厄介事の予感
そんなこんなで二日後約束の日がやってきた。
約束した時間からはもうだいぶ時間が経ち、天高くあった太陽も空を橙色に染めて落ちようとしている。
対戦相手の彼は未だ現れない。
興味津々で集まってきていた町の人も一人減り、二人減って遂には誰もいなくなった。
この場にいるのは恭子、豊五郎、そして友人の新右衛門だけになった。
ヒマになったのかお茶を勝手に淹れて、お茶菓子を食べている。
気楽な青年に見えるが、その正体は白虎社に伝わる無明流剣術の継承者で彼もまた天下に名の知れた大剣豪だったりする。恭子との付き合いももう十年以上になる。お世話になったけど迷惑も相当かけられた。
というのも新右衛門は長身で足も長い。顔も切れ長の目をはじめ、あらゆる顔の構成要素が絶妙に整っている。私もあちこち旅したけどここまでの美人は見た事がない。今年三十九なのに私と同じ年に見える恐ろしさも兼ね備えている。
まあつまりは存在自体で一目ぼれの危険を振りまいていて、微笑みかけようものなら犠牲者は計り知れない。
更に始末が悪い事に本人は恋愛沙汰に疎く、その事実に気付いていない。
おかげで近くにいる恭子は酷い勘違いで包丁持ってこられたり、毒を盛られそうになったり、酷い時には忍者が…恭子はこれ以上思い出すのを止めた。思い出さない方がいいと自分の何かが警鐘を鳴らしていたからだった。
恭子が恋愛沙汰には気をつけるようになったのはこれがきっかけだったりする。
反面教師、他山の石、人の振り見て我が振り直せ、先人たちの教えとは偉大である。
この様子だと夜になっても現れなければ、家に泊って行く気なんだろう。
まあ部屋はたくさんあるから問題はないけど。恭子はそう思考を終わらせる。
それにしても新九郎の遅さはどうしたのだろうか。
「山内殿どうされたんでしょうか。」
恭子の隣で待っていた豊五郎が少し気になったようで聞いてくる。
「うーん。この二日で遠くで山篭りでもして遅れてるのかな?」
「あり得そうですね。凄く気合入ってそうでしたし。」
「まあ邪推するなら、こうやって焦らして私の集中力を削ぐ作戦とも考えられるけどね。」
「そういう人には見えませんでしたね。」
「私が待ってるから、豊五郎も部屋に上がってお茶飲んだら。」
「私も庭で待ちます。」
「風邪引いても知らないからね。」
さっき小さくくしゃみをしていたが、言い出すと聞かない事を知っているので放っておくことにした。
「あっ、ようやく…」
豊五郎の言葉が途中で止まった。
足音、刀の金属音は二日前と同じ、ただ明らかに纏う気配が変わっていた。
凛としているのではなく、どこか淀んでいて不快な印象を与える。
とんとん。
門が叩かれた。
「はい。」
警戒心を解かずに恭子は門を開いた。
新九郎はこちらに向かって歩き、遅れて申し訳なかったとばかりに頭を下げて。
そのまま倒れこんだ。
淀んだ気は赤茶色で山内殿の体に纏わりついている。
三人の目にはそう見える。
「気」。この世界は五行という気で構成されている。
木、火、土、金、水の五行の気は世界のあらゆるものに存在しその性質を決定している。
五行の中で土気は存在していない。(今の陰陽道では土気は全ての気の元として想定されているが事実かどうかは不明。)
故に実際は四行であるが古来からの言い回しに則って五行と呼んでいる。
それぞれの気には二つの性質がある。
一つは五行の本質に関わる性質である。
それぞれ列挙するならば、木気は性質の変わらない変化、例えば成長する事が本質である。火気は灼熱に代表される、滅びであり、浄化する事である。金気は安定、変わらない事を本質とする。水気は性質の変わる変化。例えば無から有を生む事である誕生などを本質とする。
人間で例えるならば、人は水気の作用によって誕生し、木気の作用によって成長する、金気の作用によって安定した時期に入り、火気の作用によって死亡するという具合である。
もう一つは生まれながらに持つ性質である。例えば木気を持っている動物は鱗の生えたものである。
生まれた時から魚は木気をその身に持っている。どのような事態が発生しても火気や水気を持つことはないのだ。
同様に羽のある鳥は火気を持ち、毛のある獣は金気を持ち、甲羅のある亀は水気を持つ。
その気を何らかの理由で失ってしまえば理論上は死を迎える事になる。
ちなみに人間は特殊であり四つの気を混合して所持している。大半の人間は四つの気を四分の一ずつ持っている。
だがわずかな人間はどれか一つの気だけが他の気よりも多い場合がある。
そのような人間は生きる為に必要でない、過剰な気(霊力と呼ばれる)を用いて特殊な力を行使できる。
手持ちの気を核にして空気中の同じ気を集める。その気の本質的な力を用いて現象を現す。
ある者は流転する木気で風や雷を起こした。ある者は灼熱の火気で炎を呼んだ。ある者は不変の砂や石を金気の力で数多の刃と変えた。ある者は誕生の水気によって氷や霧を呼んだ。
霊力が高ければ高いほど多くの力を行使でき、優秀とされる。
この力を陰陽術と呼び、この術を行使する人間を陰陽術師と呼ぶ。
「陰陽」の話はまたの機会に。
赤茶の気はしゅるりと触手を伸ばしてきた。
とん。
恭子は後ろに軽く飛んでかわす。
戦、悲しみ、怒り、何らかの理由で淀んだ気を正しくするのも陰陽術のみが為せる技である。
淀んだ気は拡大のみを欲する。放置すれば、新たな災いを招く。
三人は冷静に、警戒を忘れずにに行動を開始した。
「守ります。」
《氷界》
豊五郎が術を発動する。為すは守護の術。
輝く黒曜石の短剣を取り出した。気を集める行為を補助する陰陽師用の媒体である。妖しく刃が煌いた。
黒い水気の奔流が膨れ上がり、現れるは巨大な氷の一枚板。こちらとあちらの世界を分かつ。単純な術だが水気の塊であり他の気が干渉する事を許さない為に侮れない。
触手は弾かれる。幾度となく触手を伸ばすがその度に弾かれ続けて徒労に終わる。
淀んだ気、特に実体を持たない弱いものは思考力もない。氷の壁一枚で十分守護の用を為すのだ。
「縛る。ちょっと待ってて。」
《戒め》
恭子が術を行使する。為すは束縛の術。
取りだしたのは大きな翡翠の首飾り。柔らかい光を放っている。
緑色の木気の流れは見えない風の圧力を出現させた。言うならば全方位からの向かい風である。
実体のない相手ならば特に有効で思い通りの形をとる事も出来ずに自由を奪われる。
身体の表面積を縮めて球に近い姿に変じることになる。
「援護助かった。」
《浄め火》
新右衛門が術を放つ。為すは浄化の術。
取りだしたのは数多の紅玉のみで造られた腕輪。赤い光は陽炎のように揺らめいている。
火気の本質、浄化の力を直にぶつける。音もなく燃え上がり淀みのみを焼き尽くす炎は山内殿には火傷一つ負わせる事無く消滅させた。
気配も触手の残骸も何一つ残っていない。
ひとまず浄化を果たすことができた。
「豊五郎、布団の用意。」
二日前と同じ状態になった事を確認し、山内殿を抱きかかえて部屋に運ぶ。
布団に寝かせたがよほど強く淀みの力を受けたのか、自身が淀みに弱いのか意識を失っていた。
「大変な事になったな。」
新右衛門が溜息をついた。
「これは本体がどんな状態なんでしょうか。」
「中々強力な相手なのは間違いない。意識が戻り次第修行場所を確かめねば。」
今回の相手は多くの戦いをこなした術師である三人には容易い事。
でも実体も持てないあれが本体のはずはない。もっと危険な相手が潜んでいる事は疑いようもない。
「ここから近ければ掴めそうですが、ちょっとここからでは分かりませんね。」
早く目覚めてくれないとどこかが危険になるかもしれない。
気がつく事だけを恭子はそっと祈った。
今回も説明になってしまいました。
でも陰陽術の説明は必要なので入れさせてもらいました。
必要なら用語集は作った方がいいかもしれません。
三人称に修正しました。
今回の陰陽術は大して戦ってる感もありませんがそれは今回の相手がいわばスライムにも劣る相手だからです。
彼らには正直なところ作業です。
最後にご案内を。第一話に豊五郎の容姿を書き忘れたので追加しておきました。
あと豊五郎をぶんごろうと読む事も記入しておきました。
ここでお知らせさせて頂きます。
誤字脱字、ご意見、ご要望、感想などありましたら一言頂けるとありがたいです。