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彼は四神  作者: 泉 朋
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第一章・前編

第一章

動き出すもの



「――だから! 仕方ないんだってば!!」


 放課後の職員室に響き渡る威勢のいい叫び声。次に何だ何だと振り返る教職員達に気づき、前田強まえだつよし教諭は、ふんぞり返って鼻をならす少女を、慌てながら(なだ)めた。


「はぁ……」


 深くため息をついた後、少女を虚ろな目で一瞥いちべつする。


 白のポロシャツにジーンズ姿とうラフな格好。別に体育教師という訳ではない。彼の専科は社会である。

 同僚の玖珂 鴉空くがあくうの様に、格好良くスーツを着こなしてみたいと思うが、どうも似合いそうにもないので楽な服装を選んだ。


 だが、この選択は正しかったのかも――前田教諭は思った。


 教師というのは――彼が想像していたものよりも、遥かに体力、そして精神力をつかう職種であった。

 そんな状態の中、首を締め付けるネクタイや、綺麗にアイロン掛けしなくてはならないワイシャツなど――彼にとってはストレスの何物でもないからだ。

 念願のクラスを受け持つ事になって、早1ヶ月。可愛い生徒達に囲まれて――あの有名な教師ドラマの様に、

「先生! 先生!」

と慕われる……そんな想像を膨らませていたが、たった1ヶ月。

 彼が描いていた“理想像”はもろくも(くだ)かれた。




 新1年生のクラスを担当する事になり、自分も担任1年生。幾分か気が楽だったが――悩みなしで進められる程、教師という職務は楽ではない。

 彼がもっていた理想などは到底生温く、よって――


「はぁ……」


 日々重なるストレスに、胃が痛み、こうして溜め息をつくほかなかった。


 今日は出勤と同時に、学年主任から呼び出された。話は、自分のクラスのある“1人”の生徒の“癖”について――まぁ、詳しくも言うまではない。くどくどと文句を言われた。


 だが、話のほとんどは主任の家庭内の文句で、本人に自覚があるのかさだかではないが、前田教諭はいい腹いせになっていた。


 職場に家庭内の事情をもってくるなど、しかも八つ当りをされるなんて理不尽も(はなは)だしい。

 が、

 前田教諭に、それを言い返す度胸や力などあるはずもなく……。


「……はぁ―……」


 本日何度目になるだろうか? 幸せが一つずつ遠のいていく感情に駆られながら、前田教諭は特大級の溜め息をついた。


 それを見ていた目の前に立つ少女が、眉間にシワを寄せながら言葉に声を乗せた。


「何? 前ティ……めっちゃお疲れ気味? ――って! もしかして二日酔いとか!? やめてよね!! 休みの日にしなさいよ、飲み会は」


「……あぁ。飲み会、飲み会ね。――っ! 違う!! 飲みになんて行ってない! しかも俺、酒は飲めないんだ!! ……じゃないだろう佐伯!!」


「……何よ。その、ノリツッコミ。甘いわよ、前ティ。ヤバい。面白くない」


「……面白くなくていいんだよ。別に……」


「あっ。ちょっと傷ついた系?」


「話がずれてるぞ佐伯!! 俺が言いたいのはだな! その“遅刻癖”! 何とかならないのか? ……このまま行くと留年決定の勢いだぞ!?」


 声をあげ、話を初めに戻す前田教諭に、

「あぁ。またその話?」

と、頭をぼりぼりきながら、少女は肩を撫で下ろした。 少女の名は佐伯優姫さえきゆうき

 ロングストレートの栗色の髪。身長は低くもなく高くもなく、ぱっちりとした瞳が印象的な生徒である(少し気が強そうな容姿であるが)。


 問題児といっても、別に学力や生活態度(反抗的、そして敬語の使い方にいささかどうかと思うが)は悪くない。

 他の生徒達を例にあげるというのは良くないが、比べてみても彼女は真面目な方だった。


 が、癖があった。

 悩みの発端はそこにあった。

 “遅刻癖”。そう、これである。



 入学してから1ヶ月。

 彼女の遅刻回数はもはや9回に及んでいた。この勢いでは、前田教諭教諭の言うとおり、“留年”の言葉がちらつくのも無理はない。だが――


「仕方ないじゃん。1人暮らしだし……やること沢山あんのよ」


 優姫本人は、至って気にする事もなく、逆に強気発言をぶちかます程だ。


「いや、だからな佐伯。……本当に危ないんだぞ? いくら成績優秀でとおっていてもだな――」


「前ティは知らないのよ!! ヤバいんです! 怪奇現象が起こっているんです!!」


「……はぁ?」


 呆れまなこで怪訝な表情を浮かべる前田教諭に、優姫は大きく息を吸って――刹那、吐き出す様に言葉を並べた。

「いい? この、つまらない授業を聞いた後の家事が、どんなに大変な事か! 前ティは分からないでしょう!? 1人暮らしの大変さが!!」


「いや……1人暮らしは大変だ。それはよく分かる。俺だって、けっこう寂しいし……って! 違うだろ!! それとこれは別だ! 佐伯、遅刻――」


「どうせ前ティは、燃えるゴミと燃えないゴミの区別もつかないで、一緒にして投げてるんでしょうが、あたしは違う!! それは1つ1つ丁寧に! 丹念に! 愛情を込めて投げているの!」



「ゴミの区別ぐらいはつくって! ……はぁ。ゴミに愛情を注ぐなよ――じゃない! だからな――」


 前田教諭の言葉を遮って、優姫は更に声をあげた。


「花の女子高生が、安売りスーパーでもみくちゃになりながら商品をゲットしている辛さ!! 前ティには分からないのよ!」


「そ、それは大変だな……」


「前ティなんて! 夕飯、らくしてほ〇弁で済ませてるんだろうけど、あたしは断じで違う! 和食、野菜中心のメニューで健康に気を使ってるわけ!!」


「いや……ほ〇弁はたまにしか……」


「分かった!? 大変なのよ!! 授業・掃除・炊事・洗濯! エンドレス! エンドレス家事!! ……まぁ、だけど前ティも色々言われてるんでしょ? あの偉そうなハゲおやじに」


「はぁ……まったくだ。あのハゲおや……っ! 違う!!」


 上手く乗せられていた自分に気づき、慌てて突っ込んだ前田教諭だったが、


「じゃ、そういう事で! 明日からは気をつけるから!」


 佐伯優姫はひらひらと手を振り、職員室を後にしていた。


 ぽつん――と取り残された前田教諭は、がっくりと肩をなで下ろし、


「……明日からは気をつけるって。……大丈夫なのかよ……本当に」


 頭を乱暴に掻きながら小さく呟いた。




「はぁ……」


 混然こんぜんする茜色と紫色の空を見つめながら、佐伯優姫は携帯を片手に深くため息をついた。


 携帯のディスプレイには、目を細めて怒る絵文字と『もう、優姫遅いよ! 先にみんなと遊んでるからね!』と記されたメール。

 彼女の友人であり、そして同じクラスの北野真由きたのまゆからのものだった。


「やばっ。めっちゃ怒ってるじゃん……」


 本日は、友人、北野真由主催の『じゃんじゃん遅くまで歌いあかしちゃおうよ!』の日であった。

 要は単純にカラオケを歌えるとこまで歌いまくりとうもので、仲良くなった友達を引き連れての交流会。

 あまり騒がしい事は好かない優姫であるが、


『ダメダメダメぇ!! 優姫も絶対来ないとダメ!』


 真由の我が儘が出てしまえば、“面倒臭い”そう思っても了承するしか他なかった。優姫はそういうたちであった。お願いされたら断れない。良いところなのか悪いところなのか……。

(はぁ……もう、予定ズレまくりじゃん)


 忙しなく歩く人の流れを避けながら、優姫は憂鬱ゆううつそうな顔をした。


 放課後、そのまま真由とその友人らと共に、そのままカラオケ屋へ行く予定であっが――担任・前田強からの思わぬ呼び出し。


 それに――今日は朝から予定がズレていた優姫だった。

 毎日、

「遅刻、遅刻」

と口うるさく言われるのは――優姫だって嫌になる。


 今日こそは絶対しないぞ! と計画を立て、携帯、そして目覚まし3台とテレビも大音量設定をし、タイマーを入れておいた……が、全く役にたたなかった。


 つい先ほど、担任・前田強に言った訳の分からない言葉も、さながら嘘ではなかった。


『ヤバいんです! 怪奇現象が起こっているんです!!』


 これだ。


 怪奇現象とは少し大袈裟おおげさな発言かもしれないが――それ意外に“それ”を表現する言葉を、優姫は持ち合わせていなかった。


 優姫は夢見が多い方だった。どっぷりとその世界から抜け出せなくなる程に、濃く、それも鮮明で起きれなくなる程の夢だ。

 むろん、だから“遅刻しても仕方ない”とは言えないのだが、遅刻の原因は間違いなく幾度いくどとなるその“不思議な夢”が原因だった。


 ただの夢といえばただの夢。


 怪奇現象、そこまで言わざるその夢は――見ているというより、“強引に見せられる”と言った方が適切かもしれない。

 現に、セットされた携帯やら目覚ましの起床をつげる音は聞こえていた。

 だが、まぶたが接着剤でも付けられたかの様に重たく、その夢から覚めようとこころみてみるもの――躰や頭は言うことをきかなかった。



 幼い頃から何度も見る夢。

 1年置きが半年置きになり――1ヶ月、半月、1週間……そして毎日の様に見る様になった。

 それも、内容はどんどん“一瞬”から“一通り”の物語を見るかのように長く……。


 登場人物は毎回違うが、その中で必ず現れる人物がいた。


 桃色の着物が似合う女性。表情は凛としていて、柔和な笑みをこぼす人だった。


 最初のイメージは“優しそうな人”。だが、次第に内容が濃くなるにつれ、その女性に感じた印象は“どこか寂しそうな人”に変化していった。 最近、その夢の中の女性は――必ずと言っていい程泣いていた。もどかしさや切なさや……そんな形容がにじみ出ていて、女性から発する声はなかったが、その姿はどこか

「苦しい」

と聞こえてきそうに――痛々しかった。

 唯一聞き取れるのは、


(……忘れて……わたしの事は……もう忘れて)


 その言葉を何度も何度も、か細い声で繰り返していて――そこで夢は途切れる。


 そして目が覚めて、慌てて飛び上がる様に起き上がり、目覚ましを覗いた時には手遅れな時間になっている、という状態が続いていた。


 毎日見るその夢を、不思議と“不気味”だとは思った事はないが――


「……留年は御免なんだけどなぁー……。めっちゃ迷惑」


 連日続く不思議な夢に、本当に勘弁してほしいよ――と、小さくため息をつきながら、優姫は休めていた手を再び動かし、短く

「ごめん。今行く」

とだけ、友人・北野真由にメールを送った。



 打ち終わり

「さぁ、行かなくちゃ」

と、優姫が携帯電話を閉じた――それとほとんど同時だった。


 ――ずしん


 地響きがした。


「……?」


 何かが潰れた様な、落ちた様な……そんな音だった。一体何だろうと優姫が振り向いた刹那――


 地を揺らす雷鳴に似たけたたましい爆音が、優姫の耳を強烈に突き刺した。

 キーンとする耳なりに思わず耳をふさぎ、その音に疑問を投げかけるより早く、次に砂埃すなぼこり(まと)った爆風が彼女の体を襲う。


 それは一瞬の出来事で――

 優姫はそのまま吹き飛ばされたのち、爆風によって、彼女は激しく地面に叩きつけられた。


 ……鈍い音が全身を伝って脳裏に響いた。


 一体……何が起こったのか、吹き飛ばされ叩きつけられた事も、優姫は分からなかった。それを理解するのは少しだけ時間がたってからだった。




 粉塵(ふんじん)が舞う。

 ――呼吸が苦しい


 次第に覚めていく思考。

 ――何が……どうなって……


 神経を激しく打つ痛みに、優姫は声にならない声をあげらながら、ゆっくりと(まぶた)を開いた。

 灰色の視界が徐々に、鮮明に晴れてゆく。


 この苦しさは――粉塵によるものなかのか? はたまた……


「……うっ……」


 優姫は記憶を辿(たど)った。


 あの時――どうした? 地響きがおこって……どうした? 突風が……躰が……吹き飛ばされた?

「……うぅ……」


 苦悶(くもん)の声が漏れる。焼けるような痛みが全神経を支配し、優姫のフリーズした思考が覚醒していく。


「……なっ……なん……何なのよ……一体」


 痛みに震える躰にムチを入れ、腕に力を込めてゆったりと起き上がる。

 曖昧模糊(あいまいもこ)の頭に、容赦なく甲高い耳障りな叫び声が優姫の耳を震わせた

「やっ! な、何……?」


 思わず両手で耳を塞ぎ、騒然(そうぜん)とする周りの声に、彼女は意識をやった。

 みんなは、何と言っている?


 ――車両。燃えてる。爆発。怪我人。……逃げろ、逃げろ――


 ――何のことなのか、意味がさっぱり分からない。


 ざわめく声と暴れる頭を冷静に変え、状況判断をする。まず1つずつだ。

 車がどうしたって? 炎上。……車が燃えたの? それでどうした。どうしたどうした――


 優姫が言葉のパズルを解いている、その時だっった。


 一陣の風がその場を吹き抜けた。


「……何?」


 晴れていく視界。

 徐々に見えてゆく光景に――優姫は息を呑んだ。


 それはどこかで見た事のある光景だった。だが、見た事のあると言っても、映画やドラマ、そういった“非現実”な“空想世界”のものであり、確かに世界の紛争地域では“テロ”や“ジャック”などを、ブラウン管を通して見た事はある。


「……え?」


 が――その非現実的な世界が、今は“リアル”にここにあった。


 悲鳴と絶叫が乱れ飛び、我先にと、押し合いながら逃げ交う人々。


 爆音が間断(かんだん)なく耳を裂き、燃え盛る炎と、容赦ない爆発が所々で炸裂する。建物の破片と共に吹き飛ぶ人、人、人……。


「……あ……ああ……」

 それはまるで地獄絵図だった。

 優姫は、瞬きをする事も、叫ぶ事も、逃げ出す事も何も出来ずに、ただその場にいる事しか出来なかった。


 何故……こんな事になったのか?


 優姫の横を走り抜けていくサラリーマンらしき男性が、狂った様に何度も同じ言葉を叫んでいた。


「爆発した!!」

「テロだ!!」

「爆弾だ!!」


 奇声をあげ、走り去る男性の後ろ姿を見つめ、唯一優姫が理解した事――


「……違う。違うよ……」


 硝煙(しょうえん)と破片が舞う。

 車両が圧をあけられ潰れていき、爆発と炎。


 爆弾ではない。……おそらく、テロでもない。


「……違う……これは……」


 優姫の瞳には――車両の上を蛇行して飛び跳ねる黒い巨体、真っ赤に光る双眼を持った“獣”の姿が映し出されていた。

 人々が去ったその場には、奇妙な潰れ方をし、炎上した車両だけが残されている。器物とガソリンが燃え、異常な臭いが立ちこめていた。


 飛び散ったガラスと建物の破片が、一面に広がっており、走り去る人々の足音が次第に遠のいていく。


 1人取り残された優姫は、この“状態”を、肯定する事も否定する事も出来ず、ただ――視界いっぱいに映る、黒い巨体を凝視していた。


「……何……やだ……分かんないよ」


 近づく漆黒の獣。それはこの世のものとは思えない、ゲームや漫画や……そう“空想世界”の生き物である。


 砂埃が舞う、視界の悪い中、怪しく光る2つの深紅の瞳が、優姫だけを映していた。


「ひっ……」


 小さな悲鳴を漏らし、優姫はその場を立ち去ろうとしたが――足が動かない。腹に力が入らない。

 恐る恐る、視線を自分の四肢(しし)に移すと、左足首がじんわりと赤く染まっていた。



 強烈な痛みが体から(にじ)み出す。優姫はムチを入れ、それでも彼女は懸命に立ち上がる。


「……動いて……動け! 逃げるの!! ここから……」


 打ちつけられた躰の痛みと、現実離れしすぎた“恐怖”に、激しく躰が震え、足が(すく)み、それ以上が動かない。


 自分の躰なのに……まるで他人のモノの様に、思い通りに動かせなかった。


 車両を転々と飛び回っていた“漆黒の獣”は、優姫に気づくや否や、ゆっくりと確実に彼女へ近づいていた。


 そう確実と……目の前の“獲物”を捕らえる目。

 距離が縮まるにつれ、その全貌が(あら)わになる。

 真っ赤な瞳。真っ黒な躰。トカゲを思わせる容姿に、頭からは角の様な触覚が不気味に生えている。

 口は大きく切り開かれていて、黒ずんだ躰には体毛が剛毛と生えていた。


「……あ゛……」


 一瞬。

 その、あまりの恐怖にショック状態になり、思考が優姫の周りには黒い大きな影が広がった。


 ――これは夢だ。


 今まさに捕まかる――というその時。優姫の思考はいつになく冷静さを取り戻していた。

 そう、これは夢だ。まだ夢の中にいるに違いない。

 遅刻の事で、だらだらと文句を言われるのが嫌で……現実逃避。これは自分自身が見せている夢だ。そうだ。そうに違いない。覚めろ、夢なら早く……早く覚めろ!


 ――認めるものか……こんな、こんな有り得ない事!!


 だが――夢ならば、この震えはどう説明する? この肌で感じる恐怖を……どう説明出来るだろうか?


(……ダメだ。もう……ダメ……)


 覆い被さる様に、広がる怪物の手を見つめながら、彼女が覚悟を決めた刹那、


「……え?」


 怪物の指の隙間から、きらりと光る“何か”が目に付いた。


「……な、何?」


 何かが近づいてくる。燦然(さんぜん)迅速(じんそく)に。

 それは……一瞬の出来事だった。だが、鮮明に1つ1つスローモーションが如く、優姫の瞳に脳裏刻まれていく。


 近づくのは、金色の剣を握った……漆黒の髪の――少年だった。


 まさに駿足。遥か後方にいた少年は、一気に怪物まで詰め寄った。


 怪物がその存在に気づくよりも早く、少年は間合いに入り――横薙(よこなぎ)に一撃!


 響き渡る断末魔と、煌々(こうこう)と光る金色の剣。刃の軌跡に沿って、煌びやかな残像が、見事な円を宙に描いていく。


 斬激の連発。


 烈光(れっこう)が駆け巡り、金色の光が舞い上がった。


 優姫は瞬きさえも忘れ、その光景を見つめた。

 砂の様に崩れて、風に吹かれてゆく怪物の残り(あと)

 握った剣を肩に乗せ、くるりとこちらへ振り向く少年。




 おかしな事だった。


 この阿鼻叫喚(あびきょうかん)な地獄絵図の中――


 炎が上がり、悲鳴が響き……煙が舞って、ちらばる破片。


 そんな中、優姫は“綺麗”だと思った。

 勿論、周りの惨劇ではない。だが、不思議とそう思った。


 燃え上がる赤の色に、光る金色の剣。

 揺れる漆黒の髪の毛と、深い深い黒の瞳。


 振り向く少年の姿を綺麗と、神秘的だと――

 まるで……全てを包み込む様な、そんな何か“絶対的”な光を、優姫は少年に感じた。



 色んな事態が一気におこり、ショート寸前な思考と、打ち寄せてくる苦痛の波が、優姫の意識をぼやけさせていく。


 振り向いた少年は、無愛想に優姫へ手を差し伸べる。


「……怪我はないか?」


 訳が分からないまま、とりあえず

「大丈夫……だと思う」

とだけ返し、優姫は少年を凝視した。

 聞きたい事は山ほどあった。が、視界がどんど狭くなってゆく。

 ゆっくりと少年に起こしてもらい、優姫はは絞り出す様に少年へ問いかけた。


「……あなたは……一体……?」


 思考が混濁(こんだく)していき、何が何だか理解出来なくなってゆく。

 少年は少し戸惑ってから、静謐(せいひつ)な口調で言った。




「……俺は」


 優姫の(まぶた)が閉じていく。


「俺は……あんたを護衛する者だ」


 優姫が、その言葉を聞いたかどうかは定かではない。

 少年の発言と同時、優姫は意識を手放した。




 漆黒の空間。

 何も見えない、真っ黒な世界。

 その空間に、一筋の光と誰かの声が聞こえた。


(――ここにいたの?)


(…………)


(あは。この場所が好きなの?)


(……あぁ)


(私も……)


(……そうか)


(うん。ここは……あなたと出会い、みんなと出会った大切な……大切な場所だから)


(…………)


(……おかしいよね)


(……何がだ)


(望んではいけないのに、それを強く叶えたいと願ってしまう)


(…………)


(……許されないのに、望んではならない事なのに)


 光が強く膨らむ。

 聞こえていた声は、次第に小さく小さく……


(……1つ教えてやろうか)


(護る事も、戦う事も、人を愛する事も……全てを教えてくれた人がいる)


(……うん)


(それは――)



 閃光が爆散する。

 漆黒の空間が、眩い光に変化する。


 ――それは……


(それは……?)


 声が消え、みるみる白い何かが近づいて――




(あれ……?)


 混濁(こんだく)する意識の中、次に優姫が目覚めたのは――白い天井、白いカーテン、点滴に花瓶にささる花……見慣れない一室だった。


 真っ白なシーツを握り、優姫はゆっくり体を起こす。

 やわらかい日の光が、カーテンの隙間からこぼれ、ふんわりと暖かな風が彼女の髪を遊ぶ。


「…………」


 乱れる髪の毛を押さえ、優姫はぼんやりと考えていた。


 ここはどこだろう。

 何が起こったのだろう。

 ……今のは何?


 少し前まで聞こえていた声。あの脳裏に残る、懐かしい残滓(ざんし)。だが、内容は虚ろだった。いつもと違う、どこか懐かしく、記憶に残らない夢……?


(あれは……夢、だったの?)


 分からない。一体何が――


 髪を押さえていた手を額に当て、思い返す。

 何か重要な事だった気がするが――ダメ、思い出せない。


 

 漏れる溜め息と同時、部屋の扉が静かに音をたて開いた。

 はっと我にかえり、優姫は扉へと視線を向ける。――見慣れないこの一室に、見慣れた顔が覗かせた。


「あっ、優姫ぃ〜! わぁ〜気がついたんだねっ」


「えっ? ま、真由?」


 ウェーブのかかったブラウンの髪。ほっそりとしているが、決して痩せすぎてはいない理想な体系。

 長いまつげと、くっきりとした黒い真珠の様な瞳が、優姫を見つめる。

 真由(まゆ)――優姫の友人でもあり、学校のクラスメイトだ。

 真由は柔らかな笑みを浮かべ、嬉しそうに優姫のもとへ近づいた。


「もー。すんごーい、心配したんだからねっ! いつまで経っても優姫来ないし、連絡入ったと思ったら優姫のおじさんからだったし」



 一体、何の事か――突然の事に理解出来ず、優姫は怪訝(けげん)な顔で真由を見た。


「えっ、ちょ、待って。……ごめん。何? 分かんない」


「あのね、ほら、優姫とみんなで遊ぼーって約束していた日。あの日ね、“爆弾事件”があったんだよぅ」


「ば、爆弾!?」


「そっ。爆弾」



 爆弾――そうだ。あの日……。


 優姫は記憶をさかのぼった。

 そうだ。

 確かに……あの日、真由と約束していて……。


「もー。真由、びっくりしたんだからね!! 優姫が巻き込まれて、入院してるって言われたから……。なかなか目を覚ましてくれないし……」


 真由は目を潤ませながら言った。

 ぐすんっと鼻をすする真由を横目で見ながら、優姫は理解した。


「入院……そうか、あたし、あの時、意識が……」


 意識がなくなって……そう、それからの事は覚えていない。気がついたらここにいた。

 少しずつ出来事を辿り、優姫は思い出す。



 舞い上がる粉塵と、逃げ惑う人々と、燃え盛る炎と……黒い塊。紅い目……金色の――


「……あれは……夢だったの?」


 優姫は呟いた。


「えっ? 何?」


「いや……何でもない」


 きょとんとする真由に、優姫は苦笑しながら返した。


 あれは……夢?


 いや、でも真由の話からすると……だけど、爆弾事件だったって言ってるし。


 述懐(じゅっかい)する優姫に構わず、真由は話を付け加えた。


「でもね、不思議なの」


「……不思議?」


「うん。不思議」


「何が……?」

「真由、あんまりニュースとか見ないし、ママから聞いた話なんだけど」


「……?」


「爆弾事件って言われているけど、全くその痕跡がないんだって」


 優姫は言い知れぬ寒気を背中に感じた。鼓動が早くなる。

 震え出す躰を真由に悟られない様に、優姫は平然とした口調で(うなが)した。


「それで?」


「何かね、原因というか、そーゆーの全然理解出来ないんだって。要はいきなり爆発したってやつ? 一台ならともかく何台も。怪奇事件だって。朝見たニュースのおじさんは、宇宙人の仕業だぁー!! って言ってた」


「はぁ……そう」


 相変わらずの、幼稚な口調の真由の言葉を流しながら、優姫は1つだけ耳を傾けた。


 宇宙人の仕業。


 もし、あの事が夢でも幻でもなく――本当(リアル)な出来事であったなら……。


「優姫はちゃーんと体を直す事に専念してね! ノートは可愛く、真由が書いといてあげるから」


「いや、フツーに書いてくれればいい。うさぎとかクマとかはいらない」


「えーっ! じゃぁ、ネコさんとかは?」


「だからフツーに書けって……」


「そうそう! 今日ね、すごーくカッコイい転校生が来たのぉ」


「真由……あたしの話、聞く気ないっしょ?」


 楽しそうに笑う真由を一瞥(いちべつ)し、込み上げる不安を隠すように、優姫はただ苦笑しているしか出来なかった。


 ――あれは、ただの夢? それとも――


 悪寒を感じつつ、大丈夫。そう、夢よ。あんなこと……あってたまるか。


 祈るような思いを浮かべ、真由の他愛もない話を、優姫はしばらく聞いていた。




 軽い捻挫(ねんざ)と切り傷、ショックによる疲労、精神不安定――そう診断され、検査も合わせて4日。


 別に大した事ではなかったのだが、半ば無理やりな入院生活。


「――なんか、すんごい久しぶりな気分」


 どんよりとした表情で、優姫はおもむろに席についた。


 昨日退院し、5日ぶりとなる学校。本日は珍しく遅刻はしなかった。


 教室に入る前に職員室に寄り、担任・前田強教諭に軽い挨拶を済ませてきたばかりだ。


『おっ。退院したばかりなのに、遅刻しないできたなんて! 佐伯、気合い入っているな! いい事だ。これからも頼むぞ』


 と言われたが――正直、本日はゆっくりと午後の授業だけ受けようとしていた優姫だった。


 遅刻せずに来れたのには、いくつかワケがあった。別に早く来たくて来たわけではない。


 この入院していた数日、病院の起床は早い。体が自然と慣れてしまった――そういう単純な流れである。


 それに――あの悩まされていた“夢”も、“あの日”以来、全く見なくなった。


 それが本日、遅刻せずに登校出来た最大の理由でもある。


 お陰で遅刻更新はストップしたが、何年も見続けていた“夢”。かえってそれがなくなった事に、不気味な違和感を感じる程だった。


「何だろう……最近、本当変な感じ」


 言い知れぬ懸念を抱きながら、ぼんやりと思い(ふけ)る優姫と打って変わり、クラスメイト達は朝から大盛り上がりしていた。 


「退院祝いと連続遅刻の更新ストップ!!」


「ダブルだ! ダブル祝いだぜ!」


「今日は宴会ですか? おい、誰か幹事やれ!」


「はいはぁーい! 真由やりまーすぅ」


 まったく……好き勝手に騒いで――胸中、そんな事を浮かべつつ、優姫は ざわめくクラスメイト達の言葉を、流しながら聞きつつ、真由から貰ったノートへ目を通していた。


 あんな事件が身近で起こっても、こうも元気に騒げるクラスメイトの凄さに、呆れが半分と、ある意味尊敬が半分と――


「はぁ……」


 優姫は大きく溜め息を吐いた。


「なぁーに? 優姫おばさんクサいよぉーぅ」


 1人耽る優姫の顔を覗き込み、友人・北野真由が眉間にシワを寄せながら言い寄った。


 真由の言葉を、優姫はさらりと流しながらノートをめくる手を止める。


「いいのよ、別に。ばばぁでも」


「ダメダメぇ。溜め息ばかりついてると、幸せがおて手を繋いで逃げちゃうんだよーぅ?」


「……何よ、それ」


 優美(ゆうび)に笑う真由の顔を、しらけながら流し、優姫は再びノートへと視線をやった。


 あれだけ普通に書けと言ったノートには、うさぎと亀が競争している、パラパラ漫画が描かれていた。


(……亀が勝つ童話なのに、うさぎがそのまま勝ってどうすんのよ)


 たった4ページほどで、うさぎがゴールし、ゆっくり歩く亀を待つ間、意味不明なうさぎのダンスが永遠と描かれている絵。


 いつもながらに、真由のセンスはよく分からないが、問いかけたところで――


『だって、うさぎさんの方が可愛いんだもーん』


 なんて言うに違いない。

「…………」


 突っ込みたくなる衝動に駆られながら、にっこり笑う真由の顔を一瞥し、苦笑を浮かべながら優姫はただ黙っていた。


 あーでもない、こーでもないと、依然と優姫の祝い(宴会)話に花を咲かせるクラスメイト達の会話の中に、聞き慣れない名前に優姫の手が止まった。


 そういえば――


(転校生が来たんだったっけか?)


 入院中、真由が嬉しそうに言っていた転校生。


 カッコイいとかクールとか……取りあえず興味がないので聞き流していたが、


「ねぇ、真由」


 優姫は真由に問いかけた。


「なに?」


「あのさ……ほら、言っていた転校せ――」


 教室のドアがクラス中のざわめきをかき消して開けられた。


 入ってくる生徒を見て、嬉しそうに声をかける真由。クラス中の生徒達の視線が、その生徒に集まり、男子生徒の佐々木鉄也が、その生徒に近づき話しかけた。


「おい、天野。おまえも来るだろ?」


「……何が?」


「今日な、ほら、窓際に座ってるやつ。天野知らないもんなー! アイツが入院していた、佐伯」


「…………」


「今日、アイツの退院祝いやろーって話でさ! おまえも来るだろ?」


「……構わない」


 その生徒の言葉を聞いて、真由が歓喜の声をあげた。


「わぁー! やったぁ、竜くん、真由と一緒に遊ぼうねっ。――そうだ! ほら、竜くんこっち!」


 真由に引っ張られながら、その生徒が優姫の目の前に突き出された。


「ほら、優姫っ。真由が言っていた転校生の人だよっ」


 楽しそうに話を進める真由とは変わり――優姫は硬直していた。


 あの日の――あの時の記憶に戻っていく。


 燃え盛る炎の中、もみくちゃになりながら逃げ交う人々と、爆音と爆風と……乱れ交う悲鳴と絶叫。

 黒い体と紅い目の獣と……そして――


「竜君、自己紹介してあげてよ」


 笑顔で促す真由に、その生徒は一瞬戸惑いながらも、無愛想に優姫へ言った。

「……天野竜です。よろしく」


 夢ではない事、幻を見ていなかった事、半分確信していて、残りの半分は信じたくなかった事――


 全てが動き出す。多分、ずっとずっと前から……


 優姫はただ、呆然と見ていた。


 漆黒の髪と瞳を持った――あの日のあの時の、獣を切り裂き、金色の剣を持った……少年を。



《前編・終》


 初めましての方も、リメイク前作品からお世話になっている方も――


 泉朋です。


 彼は四神、第一章・前編を拝読いただきありがとうございます。

 リメイク版のこの作品、前作のストーリーとはまた違ったお話となっています。

 キャラクターは変えずに、物語に重みを……をテーマに頑張ってこれからも執筆していきます。


 まだまだ至らないところがありますが、感想などありましたら、この泉朋にお知らせ下さい!


 では――一章・後編でまた……

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