようやく私は笑いを抑えることが出来た。
「……はあ、はあ……久しぶりに笑い飛ばしたって感じね」
「そりゃ、そんだけ笑っときゃ、な」
自分の悩み事(?)について笑われたことに少なからず不快感を感じたのか、祐介はいつもよりもわずかにむすっとした顔で紅茶を啜っていた。
思えば、2年もそばにいてこれほど直接感情のやり取りをしたのは、初めてかもしれない。
ふふっ、と母親が漏らすような笑みを最後にこぼしたあと、私はずばり告げた。
「祐介、そんなの、簡単じゃない」
「……はい?」
「ポケットの中身、手に入れる方法よ」
一口紅茶で喉を潤してから、私が考えた方法を話した。
それは誰にでも思いつくもので、だけどあいつが考え付かなかった、必然と偶然が織り成すキセキの魔法。これは言いすぎかな。
聞き終えた後、「やっぱり君は変わってる。うん、面白い、だから好きなんだよ」という答えを笑顔で返してきたときにだけは、照れくささとともに何だかなあとも思った。 いつ見たって何処か抜けたような表情と、奥底の見えないあいつとは一緒に昼食をとらないことだって、週に何回かある。そういう時は大抵女友達数名とどうでもいいことをぐだぐだ喋りながらマックで時間を潰すことが多い。
だが。
ここ最近はずっと一緒にとっていないので、友達と食べてばかりである。
今までは、何であいつと食べないのかと聞かれることが無かったのだが、今日がどうやら聞かない限界だったようだ。
「ねえねえ深雪ちゃん、ずーっと気になってたんだけどね、」
「ん、何よ」
「最近ずっと私たちと昼食食べてるけど、彼はどうしたの?」
かおりの一言が、他の二名の好奇心を駆り立てる。
「あーそれアタシも気になってたー」
「私みたく逆に振ったとか?」
『ヒロは黙ってて』
軽い既視感を覚えながら、ついにこのときが来てしまったのだと実感する。別に悪いこととかはしてないのだが、心臓が高鳴るのは何故だろう。
この際関係ないけど、ヒロはカレシと別れたらしい。本当に関係ない話だけど。
閑話休題。
「で、どうなったの? まさか、何も言わずじまいってことはないよね?」
「う、うん、まあ言うには言ったけど……その、まだ何も無いというか、何と言うか」
「深雪ちゃん、はっきりしてないよそれ……」
「言いにくいんだけど、こういうことよ」
まず先にあいつのちっぽけな悩みについて話し、それから私の解決案を伝える。
伝え終わった瞬間、一同大爆笑。深雪ちゃんらしいとか、うんこういうのがあるから深雪の友達やってて面白いのよねーとか、私が普段どう思われているのかよくわかったりした。さらに、あの人って賢そうな割には馬鹿なのねーとか何とか。いやまあそれはあってると思うけど。 私の考えた実に単純な案は、彼女に会いに行って伝えてくればいいというものである。
「……簡単にいってくれるけどさ」
笑顔から一転したあいつの顔は少しだけ険しいものになっていた。
「もう4年たってるんだ。海外だからってhighschoolからuniversityへの進級時期は通り過ぎたわけだし、今どこにいるかなんて簡単に分かるわけが……」
「それくらい友達関係に聞けば分かるわよ。たんに祐介に気合が足りないだけ」
「……何処かの女子アマレスラーの親父さんじゃないんだから……」
ふうっ、とため息をついて、間を取った後、あいつは再び小さく微笑んだ。
「普通、自分の恋がかなわなくなるかもしれない提案なんてするかぁ?」
「……あ」
言われてから気付く。もしかしたらその彼女が今でもあいつの事が好きだというパターンは考慮していなかった。
「し、仕方ないじゃない! これしか思いつかなかったのよ」
「恋は盲目とは、よく言ったもんだ」
「何気に馬鹿にしてるでしょ、私のこと」
「いやいや、こんな直球勝負を出してくれるところが好きだね。でなかったら君じゃない」
こちらが思わず照れてしまう(けどやはり馬鹿にされている気もする)言葉をさり気なく吐いたあと、あいつはすっきりした顔で宣言した。
「行ってくるか、あの子のいるところまで」
「4年も悩んだ割には、直球勝負を受け止めるのね」
「ま、今更変化球とか投げたって、ポケットの中には入りそうに無いからね。悩み事が減ることは俺にとっていいことだし、それに」
私のことを覗き込む眼。その中に、私が映っていて、
「君のためにもなるでしょ? 俺が、カラッポのポケットの中身を手に入れることは」
その言葉を残して、あいつは遠く西欧へと旅立っていった。 「なんだかんだで、あんたらお似合いよ」
「どこからその結論が出てくるのよ……」
「深雪ちゃんと彼は、すごくバランス取れてると思うよ? ヒロとは違って」
なんで私だけ責められるのかなあ、と隅で嘆く弘子を尻目に(やっぱり既視感がある)私はささやかに抵抗する。
「大体、まだ私とあいつが付き合うとか、そういう結果が出たわけでもないんだけど」
「大丈夫、きっと彼は深雪ちゃんを選ぶよ。でなかったら、昔の状況にふんぞり返っていれば誰とも付き合わないですんだのだから、わざわざ変化を求める必要がないもん」
「な、なるほど……」
ハルの話はほんの少しも分からなかったが、どうやら安心してよさそうだった。
「あーでも残念だなあ、今度はヒロじゃなくて深雪が責められる対象になるもんねー」
「そういえばそうだねー」
「ふふふ、今度は別れた分の僻みも加わるから、ちょっとやそっとじゃすまないわよ?」
「うげ、それは嫌だなあ……」
結局この後散々からかわれて、店を出て散り散りばらばらになった。
この後の講義が無かった私は一人、家路を歩く。
もしかしたら、よりは高い確率でこの先一緒にあいつと帰ったりする事があって。二人で新しいポケットの中身を入れあうことが出来たのなら、それはすごい幸せなことで。ステキすぎることで。
救われない話よりは、救われる話。
報われない話よりは、報われる話。
あいつが帰ってきた時は、真っ先にリクエストしてやろう。
もうすぐ帰ってくる、いつもの何処か抜けたような表情と、奥底の見えない、それでいて小さなことにも悩んでしまう、私の好きなあいつが。